トラウマ
赤髪もどきを木に寄りかけておいて、馬車を追って東の丘へ走る。
丘の麓には馬車が投げ捨ててあった。
どうやらオッカムとトリカは先に丘を上ったようだ。
朝はにぎやかだった丘の道も、夜には静まり俺の足音だけが丘を駆ける。
頂上に着く頃には静けさもよりいっそう深まった。
静かすぎて耳が痛くなってくる。まるで生物の気配がない。
月明かりが整列する石をほのかに照らす。
道の先に、何かが二つ仲良く横たわっていた。
金色と銀色。
それがトリカとオッカムだと気づくのに幾分かかかった。
「トリカ! オッカム!」
慌てて駆け寄る。
どちらも息はあるが、意識はない。
何かにおびえるように体を震わせている。
「ちょっと眠ってるだけさ。すぐに目を覚ますよ」
後ろからそよ風のように力のない声がした。
首を後ろに向けると、そこにはシャベルを杖にして立つ墓守の姿があった。
月の光で目覚めた朽ち果てた屍。
そう思えるほど、その姿は生気を感じない。
「やあ、ルイゼット君。見覚えのある姿があったからね。君も来ると思ったんだ」
「墓守さん。いったいどこから」
見覚えのある姿というのはトリカなんだろう。
しかし、この墓守は後ろから現れたが、まったく気配を感じなかった。
隠れていたのだろうか。
「……ずっと入り口に立ってたよ。ルイゼット君、僕の前を通っていったんだけどな」
墓守は少しショックを受けている。
たぶん、枯れ木か何かだと思ってしまったんだろう。
この墓守の擬態レベルが高すぎるんだ。俺は悪くない……はず。
「二人に何をしたんだ?」
「ちょっと掘り返しただけだよ。後遺症は残らないように加減したから、大丈夫さ。そもそも先に襲って来たのはその二人だからね。正当防衛じゃないかな」
墓守はなんでもないことのように語る。
トリカはともかく、オッカムがこんな簡単にやられるとは考えられない。
それにこの墓守は手加減したという。
たしかに二人には目立った外傷もない。ただ、顔を真っ青にして震えている。
これは……、
「それよりもなかなか派手なことをしたみたいだね。レィト様をラーミナに勧誘するとは思わなかったよ」
俺が墓守の刃について考えていると、彼は力なく笑って話してきた。
「おかげで僕も久々にお仕事だ」
小さく息を吐き、困ったように俺を見る。
「前に話したね。僕が『条件付き』で墓守をしてるって。条件っていうのは至極単純。鐘が三回鳴ったら逃げてくる賊を捕らえろってものさ」
「それで二人を?」
「そうだね。ほっとくつもりだったんだけど、気づかれちゃってね。さすがは悪名高きオッカムといったところかな」
墓守が首をカクンカクンと動かす。
それやめろ。落ちそうで怖い。
「じゃあ、このまま二人を連れて出て行けば見逃してくれるか」
「最初はそうしようかと思ってたんだけどね。やめたよ」
墓守はそこまで言うと、ようやくふらふらしていた首を固定させた。
「ルイゼット君はレィト様から直々に騎士として誘われたそうだね」
「……ああ、誠に遺憾だがな」
「そう言わずにやってみないかな。君のような能力者に理解ある人間がレィト様の騎士になるんなら、それはおもしろそうだ」
なにこの騎士推し。
なんでみんなそんなに俺をあのめんどうな姫君の騎士にしたいの。
馬鹿なの?
「まあ、そんなめんどうそうな顔するなよ。僕はこれでも顔がきくんだ。君が騎士になるっていうんなら、そこにいる二人についても厚い処遇がされるように根回しをしよう。もちろん、君に手出しもしない」
「ならないって言ったら?」
「特になにもしないよ。君は亡き戦友たちに祈りを捧げてくれた。僕はここで君を見なかったことにする。墓の下にある隠し通路でも使って、どこへなりとも行けばいい。僕はこの二人は軍に引き渡すだけだ」
どうやら墓守は隠し通路について知っている。
それに俺が騎士に誘われたことも知っているようだ。
最初に出会ったときは名乗っていない名前も知られていた。
先ほど、彼は「掘り返す」と言っていた。
さらにオッカムとトリカの状態。
目立った怪我はなく、ただ震えているだけ。
以前にシャベルに触れたときも気持ち悪くなった。その後で、名前を言われた。
そうすると精神的な攻撃とそれに伴う記憶の取得。
それが彼の刃だと考えられる。
「仲間を見捨てて一人で逃げる。それは論外だ」
「そうだね。君ならそう言うだろうと思ったよ。じゃあ、レィト様の――」
「騎士にもならない。いまレェトの騎士になってしまえば、おそらく俺も彼女も駄目になる。今は、突き進むのが正解だと思うんだ。だから、俺たちを見逃してもらえないか」
俺の願いに墓守は首を横に振る。
「正解か不正解かなんて、やってみないとわからないよ」
「そうだとしても、良い結果にならないことは予想できる。どうして自分がここにいるんだろうってわからなくなる。出会ったときのレェトや今のあんたみたいにな」
「そうかもしれないね……でも、生きるってそんなものだよ。大切だと思っていたものはあっけなく消えてしまうし、どこかに求めているものがあると思って探しても、ないものはどうやっても見つからない。諦めて、妥協して、自分を曲げて生きていかなきゃならない」
「その妥協点が騎士だっていうのか?」
「そうだね。諦めは早い方がいい。がむしゃらに突き進んでも、どこにもたどり着けない。誰も幸せにならないよ。それならレィト様を支える騎士になって、彼女とともにトゥリスを栄えさせて欲しい」
墓守の経験談だ。
仲間を殺され、殺した存在を探し求めた男の話。
けっきょく探したものは見つからず、ただの徒労に終わった。
「そんなこと――」
「できる。君ならできる。これでも僕はあちらこちらで人を見てきた。人の器くらいはわかるよ。君なら騎士の役目を担うことができる。逆に言えば、それだけだ。それ以上の力は感じられない。これが最善手だ」
「それは……」
「君は馬鹿じゃない。わかってるんだろう。自分の限界を」
耳が痛い。だからこそ墓守の言っていることが正論とも受け取れる。
先に戦った赤っぽい髪の少女を思い出す。
俺は彼女に「それだけだ」と言った。
実際に彼女の力はたいしたものでなく、限界が見えすけていた。
しかし、彼女は俺が勝手に作り上げた限界を突破してきた。まあ、勝ったのは俺だがな。
俺の見た限界は確かにそのときの彼女の限界だったはずだ。
それでもカリガはそれを踏み越えた。
なぜ踏み越えられたのかを考えると、それは俺の存在があったためだと思う。
もちろん、別に俺じゃなくてもよかった。彼女にとっての壁となれればそれでよかったんだ。
彼女は俺という壁に踏み込み、打ち破った。もう一度言うと、勝ったのは俺だよ。
それならだ――、
「たしかにそうかもしれない。あんたが言うように、それが今の俺の限界なんだろう。それは認めよう。だからだ――だからこそ、俺はその壁に挑み、超えたいと思うね」
俺は墓守という壁に対峙し、拳を固める。
墓守も俺の意志を悟り、息を吐く。
「やれやれ……なんでこうなるんだろうね。嫌な夜はいつもこうだ」
墓守はすっと俺から目線を外して空を見る。
「あの日もこんな――月のきれいな夜だった」
自慢をすると、目はいいほうだ。
遠くのものまで見ることができるという意味じゃない。
速く動くものを見ることができるという意味だ。
体の反応も悪くない。
師匠の理不尽な暴力のおかげで見ることさえできれば、避けるか受けるといった対応はできる。
しかしだ。
オッカムの得意とする死角からの不意打ち、師匠の目で追えない速さによる打ち込み、そして――そもそも不可視の攻撃。
こうした見えないものはどうしようもない。
墓守の攻撃はまさに不可視だった。
その結果として、俺は横たわっている。
近づくことすらできなかった。
「えっと……大丈夫かい?」
しかも、攻撃をした張本人に心配されている。
力を振り絞って顔を上げると、墓守は心配そうに俺を見下ろしていた。
「力の効きやすい人、効きにくい人といろいろ見てきたけど、触れる前から倒れた人間は初めてだよ」
シャベルから気配を感じたら、無意識のうちに足が止まってしまった。
近づいてはいけないと感じた。
それでも無理をして近寄ろうとしたら、感じていた気配がさらに強まり、体の内から気持ち悪さが溢れ、体が震え、汗が止まらなくなり、そのまま足が折れて地に伏した。
「おかしいな。触れないうちはせいぜい集中力が乱れたり、嫌悪感が増すくらいなんだけど……」
墓守がひとりごちる。
同時に力の気配が弱まる。
なんとか立ち上がるものの、まだ気持ち悪さが残る。
俺が感じたのは嫌悪感なんていうそんな弱々しいものじゃなかった。
自分の体の中から崩壊していくような感覚だ。
「困ったね。これ以上は弱くできないし、強くすると壊してしまいそうだ」
なにかぶつぶつと言っているが、やるなら今しかない。
俺は足を引きずり墓守との距離を詰める。
「仕方ないか。壊してしまっては元も子もないからね。ルイゼット君もきちんと戦って負けた方が納得できるだろうし。うん、それじゃあ誰がいいかな……」
墓守はこちらの様子など気にしていない様子だ。
いよいよ俺の距離に入り、墓守の喉を狙って貫手を出す。
見た目がひょろいから体術はできないと思っていたが、墓守はぬるりと避けた。
気持ち悪い避け方だ。
そこに打撃がくるとわかっていたようだった。
「君に武術を教えた人は強いのかな?」
質問の意図がつかめなかった。
どうして今、俺の武術を出すのかわからない。
しかも、俺じゃなくて俺の師匠についてだ。
師について聞かれたからには答える必要があるだろう。
「師匠は強いなんてもんじゃない。最強さ」
「そっか、もしかして能力者なのかな?」
そんなことを聞いてどうするつもりだ。
だが、師匠については能力者か否かは関係ない。
「そうだ。でも、力を使わなくても師匠に勝てる人間なんてほとんどいない」
事実だ。
師匠は能力を使わなくても十分に強い。強すぎる。
俺なら間違いなく封殺される。
ロンやケファ兄が共鳴に達しても、師匠は自身の能力をほとんど使わずに相手をする。
師匠は人間の到達点だ。
さらに能力を使えば、もはや化け物になる。
あまりにも強すぎるためダモクレス国内では共鳴が禁止されているくらいだ。
師匠はすでに恐怖の象徴だ。
暴力の象徴でもある。
「それはちょうどいいね。じゃあ、その師匠に君を倒してもらおう」
あまりにもさらりと口にしたので理解が遅れた。
「何を言って……」
言いかけたところで俺にかかっていた不快な力が消えた。
それと同時に墓守の持っていたシャベルが光を放つ。
湿った土のような黒みを帯びた茶色の光。
そのシャベルから感じるのは気持ち悪さがさらに増した気配。
「掘り起こすは――君が最強」
そう呟いて墓守は禍つ光を発するシャベルを地面に突き刺した。
変化はすぐに生じた。
シャベルを突き刺した前方、俺と墓守の間の地面から土が隆起した。
みるみるうちに土は一つの姿を形づくった。
人間の形だった。
無論、土でできているため色は全て土の色そのままだ。
問題はその姿。
両手両足に籠手かと思うほど無骨な爪がついている。
さらに後ろに伸びる髪の毛は地面すれすれまで伸ばされ、先端はうまく再現ができないのか、ぼろぼろと崩れていっている。
顔は再現できていないが、この姿は師匠で間違いない。
確認できたのはここまでだ。
それ以上は確認できなかった。
師匠の土人形が姿を消し、土人形の立っていた地面がめり込んでいた。
大切なことなので、もう一度だけ言っておく。
目はいいほうだ。
だが、どうしようもないものがある。
死角からの不意打ち、そもそも不可視の攻撃、そして――目で追えない打ち込み。
気づけば土人形が目の前に移動しており、徐々に離れていく。
違う。
離れていっているのは俺だ。
俺の足はすでに地についていない。
体を折り曲げて空を飛んでいる。
そして、腹部に遅れて痛みが押し寄せた。
口から息が吐き出される。
まったく見えなかったが、殴られたのだ。
その殴った存在に目を向けるとすでに消えていた。
どこに……。
吹き飛ばされながらそんなことを考えていると、横目に人が映った。
一瞬のことだというのに、たしかに汗が噴き出したのを感じる。
土人形は吹き飛んでいる俺に手を伸ばし、顔面をつかむ。
そのまま空中で無理矢理に制止され、次の瞬間には後頭部に衝撃が走った。
地面に頭から叩きつけられたのだ。
意識がすこし飛んだ。
耳の中にざりざりと何かが入ってくる。
おそらく土だ。頭の半分が地面にめり込んでいるんだろう。
土人形はとどめだと言わんばかりに、腕を振り上げた。
だめだ。
これはどうしようもない。
避けようにも腹部を足で押さえつけられている。
気絶で、済めばいいな……。
そんな一縷の望みを抱いて目を瞑ったが、いつまでたっても終幕の一撃がこない。
あるいはもう夢の中かもしれない。
おそるおそる目を開けると、土人形はまだそこにいた。
振り上げた腕はそのままで止まっている。
目を開けるの待ってから殴るつもりだったのだろうか。
諦めて見つめてみるが、いっこうに動く気配がない。
そうしていると、おえぇぇとなにやら吐瀉する音がした。
俺も吐きそうだが、まだ吐いていない。
土人形の向こう側からだ。
首を動かして目を向けると、墓守が膝をつき、両手も地についていた。
またしても、口から吐き出す。
正直なところ、何がどうなっているのかわけがわからない。
師匠のあまりに暴力的な姿に墓守が嫌悪感を募らせたのだろうか。
それならさすが師匠だ、と言わざるを得ないが、そんな訳はないだろう。
墓守がゆっくりと俺の方を見る。
違うな。彼は俺なんかに目も向けてない。
師匠の土人形を見つめている。
目に涙を溜め、顔は無様に引きつり、息は不安定になっている。
「地面に着くほど、長い、長すぎる髪。土を……抉る、獣の足。大地を割る、爪……」
そこまで言うと、あぁぁ……と口から唾と胃液の糸を引く混合液を垂らす。
「ああ、『あれ』は、そうだった、しかし、なん、で……これは。満月に、倒れる人――」
墓守が錯乱したように口から言葉をこぼしていると、なにやら足音が響いてきた。
頭が半分地面に埋まっているから、振動を良く聞き取れる。
「ジャネ!」
どこかで聞いた声だ。
……ああ、脳筋か。
他の兵士もいるのだろう。足音が次から次へと耳に入ってくる。
俺の旅も、ここで終わりか。
「そうだ。あのときも……あのときもクストスが来て、それで、みんな――」
墓守は顔を真っ青にしている。
「だめだ……」
墓守が俯くが、すぐに顔を上げる。
その顔には今までにない焦りが浮かんでいる。
「だめだ! きちゃいけない。こいつは……こいつは!」
墓守の手に持ったシャベルから光が発せられる。
その光はすでに輝きとも言えるほどだった。
「今度こそ、今度こそ、今度こそ誰も殺させはしない! 僕が……!」
墓守は目を血走らせ、土人形を睨む。
「掘り起こす! 我らが最強!」
そう叫び、墓守は光り輝くシャベルを地面に突き刺した。
ここまでは先ほどとほとんど同じだが、このあとが大きく違った。
首を上げて見える範囲全てで、土が隆起し始めた。
すぐに土人形があちらこちらにできあがる。
「何をしている、ジャネ!」
クストスの叫びが聞こえ、他の兵士の叫びも聞こえてくる。
「兵士を連れてさがれ、クストス。殺されるぞ!」
ジャネはクストスに目も向けず口走る。
クストスがジャネの視線を追って俺たちのほうを見る。
そして、その顔が固まった。
すぐに気を取り直したのか剣を抜く。
どうやら、この脳筋も師匠に覚えがあるらしい。
「さがれっ!」
クストスも兵士に向かって叫ぶ。
あまりにも鬼気迫るその声に兵士たちは足を止めた。
間違いない。
墓守の語っていた八年前のトゥリス防衛戦における真の英雄。
誰も覚えていなかった『あれ』は師匠だ。
そうすると師匠を止めたもう一人の英雄は、師匠の師匠――俺の元師匠シンさんか。
どういうことなのかは知らない。
今はそれを考えている場合じゃない。
するべきことは一つだ。
逃げよう。
逃げるべきだ。
二人は師匠の土人形と対峙している。
今が絶好の逃亡チャンスだ。
オッカムとトリカを起こして、非常通路に行けばいい。
よくわからないが師匠の土人形も俺の腹から足をどかし、ジャネたちの方へ向かっている。
さっそく土人形の間を縫ってトリカとオッカムの側に駆け寄った。
なにやら後ろからは乱戦が始まっている。
片方は墓守が自分で作り出した人形、もう一方も墓守が自分で作り出した人形。
あまりにも滑稽だが、ありがたい。
頬をはたくと二人はすぐに目を覚ました。
何がどうなっているのか説明するのは後にして、非常通路のある墓へと移動する。
オッカムが墓を動かすと人ひとりが通れる穴があり、はしごがかかっていた。
始めにオッカム、次にトリカ、最後に俺が下りる。
下は土で湿っぽい穴が横に伸びていた。
先に下りたオッカムが火を付けていたらしく、それを目印にして三人で道なりに進む。
暗い中を進んでいくと、上から聞こえる喧噪が徐々に落ち着いた。
さらに進むと水の音が聞こえてきた。
そして、道の先に一つの灯りが見えた。
オッカムがそれを見て動きを止める。
彼女は手に剃刀を出して、ゆっくりと歩を進める。
トリカは鏡を出し、俺はいつでも走り込めるように準備をする。
「お待ちしておりましたよ。オッカム第三部隊隊長。お久しぶりです」
聞き覚えのある渋い声だ。
手に持つ灯りが彼の顔を照らす。
顎に生える無精髭、適度な体格、そして単眼鏡。
自称「リーダーの使い」ことただのおっさんだった。
「どうしてここに?」
オッカムが問う。
俺も、おそらくトリカも考えていた疑問だろう。
「あなたたちを送り届けろとのリーダーからの指示です」
おっさんが振り返ると、そこには二隻の船が波に小さく揺られていた。
「送り先は――」
おっさんは口を開くが、行き先なんてもうわかっている。
おっさんの着ている服で明らかと言えた。
彼が身に纏うのは、きっちりとした西国の服ではない。
ひらひらとゆとりのある乳白色のその服には見覚えがある。
地上に降りたとき、俺たちを追ってきた兵士が着ていたものだ。
となると、行き先は、
「東国です」
どうやら間違いなかったらしい。
以前と同じように俺とおっさん、トリカとオッカムで分かれて船を漕ぐ。
オッカムたちと距離が開いたことを確認して俺はおっさんに尋ねる。
「何が――」
「何があったんですか?」
おっさんに機先を制された。
いやいや、その質問はおかしいだろ。
何があるかわかってたから、非常通路の奥にいたんじゃないのか。
顔に出ていたようで、おっさんが説明をし始める。
「私が一昨日、未来を見たとき、ルイゼット君たちがここにくるのは明日のはずでした。一日目にレェト第三王女が刃を失って死んで混乱が生じ、その二日後にオイラー隊長を助けたのちにここにくる手はずだったのです」
おっさんの刃は単眼鏡ヘイムダル。
未来を見ると言われている。
ちなみに姫君をレェトと言っているところで、彼もダモクレスの出身なんだなと再認識できた。
おっさんの見た未来は明らかに俺が体験した未来と異なっている。
「でも、レェトは――」
「そう。死んでないですね。それに気づいて、昨日の夜、再び未来を見たところ今日の夜にルイゼット君がここに来ることになっていました」
「ヘイムダルで見る未来は、そんな簡単に変わるものなのか」
「まさか……。ここ最近で変わったことはガウス君とトリカさんだけですよ。他は見た未来をそのままなぞるだけでした」
その二つに共通することは何か。
「俺のせいか」
「先の二点についてはルイゼット君によるもので間違いないでしょう。しかし、今回はそれだけではありません。明らかに異常です。こんなにぶれたことはここ数年ありません」
どうやら俺のせいというわけではないらしい。
レェトが死ななかったということは妖精さんか。
「テネスか?」
「いえ、彼女には未来を変える力はありません」
「じゃあ、ゼノンか」
「彼には無理ですよ」
おっさんは馬鹿言うなよというように笑って否定した。
このおっさんもけっこうひどいよな。
「じゃあ、セラねぇ……セラフか」
「なるほど、今代の風守が来ていましたか。ロニオスもやってくれますね」
「いや、セラフじゃないの?」
「私が見た未来に風守はいませんでした。そうなると連れてきたのはロニオスでしょう」
いや、ちょっとなに言ってるのかわからない。
ちなみに風守は第十針の呼び方だ。
「ロニオスだけではどうやってもレェト第三王女は助けられません」
「どうして?」
「無理なものは無理なのです」
このおっさんは説明する気があるのか。
無理なものは無理ですって、できないことなら何にでも言えるぞ。
「なんでロニオスがセラねぇを連れてきたらレェトは助かったんだ。口が悪いからか」
「口が悪い……? そんなことは関係ないですよ。聞いた話ですが、今代の風守は同化ができますよね」
「ああ、うん。見せてもらったこともある」
セラねぇはすでに小さい頃に共鳴を超え、同化に達してしまっている。
共鳴の時点で十分すごいんだが、同化はさらにその上をいっていた。
しかし、それがいったいなんの関係があるというのか。
おっさんはやっぱりですかと頷いていた。
「おかしいと思いませんか?」
「なにが?」
「先代の風守は一生かかっても共鳴が限界だったんですよ」
先代の風守は名前すら覚えていないが、かなり年をとった婆さんだったはず。
「らしいな。セラねぇに才能があったってことじゃないのか」
「いつ頃から共鳴ができるようになったか覚えてますか」
あれはいつだっただろうか。
たしか、師匠の師匠が殺された直後だから……あれ?
「八年前、だった気がする」
「でしょうね」
どういうことだ。
トゥリスの防衛戦も八年前、シンさんが父に殺されたのも八年前、セラフが共鳴をできるようになったのも八年前。
偶然にしてはできすぎている。
「八年前に何があったんだ?」
「それは私が話すことではありません」
じゃあ、誰が話せるんだよ。
他に知ってるやつが地上にいないだろ。
「一つだけ言えることは――」
おっさんはわずかに逡巡した。
「八年前に針が再び狂ったということです」
けっきょく、おっさんはそれ以降、何も説明しようとはしなかった。
俺のほうから尋ねようとしても、おっさんの目の奥に潜む化け物が聞いたら殺すと脅しをかけてきている。
いろいろと気になるが、諦めることにした。
往生際は悪いが、見切りをつけるのはうまいんだ。
仕方ないから他のことを考える。
セラねぇがいたからレェトの刃が――命が失われずに済んだということはだ。
塔の上から落ちたレェトの刃を、干し草の積まれていた荷車に入れたのはセラねぇということか。
息を吐いて横になると、お腹の近くでくしゃりと音がした。
おっと……そうだった。忘れていた。
「おっさん。レェトからの書簡だ。ラーミナのリーダーに渡してくれとのことだから、あんたでいいんだろ」
「……これも、私の見た未来にはありませんでしたよ。それにしても皺だらけですね」
手渡すとさっそく一言余計に返ってきた。
おっさんは静かに目を通す。
しばらくするとなにやら楽しげに笑い始めた。
「なにが書いてあったんだ?」
「レェト王女はなかなかにおもしろい人物のようですね」
遠くで見てるぶんにはそうだろうよ。
「それに、とてもめんどうそうです。ご愁傷様と言っておきましょう」
なんだ、よくわかってるじゃないか……えっ、ご愁傷様って?
「ちょっと待て。手紙になんて書いてあったんだ」
おっさんの手から手紙を奪う。
『刃の解放軍、リーダー様
西国、ストゥルトゥス王が第三子女レィトはラーミナへの入隊を希望します。
なお、入隊にあたり以下、三つ条件を認められたし。
一つ。
私の所属を第二部隊とすること。
一つ。
第三部隊隊員ルイーゼがトゥリスに戻ったとき、我が騎士となることを認めること。
このときルイーゼの所属を第二部隊に移す。
一つ。
一月に最低一通、上記ルイーゼから書簡を送られたし。
内容は本人に委任する。どんな街でどんなことをしたのかわかればと良し。
レィト』
上二つはまだいい。
この三つ目はいったいなんだ。
「オイラー隊長も助かったし、もうレェトはラーミナに加えなくてもいいんじゃないかな」
「そうはいきません。彼女の立場は有用です。彼女自身はそれほどでもないですがね」
俺の提案はにべもなく断られた。
それに最後の一言がなにげにひどい。
「それに東国に行くんなら――」
「鳥に国境はありません。恋慕にも国境はありません」
おっさんは俺の文句をあっさりと切り返す。
前半はともかく、後半はあるんじゃないのか。
「お手紙、たくさん書いてあげてください。若いっていいですね」
一言多いんだよ。
まあ、いろいろあったがこれだけは言わせてもらおう。
さすがだ、めんどうな姫君。




