勝ち誇る敗北者
塔から無事に落ちた俺はオッカムを追ってスターヴの作業小屋にたどり着いた。
小屋の前にはトリカとスターヴ。それに馬車が出迎えてくれている。
どうやら早くもトゥリスから逃げるようだ。
トリカの荷物もあるところを見るに、彼女も俺たちについて来るらしい。
オイラー隊長に「トリカが俺やオッカムと一緒に行きたいと言ったら、そのまま第三部隊の預かりにしてもらえないだろうか」と伝えていた。
そうか。トリカは俺たちと一緒に来ることを選んだのか。
たしかに第一部隊にいた方が、命の危険は少なく安全ではあるだろう。
しかし、オイラー隊長は明らかに感情が欠落している。そんな彼女の下にトリカを置いておくのはためらわれた。
安全ではあるが、安心できない。
スターヴはトゥリスに残るそうだ。
仲間だと疑われないために「俺を殴っていけ」と言ったので、迷わず全力で殴ってやった。
むしゃくしゃしていたので、ちょうどよかった。
倒れたスターヴに背を向け、そのまま馬車に乗り込む。
トゥリスを出て東の街道に沿って馬車を走らせる。
なんだか……いつもよりも揺れが大きいような。
「スターヴの力だ」
この疑問にはオッカムが短く答えた。
「スターヴさんは馬に命令することできるらしいの。『絶対に止まらず、東の丘まで全力で走れ』ってキリンに言ったそうよ」
あの髭親父の刃はそんな力だったのか。
馬に命令するってどんな刃なんだろう。
それよりも重要な部分があった。
「東の丘までってことはまさか」
「そうだ。非常通路を使う」
どうやら早速あの通路を使うらしい。
馬車に揺られていると、低く響く音が聞こえてきた。
トゥリスで何度か聞いた音――塔の上にぶら下がっていた鐘の音だろう。
朝と夕に鳴らされているはずだが……。
「軍が追ってくる」
相変わらずオッカムの説明は結果しか言わないので何もわからない。
「どういうことだ?」
「三回鳴った。あれは東に賊が逃げたという通知だ」
数えていなかったが、確かに三回聞こえた気がする。
「問題ない。すぐ丘に着く。私たちが追われることで、オイラー隊長たちへの目線を逸らすことになる」
たしかにこの馬車の速さなら、すぐにでも丘に着くだろう。
「そういえば、ルー。ゼノンさんとガウス君に会ったわ」
トリカから不意打ちがきた。
そういえばそうだ。俺たちはトゥリスでガウスを引き取る予定だったのだ。
それがいつの間にか、オイラー隊長奪還、姫様交渉、トゥリス逃亡と目的が変わっていた。
「ルーがレィト様と楽しそうに逢い引きしてるときね。路地裏に引き込まれたの」
なにか前半部分で言葉にトゲを感じたが、スルーしておこう。それがきっと俺のためになる。
「そうしたらゼノンさんとガウス君だった。ラヴはダモクレスで治療を受けてるらしいわ」
「それ……ほんと?」
ちょっと信じられない。
ほんとはもう死んでるんじゃないのか。
「ゼノンさんの様子を見るにほんとだと思う。ガウス君も頷いてたし」
「それでそのガウスは?」
「しばらく天井に残るって」
「えっ? えっ、なんで?」
どういうことだ。ついにガウスまで頭がやられたのか。
「なんでも、アグニとかいう人に気に入られたらしくて、もうちょっと天井に残りたいって。こっちも嘘には見えなかった。ゼノンさんも困惑して話してた……今のあなたみたいに」
どうやら、俺の顔は俺の感情をきちんと映していたらしい。
「アグニのとっつぁんに、気に入られた……だって」
刃吏十二軍が第八針アグニ。
五十代半ば、少し痩せ形のおっさんだ。
指輪やネックレスといった装飾品から始まり、包丁や鍋といった調理品、果ては槍や盾といった武具・防具――と、ダモクレスで使われているほぼ全ての刃に彼は関与している。
彼の刃である槌が、他人の刃に干渉することができるという特殊なものであるが故による。
その力により与えられた地位が第八針だ。
戦った姿はみたことがないが、共鳴は当然のごとくできる。
刃吏も六針以降は全員が同化できるという話なので、見たことはないが同化も使えるはずだ。
ダモクレスの国民から「とっつぁん」という親しみやすい愛称で呼ばれているが、彼自身はまったくもってして人との折り合いが悪い。
彼の性格は一言で言うなら職人気質。
非常に気むずかしく、取っつきづらいのだ。
弟子も何人かいたものの、全てが過去形となっている。
そんなアグニに気に入られた。
これはすごいことだ。
そんな人間は俺の知る限り一人もいな……一人いたな。
ロンだ。あまりにも身近すぎて忘れていた。
あいつはとっつぁんに気に入られていたんだ。
ロンの刃である槍はとっつぁんの特別製だ。
うらやましいかと言われると微妙なところである。
あの刃はあまりにも扱いづらい。
製作者であるとっつぁん自ら、「傑作にして失敗の極致」と称する。
ちなみに、この台詞をロンが刃として目覚めたその場で、しかも本人に向かってはっきりと言い放った。
さすがというしかない。
ロンの奴、泣いて帰ったからね。
ちなみにロンはその頑固さ、一本気な気質が買われていた。
特に不器用さを評価されていた。
……おや?
じゃあガウスも不器用ってことか。
そういえばロンと似ている部分があったかもしれない。
なんにせよガウスはアグニに気に入られたらしい。
つくならもっとまともな嘘をつくだろうから本当だろう。
「それと、セラフって人も来てるから口には気をつけろって。なぜかひそひそ声で教えてくれた」
知ってる。
もっと早く教えて欲しかった。
もう手遅れだよ。
思い出したら、恥ずかしくなってきた。
顔から火が噴き出しそうだ。
「もう少しで着く」
――気を緩めるな、とオッカムが続けた。
彼女がこういった「気をつけろ」、「注意しろ」といった台詞を口にしたときはだね。往々にして何かが起きる。
突然、馬車の中に人影が現れた。
ほらねっ!
荷台の最後尾に立った不審者はトリカの背中に手を伸ばそうとする。
「トリカッ!」
いきなり現れたそいつを押さえにかかるが、もつれ合い荷台から飛び出てしまう。
地面をそいつと一緒に何度か転がったところで、ひとまず距離を取る。
「ルー!」
トリカが荷台から叫ぶ。
それでも俺と不審者を落とした馬車は止まることなく、街道を突き進んでいく。
トリカがオッカムに馬車を止めてと声をかけるが、やはり馬車は止まらず、俺たちとの距離が開いていく。
スターヴの『絶対に止まらず、東の丘まで全力で走れ』という命令はきちんと効いているようだ……くそったれが。
それなら俺はこう言うしかないだろう。
「先に行け! すぐにあとを追う!」
俺の叫びが彼女たちに聞こえただろうか。
「『すぐに追う』とはずいぶんと余裕ですねぇ、エセ騎士ルイーゼ」
馬車に勝手に乗り込んできた不審者の背は低く、月の光を浴びた髪は赤っぽい。目はギラついている。
トゥリスから離れたんだから、もう見逃してくれよ。
どうして赤っぽい髪の奴は空気を読まないんだ。いや、むしろ読み過ぎてるのか。
「こんばんは、カリガさん。夕方ぶりですね。一日にいったい何回、突っかかってくれば気が済むんでしょう。ひょっとして私に気があるんですか」
「あたしだって追いかけたくなかったよ。でも、姫様があんただけでいいから連れて帰ってくれって言われるから……」
…………いま、なんて言ったこの赤髪もどき。
「レェトが、俺を連れて帰れって?」
「そだよ。戻ったら騎士になるって約束したんでしょ。あと、姫様を変な名前で呼ぶな」
待て、待て待て、ちょっと待て。どういうことだ。
騎士になるとはたしかに言った。
しかしその条件は何だった?
彼女との会話を思い出す。
『そうですか。それでは、貴方がトゥリスに再び戻ってきたときは、私の騎士になってください。そのときの私は、きっと今の私ではありません。しかし、貴方が騎士としてありたい私になっていると思います』
後半の部分を一切合切無視して抜き出すと、
『貴方がトゥリスに再び戻ってきたときは、私の騎士になってください』
まさか、そういうことなのか。
どんな形であれ、トゥリスに戻ったら俺は騎士にされるってことか。
冗談だろ……と言えないのが、あの姫君の怖いところで、めんどうなところでもある。
『貴方が騎士としてありたい私』はどこに行ってしまったんだ。
しかもだ。
確かに俺は約束してしまった。
ま、まさか言質をとるためだけにあんな状況を作り出したのか、あいつは。なんて奴だ。
呆れを通り越して、尊敬に達してしまいそうだ。
もしかしてあいつの性質は、「惹きつける」じゃなくて「惹きつけて『離さない』」ことだったんじゃないのか。
「まあ、とにかくさっさと諦めて帰ろうよ。そうすればあたしも今までの偽名とか嘘とかついてたのは許してあげるからさ」
ほら、とカリガが満面の笑みで俺に手を差し出してくる。
こうやって俺を認めてくれて、帰る場所まで提供してくれてる。
本当に、涙が出そうなほど素晴らしい状況だ。
だからこそ、言わせてもらう。
「お断りだっ!」
誰があんな変態の巣窟に帰るものか!
俺は世界に羽ばたくんだ!
「しょうがないなぁ、ルイーゼは……」
はぁとカリガが息を吐く。
その台詞はあんたらの姫様に言ってやれよ。
「殺し合いをするわけにもいかないからね、勝負をしよう――」
カリガが目を光らせる。
「勝った方が負けた方を引きずって帰る」
……いや、待てこら。
「それ、勝っても負けても俺がトゥリスに戻らなきゃいけねぇじゃねぇか」
「…………おおぉ、ほんとだ」
カリガがあたしすげぇといった顔をする。
なんだ。考えて言ったわけじゃないのか。
ただの馬鹿な子でしたか。さすがだ、赤髪もどき。
「もういいや、あれこれ考えるのめんどくさい。最後に立ってたほうが勝ちね。ひきずって連れて帰る」
そう言って、アホの子カリガは力強く地面を踏み込んだ。
カリガの刃は靴。
能力は地点移動だ。
発動の条件は踏み込むこと。
力の対象は本人のみ、人を持って移動はできない。本人も「引きずって連れて帰る」と言っていることからそうだと判断できる。
他人の持ち運びができないとはいえ、非常に便利な能力ではある。
しかし、戦いに向いているかと言われればそうでもない。
能力はあくまで地点の瞬間的な移動。攻撃を伴わない。
軍の能力者は刃以外の武器を持てない。これは銀章を持つカリガにも適用されているようで、攻撃手段は己の体によるものだけとなる。
ところが、彼女の体は小さいため、致命的な打撃が与えられない。
そのため攻撃手段は蹴りを主体としている。
仮にナイフでも持つことができれば、移動からの刺突で十分な攻撃になり得た。
それができないのは攻撃手段を大きく制限されていることになる。
さらに、踏み込んで消えてからの蹴り。これは一種の不意打ちだ。
初めて披露するなら有効だろう。
だが残念なことに、俺はこれを何度か見ている。
そのうえ、彼女の蹴りが強いかと言われればそうでもない。
兵士の力にちょっと毛が生えた程度だ。
クストスの斬撃とは比べようがないほどに遅い。
これらのことから言えることはつまりこうだ。
蹴りを見てから回避余裕でした。
「どうしてっ! どうして当たらないの?!」
その結果としてカリガは半泣き。
必死に攻撃するものの、動きも単調になってきて余計に当たる要素がなくなった。
こちらから攻撃しなくてもすぐに諦めてくれると思ったが、カリガは諦めの悪い子だった。
「カリガ……もうやめないか。わかってるだろ。お前じゃ俺には勝てないよ」
こちらのほうが気が重くなってきていた。
最初に様子見なんてせず、全力でカウンターの一撃を叩き込めばよかった。
それをしなかった自分があまりにも甘すぎて嫌になる。
「馬鹿言わないで! あたしは強くなった! それなのに、なんで……?」
「たしかにカリガは今まで戦った赤服よりは強いよ。でも、それだけだ」
クストスほどの斬撃もできなければ、カテーナのように相手の動きを止められるわけでもない。
「それだけってなんなの!」
カリガの蹴り出した靴をつかむ。
気配が伝わってくる。
もっと近づきたいという思いが伝わる。
これは、焦り……だろうか。
そして、つかんだ靴をすぐに手放した。
「取るに足らないってことさ」
力の差が十分に伝わったらしく、カリガはもう踏み込むのをやめた。
限界だろう。先ほどから能力を使い過ぎている。
肩で息をして、腕を垂らして立ち尽くす。
はき出す息もかすれ、聞いてられない。
「また、あたしだけが置いてけぼり。クストスさんやジャネさんが死にものぐるいで戦ってる中、あたしだけが蚊帳の外。強くなろうと踏み込んで、けっきょくどこにも足が着かない」
カリガの目からぽろぽろと涙がこぼれるものの、俺にそれを拭き取る資格なんてない。
「あたし、どうしたらいいの……」
俺に尋ねているわけじゃない。ただの自問だろう。
「踏み込むだけじゃ駄目だよ。踏み越えようとしなくちゃ。誰かに追いつくんじゃなくて、追い越さないと……そうしなきゃ、いつまで経っても自分の道はできない」
例え、自問なんだとしても、俺なりの答を置いておく。
わかってる。ただの自己満足だ。
「俺……もう行くから」
やっぱり限界だったようだ。
カリガが体を揺らし、前のめりに倒れようとしている。
俺はその体を受け止めない。
先に進むと決めたんだ。
カリガに背を向け、馬車の消えた道に足を向ける。
「踏み、越える……あたしは」
後ろから聞こえてきたのは、土を踏み締める音。
人が倒れる音ではない。
そして、月明かりに混じり、赤っぽいかすかな光が俺の影を作る。
まさか――。
振り返ると、そこには前のめりに傾いた体を踏み出した片足で堪えるカリガの姿があった。
その足からは夕日を思わせる黄色みを帯びた赤色の光が発されている。
共鳴……。
「あたしはカリガ。踏み込みのカリガ。踏み抜き、踏み締め、踏み堪え、そして今――踏み越える!」
上げた顔からは先ほどまでのいたましさがなくなり、決意の炎が目に宿っている。
その目を確認するや否や、移動して俺の懐に入っていた。
彼女の拳が俺の腹を打つ。打つと同時に姿がまた消える。
横に移動し、俺のふくらはぎを蹴りつける。
は、速いっ!
先ほどまでは移動した後に攻撃の予備動作が入っていたが、今は移動が終わったときにはすでに攻撃が始まっている。
バランスを崩した俺を、後ろから引っ張り地面に転がす。
仰向けに転がった俺の胸を踏み込み地面に叩き付け、さらに顔のすぐ横に移動する。
「あたし、の……勝ち」
空にはカリガの赤っぽい光を纏った靴が目前に控えていた。
やばっ!
回避、間に合わっ――。
しかし、カリガの踵は俺の耳をかすめ地面を踏み抜いた。
カリガが地面に転がる俺の頭を跨ぐ格好になっている。
そのまま時間が停止し、やがてカリガの体がふらついて地面に倒れる。
今度こそ本当の限界に達してしまったようだ。
俺は体を起こし、立ち上がる。
腹にも、ふくらはぎにもダメージはほとんど残っていない。
カリガは意識を失い、地に伏している。
「最後に立っていた方が勝ち」と宣言したのはカリガ、お前自身だ。
つまり、この勝負は俺の勝ち。
そう、俺こそが勝者だ。
カリガ、お前は負けたんだよ。
それなのになんで……。
なんで、そんな勝ち誇った顔をするんだ。
地面に伏すカリガの顔は、我こそが勝者だと言わんばかりの自信に充ち満ちたものとなっている。
その顔は勝者である俺がすべきものだ。
自分じゃ見えないが、おそらく俺の顔は勝者の表情とは言えないだろう。
これじゃあ、勝者と敗者が逆転してしまっている。
まったく……、
「これだから――」
赤っぽい髪の人間は苦手なんだ。




