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塔に帰りましょうというレェトの一声で、俺たちは暗闇迫る道端を去り、塔に歩を進めた。
先頭は俺とレェト、ほんのすぐ後ろを金章クストスと銀章カリガがつかず離れずといったほどほどの位置で追いかける。
道端から出るとき、わずかな気配を感じ、同時に人の声と姿が世界に戻ってきた。やはり先ほどの空間は能力者によって作られたものらしい。
周囲を見渡すと赤、青、緑の混在した兵士たちが奇異の目で見てくる。
それもそうだろう。
軍のトップである司令、クストスよりも前方に人が歩いているんだからな。
それも姿だけ見ると、埃っぽいぶかぶかな服を着ているだけのその辺りを普通に歩く一般人が二人。縛られているわけでもなく、自由気ままに歩いている。
「指名はここで行うべきでした。多くの方に知ってもらいたいですからね」
隣からぼそりと漏れた声に俺は戦慄した。
「そうですね。もう一度、ここで――」
「諸君! 諸君らの奮闘により、無事、事件は解決した。厳戒態勢をここに解く! 方々に急ぎ伝えろ。事件は解決した! 厳戒態勢を解く!」
クストスがレェトの声を妨げるように叫ぶ、が、兵士の顔は混乱を極めなかなか動こうとしない。
兵士たちも聞きたいことはあるのだろうが、クストスの言葉の裏には「何も聞くな」をいう意が含まれていることに気づいているんだろう。
「急げっ!」
クストスの一喝で、兵士たちはようやくあちらこちらに去って行く。
俺たちも塔に向かって歩き始めた。
レェトは残念そうだったものの、クストスの判断は悪くないと思う。
あそこでレェトの身分を言えば、混乱が生じるだろう。
それに俺としても姫様の騎士として発表されれば、顔を覚えられてしまいやっかいだ。もう手遅れな気もしないでもないが。
「……任命を明日に……、……いなくなって……」
「夜に……毒を……」
トランス状態のレェトには聞こえていないようだが、後ろからクストスとカリガの話し声がちょこちょこ聞こえてくる。
気づいてしまった。
違う。先ほどの判断は混乱を抑えるためじゃない。
こいつら……俺を消す気だ。
俺が騎士だと公に知られる前に、俺が正式に騎士になる前に、俺の存在を取り除くつもりでいやがる。
俺が後ろをちらりと見ると、クストスとカリガはひくついた笑顔で俺を見る。
「どうしたの、ルイーゼ」
素直な子だ。
カリガの顔には、がんばって作りましたという笑顔が張り付いている。
クストスの笑顔もどきは見るに堪えない。
……仕方ないな。
「レェト、この二人が俺を殺す気でいるんだけど」
めんどうな上司に告発してしまおう。
「この二人がそんなことをするわけないでしょう。二人とも我が騎士の誕生を祝ってくれていますよ」
お前はさっき俺が殺されかけたことをもう忘れたのか、おい。
レェトが振り返ると、二人はさも当然だと言わん顔をする。
ほらねとレェトが俺を見る。
レェトの目が彼らから離れた瞬間に、二人の顔がニタリと笑ったのを俺は見逃していない。
そこでなにやら気配を感じた。首筋に鋭い刃物を当てられた薄ら寒い感覚。
そちらを見ると銀色の髪をした女性が俺を見ている。
来たっ! 来てくれた!
俺の最後の希望にして頼れる上司、誇れる隊長――オッカム!
助けを求め、縋り付くような視線を向ける。
気づいてくれたのかオッカムは手を動かして指示を出してくる。
なになに――。
『オイラー、隊長、接触、救助』
……違う、そうじゃない。そうじゃないんだ、オッカム。
どうやら彼女は俺が姫様をうまく懐柔したと思っているようだ。
いや、それは間違っていない。隣から俺をうっとりとした目で見上げるレェトを見れば確かにそうだ。今も目が合って、彼女はふへへぇと喉を鳴らしている。
しかし、俺の状況を考えるにこれは危機的状況だ。
この姫様を味方につけたところで後ろの二人はどうにもならない。
二人の監視下でオイラー隊長を助けることができるとは、とうてい考えられない。
オイラー隊長よりも俺の命がやばい。
レェトから目を離し、オッカムに俺の状況をなんとか伝えようと、彼女のいた方を見返すとそこには誰もいなかった。
最後の希望が、消えてなくなった。
ついに塔へたどり着いてしまった。
周囲は見渡す限り敵だらけ。視線が俺たちのほうへ次々と突き刺さる。
俺に味方は……いちおう腕にくっついているが、こいつはもうどうしようもない。
「さあ、さっそく任命を行いましょう。クストス。ロドスと政務官を呼んで来てください」
レェトがくるりと首を回してそう告げる。
「姫様。任命なのですが、明日にしてはいかがでしょうか」
クストスが顔を伏せ進言する。
「クストス。ロドスと政務官を早く呼びなさい」
レェトが同じ言葉を繰り返す。顔はにこやかだが、言い方はきつくなっていた。組んだ腕にも力が入る。
その腕組みだけどさ、いいかげん暑苦しいんでやめてくれないかな。
いやね、嬉しいよ。ふにふにって柔らかいのも当たってるしさ、俺だって男の子ですからね。心の中で驚喜するだろうよ、普段ならな。でも今はさ、俺以外の狂気と狂喜しか感じないんだ。
さすがは司令というべきか。そんなレェトの言い方にもまるで動じていない。
「姫様。落ち着いてご自身を見直してください。僭越ながら申し上げますと、服は汚れ、髪も乱れております」
付け加えると、顔もぐちゃぐちゃでしたよ。
「騎士の任命というのは、姫様はもちろん、周囲やこのこぞ……ルイーゼ殿にとっても一大儀式でございます。今日はひとまず身なりを整え、明日にでも行うのがよいと考えます。せくお気持ちもありましょうが、なにとぞ――なにとぞよくお考えください」
先ほどこいつらの話を聞いていたため、引き延ばしの言い訳だとわかっていたんだが、何も聞いていなかったなら、良いことを言っているように聞こえそうだ。
実際に、レェトも自分の体を見下ろして、なにやら考えている。
「大丈夫です。政務官殿はもちろんとして、ロドス能管長も明日はまだおられると聞いています。ルイーゼ殿も今日はお疲れでしょう」
「いや、そんなこと――」
「お疲れですね。休まれなさい。それに――」
有無を言わせなかった。
「騎士の着るべき衣装も必要です。仕立てさせるには、どうしても時間が必要かと」
この男、なかなかに侮れんな。ただの脳筋じゃないぞ。
何を言えば、この姫様が納得するかを心得ている。
思った通り、その言葉は効果てきめんだった。
レェトがハッとした様子で俺を見る。
今までにないほどの真剣な目つきで俺の衣服を首から足の爪先まで見おろしていく。
そのまじめな目つきはぜひ他のときのために取っておいて欲しかったです。
「そうですね。ルイーゼの衣装が必要でした。あぁ、ルイーゼの騎士姿……」
うへへぇと、レェトは恍惚に顔をとろけさせる。
真に逃げるべき相手はクストスやカリガじゃなくて、この姫様なんじゃないかと思い始めたよ、俺は。
「任命は明日の昼に行います。ルイーゼを客室に案内させなさい。わかってますね、私の騎士となる方なのですよ」
「かしこまりました。わかっております。一番の客室を手配させます。当然、明日までに衣装も仕立てさせますので、どうか姫様は安心してお休みください。カリガ、お部屋まで連れそって差し上げろ」
はい、と元気よくカリガが頷きレェトとともに廊下の奥に消えていく。
それを見届けるや否や。
「ついてこい、小僧」
クストスが俺を睨み、廊下をさっさと歩き始める。
先ほどまでの外交モードを終了させ、明らかに不機嫌な様子になっていた。
その後、俺はなにやら変なおばさんのところに連れていかれ、腕、胴、肩幅と隅々まで寸法をとられた。どうやら衣装は作るつもりらしい。
俺の存在を消した後でも、いちおう騎士にするつもりはあったというスタンスを示すためだろうな。
寸法をひたすらにとられ、話がまとまったあと、ようやく部屋に案内された。
なるほど、確かにこの部屋は一番の客室と言えるだろう。
塔の上ではなく、地下の一番奥。
扉の前に立つ外敵に備える衛兵。
硬く閉ざされた厚い扉。
さらに、これでもかと鉄の柵が俺を守る。
そうだね。
ここは、牢屋ってやつだ。
あの脳筋野郎やってくれたな。
客室は客室でも、これは招かれざる客室だろ。
扉の前に立つのは衛兵じゃなくて看守。外敵じゃなくて俺たちの見張り。
分厚い扉は、スターヴの話していたやっかいな扉だろう。
鉄の柵は鉄格子。俺を守るんじゃなくて逃がさないようにしてるだけだ。
なんで空に高く伸びる塔なのに、牢屋は地下にあるんだよ。おかしいだろ!
さらにだ!
まだ、この客室には文句がある。
相部屋なんだ。
ルームメイトは、部屋の隅でチョークを片手に、壁とぶつぶつ会話をする老人。
しかも隣の住人は怪我をしているのか「痛い、痛いぃ、耳が痛いよぉ」とうめき声を上げている。
おいおいおいおい、勘弁してくれよ。なんなんだよ、この街は。
左右はおろか、上にも下にも頭のおかしい奴しかいないじゃないか。
俺も閉じ込められすぎだろ。
地上に降りてから一ヶ月足らずで、三度目だよ。
二度あることは三度あるっていうけどさ。三度あるなら、もう何度でもあるってことになるよ。いいかげん許してくださいよ。
……いけないな。
あまりに後ろ向きすぎた。もうちょっと前向きに考えよう。
二度閉じ込められてるけど、どちらも脱出することはできた。
今回もなんとかなるだろう。
それに牢屋の一番奥にいるということはオッカムに指示されたオイラー隊長との接触、救出も行えるということになる。
幸い、オイラー隊長との合言葉も聞いている。念のため塔に歩く途中でレェトにもこっそりと教えておいたが、意味はないだろう。ずっと上の空だったしな。
ひとまず情報を集めるとしよう。
オイラー隊長のいる位置がわかっても、ここから出ることができなければ意味はない。
覚悟を決めて、行動に移す。
「あの、すみません」
部屋の隅にいる老人に声をかけるものの返事はない。
一人でぶつぶつと会話している。
耳が遠くなって聞こえてないんだろうか。
「すみません」
近づいて老人の肩に手をかけ揺さぶるが、老人は俺の声にも手にも構わず壁に話しかけ続ける。
俺は、老人との会話を諦めた。
申し訳程度に置かれているベッドで横になることにした。
ベッドは硬い。
石にシーツを引いているいるんじゃないかと思ったが、体を預けるとギィィと軋む音がしたため石ではないとわかった。
まあ、そんなことがわかっても何の解決にもなりませんがね。
朝から出回って、疲れていたのかすぐにうつらうつらとしてしまう。
そのまま、意識は途絶えてしまった。
「……早く!」
なにやら耳障りな声が聞こえて中途半端に目が覚めた。
他の囚人が「開けろ開けろ!」と騒いでいるのだろう。
まったく……騒いだところで出してくれるわけがないんだから黙ってりゃいいのに。
いかん、眠い。寝直そう。
「ここに私の騎士が、ルイーゼがいると聞きました! 扉を開けなさい、早く!」
……目が覚めた。
地上に降りてから、こんなにきっちり目が覚めたのは初めてかもしれない。完全覚醒だ。
ダモクレスにいたときもこんなに眠気が吹き飛んだことはない。
いや。数年前、気を失いかけたときに暴力師匠が気付けと宣い、俺の腹に拳を振り下ろそうとしたとき以来か。
鉄格子に駆け寄り、格子の隙間から斜めに扉の方を見る。
兵士が扉の前に立ち、扉についている確認用の隙間から外側を見ている。
その隙間から、見覚えのある顔がちらちらと見えた。
「クストス司令に絶対に開けるなと言いつけられています。どうかご容赦ください」
一番かわいそうなのは、間違いなくこの兵士だろう。
司令クストスと王女レェトの板挟みだ。どっちに従っても後味が悪い。
おっと、よく見ると兵士の腰に鍵の束がぶら下がっている。
鍵を取られても扉が特殊なため、外には出られないとたかをくくっているからだろう。内側には甘い。
うん、腕は出せるな。
……やるか。
「看守さん! 大変だ。爺さんが倒れた!」
鉄格子から手を伸ばし、声をかける。
ちなみに老人は本当に倒れている。
よく見るとぴくぴくと動いているため、死んでいるわけではないだろう。
「ルイーゼ。そこにいるのですか!」
「ここにいる! それより看守さん急いでくれ! 爺さんが死んじまう!」
「早く行って差し上げなさい!」
兵士は俺と姫様を交互に見ると、こちらに向かって走ってきた。
いかんな、思ったよりも鉄格子よりも遠いところにいる。
看守が鉄格子の前に立つ。
無理矢理、鍵を奪おうと思ったが、これでは距離がある。腕が届かない。
「よし。そのまま離れていろ。動くなよ」
うん?
看守の目は俺ではなくどこか横の方を見つめている。
そのまま看守が近づいてきたので腕を伸ばし看守の服をつかみ、引っ張る。
腰についた鍵の束がとれればいいやくらいに思っていたが、看守は鉄格子に頭を思いっきりぶつけ、そのままずるずると倒れてしまった。あらら……。
鍵を奪い、扉に手を伸ばしていろいろと数本試し、五か六本目でようやく鉄格子の扉が開いた。
通路に出た俺は、ひとまず倒れた兵士をベッドに寝かせてあげる。
すまんな看守。俺にできるのはこれくらいだ。
区画の扉に近寄ると目の前の隙間からレェトが目を見せていた。
「あぁ、私のルイーゼ。こんなところに入れられるなんて。一度、クストスとじっくり話し合う必要がありそうです」
「ぜひ、そうしてくれ。それよりも、一人で来たのか」
ルイーゼの前にあったはずの「騎士」というフレーズが消えていたような気がする。きっと聞こえなかっただけだよね。
「妖精さんに連れてきてもらいました。あなたがここにいると教えてくれたのも妖精さんです。なんでも、ルイーゼの言われた合言葉が気になっているようです」
どうやら妖精さんことテネスもいるらしい。
ああそうか、さっきの看守は俺が離れて見えているように視界が編纂されていたから、うかつに近づいてきたのか。ほんとにかわいそうだな、あの看守。
しかし、なんでテネスがオイラー隊長との合言葉に興味を示すんだ。
まあいい。それよりも今は目の前の扉が問題だ。
「レェト。この扉は内側と外側の両側で鍵と暗号を解かなきゃいかんらしい。そっちに兵士はいるか?」
「妖精さんが寝かしてしまいました。鍵は手に入れています」
なんてこった。
そいつにこちらの暗号の答を聞こうと思っていたが、どうしようか。
数字が扉に刻まれ、その下に数字のスイッチが並んでいる。
案外クイズみたいで簡単なんじゃないかと思ったが全く意味がわからん。
間違えて押したら、床が落ちるいった罠はついてないだろうな。
とりあえず設計者でてこいよ。これ失敗作だろ。鍵だけで十分でしょ。
こっちの看守を起こそうか……でもこれ以上、彼を酷使させるのは抵抗がある。
どっちにしろ両側の暗号を解かないといけない以上、どちらかの兵士をたたき起こす必要があるんだ。本当にすまないな、看守さん。
看守を起こす決意をするとガチンという音が扉から聞こえた。
レェトが鍵を回した音だろうか。
「妖精さんが暗号を解いてくれたみたいです」
こちらから聞く前にレェトが口に出す。
そういやテネスはこういうの得意そうだな。
数式ばっかりの書物をよく読んでたし。
そうか。
看守を起こして、暗号の答を力尽くで聞き出さなくても、こちらの数字を伝えてテネスに解いてもらえばいいじゃないか。
「レェト、今からこっちの暗号を言うから――」
隣の妖精さんに解いてもらってくれ、と続けようとしたところで口が止まった。
俺の脇からいきなり指が伸びてきたのだ。
振り返ると壁と仲良く喋っていた老人がぽつりと立っていた。頭の前側がはげ上がっており、頬がくぼんでいる。目は俺ではなく扉を向いている。
いでたちに気を取られて固まっていると、老人が数字のスイッチを操作する。
止めようと腕を伸ばすが、その前に先ほどと同じガチンという音が扉から響いた。
えっ、正解なの……か?
この老人、いったい何者だよ。
「鍵」
老人は俺を見ることなく、扉に話しかけるようにぼそりと呟く。
曖昧に頷き、鍵束から一つだけ大きな鍵を選び、鍵穴に差し込み回す。
レェトも同じタイミングで回したらしく、ガキンという二つの音が一つに合わさり牢屋に響き渡る。
そして、扉がゆっくりと動いた。
扉が開くのと同時に目に気配を感じた。
うっすらとした薄い膜が目に張りついているようだ。
扉の外側にはレェトが立っていた。
だぼだぼの衣服はすでに着替えたようで、今はひらひらした黒のドレスに身を飾っている。
髪も黒のため、少し暗い印象を持たせるがなかなかに似合っている。
遠くから見るなら文句なしの美人だろう。まだ若いのでかわいさも残っていていい感じだと考えられる。だが、近くで見ると残念な美人になる。さらに触れられるほど近づくと、もうどうしようもない。
「ルイーゼ、申し訳ありません。まさかクストスがこんなところに入れるとは思ってもいませんでした。妖精さん、本当に――」
そう言って、レェトは後ろを見るがそこには誰もいない。
しかし、俺の目に感じる気配はレェトの見た方からだ。おそらくそこにいる。
「妖精さん……ほんとに、いたんですよ」
レェトはちょっと涙目で見上げてくる。
一瞬、かわいいなと思ってしまったが、罠だと気づき距離をとる。
「わかってるさ。緑髪の眼鏡をかけた妖精だろ。レェトを疑うわけがないじゃないか」
ごめん。嘘です。
妖精さんなんているわけねぇだろ、頭ん中おかしいんじゃねぇのかって夕方まで思ってました。
……謝ることもないか。前半はともかく、後半は合ってるし。
「ルイーゼにも妖精さんが見えるんですか!」
レェトは嬉しそうに目を見開き、素早く距離を詰めてくる。よせ、離れろ。
「昔は見えてた。今はもう姿を見せてくれないみたいだ」
気配の感じるほうをじっと見つめる。
そこには何も映らない。映らないものは当然のごとく何も返事をしてくれない。
「そう、なんですか。それではやはり、私たちの出会いは運命だったのですね。妖精さんは私たちを出会わせるためにやってきたのです! 間違いありません!」
レェトはどこか遠いところを見ながら、意気揚々と宣言する。
もう諦めた。
彼女は手遅れだ。
彼女にしか見えない何かが、目線の先に広がっているのだ。
それでいいじゃないか。
「あっ、そういえば先ほどの解錠は――」
レェトの言葉で俺も思い出した。
そうだった。
暗号を解いてくれた老人はいったい何者だろうか。
「――私たち二人、何も言わなくても息ぴったり……初めての共同作業でしたね」
レェトがうっすらと頬を朱に染める。
…………ごめん。そこで頬を染める理由が俺にはよくわからない。って言うか街を一緒に歩くのはカウントされないの、それ。付け加えると、テネスと謎の老人もいたけど、二人の共同作業って言えるの。
レェトが身を引いている俺の腕をとって、牢から出ようとする。
老人もすでに区画から出ている。
……まあ、いいか。彼は功労者だし。はじめからいなかったことにしよう。そうだよ、いいじゃないか。それがいいよ。そうしよう。
「レェト待ってくれ。俺はここに閉じ込められた仲間を出さないといけないんだ」
「ああ、そうでしたね。喜びのあまり舞い上がっていました」
ほんとだよ。ちょっと落ち着いてくれ。
ついでに目と耳と口を塞いでおいてくれ。
さてと、俺はオッカムから教えてもらっていたオイラー隊長との合言葉を思い出す。
「いーのあいぱいじょー、+1、=!」
先ほどまでいた奥の区画に向き直り、声を張り上げる。
オイラー隊長との合言葉は毎度毎度、数学の式らしい。
俺には+1=しか意味がわからない。この答がどうしてそうなるのかもわからない。
しかし、数式が指し示す意味を知っているかどうかは問題でない。
これは暗号。ただの記号だ。オッカムから聞いていた答を返した人がオイラー隊長で、俺はその人の錠を開ければいいだけだ。
オイラー隊長に会うのが実は楽しみだったりする。
オッカムの元隊長で、スターヴの現隊長。
どちらもオイラー隊長の人となりや刃については話していなかったが、二人とも会えばわかると言っていた。
どんな人で、どんな刃なのか気になっていた。
「0」
果たして求めていた答は静かな声で返って来た。
問題は、その答が俺の前に広がる牢から返ってこないで、静かな声でもよく聞こえるほどにすぐ後ろからだったということだ。
振り返ると謎の老人の首から上が、見たことのない女性のものに置換されていた。
「はじめまして、ルイーゼ君。私が第一部隊隊長オイラーです」
――よろしくね。
はっきり言おう。
オイラー隊長の第一印象はただただ「不気味」だった。
彼女の笑みは美しい。だが、それだけだ。笑みの他に何も含まれていない。純粋さが故の美しさ。
顔は「笑う」という記号が貼り付けられただけで、中身の様子がまったく見えてこない。
声もそうだ。「優しい」という記号を音に変換しただけのように聞こえた。感情のぶれが感じとれない。そもそも感情なんてないんじゃないかと疑ってしまう。
まるで、彼女の存在がこう示唆しているようだ。
この世界は――だと。




