めんどうな姫君(前編)
隣に立つレェトは道の先にそびえる塔を見て一筋の涙を流す。
俺はレェトをベッドの下から出したあと、トリカとオッカムを鏡から呼び、事情を説明した。
青服男はベッドの上に縛っておいた。けっきょくこいつが何者だったのかはよくわからない。
レェトに、青服男についてと自身の安否、塔を出ることの旨を手紙に書いてもらった。
彼女は書いている途中にも泣いてしまうため、目元を拭くのが大変だった。文字がゆがみ、鼻水も落ちてにじんでしまったが、読めないことはないためそのまま置いてきた。もう一度、書かせるだけの余裕が俺の心になかった。
トリカの鏡で街へと戻ったあとは、ひとまずレェトを着替えさせることにした。彼女の埃にまみれた黒衣装は街を歩くにはあまりにも目立ちすぎる。
オッカムが宿に戻ってトリカの服を持ってきた。身長はほとんどトリカと同じだったためそれでいいと俺たちも思っていた。
着替えたレェトはまだ気品が残っているものの、だいぶ街を歩く年頃の女の子に見えるようになった。
「大丈夫か?」
「すこし……胸がきついです」
レェトがそわそわと落ち着かない様子だったため声をかけたのだが、導火線に火のついた爆弾が返却された。
チッ、と俺の後ろで舌打ちが聞こえた。
トリカだ。彼女の舌打ちを初めて聞いた。
振り向かなかった。振り向けなかった。
トリカがどんな顔をしているのかとても興味はあったが、絶対に振り向いてはいけないと俺の中の何かが語りかけていた。
「それにお腹回りもぶかぶか――」
「レェト、もう喋るな。いい子だから、な。それ以上いけない」
きょとんと、よくわかっていない顔のレェトの口を必死で止めた。
俺の後ろから感じる気配がトリカのものから別の何かに変わろうとしていた。
その後、なんとか場を収め、俺とレェトは街を歩き回ることになった。
レェトの刃は着替えている間に、オッカムから返してもらったらしい。ティアラを飾った姿も見てみたかったが、彼女は見せてくれなかった。照れているのかもしれない。
オッカムとトリカ、それにオッカムが呼んだラーミナのメンバーがいつでも逃げられるように一定の距離を取って俺たちに後ろからついてくるらしい。
ちなみに俺はオッカムから釘を刺された。
『刃も返してしまった以上、失敗は許されない。絶対にラーミナに引き入れろ』と。
そうは言われても、もうすでにレェトはラーミナに入ったようなものだろう。あまり気負わずに、彼女が望んだように街を一緒に歩こうと俺は考えた。
拠点という名の物置を出て、レェトの手を引き東の大通りに出たところで、彼女は足を止め、顔を上げ、そのまま立ち尽くした。
彼女の目線の先には、一本の石塔が空へと突き出ている。
レェトは口をぱくぱくと開けたり閉じたりさせ、小さなうめき声を上げ、目から涙をこぼした。彼女の頬に一筋の軌跡を残した雫が、地面へと落ちる。
約十年も塔に引きこもらされていた。見るのは塔の上からの景色だけ。トゥリスの代名詞である塔が入っていない景色だ。
彼女の気持ちがどれほどのものなのかは計り知れない。
できることなら、好きなだけ涙を出させてあげたい。
――しかしだ。
ここは数多くの人が行き交う東の大通り。
そこに涙を流す見た目はきれいな女の子とその側にいるちょっとだけ目つきの悪い男。
それはもう、俺の方に非難の視線が次々と突き刺さるわけでして。
必死にレェトの涙を拭い、大通りから離れる。
引きこもっていたレェトの顔を知る人間がほとんどいないのは助かる。
なんとか泣き止んでくれたレェトともにトゥリスの南西部を目指す。
「そこになにがあるのですか」と聞かれたため、「わからない。だから、行きたいんだ。そのほうがおもしろいだろ」と答えておいた。
トゥリスの南西はまだ歩いたことのない区画だ。
どうせなら俺もまだ見たことないところを歩いてみたい。
レェトもにこやかに頷いてくれた。
時間が戻せるなら、先ほどの台詞を撤回したい。おとなしく北側に行くべきだった。
南西の大通りでとてつもなくやっかいなものに巻き込まれた。
「また会いましたね、ルイーゼさん」
目の前に赤っぽい髪の少女――カリガが現れたのだ。
レェトは俺の後ろに隠れている。
道の先にカリガを確認した後、すぐさま後ろに移動させた。
これは……非常にまずい。
「あれれぇ? 後ろにいるのはレフスさんじゃないんですか?」
カリガは目ざとく俺の後ろにいるレェトに言及してくる。
どうする。オッカムたちに助けを求めるべきか。
「え、ええ。レフスは少し体調を崩してしまいましてね。それで、たまたま知り合ったこちらの方と一緒に街を見て回ってるんですよ。彼女もトゥリスの街は初めてだそうでしたね。それよりもカリガさんこそ探し物は見つかったんですか?」
「まだです。まさかとは思いますが、あの話を誰かに――後ろの人なんかに話したりしてませんよね」
「当然じゃあないですか」
カリガは俺に限りなく近づき、小声で確認してくる。
すまんな。話す話さない以前に、後ろの人が問題の張本人なんだ。
「ふーん、ちょっと後ろの人、顔を見せてくださいよ」
カリガはそう言って、俺の後ろを覗き込もうとする。
俺はすぐさま、立ちふさがるように移動する。
「どうして邪魔するんですか?」
「彼女は、その、ほら……そう、とても恥ずかしがり屋なんです。出会ったときもなかなか顔を見せてくれなくて、やっとのことで外に連れ出すことができたんですよ」
ほとんど嘘はない。
「ほんとですかぁ? 『外に連れ出す』って、無理矢理に引きずりまわしてるんじゃないですか?」
「そんなことは――」
「そんなことはしていません! ルイーゼは私の大切なものを返してくれたのです! それどころか私に手を差し出して、こうして外に連れ出してくれました!」
俺がごまかそうとする前に、後ろからレェトが声を荒げた。俺の服で口を押さえつけているため声はくぐもっているが、わかる人にはわかるんじゃないだろうか。
弁解してくれるのはわかるんだが、黙っていて欲しかった。
正直、生きた心地がしない。
「そ、そう……ですか」
お、おぉ。なんと踏み込みのカリガがひいている。
どうやら彼女も気づいたらしい。
俺の後ろにいる人物が相当にめんどうな種類の人間だと。
「…………あれ? 今の声――」
「カリガ小隊長!」
カリガが首を傾げてそこまで言い、俺の背中からじっとりとした嫌な汗が止まらなくなってきたときだ。
ちょうど道の先から赤服を着た兵士たちが声をあげて、こちらへと走ってきた。
やばい、やばいぞ。どんどん兵士が集まってきている。
「クストス司令が塔に戻れとのことです。それも大至急で」
わかったとカリガが言うと、赤服の兵士たちはすぐにあちらこちらへと走っていった。
「なにかあったみたい」
「そのようですね。カリガさんも早く行った方がいいのではないですか?」
「そだね。昨日みたいな変な奴もまだいるから、後ろのお姫様をちゃんと守ってあげてよ騎士様」
姫様と聞いて、どきりとしたがどうやら冗談だったようだ。
これだよ。妙に鋭いところがあるから赤っぽい髪の奴は苦手なんだ。
それよりも、お前らこそ姫様守れよ。
俺が行ってなかったら、後ろのお姫様がその変な奴に殺されてたぞ。
「後ろの人。もしもこの人に変なことをされたら、すぐあたしに相談してね」
カラカラ笑い、じゃあねと残し、カリガは踏み込み姿を消した。
悪い子ではない、が、いちいち余計なことを言う。相談ができたならレェトは飛び降りるまで思い詰めなかったろうに。
とりあえず、一難が去った。
「騎士……そうか、その手が」
後ろからなにやらレェトがぶつくさと口に出している。
「どうかしたのか?」
「いえ、たいしたことではないのです。それよりも早く行きましょう、私の騎士ルイーゼ」
あぁ、この王女はあれだな――。
「ところで、カリガはあのような感じなのですか?」
歩き出したところで、レェトが口を開いた。
「うん? ああ、昨日、知り合ったばかりだけど、最初からあんなだよ」
「私とはあんなふうに――あんなに楽しそうに話をしてくれたことはありませんでした……八年近くも一緒にいるというのに」
そこまで言うと、レェトは再び目に涙を溜め始めた。
俺はその涙がこぼれる前にそっと拭き取る。
よかった、鼻水は出ていない。
「ありがとう。我が騎士ルイーゼ」
どういたしまして、お姫様とおざなりに返しておいた。
そんな誠意のない返答でも嬉しかったようでレェトは口元をほころばせる。
「あのぅ……今の台詞、もう一度だけ言ってもらえませんか」
――しかしだ。このお姫様、ほんっとうにめんどくさいな。
カリガと別れた後も俺たちは街を歩き回った。
お店の前で立ち止まって店番のおっちゃんと話をしたり、馬肉の串焼きをほおばったりしているうちに、空はすでに夕焼け小焼け。
鐘の低い音が街に、俺たちに響く。
塔の上にある鐘を一日二回、朝と夕に鳴らすそうだ。
この音がトゥリスの一日の始まりと終わりを示す。
そして、俺たちの散策にも終わりを告げている。
「この鐘の音は、街ではこう聞こえるのですね」
レェトは夕日を眺めて、またしても涙をこぼす。
拭こうかと思ったが、周囲に人影も見えないためほっとくことにした。
この姫様は鼻水が出ても絶対に自分で拭こうとしない。妙なところで頑固だ。
口に入るかどうかのところで、仕方なく俺が拭いている……うるうるとした涙目による無言の圧力に負けたわけではないと言っておこう。
「今日は本当にありがとうございました。今まで生きてきた中でこんな幸せな日はありません。叶わないと諦めかけていた夢が、こうやって叶ってしまいました」
レェトはそう言って、夕日を浴びて赤に染まる塔を見た。
さて、そろそろレェトにラーミナに入ってもらうよう、きちんと話をしなければいけない。
「レェト、頼みがあるんだ。俺の所属する組織、ラーミナに入って欲しい」
「……でも、私にできることなんて――」
「あるよ。レェトにしかできないことがある」
「また、一緒に街を歩いてくれますか?」
「ああ、もちろんさ。また一緒に見て回ろう」
レェトに手を差し出す。
彼女も俺の顔を見てそのあと手を眺め、決意したように俺の手へとその細い手を伸ばしてくる、が、その手は俺の手に触れる直前で止まってしまった。
怪訝に思い、彼女の視線を追うと、その視線が俺の横を通り過ぎていた。
耳を澄ませるまでもなく、一つの足音が聞こえてくる。
ああ、そうだ。この状況がすでにおかしいんだ
俺たちの今いる場所はそこそこトゥリスの中心といえる。
昨日は終日の鐘が鳴ったあとでも人はまだまだ歩き回っていた。今日は、先ほどから人の姿が見えないどころか、人の声すら聞こえてこない。
そこまで考え、レェトの視線を追いかけるようにして振り向いた。
トリカやオッカム、他のラーミナのメンバーも見えない。
見えるのはただ一人だけ。
建物に挟まれた道の先から、一人の男が左手に剣を垂らして歩いてくる。
彼の赤い服は夕日を浴びて、さらに赤くなっている。
襟についた何かが光を反射してまぶしい。
なによりもその男には右腕がなかった。袖が風にぶらりと揺れている。
あまりにも左右の不均衡が大きいというのに、男の体の芯はまっすぐだ。まるでぶれていない。そのまっすぐなままこちらに歩み寄ってくる。そのただ歩く姿にさえも一切の隙は見当たらない。
この男は――強い。
「クストス……」
レェトがもらす。
隻腕の時点でおそらくそうだろうと考えていたが、どうやら間違いないらしい。
この男が先の大戦の英雄にして、トゥリスに置かれた軍の総代。
金章――隻腕のクストス。




