幕間「レィト第三王女様誘拐事件特別捜査本部」
トゥリスの塔の中腹よりやや上方にクストスの居室はある。
執務室ではあるものの、もはや彼の寝床となっている。というのは、先に起きた反乱、その事後処理、レィト王女の刃捜索と次から次へと問題が起きるためだ。
そして、いま新たな問題が部屋の扉を叩いた。
「クストス司令! 大変です!」
赤い服を着た兵士が扉を一回叩き、クストスの返事を待つことなく扉を乱暴に開き、叫んだ。
「落ち着け。なにがあった?」
肩で息をする兵士とは、逆に、落ち着いた様子でクストスは説明を求めた。
最近の度重なる出来事で、彼も大抵のことには焦りをおぼえることなく、冷静に対応できるようになっていた。
上に立つものは常に冷静でなければいけないのだ。
「ひっ、姫様がっ!」
この時点でいくつかの予感がクストスに走った。どれもいい予感ではない。
それでも彼は冷静であることに努めた。
「落ち着くんだ。姫様がどうなされた?」
昨日、錯乱していたレィト王女もクストス、カリガ、ロドスの説得でなんとか落ち着かせることができていた。念のため最上階への入り口にも兵士を置いている。
レィト王女の窓を塞いでいなかったが、まさかそこから飛び降りたのではないかと彼は想像していた。
「姫様の姿がどこにも見当たりません!」
「……話は歩きながら聞こう」
クストスは席を立ち、塔の上へと向かった。
レィト王女のベッドには青い服を着た兵士が横になっている。
手足がかたく縛られ、口に布が詰め込まれている。
よく見ると男の顎に痣がある。唇から出血もしている。何者かに殴られたのだろう。
「彼は?」
クストスがそばに立つ、兵士に尋ねる。
「現在、照会中です。目を覚ました下女はこの男にやられたと話しています」
「……どういうことだ。彼は被害者ではないのか?」
兵士はそのようですと返すだけだった。
クストスはこの縛られている兵士はただの被害者だと思っていたが、どうやら事態はそこまで簡単ではないようだ。
「クストス司令。テーブルの上に短刀と手紙が置かれています」
クストスがテーブルを見ると、紙きれが短刀に固定されていた。
すぐに紙きれを取り、目を通す。
『クストスへ
ベッドの上にいるものは私を弑せんとしたものです。
危ないところでしたが、間一髪のところであるお方に助けて頂きました。
どうやらその助けて頂いたお方が、私の刃を持っているようなので返してもらってきます。とても親切なお方なので、どうかご安心を。
夜には帰って来ますので探さないでください。
レィト』
手紙にはこう記され、末尾にはレィト王女の署名と印まで押されている。
文書の字も署名も、印さえもレィト王女のもので間違いない。クストスは今までに何度も見ている。
しかしだ――文字はところどころで歪み、インクもにじんでいる箇所が見られる。
これは何者かに無理矢理おどされ書かされ、インクのにじみは恐怖による涙で生じたのではないかとクストスは考えた。
それならばだ。これは何者かによるレィト王女の誘拐であろう。
緊急事態だ。
「ロドス能管長を呼べ」
近くにいた赤服兵士の一人に命令する。
一刻も早く、対応をしなければならない。
ロドス能力者管理長官とも話をつける必要がある。
「街の出入り口を閉鎖しろ。今すぐにだ。今日の昼以降に街を出た人間の情報を集めろ。怪しい人物を乗せたものいそうなら、すぐにその後を追え」
「そ、それは政務官殿の許可が要り……」
「そんなものはあとでいい! 急げ!」
クストスが叫ぶと、赤服の兵士は振り向きざまに返事をし、扉の外へと走っていった。
レィト王女をさらった人物の情報が必要だ。何者かでは探しようがない。
それを知っているのは……。
クストスはベッドに歩み寄り、寝ている男の胸ぐらをつかみ、そのまま持ち上げ床に投げつけた。
周囲の兵士も驚き、呆然と立ち尽くす。
青服の男が口に咥えさせられていた布が落ち、さらに衝撃で男は目を覚ました。
「起きたな」
「えっ……へっ、なにが?」
男は状況がつかめていない。
「貴様は姫様の部屋に入り込んだな」
クストスが睨むと男は首を小さく頷かせた。
「どうやって忍び込んだかはあとでじっくり聞かせてもらおう。貴様、姫様を弑そうとしたらしいな」
「そ……そうだ。刃に目覚めたもの――呪われたものは浄化しなければならない。私がこの手でレィト王女の呪ひぃ、ぐぁぁああ!」
男が喋っている途中で、クストスが男の腕を踏みつけた。
「貴様ごときが姫様の名を口にするな。それでお前は誰かにやられたようだが、誰にやられた」
「そ、そうだ。あいつが、あの黒髪の若造がベッドの下からいきなり現れ、浄化の邪魔をしたのだ。あいつも呪われたものに違いなぁ、がっ、あぁぁ、痛い痛ひぃ!」
話が逸れたところでクストスが男の腕を踏みにじる。
「それでその若造について何か他に話すことはあるか?」
「め、目つきが悪かった。今のあんたみたいだ。あの目は刃の闇に落ち……ちょっ、ちょっと待て!」
クストスがテーブルの上に乗っていた短刀を取り、親指と人差し指でつまんだ。
――男の顔の真上で。
「他には? 早く言え、手が緩みそうだ」
「えと、その……そ、そうだ。奴はこう名乗っていた」
そこで男はもったいぶるようにためた。
どうやらレィト王女を誘拐した犯人は名乗りをあげたらしい。これはずいぶんと有力な情報になるだろう。
クストスが目線で男に先をうながす。
男の口がゆっくりと開いた。
「『俺は変態さ』――とな」
短刀がクストスの指からそっと離れた。
兵士に青服男を牢へ連れて行かせると、入れ替わりに恰幅のいい男が入ってきた。
「なにやら青服の兵士が『耳が、耳がぁぁ!』と痛々しく叫んで連れられていきましたが、いったい何を始めようというのですかな、クストス司令?」
「ロドス能管長。冗談を言っている場合ではありません。姫様が誘拐されました」
クストスが真顔で語りかける。
一方、ロドスと呼ばれた男はそのふくよかな顔に微笑みを浮かべている。
「おやおや、なんともはや、誘拐ですか。私は失踪と聞いていましたがね。ついに姫様もご自身で旅立ちを決意なされたかと、私もひとり感慨にひたっていたんですよ」
「これが姫様からの手紙です」
クストスはロドスの冗談につきあいはしない。彼はこのロドスという男が苦手だった。
たしかに優秀ではあるようだが、無駄に語りが多く、口にすることがどれも嘘くさく聞こえる。
今もロドスは手紙に目を通しながら聞いたこともない鼻歌を歌っている。
「ふむ。この手紙を読むに、どうも私には姫様が誘拐されたとは思えませんがね。刃も返してもらえそうで、夜には帰って来ますと丁寧にしたためられている。その上、ご安心くださいと我々に配慮までなされているではありませんか。ひとまず夜まで待ってからでは駄目なのですかな。姫様はお優しいですからね。お土産を片手にひょっこり帰ってくるのでは」
「なにを悠長なことを言っておられるかっ! 文字の歪み、インクのにじみ。どう見ても無理矢理に書かされたものでしょう!」
ロドスのあまりの暢気さにクストスは声を荒げてしまう。
周囲の兵士もその声に怯え、身をかたくしてしまっているが、ロドスは自身の顎についた肉を指で挟み遊んでいる。
「ほぉ、そうですかねぇ。外に出られるという喜びのあまりに手が震え、涙がとどまるところを知らなかったんじゃないですか? 姫様が外に出られるのは……そう、十年ぶり。ええ、それは涙だって出るでしょうよ」
ここに来て、クストスの怒りは心頭に発した。
周囲の兵士たちは巻き込まれることを恐れ、クストスから一歩あとずさった。
そんな中でロドスは手紙を折り紙にして、なにやら鋭意制作中だ。
「もういい――ここであなたと話していてもどうしようもない。自分が探しに行きます」
「クストス司令自らですか。過保護すぎませんかねぇ」
「……あなたの部下たちをお借りしますがよろしいですね」
「えぇ、どうぞどうぞ。でも、あまり無茶をさせないでくださいよ。私のかわいいかわいい、それはもう目に入れても痛くないほどの部下なのですからね。ただでさえ、クストス司令は人使いが荒いと評判ですので」
クストスはもう何も言わずに部屋の外へと向かった。他の兵士たちもクストスの背を追う。
「あぁ、そうでした、クストス司令。一つだけ言っておきたいことがあったのですよ」
すでに扉へとさしかかっていたクストスは足を止める。振り返りなどはしない。これ以上、ロドスの顔を見るとそのまま剣を抜いてしまうだろう。
「あなたは姫様をずいぶんと大切に扱おうとしているようですが、大切には思っていないんじゃないですか。もうすこしだけ姫様のお気持ちも察してあげるとよろしいですよ。彼女は王女とはいえ、まだまだ十代半ば。悩み多きお年頃なのですからね」
クストスは振り返りロドスを睨み付けたが、すぐに前をむき直し、何も言うことなく部屋から立ち去った。
クストスが部屋から出て行き、他の兵士たちも彼についていった。
部屋には、ロドス一人だけしか姿が見えない。
ロドスが体の前に手をかかげると、そこに一冊の本が現れた。
本の外装は紙ではなく、黄色みを帯びた金属でできている。その外装にはタイトルや著者といった情報は一切ない。
彼の指がおもむろに本の一ページを開くと、何も書かれていなかったページに黒々と文字が浮かびあがる。
「妖精さん。どうやらレェト王女はトゥリスの南西――第三区画を歩いているようです。間違いなく彼も一緒でしょう。それと、少々、クストス君を怒らせすぎました。万が一のこともありますので、妖精さんも向かって頂けますか。ゼノン君にはガウス君を連れてトリカさんのほうへ向かってもらいます。……おや、赤の姫君は空をうろついていますね。まぁ、彼女が外に出られるのはこの時期だけですから、文字通り羽を伸ばしているんでしょう。えぇ、大丈夫ですよ。いくら彼女でも王命には反しません」
返事はない。
ただ、部屋の隅に置かれていた椅子がわずかに揺れる。
「予定よりも早いですが、今夜中にでもここでの物語に幕が下ろせそうです。さすがに刃吏が四人もいると、計画外の出来事にもすぐ対応できていいですね。そのうえ、今日は満月。物語の締めくくり、そして幕開けには絶好の舞台となるでしょう」
開かれていた扉が静かに閉じる。
「あぁ、ありがとうございます――といっても、もう聞こえていませんか。それでは幕間もこのあたりとしておきましょう」
ロドスは手紙を折ってできた鳥を手のひらに載せ、そのまま窓から手を出す。
「さぁ、見せてくださいよ。『可能性』を」
紙製の鳥は横風にあおられ、ひらりふらりとどこかへ流され落ちていった。




