おぼえておいて欲しい
青服男を殴りつけた後、ふらついていた彼の首を絞め、そのままお休みしていただいた。ベッドの上だしちょうどいいだろう。
男の手から離れた短刀がベッドに刺さっていたので抜いておく。
男の話していたとおり部屋の外から人が来る気配はない。願ったり叶ったりすぎて、まるで誰かの書いた脚本を演じているんじゃないかと疑ってしまうほどだ。
「もう大丈夫です。出てきてもらえませんかレェト王女」
ベッドの横に膝をつき王女に声をかける、が、返答はない。
あれ……?
「おーい、大丈夫ですか? どこか打ったりしましたか?」
ベッドの垂れ布を上げて下をのぞき込むと、わずかな光に反射した双眸がこちらを見ている。残念なことに顔はよく見えない。
目が動いているので意識はあるんだろう。
手を差し出してみたが、びくりと体を震わせ距離をとられた。
「だ、だれなんですかあなたは?」
「ラーミナ・リベラティオ第三部隊に所属しているルイーゼと言います」
「『変態』さんではないのですか?」
「……実はルイーゼなんです」
そして、ほんとのところはルイゼットです。
とりあえず気を取り直す。
「危害を加えるつもりはありません。私は話をしに来たのです」
「ベッドの下からですか?」
「…………そうなりましたね」
いかん、いかんぞ。めちゃくちゃ警戒されてる。
まあ、警戒されるのは当然だよな。勝手に部屋に忍び込んで、ベッドの下に潜り込み、手をつかんで無理矢理に引き込んだ上、名乗り口上が「変態」だ。しかも、今は手に短刀を持っている。
そんな奴に手を差し出されたとしたら、俺だって手を取り返さない。
力尽くで下から引き出してもいいのだが、それをすると交渉にならないだろう。
ここはなんとか話をして王女が自分から出てきてくれるように仕向ける必要がある。
軽く部屋を見渡すと片隅にぽつりと椅子が置かれていた。
「椅子、お借りしますね」
ベッドの横では近すぎて警戒されるかもしれないため、いったん王女から距離をとることにした。手に持った短刀も床に置いておく。
腰を下ろすと、椅子は柔らかく俺を支えてくれた。
いい椅子だ。材質も作りも文句なしの一級品だ。これに座ったあとではスターヴの作業小屋にあった木の板に四本の足をつけたものを椅子と呼ぶのが憚られる。
「あのぅ、それで何を話しに来たのでしょうか」
椅子を堪能していたところで、王女のほうから声をかけてきてくれた。これは一歩前進といえる。王女がこちらに興味をもってくれた証といえるだろう。
「あなたの刃――ティアラを拾いましてね。そのことについてです。ちなみに今はここにないのですよ、あしからず」
ティアラはトリカがもっているため、ここで返すことはできない。
「そうだったんですか」
「ええ、本当に偶然ですが手に入れました」
「あなたが……」
「そうです。たまたま私が運んでいた干し草の中にティアラが落ちてくれたようで、壊れずにすんだようです」
「あなたが私の行動の邪魔をした」
……はい?
「私がようやく私として行動したというのに、あなたはそんな私を妨げた」
えっ? あれ? なに、どういうこと?
ここは「拾って頂いてありがとうございます」って涙ながらに感謝される場面を想像してたんだけど、なんだか言葉にトゲを……いやいやいや、これはトゲなんてものじゃない、憎悪だ。
「どうしてっ! どうして私の邪魔をするのですか?!」
ほんとにどうしてこうなった!
その後、怒り狂う王女様を必死でなだめつつ、ことの経緯を聞いた。王女様は刃を失って精神が病んでいるらしく、妖精がどうのこうのとか意味のわからないことを言っている。
ひとまず俺の理解できる範囲でまとめるとこうなる。
『ずっと塔の上で暮らしてきたけど、生きてる実感がしないので死のうと思って飛び降りた。でも、ぎりぎりのところで飛び降りは防がれちゃった。それでも刃は落ちたから死ねたはずなのに、なぜか生きてる、ふしぎ』
ということらしい。
「つまり、私がレェト王女の自殺の邪魔をしてしまったということですね」
「違います! 断じて自殺などではありません。私の私による私のための旅立ちなのです。妖精さんと一緒に街を見て歩いていくための大切な最初の一歩となるはずだったのです!」
レェト王女はベッドの下から声を荒げて俺の間違いを訂正してくる。
めんどくさいなぁ。
この街には頭のおかしい人間しかいないのだろうか。
「それは申し訳ありませんでした。どうかお許しください」
「……特別に許しましょう。ただし――」
レェト王女は途中で沈黙してしまった。
「ただし、なんでしょうか?」
「私の刃を壊してください」
「…………本気ですか?」
「はい。塔の上に月が昇ったときにお願いします。今日は満月……きっと妖精さんも来てくれます。彼女とともに今宵、私は旅立つのです」
王女は口調に熱が入り昂揚してきている。それとは逆に俺の心には凍てついた風が吹きすさび始めた。
「あの刃を俺に壊せと?」
「そうです。別にあなたでなくてもかまいませんよ」
「お前一人が死にたいがためだけに、あのティアラを――あの美の結晶を壊せって?」
「えっ、あ、はい、そう……です」
息を深く深く吐き続ける。
駄目だ。
風のない水面のようにおとなしく、あきれるほど丁寧に、壊れ物を扱うかごとく慎重に話に当たろうと思っていたが、もう限界だ。
俺は椅子を蹴るようにして立ちあがる。これ以上この柔らかすぎる椅子に座っていたら俺まで頭がおかしくなりそうだった。
まっすぐベッドの横に歩み寄る。
「おいこら、レェト。あんまり甘ったれんなよ。死にたいなら一人で勝手に死ね。なにが『妖精さんと一緒に旅に出る』だ。お前のそんなうじうじした姿を見るのに堪えかねて妖精さんとやらもお前に『早よ死ね』って言ったんだろうさ」
「なっ、なにを!」
「それにだ。けっきょく、お前は自分の死を待ってるだけだ。前にも妖精さんとやらに言われたんじゃないのか。待ってるだけの人間に夢なんか叶わないって」
「そ、それは! そう、ですが……」
レェトの声が徐々にしぼみ始めるが、そんなことに構わない。
「来ないよ――そんなお前のところに、妖精さんとやらがもう来るはずもない」
「で、でも」
「そのうえお前。あのティアラを壊せってふざけてるのか、おい。あの美の結晶はお前の刃かもしれないがな。お前だけのものじゃないぞ」
「そんなことは……そんなことはありません! あのティアラは、私が目覚めた私だけのものです!」
「確かに今はお前の刃だ。その力を自由きままに振るえばいいさ。でもな、あの美の結晶は後世にまで受け継がれ、語り継がれなければいけないものだ。お前なんかの一存で壊していいものなんかじゃない。あまつさえ他人に壊してもらう? いったいお前はどれだけ狂ってるんだ」
「じゃ、じゃあ……それでは私はどうすればいいんですか!」
「それを人に聞く時点でお前はすでに間違えてるんだよ! どうすればいいのかを他人から聞いて、それをするだけなら、けっきょく今までとなにも変わらない。すぐに自分が生きてるのか死んでるのか、またわからなくなって同じことを繰り返すぞ!」
レェトはそこで何も言わなくなってしまった。言えなくなってしまった。
何を言ったらいいのか、どうしたらいいのかわからなくなって、どこにも進めず退きようもない袋小路に入り込んでしまったんだろう。
本当ならレェトが自分でその答に気付くまでじっくり考えさせてやりたい――ぶっちゃけると面倒なのでほっときたいだけなんだが、あいにくとこっちも時間が厳しい。背中を押してやることにする……ちょっとだけな。決してベッドの下から漏れるすすり泣きの声に負けたわけではないぞ。
「お前は、レェトはどうしたいんだ」
「私が、どうしたいか?」
やや間を置いてからレェトは聞き返してきた。
「そうだ。誰かに言われてやるんじゃなく、誰かにお願いするんでもなくて、レェトが自分自身の身を削ってでもやりたいこと、あるか?」
「わ、私は――」
「私は?」
「私は、街を……街を歩き回りたい」
「歩き回るだけじゃよくわからないな。具体的にどんなふうに歩き回りたいんだ?」
「……上から見下ろすんじゃなくて、同じ高さに立って、隣の誰かと目を交わし名前で呼び合いつつ、お互い気兼ねすることなくどうでもいいようなことを話しながら、ときには人混みで名前も知らない人と肩をぶつからせて、あるときは道の小さな段差に躓いて転びそうになって、特に目的も目標もなく気の赴くままに歩を進めて、喧騒に生きる人たちの何気ない姿に目を配る――そんな風に私は街を歩き回りたい」
彼女の願いはなんてことはない。昨日と今日で、俺とトリカがしたことだ。俺たちにとってはしごく単純なこと、あまりにも些細なことだった。
そんなことでもレェトにとっては夢にまで見ることなんだろう。願いを口にする彼女の声をところどころでかすれ、しゃくり上げる声も聞こえていた。
「レェト。あんたのやりたいことはわかった。でも、思うだけじゃやっぱり駄目なんだ。行動に移さないといけない。それはあんたもわかってるだろ。だから、飛び降りなんて真似をした」
「はい……ですが、私は私のできることをしたのです」
「そうなんだろうな、レェトはそこまで追い詰められていたんだろ。誰もレェトの思いに気付かず、誰もレェトをレェトとして見ようとしなかった。レェトを年相応の子と考えず、王女という枠に縛り付け、ひとりぼっちにさせてしまった」
「なんで……」
わかるんだよな。
壁一面の本棚には算術書や理論書が圧倒的に多いんだが、よくよく見ていくと、本当に手垢がついているくらいに汚れている書物が目につく。その背表紙を見ると、小難しい専門書ではなく一般大衆向けの本だとわかる。「なんとか冒険記」やら「なになに恋慕譚」といったものだ。
レェトの年齢はトリカから聞いている。俺やカリガと同い年らしい。それならきっと彼女は年相応に好奇心旺盛な子だとわかる。
俺が地上の生物図鑑を読んで、地上に生きる動物を夢見たように、彼女も外の世界に興味があったはずなんだ。
俺もロンと出会う前は図書館に引きこもって本ばっかり読んでたからな。
「レェトの気持ちが俺にはわかる……とは言えない。もちろん、わかろうとすることはできるよ。でもね、俺はレェトの気持ちを推察する気なんてない」
「ど、どうしてですか?」
レェトは悲痛な声を出したが、俺は思わず笑ってしまう。
「どうしてって……本人が目の前にいるんだ。それなら直接、本人から聞けばいいじゃないか。レェトが話してくれるっていうなら俺は聞こう。わからないところがあったら質問しよう。それで、レェトにどうしてもやりたいことがあると聞いたなら、それを実現するためにはどうしたらいいのかを俺も一緒に考えよう」
「あっ……」
本気で話せば思いは伝わる。本気の願いは人を動かす。一人が動けば周囲の人間も動き出す。
「そして、俺はレェトの願いを実現するための案がある。聞いてもらいたいんだが、できれば見下ろして話すんじゃなくて、同じ高さに目線を合わせて話したい。ベッドの下から出てくるような変態の話を聞いてくれるというなら、どうかこの手を取って欲しい」
俺はその場で膝をつき、ベッドの下に手を伸ばす。
迷ったんだろう。何度か手を動かしたんじゃないかと思う絹のこすれる音が聞こえてきた。
さらに数回、手の近くに何かが近寄った気配を感じた。
そろそろかなと思ったまさにそのとき、ほのかに温かい感触が俺の手に伝わった。
俺はその感触を絶対に離してしまわないように、強くされど優しく握りしめる。
「レェト、俺たちは対話をした。対話は一人じゃできない。二人いてこそできることだ。つまり、レィトはいま一人じゃない」
ベッドの下からレェトをゆっくりと引き寄せる。
「どこにも進めず、退くこともできず、どうしようもなくなったなら、今みたく誰かに自分の思いをぶつけてみればいい。レェトが本気なら相手もきっと応えてくれる。ぶつける相手がいないんなら、できる限る俺も相手になろう」
ようやく彼女と同じ高さで目を合わせることができた。ベッドの下でも合わせたが、あれはノーカウントとしておく。
彼女の刃は文句なく美しかったため、所有者であるレェトの顔も相当以上に美しいと勝手に想像していたが、それほどでもなかった。だって、その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていたんだもの。
でも、そんな顔も悪くない、こんな出会いも悪くない。
出会いも一人ではできないことだ。
「一人じゃどうやってもできないことがある。二人になって初めてできることもあるんだ。そのことをどうか――」




