英雄不在
ルイーナを発って早七日。
俺たちはいまトゥリスの目前にいる。
西にはトゥリスの代名詞である塔が、地から空へと伸びているのが見えている。
そんな光景を背にして、俺たちはトゥリスの東にある小高い丘を登っていた。
オッカムが確認したいことがあるらしい。
目的地には馬車を降りて少し歩けば着くようで、「この先になにがあるんだ」と聞いたがオッカムもトリカも黙っている。
珍しいことだ。大抵はどちらかが教えてくれるのだが……。
答えはすぐにわかった。言わずもがな、眼前に広がる景色が全てを物語っていた。
下からでは見えなかったが、丘の上は平べったくなっている。
そこには多くの石が規則的に並んでいた。
石の大きさや形は様々だが、共通点として石の表面にどれも人名が刻まれている。
ここは――この世を去ったものたちの安らかなる寝所――墓地だ。
オッカムについて墓のあいだを歩いて進む。
丘を登る途中で聞こえていた鳥の声もなぜかここでは聞こえない。
咲き誇っていたはずの花たちも身を潜め、土の湿ったにおいが鼻につく。
東の空に浮かぶ日輪もどこかかげっているようだ。
これらはまるで、ここに眠るものたちを起こさないように気を配っているように思える。
ただ、俺たちの土を踏む音だけが、彼らの眠りを妨げていた。
オッカムの足が、ある墓の前で止まった。彼女は土に膝を突き、指先で石を軽く撫でる。
石の表面には、ここに眠っているであろう骸の名前が刻まれている。
当然だが、その名に覚えはなかった。
「この位置をよく覚えておけ」
オッカムが振り返り、沈黙を打ち破った。
何が何だかわからなかった。
刻まれた名前やどんな墓だったのかではなく、位置を覚えろとはどういうことだろうか。
トリカもわからないようで、顔を見合わせた。
オッカムが口を開く。
「ここには誰も埋まっていない」
…………はい?
「トゥリスから逃げる状況になったときの避難通路だ。石をどかせば人ひとり通れる穴がある」
オッカムはなんでもないことのように話した。
避難通路の位置を伝えたオッカムは、もう用はないと馬車に戻ろうとしたが、俺はもう少しこの墓地を見て回ることにした。
これまた珍しいことにトリカは俺についてこず、オッカムと一緒に丘を下った。
一人になりたい気分だったのでちょうどよかった。
ダモクレスでは死んだ後は火葬になる。
埋めるほど広い土地もないし、病気の蔓延を防ぐためだ。
遺骨は粉々に砕き、灰とともに空へまく。名前だけが城の名簿に記録される。
カナーリスの町でも墓場は見たが、ここまで大量に並んでいなかった。
静謐の中に墓石がずらりと並ぶこの光景は、俺にとってかなり新鮮なものだ。
墓地の奥までくると、小さな墓が一つ列からぽつりとはみ出て立っていた。
この小さな墓の向こうからは丘が下り、ひどくでこぼこした草原が広がっている。
さらに、その奥に大陸を二分するケントルム河が左から右へと流れていた。
日の光が河の水面に反射して目をくらませる。
小さな墓ではあるが、この景色を臨むところを見るに一等地ではないだろうか。
「その墓になにか用事かな?」
風の音かと思った。
それが声だったと遅れて気づき、慌てて振り返る。
「驚かせてしまったね」
枯れ木のような男だった。
ところどころ破れたぼろ衣を身に纏い、シャベルを杖の代わりにして立っている。
顔も体も痩せこけている。病気なのだろうか? 今にも倒れそうだ。
湿った土のような色をした髪がその顔を覆い、余計に顔色を悪く見せている。
日の光を浴びてなお、この不衛生さだ。夜に出会ったら、土の下から出てきましたといっても通用するだろう。
「だ、大丈夫……ですか?」
とりあえず、この痩せ方はまずい。
男は、消え入るようなか細い声で、
「あぁ、問題ないよ」
なにがおもしろいのか、体を枯れ枝のように震わせ力なく笑う。
杖代わりのシャベルがなかったら間違いなく倒れているだろう。
痩せ男は俺の横にゆっくりと歩み寄り、いや、這い寄って目線を小さな墓に落とした。
「僕はここで墓守をしているものだよ。これでもきちんと認可を得ているよ――」
条件付きだがね、と乾いた笑みを口元に浮かべる。
墓守――本で読んだことがあるな。
規模の大きな墓地にはその管理をする人間いるとか。
「それで、君はなにをしていたんだい?」
細い首がゆるりと俺のほうを向く。そのままぽろりと取れてしまわないか心配になるほどだ。
「トゥリスに向かっていたんですが、ここまで大きな墓地は初めてで、珍しいので少し歩いていたんです。そういえば――」
墓守は体をゆらゆらと揺らして俺の声を聞いている。
その姿は背の少し伸びた雑草のようだ。
ちょうどいいのでこの墓について聞いてみることにした。
「一つだけはみ出ているこのお墓はなんですか?」
墓守は俺に目を向けず、小さな墓のさらに向こう――草原を見つめていた。
「きれいな話ではないけど、本当に知りたいのかな?」
髪で隠れた焦げ茶色の瞳がぎょろりとこちらを見た。
「……じゃあいいです」
なんかよくない話の気がしたので、ここは退くことにした、
「まぁ、そう言わずに聞いてけよ」
いいって言ってるのに……。
きっとこんなところに一人でいれば誰かと話したくなるんだろう。
せっかくなのでおとなしく聞いておくことにした。
「八年前の戦争を覚えてるかな?」
「ええ、もちろん」
嘘だ。
そのころはそもそも地上にいなかった。
だが、オッカムとトリカから話は聞いている。
「トゥリスの防衛戦については?」
「東国軍の能力者を含む五千人の精鋭部隊がケントルム河を越えて、トゥリスに奇襲をかけようとしたんですよね。当時、戦線はもっと南に張られていたからこの奇襲を予期していなかった。それに能力を使うことでケントルム河を越えるという発想が西国にはそもそもなかった」
墓守は満足そうに頷く。
ほんとに首が落ちそうで怖いから頷くのはやめて欲しい。
「すぐにこの奇襲部隊を発見できたものの、国王はトゥリスに国民を残して早々に逃亡。トゥリスに残った軍は千人にも満たない。このどうしようもない状況で、当時、銀章をもったジャネを中心にわずかな能力者と一小隊の二十人たらずが夜襲をかけ、これがまさかの大成功。生き残ったのはわずか三人だったものの、五千人の東国軍は全滅。俗に言う『トゥリスの奇跡』ってやつですね。生き残った三人は英雄となり、国から章が与えられた」
俺の知るところを話した。
三人の英雄はたしかジャネ、クストス、カリガだったはずだ。
墓守はなにも言わず、小さな墓を見つめている。
俺も察した。
「まさか、これが……」
墓守は小さく、だが力強く頷いた。
「そのときに死んだ能力者たちの墓だよ。トゥリスにある慰霊碑に能力者の名前は刻まれなかったからね。……せめて、僕は彼らが生きた証を残したかったんだ」
どうやらこの小さな墓は墓守が立てたもののようだ。
俺は静かに膝をつき、胸に手を当て、目をつむり彼らに黙祷を捧げた。
「君は珍しい人間だね。知らない人間――ましてや能力者に祈るなんて、この国の人間らしくないよ」
墓守が横から声をかけてくる。
「あなたも同じじゃないですか、能力者のために墓を作るなんて」
言い返して、墓守を見上げると彼は首を横に振った。
「……さっきの話だけどね。君は本当に寄せ集めの二十人足らずで、精鋭の五千人をどうにかできると思うかい?」
それについては、俺もオッカムから聞いたとき疑問をもった。
二十人で五千人なら、単純計算で一人が二百五十人を殺さないといけない。いくらか尾ひれがついてるんじゃないかとは思っている。
誇張されているとは言っても、現に歴史として残っているのだからある程度は事実なんだろう。
「よほど強い能力や刃の扱いがうまい能力者がいるなら、あるいは可能かと思いますが。銀章持ちもいたようですし」
俺の回答に墓守は鼻で笑う。
「そうかもしれないね。しかし、その二十人のなかでまともな戦闘能力を持ったものは半分もいなかった。他は戦闘経験すらないものたちだ」
彼の手に持ったシャベルが地面を抉る。
「さらに敵は五千人だけじゃない。能力を使って次々に河を越えてきていた」
口調に熱がこもってきていた。
「彼らの中でジャネとクストス。この二人だけが夜襲をかければなんとかなると思っていた。事実、彼らは強かった。知っているようにジャネは銀章をもっていたし、クストスは章をもたないもののジャネと同等の強さがあった。だが、彼らは自分の力を過信しすぎていた――」
墓守の手が震え、杖にしていたシャベルもそれにあわせて土を削る。
「増えていく傷、次々に倒れていく仲間たち、屍をいくら重ねても減らない敵。圧倒的な数量の差を彼らは知った――」
彼は息継ぎをする。
「しかしだ、そんなことはあまりにも些細なことだったんだよ」
笑いがこぼれている。
話す調子は楽しげだが、声色はどこか虚ろだ。
「彼らは圧倒的な数量の力を遙かに上回る……あざけ笑うような絶対的な力を見てしまった! そう、あの場所で!」
彼の揺れる瞳が目の前に広がる、やたらとでこぼこな草原を睨む。
「あそこは八年前まで真っ平らの草原だった! たった一夜のうちにあんなことになったんだ! 君! それがどれほどのものかわかるかい?!」
口調はますます盛り上がってくる。
始めのそよ風のような話し方が嘘のようだった。
「『あれ』に数なんて委細関係なかった! 『あれ』が腕を薙ぐだけで大地は剥がれ、人がぼろ布のように千切れた! 『あれ』が地面を蹴れば大地は抉れ、人が干からびたパンのように粉々に崩れていった! 敵も味方も関係なかった……『あれ』の絶対的な力の前に、人はどうしようもなく無力だった!」
そこまで言うとシャベルが墓守の手から離れ地面を転がる。
彼は支えをなくし、そのまま地面に膝をついた。
胸に手を当ててもがいている。
「おい、もう喋るな! 落ち着いて! 深く息を吐いて!」
俺は彼の背中をゆっくり押して呼吸を促す。
何度か深呼吸させると、徐々に落ち着いてきた。
「ありがとう……助かったよ」
彼はもう大丈夫だというように手をかざし、背中に添えた俺の手をどかす。
「そして、『あれ』がいよいよ彼らを殺そうというときになって、一人の男がきた」
もう話すな、と言うものの彼は問題ないと手を振って続きを語り出した。
「あの男は『あれ』を止めて、そのまま連れて行った。一人生き残った東国の能力者も連れていかれた。これがあの日の真実さ。トゥリス防衛戦の生き残りは三人じゃない、六人だ。あれは奇跡でもなんでもない、絶対的な力による蹂躙なんだ! 章を授かった三人が英雄? 馬鹿を言わないでくれよ。本当の英雄は『あれ』と『あれ』を止めたあの男だ!」
そこまで言うと彼は深く息を吐いた。
「ジャネはもう一度、『あれ』に会いたかったんだ。会ってどうするのかはわからない。彼はあの力に恐怖すると同時に恍乎した。そして、彼はトゥリスを去り国を巡った。西国では話もきけず、彼は単身で河を越え東国に渡り探し続けた。それでも彼は『あれ』を見つけることができなかった……」
彼はそこまで言うと口を閉ざした。
聞いてはいけないような気がしたが、どうしても気になっていることがあった。
「話したくないなら話さなくていいんだけど、『あれ』ってのはどんなだったんだ?」
墓守の話す『あれ』というのが、とてつもなく強いというのはよくわかる。
しかし、その風貌についての情報が墓守の口からまったく出ていない。
「……覚えてないんだ」
「えっ?」
「ジャネも他の二人も『あれ』がどんなだったかまったく思い出せないんだよ。そこだけ記憶からきれいに消えているんだ。まるで抜き出されたみたいにね」
「じゃあ、ジャネってやつはどうやって『あれ』を探したんだ」
「化け物みたいなやつだからね。隠そうと思っても隠せるものじゃない。目撃情報を頼りに探したんだよ。それに彼の記憶は『あれ』の姿がきれいに消えていた。『あれ』を見ればパズルのピースがぴったりはまるようにわかるはずなんだ」
そんなものなのだろうか。
「不思議だよ。本当に不思議だ。まったく形跡がなかった。もしかすると、地上から消えてしまったのかもしれないね」
墓守は薄く笑って雲ひとつない空を見上げた。
「ところで、そのジャネってやつはそのあとどうしたんだ?」
墓守は空を見上げたままだった。
「どうすることもできなかったよ。六年近くも放浪して、けっきょくなにも見つけることができず、無様な姿でジャネはトゥリスに帰った。故郷は悲しいくらい彼に優しかった。故郷を見捨てた彼を喜んで厚く受け入れてくれた。でも、彼はそこにいることがいたたまれず、かといって離れすぎることもできなくなって、今はどこかで、かつての仲間を想い、祈りを捧げる日々を過ごしてると聞いたよ」
彼は視線を空から墓に下ろし、ただぼんやりと見守っていた。
「ルー!」
俺を呼ぶトリカの声が静寂を壊す。
彼女は俺たちの方に駆けてくる。
「オッカムさんが早く……」
トリカは途中で言葉を切った。
墓守が地面に座っていたため、彼女は気づかなかったらしい。
偽名のサリーを使わず、直接、オッカムと呼んでしまった。
「あ……えっと、戻ってこいって」
俺はトリカに頷いてみせた。
「わかったよ。墓守さん、なかなかにおもしろい話が聞けてよかったです」
俺はそう言って地面に転がったままのシャベルを手にとる。
「オッカム……そうか、なるほどね。いや、こちらこそ長い話ですまなかった。そういえば、君の名前を聞いてなかったね」
手に取ったシャベルを彼の方に差し出した。
「ああ、俺の名前は――」
彼がシャベルに手を触れた瞬間、シャベルから気配を感じ、反射的に手を離した。
一瞬ではあったものの、地上に降りてから最も嫌な気配を感じた。
自分の中に埋めていった思い出したくないものが無理矢理に掘り起こされるようだった。
そうか……このシャベルが彼の刃か。
「すまないね。無意識に力が出てしまった」
彼も気まずそうにこちらを見る。
「いや、大丈夫ですよ」
とは言ったものの、少し気分が悪い。
墓守もシャベルを杖にしてゆっくりと立ち上がる。
「ルイゼット君。先達として言わせてもらうよ。自分の無力さを感じているのなら、まず立ち止まって周りをよく見ることだ。そうすればきっと何かに気付く。そして、進む道をしっかり選択しなさい。走り出すのはそれからだよ。立ち止まることの歯がゆさ、焦れったさはあるだろうさ。でも、闇雲に走ってはどこにもたどり着けなくなる――」
僕みたいにね……、墓守は消え入る声でそう付け加えた。
記憶を取り出す刃だろうか? 俺の名前と苦い思いを掘り返されたようだ。
「あなた……いったい?」
トリカが声を漏らす。
墓守が俺の本名を呼んだことに警戒したのだろう。
鏡に手を伸ばそうとしている彼女を、俺は軽く右手をあげることで止める。
いったいどこまで掘り返されたかはわからないが、この墓守は特にどうするということもないだろう。
「重ね重ねすまないね……それと、彼らに祈りを捧げてくれてありがとう。久々に君のような人間に会えて嬉しいよ」
彼は墓をちらりと見て、柔らかい表情でお礼を述べた。
「どういたしまして、それにこっちこそ感謝するよ、墓守さん。あっと、そういえば――」
もう会えないかもしれないから、蛇足だろうが最後に一つだけ聞いておきたい。
「ジャネという人は、今どんな気持ちなんだろう?」
墓守はしばし考えたのち、細い首を横に振り、
「わからないんだ」
とだけ答えた。




