取り残されるはルイゼット
歌が聞こえる……この歌は聞き覚えがある。
いや、ダモクレスでこの歌を知らないものはいないだろう。それほどに有名な曲だ。
しかし、先ほどから聞こえているこの歌は俺の耳に刻み込まれている歌とはリズムや旋律が微妙に異なっている。
俺はその差異がどうしようもなく気になって、とうとう目を開けた。
不安定な揺れを感じることから馬車の荷台だろうか。
どうやら俺は横になっているようだ。
女性の顔を下から見上げる格好になっている。
彼女の膝に俺の頭が置かれているらしい。
その金髪を垂らした彼女が口を動かしている。
耳に入る歌声がその口の動きに合っていることから歌っているのは彼女で間違いない。
そうか……。
得心がいった。歌をくちずさんでいるのはトリカだ。
彼女は、俺が歌っているのを聞いて独自にアレンジを加えていた。
だから、知っている歌との違いを感じたのだろう。
「おはよう、トリカ」
トリカが歌い終わり、余韻もなくなったころを見計らい声をかけた。
彼女は体をびくりと震わせ、目線を下げる。
目が合うと、彼女は顔をほころばせる。
「おはよう、ルー」
彼女もそう言って俺の頬に手の平を当てる。
「オッカムさん。ルーが目を覚ましました」
彼女が顎を上げそう声を出すと、声をかけた方から「そうか」と一言だけ返って来た。
俺は耳を疑った。
遺跡でオッカムが地割れに落ちた光景をしっかりと覚えている。
しかし、トリカに答えたあまりにも短い声は間違いなく俺の知っているオッカムの声だった。
それでは、これは夢なのか?
いや、頭に伝わるトリカの熱、馬車の揺れは感じている。ここは現実だ。
それなら――。
安堵による笑いがこぼれる。
どうしたの、とトリカが心配そうな目つきで俺を見下ろす。
「いいや、悪い夢を見ていたみたいだ」
そう、あの光景は夢だったんだ。
それもそうだ。
地盤の崩落、巨人の群れ、動く巨人、師匠みたいなトリカの声。
どれも現実からかけ離れている。
地上での出会いを思い焦がれた俺の意識が作り出してしまった夢に違いない。
馬車の中を軽く見渡してもガウスやラヴ、カテーナの姿はない。
ここにいるのはトリカとオッカムだけだ。
今はルイーナに向かう途中だろう。
「なあ、トリカ。ルイーナにはあとどれくらいで着くんだっけ?」
いったいどこからが夢だったのかを確認するため、トリカに尋ねる。
彼女は顔を歪ませた。
どうしてそんな顔をするんだよ。
「ルー。私たちは――」
上体を起こそうと手をついたところで、左手から鋭い痛みを感じた。
左腕に目を向けると、腕に木の棒が添えられ動かないように固定されていた。
目が自分の左腕に縫い付けられたように動かない。
左腕を負傷した記憶は地上に降りてからだと一回だけだ。
だが、あれは夢の中だったはず。
果たして、俺はまだ……笑えているだろうか。
「今日の朝にルイーナを発って、トゥリスに向かってるわ」
トリカは表情を消すように努めていることが明らかにわかる悲痛な顔でそう告げた。
俺が意識を失ったあとで何が起きたのかをトリカは語り始めた。
バーテルスの手紙の受取人がダモクレスの人間で、第七針クラテスと第五針ゼノンがガウスを迎えに来たと彼女は話す。
あいつらが地上に降りてくるはずがないと思っていたが、トリカが話す彼らの外見も俺の知っているものと一致する。
そもそもトリカに彼らのことを話したことはなかった。
そして、彼らがガウスとラヴをダモクレスに連れて行ったらしい。
さらに、ガウスはトゥリスで引き渡すとも話をしたらしい。
「ガウスを王に……あいつに謁見させるっていうのはさ」
クラテスのクソ爺はガウスを父と謁見させるつもりらしい。
おそらく、ラヴもだろう。
しかし、それは――、
「要するに殺すってことだよ」
トリカが首を傾げる。
「でも、あのお爺さんやゼノンさんの話だと大丈夫そうだったけど……それに二人とも悪い人には見えなかったわ」
「ゼノンがいいやつってのは認める。クラテスの爺も一歩譲っていいやつだって認めるよ。でも、王に会わせるっていうなら結果は変わらない。ガウスとラヴ、二人にはもう会えない」
「どうしてそう言い切れるの。ダモクレスの王様はそんなにひどい人なの」
トリカには俺の身分を伝えていない。
父のことなんて話題にあげたくもなかった。
「ひどいなんてもんじゃない! 自分の父や妻、親友、息子ですら容赦なく切り捨てたやつだ! 他人だっていうならそれこそなんとも思わず切り捨てる!」
俺の声に、トリカが目をぱちぱちとさせる。
話の内容に驚いたというよりは、俺の荒げた声に驚いているように見える。
「たしかにひどい人ね。でも、それだけ?」
トリカがきょとんとした様子で問いかけてくる。
「それだけって……それだけで十分すぎるだろ」
彼女のまっすぐな瞳が俺を貫き、たまらず俯いて目を逸らしてしまった。
「本当はそれだけじゃないんじゃない?」
彼女は俯いた俺を下から覗き込んで追撃してきた。
「どうしてそう思うんだ?」
覗き込む彼女とは目を合わせず聞き返す。
それだけじゃないと認めてしまったようなものだ。
彼女は俯いた俺の視界から消えてくれた。
「ルーは私と初めて会ったときのこと覚えてる? あなたが鏡から出て、赤服の人たちをやっつけたときのことよ」
視界から消える代わりに質問をしてきた。
ああ、とだけ返す。
「あのときルーはとても怒ってた」
無言で肯定する。
「怒ってたのは私のためでしょ。あ、言わなくてもいいわ。あなたわかりやすいから、すぐにわかった」
…………トリカにだけは言われたくねぇな。
「なにか言いたいことがあるなら聞くわよ?」
いやなんにもないよ、と真顔で返しておいた。
「そうなの、わかったのよ。『この人、私のために本気で怒ってくれてる』って」
トリカが何を言いたいのかがよくわからない。
まさか俺がわかりやすいってことだけを言いたいんじゃあるまい。
「ルーは正直者だから怒るときも、なんで怒ってるのかがわかるのよね。でも、今回はその理由が『他人を簡単に切り捨てるひどい奴だから』ってだけじゃないって気づいたの」
トリカはどうやっても俺に理由を話させたいらしい。話したら負けみたいで嫌だな。
そこまで言うと再び、俺を下から覗き込んでくる。
「そうでしょ?」
……くそぅ、下から上目づかいは反則だろ。
「あいつ――」
なすすべなく俺は負けを認めた。
「ダモクレスの王、ディオニュシオスはさ。本当にひどい奴なんだ。自分の肉親や親友を平気で切り捨ててきた。俺にはまったく奴の気持ちがわからないし、わかりたくもない」
私にもわからないわ、とトリカが頷く。
「そんな訳のわからない奴がさ――俺の父親なんだよ」
えっ、とトリカが声をあげた。
「俺も斬られることはなかったけど捨てられた。でも、あいつの支配から逃れてこうやって地上に降りてさ。トリカやオッカムたちに会えてよかったと思ってた――思ってたのに、ここに来てまた父が出てきた。父に手が届かない俺自身への悔しさこそが、俺が怒ってる本当の理由だよ」
トリカは何か声をかけようしたんだろう。
口をぱくぱくと開けたり閉じたりしていた。
しかし、何を言っても気休めにしかならないと気づいたらしい。
「私はルーの本当の気持ちが聞けて嬉しいわ」
正直者は本当に幸せそうな顔でそう言った。
しばらく何も話す気分になれず黙っていたが、
「そういえば、カテーナはルイーナに残ったのか」
ふと思い出したのでそのまま口に出した。
ここにはカテーナの姿が見えない。
先ほどのトリカの話でもカテーナは出てこなかった。
オッカムがここにいるということはやはり彼は同伴できなかったのだろうか。
「別れる前に話をしたかったな」
そう呟いてトリカに目を向けた。向けるべきじゃなかった。
彼女はどんな顔をしたらいいのかわからないとでもいうように、表情が次から次へと複雑に変わっている。
正直者の顔はどうしようもないほどに正直だった。
「えっ……まさか、死ん、だ……のか?」
その言葉にトリカがびくりと震えて、泣きそうになる。その表情が俺の疑問に答えてくれた。
「誰が――」
カテーナを殺したんだ、と聞こうとしたがトリカはすぐさま首を横に振る。
「じゃあ、やっぱり――」
自殺か、と繋げようとしたところでトリカはまたもや首を横に振って否定した。
「地割れに……」
トリカはそう小さく漏らす。
「――そうか」
俺はそれだけしか口に出せなかった。
彼女はゆっくりと背中を向けて後ろの布袋をあさる。
その後、彼女は手に見覚えのある長細いものを持って俺に向き直った。
「これをあなたに渡してくれって」
白味を帯びた鋼、じゃらりと鳴る無秩序な金属音。
それは俺に巻き付き動きを止めた鎖だ。カテーナの刃でもあった。
鎖からはかつての動きや力強さといった生命力はなくなり、ただの物言わぬ鎖になっている。
すなわち、この鎖の持ち主もすでに――。
俺は「ともに歩み、手を差しだしていこう」とカテーナに言った。
仲間をどこまでも大切にしていたカテーナならきっと俺たちと同じ道をいけると信じていた。
しかし、そう信じたカテーナはもういない。
俺の放った言葉だけがどこにも着地できずに宙に浮いている。
「俺は、カテーナの最期を見ることができなかった……なぁトリカ、カテーナはどんなふうにこの鎖を俺に託したんだ?」
トリカが困惑している。
話したくはないだろうが聞いておかねばならない。それが残されたものの責任だ。
トリカは俺に退く気がないのに気づいたのか、ゆっくりと口を開けた。
「見ていなくても――」
声は、口を開けたトリカではなく後ろから聞こえてきた。
姿は見えないがどうやらオッカムが口を開いたようだ。
「その鎖を持てばわかる」
俺はその言葉を受け、鎖を手に取った。
「カテーナさん……最期にガウス君を助けたの。彼、楽しそうに笑ってた」
トリカの漏らした声に、オッカムも賛同した。
どうやら落ちていくカテーナをオッカムは見たらしい。
「役目を果たしたものの顔だった」
相変わらず言葉が足りないが、達成感に溢れていたということだろうか。
おそらく、カテーナは生きる意味を見つけたんだ。
生きる意味を見つけることができたきっかけはわからない。
俺の言葉が伝わったのかもしれない。
意味の中身も知ることはできないが、彼は過去ではなく未来にそれを見つけたんだろう。
そうでもないとカテーナはガウスを助けなかったはずだ。
俺が差し出した手はけっきょくカテーナに握り返されることはなかった。
しかし、手はたしかに彼に届いたと信じたい。
この鎖はきっとそういうことだろう。
俺たちは――能力者であるカテーナと能力者でない俺はたしかにわかりあえた――繋がることができた。
それなら、お互いがわかりあえる世界の可能性はまだ繋ぎ止めることができるかもしれない。カテーナはそう認めてくれたんじゃないだろうか。
そして、後戻りのできなかった彼は鎖という形で、その思いを俺に託した。
そう信じて俺は鎖を握りしめる。
鎖はなにも語らない。乱雑な音を響かせるだけだ。
金属の環のひとつひとつは小指にも満たないほど小さい。
だが、その小さな環は途切れることなく無数に連なり、両手に収まらないほど長く大きくなる。
それはまるで、人の思いはどこまでも繋がっていけると俺に誇示するようだった。
振り返って考えると,けっきょく俺は誰も助けることができなかった。
それどころか見届けることすらできていない。
ガウスを助けたのはボヤイで、そのボヤイを止めたのはトリカだ。
オッカムもラヴを助け、穴からひたすら這い上がってきていた。
俺はどうだ? 鏡の中でただ寝ていただけだ。
その間にガウスとラヴはダモクレスに連れて行かれた。
一緒に歩もうと告げたカテーナの最期すら見ることができなかった。
俺はただ喋り、勝手に暴走し、挙げ句の果てには気を失った。
俺だけが先に進むことなく、立ち止まっている。
強くなりたい。
別に誰かを助けるなんて大層なことができなくてもいいんだ。
いるべきときに、そこにいて手を差しのばせるだけの力があればいい。
そう、それだけで十分なんだ。
それなのに今の俺にはたったそれだけのこともできない!
俺は! 俺は……、
「無力だ――」
にじみ出てきた声も力なく、あっという間に空気に溶けて消えた。
二章終了




