先へと進む幕間「思い、繋げて」
トリカが黒箱を巨人から取り出すと、ガウスの顔色は赤みを徐々に帯びてきた。
今はゼノンが、横になっているガウスの様子を見ている。
「なかなかにすてきな対話じゃったよ、トリカちゃん」
老人がトリカに近づき労をねぎらう。
「いいえ、私だけではできませんでした。あなたやゼノンさん、ラヴ、カテーナさんのおかげです。それにボヤイもちゃんと私の話を聞いてくれました」
トリカが照れつつも老人の謝意にこたえる。
「謙虚じゃのう、トリカちゃんは」
老人が子供みたいに無邪気な笑顔でそう言って、トリカに顔を近づける。
「――でも、それだけじゃないじゃろ。たしかに対話の最後のほうはお嬢ちゃんのようじゃが、最初のほうは誰かを意識していたようじゃな。さて、それは誰なのかのう?」
老人はトリカだけが聞こえるように小さな声で呟いた。
トリカが目を瞠り、足を退ける。
二人の間に距離ができたことで、トリカは老人の顔をよりよく見えるようになった。
老人の無邪気な表情が余計に質問の回答を彼女に迫らせる。
「それは……」
鏡の中にいるルイーゼです、とだけ言えばいいはずなのだが、この老人に口を開いてはいけない気がトリカはしていた。
「それは?」
老人がにまにまとトリカに聞き返してくる。
トリカはポケットに入れた鏡を無意識に上着越しでおさえる。
老人がめざとくその様子を見て、口元に小さな笑いを浮かべる。
「なるほど、鏡の中にいるルイーゼという少年かね」
トリカがびくりとふるえる。
「彼のことについて聞きたいのう」
そう口に出して老人はトリカとの距離を再度つめた。
トリカは追い詰められたように感じた。
そして、彼女はようやく気づいた。
「あなたまさか――」
老人はひとさし指を自分自身の口元に立ててトリカの発言を止めた。
横目でガウスを介抱するゼノンを見たのち、首を横に振り静かに微笑んだ。
「儂はなんにも知らんよ。ルイーゼ少年がどうやってトリカちゃんと出会い、どんなときを過ごしてきたのか、なにを見てなにを話してきたのか……そう、儂はなにも知らない――だからこそ、知りたいのじゃよ」
トリカは確信した。
この老人は鏡の少年がルイゼットだとわかっている。
老人の視線の意味を察するに、どうやらゼノンはルイゼットのことに気づいていないようだ。
「トリカちゃんの話せる範囲でよいよ。ルイーゼ少年の話を聞かせてくれんかのう」
ここでトリカは初めて好奇心という名の邪気を老人の顔に見た。
「他言無用でお願いします」
今の老人になら話しても大丈夫だ。
根拠のない確信がトリカの口を開かせた。
「もちろんじゃ。儂は口がかたいんじゃよ」
老人が口を開いて笑う。
トリカも老人の冗談に笑いを浮かべた。
この老人は彼女やルイゼットと違って顔や目よりも口がよく語る。
しかし、この老人はルーに危害を加える気は感じられない。
それなら、きっと少しだけ彼と出会ってからの一週間の話をしても大丈夫だろう。
トリカはそう結論づけた。
その後、遺跡から出ることになった。
まず、巨人のたまり場から出て門の入り口に向かっている。
先頭はトリカと老人が並んで歩いている。
なにやら話をしているようだが、後ろを歩くゼノンやラヴにはよく聞き取れなかった。
最後尾を歩くカテーナがガウスを背負っている。
初めはトリカがガウスを背負おうとしていたが、カテーナはそれを止めた。
カテーナの心中こそ複雑だった。自分の仲間を殺した人間を背負う。
ガウスを許したくはない。
しかし、ガウスを、そしてカテーナをも守ろうとしたあの青臭すぎる若造を考えると殺すことはためらわれる。彼自身もこのあとどうすればいいかわからなかった。
門にたどり着き、その内側から外側へ。明かりのない暗い遺跡内に戻るときのことだ。
カテーナが門を出るとき、門の入り口天井が崩落した。
彼は音に慌てて飛び出て、土砂に巻き込まれることはなかった。
しかし、そんな彼の足場が崩れた。
一瞬の浮遊感とともにカテーナと彼に背負われたガウスは暗闇へと落ちていく。
先に門から出ていたトリカたちも焦って彼を見る。
ゼノンはラヴを背負っているためどうしようもできない。
背負っていなくてもできなかっただろう。
彼の刃では彼らを射貫くことはできても空中にとどめることはできない。
トリカの鏡では一人だけしか入れない。
カテーナを助けることはできてもガウスは無理だ。
それにそもそも今はルイゼットを鏡の中に入れているため使えない。
故にどうしようもなく、彼らは落ちていくカテーナをただ見送った。
しかし、カテーナは穴に落ちたあとすぐに左手で岸壁をとらえた。
指が削れて爪も剥がれたが、なんとか途中で岩に捕まることはできた。
背負っていたガウスもずり落ちたが、右手から鎖を操り空中で捕まえた。
カテーナにガウスを助ける気などなかった。
無意識のうちに鎖を発現させ、その落ちていく子供の手をつなぎ止めていた。
どうするべきか、カテーナは迷った。
自分が助かるならこの鎖を消して子供をこの穴に落とせばよい。
彼がカテーナの仲間にしたように落としてしまえばいいのだ。
いや、どちらにせよ腕の怪我から考えて自分も助かりそうにない。
カテーナには生きるべき目的もすでになくなっている。
それなら左手を離してこの子供と一緒にどこまでも落ちていくのもいい。
そう考えていた。
そんなことを思案していると右手に鎖でつないでいた子供が軽く感じた。
不思議に思い、彼は自身の右腕を見下ろす。
右手を見ると鎖が光を発していた。
鎖と同じ鋼の白味を帯びた光が鎖からぼんやりと空中に光を射していた。
共鳴だ。
カテーナはこの鎖を長く使っているが、共鳴に達したことは一度もない。
どうして今このときになって共鳴に達することができたのかを彼は考えてしまう。
そして、わかってしまった。知らずに笑いがこぼれる。
「カテーナさん、大丈夫なの?!」
カテーナの笑い声を聞いたトリカが声をかけてくる。
カテーナが上を見上げると金髪を垂らした彼女が顔だけ出しておそるおそる彼を見下ろしていた。
トリカからは、カテーナの姿は暗闇に紛れて見えていない。
「自分は大丈夫だ。子供も無事だ」
――まだな、とカテーナはそんな彼女に返答をする。
しかし、笑いが止まらない。
彼は自身の刃である鎖を振るうとき、まず相手を縛る。そのあとで動きを止めるように念じる。
それが間違いだったと気づいた。
鎖の力は相手を「縛り、止める」ではなかった。
彼の力は「繋ぎ止める」ことだったのだ。二つの動作を分けてはいけなかった。
こんな単純なことにこの窮地に至ってようやく気づいた。
そう、気づくのがあまりにも遅すぎた……。
繋ぎ止めるはずの友も、仲間もすでにいない。彼は繋ぎ止めることができなかった。
そんな自分にはやはり生きる意味などもうないようだ。カテーナはそう思い至った。
しかし、そんな自分でも最期に一つだけできることがあることに彼は気がついた。
「おい小娘、トリカといったな!」
声を大にして自分を見下ろす小娘を呼ぶ。
「なに! どうしたの? すぐ助けに行くから待ってて!」
トリカも負けずに大きな声で返す。
気休めだ。助ける算段が彼らにはない。
「助けは必要ない。代わりに頼みがある」
カテーナにまだ出来ること――それは、今この鎖が繋ぎ止めている子供の命を未来に繋ぎ渡すことだ。
大丈夫だ。右手に繋ぎ止めている子供の重さをまるで感じない。これなら届く。
これも共鳴の力なのだろうか。彼の顔には自信が満ちていた。
「あの若造に渡して欲しいものがある」
カテーナが右手に握る鎖は彼だけの刃だ。
彼だけの刃ではあるが、このあとの彼にはもう必要ない。
彼に手を差し伸べ最後まで未来へと繋ごうとしていたあの若造にこそ、この鎖はふさわしい。
「ちゃんと受け取れよ、小娘」
カテーナは彼の全力をもって右手を上に振り上げた。
ガウスとその少年を繋ぎ止めていた鎖は、カテーナを超えて上へと昇っていく。
ある高さまできたらカテーナは鎖を手離した。
トリカが地にふせて穴の中を見ていると、暗闇から人影が飛び上がってきた。彼女は小さな悲鳴を上げる。
人影はトリカのすぐ横に転がった。ガウスだった。
その手には見覚えのある鎖が巻き付いている。
「受け取ったな、小娘」
姿の見えないカテーナの声がトリカの耳に入る。
「あの若造に渡すのは鎖のほうだぞ。その子供はおまけだ」
カテーナは笑っているような弾んだ声でトリカに話しかけた。
「えっ……カテーナ、さん?」
彼女は恐る恐る下に話しかける。
「小娘。お前もあの若造をしっかり繋ぎ止めておけよ――」
やはりカテーナは笑いながらトリカに話をしている。
危機的な状況にある人間の言葉とは思えないほど軽い。
「じゃあな、若人たち」
その声はあまりに気さくなものだったため、トリカはそれが別れの言葉だと理解するのが遅れてしまった。
トリカが慌ててカテーナを呼ぶものの返事はない。
老人から手渡された小さな光る棒を崖の下に捧げてみてもカテーナの姿は見えない。
トリカの口から小さく漏れた彼を呼ぶ名に、静寂だけが返事をした。
カテーナからの返事がなくなったあと、遺跡の外にでることになったが誰も何も話そうとしなかった。
遺跡の外に出るとすでに日は傾き始め、周囲の景色を赤く染めていた。
彼らの他に人影はない。
トリカが夕日を眺めていると二本の長い影が地面に映った。
「なに……あれ?」
最初はただの鳥だとトリカも思っていた。
ただ近づけば近づくほど、その大きさが際だってきた。
「心配ねぇ。俺たちの迎えだ」
隣でラヴを背負うゼノンがそうこぼす。
果たして彼らのそばに二匹の鳥が舞い降りた。鳥と言うには大きすぎる。
トリカとラヴはぼんやりとその姿を見ていた。
その大きすぎる鳥のうち一匹がゼノンのほうへ軽く飛び跳ねた。
それだけで土埃が宙に舞う。
ゼノンが大鳥の首を軽く撫でると、大鳥はくすぐったそうにその顔をゼノンにこすりつけた。
彼の背中にいたラヴが口を閉じて固まっている。
よく見ると震えていることに気づくだろう。
「わりぃが俺たちはすぐにダモクレスに帰らなきゃいけねぇ」
ゼノンはそう言って、背中に負っていたラヴを担いで大鳥の背に乗せた。
ラヴを乗せたあとで老人も担いでラヴの前に乗せた。
「それじゃあトリカちゃん。ラヴちゃんとガウス君をいったん預かるよ」
トリカがラヴを見ると、ラヴはただ静かに頷いた。
本人が納得しているならトリカは頷くしかなかった。しかし、ガウスは別だ。
「ガウスはトゥリスに連れていかないといけないから、置いていって欲しい」
ゼノンは首をひねる。
「トゥリスって言うと……ここから北北西あたりにあるでけぇ塔のあるところであってたか」
トリカが首肯する。
「それならちょうどいいのう。来週はたしかロニオスをトゥリスに連れていく予定じゃったろ」
老人がゼノンに確認を取る。
「ああ、テネスもだな。トリカ、馬を使うとトゥリスにはどれくらいで着くんだ」
トリカが頭の中に地図を思い浮かべる。
カナーリスからルイーナとルイーナからトゥリスはほぼ同じ距離だったはずだ。
カナーリスからトゥリスに六日でたどり着いたことを考えると、
「早くて六日、余裕をもって七日から八日だと思う」
「わかった。じゃあ、そのときにガウスも連れて行くぜ」
トリカが首を傾げる。
「そもそも、どうしてガウスをダモクレスに連れて行くの?」
ラヴはともかく、ガウスはトリカたちがトゥリスに連れて行けばいい。
彼らがガウスを連れて帰る理由がトリカにわからなかった。
「そもそもなんだが……俺たちは正当な理由がないとダモクレスから出ちゃいけねぇんだ。今回はガウスを迎えに行かねばって爺さんが押し通して特例に特例を重ねて王からなんとか許しを得た。特例の条件の一つとして、ガウスを連れて帰って王に謁見させねぇといけねぇんだ」
ゼノンがぼさぼさの頭をかきながら答えた。
「そういうことじゃ。そういうわけでいったんガウスを預かるよ。大丈夫じゃよ、ガウス君に危害を加えるつもりはないからのう。ボヤイも直させておく」
「わかりました。それでトゥリスでの落ち合い方なんですが――」
「大丈夫じゃ、こちらから会いにいく」
トゥリスは八年前までは都だった。そのため広く、人も多い。
トリカも一度だけトゥリスに行ったことがあるが、あの都で簡単に会えるとは思えない。
「どうやって、という顔じゃが問題ないんじゃよ。儂は行くことができんが、必ず刃吏の誰かをガウスに同伴させておく」
のう、と老人がゼノンに声をかける。
「ああ、たぶん俺が連れて行くぜ……こっちのあと二人はいろいろと問題があってな」
ゼノンはそう言って、ガウスを大鳥の背中に乗せる。
「それに一人は顔を知ってるし、もう一人も気配でわかるからな」
ゼノンがトリカを指さしたあと、遺跡を睨みつけた。
そして、彼も鳥の背に乗る。ガウスの後ろに座り支えている。
「それじゃあな、トリカ」
ゼノンが別れを口にすると大鳥が羽を広げた。
「トリカちゃん、今日はバーテルスの小屋で休むと良い。明日からまた三人でがんばんなさい」
ラヴの前に座る老人がそう言うと、ラヴもトリカに手を振る。
大鳥の体が浮かびあがる。
トリカも彼らに手を振り返す。
……三人?
疑問が遅れて出てきたが、大鳥は既に日の沈む方向とは逆の空へと消えていた。
トリカはひとまずバーテルスの小屋に移動した。
ベッドに腰掛ける。とりあえず、今日はここで眠ることにした。
明日にはルイゼットも目を覚ますだろう。
夜、何かに肩を揺さぶられトリカは目を覚ました。
暗くてよくわからないが、トリカの前には人影が浮かんでいた。
すぐに頭を回転させトリカは、人影から距離をとった。
「落ち着け、私だ」
人影から短く吐き出された声はトリカも知っているものだ。
しかし、その声の主は穴に落ちたはずだ。
「出るのに時間がかかった。生きているのはお前だけか、トリカ」
トリカは首を横に振る。
「これは……夢?」
トリカはここが現実なのか夢なのかわからなかった。
人影は後ろを近くの机に移動し、軽く石を打って火を付ける。
蝋燭の火が人影を照らす。
そこにはトリカが知っているとおりの彼女の姿があった。
「現実だ。それより、状況の説明を」
いつもどおりの淡々とした声で銀髪の彼女はトリカに声をかける。
それを見てトリカは一筋の涙を流した。
すこし時は遡る。
カテーナがトリカたちに別れを告げたあとのことだ。
彼は自分を支えていた岩から手を離した。
当然、彼の体はただただ底知れぬ闇へと落ちていく。
そこでカテーナは下に揺らめく赤い光を見つけた。
その光の中にカテーナは狼の姿を見た。
オッカムは死んでいなかった。
ラヴを地面に投げたあと、彼女は足場ごと穴へと落ちた。
その後、空中で松明を拾い、彼女の刃である剃刀を出した。
そして、崩れて落ちていった足場に減速をかけた。
質量と集中力の影響でかなり落下してしまったが、なんとか途中で止まることができた。
松明を口に噛み、減速でほぼ止まった足場から岸壁に飛び移った。
そこからは地道に岸壁を登り続けていた。
いくらか登ったころ、上から声が聞こえてきた。
どうやらかなり登ってこれたらしい。
反響してよく聞き取れないが、カテーナとトリカがなにか叫んでいる。
声がなくなると何かが空を切って落ちてくる音が聞こえた。
咥えた松明の光が落ちてきたものの姿を照らす。
一瞬ではあったが、オッカムは見た。
落ちてきたものは人――カテーナだった。
どこまでも落ちていこうとしている彼の顔は優しく、何か満足したように微笑んでいた。




