追いついた幕間「いい夢を」
老人とゼノン、そしてゼノンに背負われたラヴは門をくぐった。
入り口には誰もいなかった。
「奥に四人いるな」
ゼノンはそう言って歩を進める。
壁と床は薄白く光を放っている。
その床には赤黒い斑点が奥へと続いていた。
彼らが下り坂にさしかかったときだ。
ゼノンが足を止め、「おい、爺さん」と声をかけた。
声をかけられた老人もゼノンではなく緩やかに下っていく坂の奥を見つめている。
「なにかくるのう」
ゼノンの横に立っていた老人がぽつりとそう呟いた。
ラヴはよくわからず、ゼノンの頭の横から顔を出して坂の奥を覗いた。
道の奥には何もない。ぼんやり薄白く光る壁と床が続いている。
「きたぞ」
ゼノンがそう声を出す。
彼の体がこわばるのをラヴは感じた。
坂の下から黒い光が壁を這いずり上がるようにして三人のほうへと向かってくる。
黒の光は彼らの横の壁をあっという間に通過し、そのまま入り口へと達した。
壁には黒い光で模様と絵が残っていた。
「なんだぁ、こいつは?」
ゼノンの口から疑問がもれる。
「昔の文字と巨人の絵かのう」
老人が答える。
「巨人? 文字はなんて書いてあるんだ」
ゼノンが尋ねるものの、
「儂には読めんよ。遠い遠い昔の文字じゃ。ロニオスかテネス、あるいはガウスなら読めるかもしれんのう」
老人がこぼす。
そうしたところで奥から振動が伝わってきた。
その振動は壁や床を、三人の体さえも揺らす。
ラヴは先ほどの崩壊を思い出して、ゼノンに巻き付けた腕に自然と力が入る。
ゼノンは床と天井を注意深く見つめ、すぐ対応できるようにしている。
その一方で老人は目を瞑り、何かに耳を傾けている。
「おぉい、爺さん。急いだ方がよさそうだぜぇ」
老人が目を瞑ったまま首を傾げる。
「今の声はなんじゃろうな……」
先ほどの振動は何かの動きによって生じた揺れではない。
おそらく声――叫びによるものだ、ラヴはそう感じていた
ラヴは自分の勘違いかと思ったが、どうやら老人も同じように感じたらしい。
「どうして?」
そして、ラヴは漏らす。
どうかしたか、とゼノンが顔を振り向いて聞く。
「どうして泣いているの?」
老人は目を開けてラヴを見つめる。
「ラヴちゃんもそう聞こえたか」
そう話す老人は珍しくまじめな顔をしていた。
ゼノンは先ほどの振動よりも老人のその真剣な顔つきに驚いた。
「急いだほうがよさそうじゃ」
その言葉を合図にゼノンと老人は廊下を駆け下りていった。
走っている最中にも何度か先ほどと同じ声が響いていた。
通路を抜けると開けた場に出た。
ゼノンと老人の足が自然と止まる。
しばらく三人とも言葉を失っていた。
「すげぇな……こいつはよ」
ゼノンが絞り出すようにして声に出す。
彼らの目の前には見渡す限りの石像が並び、黙して彼らを見つめていた。
その静寂を女性の声が壊す。
三人が立っている位置からまっすぐ進んだところで、金髪を腰近くまで伸ばしている女性がその手に持った鏡に向かって叫んでいた。
どうやら名前を呼んでいるようだが、三人の位置からはよく聞こえない。
その女性の側には子供と鎖を垂らした男が倒れている。
そしてなにより、その近くにいた黒の巨人から黒い光が漏れていた。
「あの人たちがさっき話した仲間。あと一人はたぶん鏡の中」
ラヴの声を聞いて、ゼノンと老人は女性のほうへ走る。
その状況でゼノンの後ろを走る老人は静かに笑っていた。
どうやら、自分にとって都合がいいように事態が動いているようだ……と。
ゼノンたちが走っている途中で、金髪の女性は鏡に向かって叫ぶのをやめ、安心したように息を長く吐いた。
そして、金髪の女性は彼女に近づくゼノンたちに気づき、警戒して一歩下がった。
ゼノンがそんな彼女の様子を見て、
「すまねぇ、驚かせた。俺はゼノンってもんだ。それでこっちの爺さんが――」
「クラテスと呼ばれることもある。あまりその名で呼ばれるのは好きじゃないから『爺さん』って呼んでもらえると嬉しいのう」
そう言って、二人は自己紹介した。
ゼノンと名乗った青年に背負われていたラヴがトリカを二人に紹介する。
その親しげな様子を見てトリカも二人に対する警戒を弱めた。
ガウスが話していた手紙の人は彼らのようだ。
それよりも今はラヴが生きていたことの方がトリカにとっては重要だった。
「生きていたのね、ラヴ」
トリカの声にラヴが頷く。
「でも、オッカムさんが……。そっちはどうなの、ルゥルーは?」
トリカはオッカムがルーの見たとおり落ちたことを知り、顔を歪ませる。
「ガウス君は寝てるだけ。カテーナさんも倒れてるけどたぶん大丈夫」
カテーナは仰向けに寝ながら軽く手を振っている。
「それで――」
「そういえばな――」
トリカが「ルーは……」と続けようとしたところに、老人がいきなり口を出した。
ゼノンが老人を静かに横目で睨む。
「言い忘れておったが、儂らはダモクレスから、トリカちゃんたちが天井と呼んでおるところからきたんじゃよ」
老人はトリカの目をしかと見つめてそう言い放つ。
ゼノンとラヴ、カテーナは何をいきなり言い出すんだと、奇怪な目つきで老人を見る。
しかし、トリカの反応はその三人とは違うものだった。顔にも警戒が極力出ないようにする。手に持った鏡の鏡面を彼らが見えないようにそっと動かす。
トリカがゼノンに目を向ける。
「ほんとみたい。ゼノンは能力者で共鳴もできてた。おじいさんは知らないけど……」
トリカが目を向けたゼノンではなくラヴが答える。
「まあ、信じられねぇとは思うが嘘じゃあねぇぜ。でも、爺さんよぉ。今はそんなこと話してる場合じゃねぇだろ」
老人は笑ってごまかす。
「すまんかったのう、トリカちゃん。年寄りの口はいったん動き始めると止まらんのじゃ。それで、もう一人の少年はどうしておるのかの?」
トリカはこの老人と青年が本当にダモクレスから来たと判断した。
刃の共鳴、時計を模した章のついた外套、そしてルーやケフォロと同様のどこか変わった印象。
この三つが十分な判断材料になった。
ルイゼットを、ルーを彼らに会わせるわけにはいかない。
ルーはダモクレスで死刑に処されて地上に落とされたと聞いた。
彼らがルーを知っているかどうかはわからない。
もし知っていたならルーが危険だ。殺される可能性もある。
「彼は、ルイーゼはいま鏡の中で気を失っています」
トリカは表情を消すことに努めた。
自分の顔はルーほどではないがわかりやすいほうだと彼女は自覚している。
それでも今だけはルーの名前がばれるわけにはいかなかった。
もちろん彼の姿を見せるわけにもいかない。
「偽名だろ、それ」
しかし、トリカの本気の嘘もゼノンはあっさりと見破った。
彼女の声と顔をゼノンが見る限り、ルイーゼというのは偽名で間違いない。
「まあ、名前は別に嘘でもいいんだ」
名前なんてゼノンは気にしない。言いたくないならそれでかまわない。自分たちのような怪しい人間を警戒するのは当然だ。
ただ、一つだけはっきりさせておきたいことが彼にはあった。
「ルイーゼって奴はほんとに気を失ってるだけなんだな?」
ラヴと同じようにひどい怪我を隠しているなら見過ごすわけにはいかない。
手遅れになってからでは彼の前に立つトリカも鏡の中のルイーゼという人間も不幸になるだけだ。
ゼノンは嘘は許さないというようにトリカを睨む。
「偽名を使ったのは謝ります。でも、彼は本当に気を失っているだけです」
トリカは偽名を使ったことは認めた。それなら、あとは彼の誠実さに偽りなく答えるだけだ。
「そうか……それならいいんだ。悪かったな、怖がらせちまって」
ゼノンは目の前の少女から嘘を見いだすはできなかった。
「いいえ、ゼノンさん。彼を心配してくださって、ありがとうございます」
老人はただ微笑んで二人のやりとりを見ていた。
なんとかゼノンとルイゼットを会わせずにすんだ。
それに、このトリカという少女もなかなかにおもしろい。
老人は迷う。すこしだけ試してみるべきか否か。
落ち着いたところでトリカは門の内側に閉じ込められたあと、何が起きたのかを老人とゼノンに話した。
トリカの話が一段落したところで老人がガウスを見てこう切り出した。
「それなら早くボヤイを止めんとガウス君が死ぬぞ」
老人に慌てている様子はない。
いきなり何を言い出すんだとトリカもガウスを見る。
たしかにガウスの顔が青白くなっているように彼女は見えた。
「ボヤイから黒き光がでてるじゃろ。あれは共鳴の証じゃよ」
トリカがボヤイを見る。たしかにずっとボヤイからは黒の光が出ている。
「そんなに力を使い続けたら精神がもたんよ」
老人が眠そうな目で続ける。
「たいしたものじゃ。この齢でこれほどの力を使えるとは」
老人は感心したように口にする。
「んなこと言ってる場合じゃねぇだろ、爺さん。早く止めねぇと」
ゼノンが老人に慌ててつっかかる。
「儂には話すことしかできんよ。止めることができるとしたらボヤイ君だけじゃろ」
視線がボヤイに集まる。
ボヤイはその黒い瞳で老人からトリカまで眺めたあと、わからないと首を振る。
「胸に嵌めた黒箱をとればなんとかなるかもしれない」
トリカの言葉を受けて、ゼノンがボヤイの左胸に手をかけるもののびくともしない。
「だめだ。ひらく気がしねぇ」
ゼノンがボヤイから離れる。
「しょうがない、ガウス君が死んだら元も子もないからのう。儂のやい――」
「だめだ! 絶対に使うなよ、爺さん!」
ゼノンが老人を睨んで声を荒げた。
「しかし、他に方法がないからのう」
老人は蕩々と返答する。
「手遅れになってからじゃ、どうしようもないじゃろ?」
そりゃそうだが、とゼノンが顔を引きつらせる。
「なにをするつもりなの?」
ゼノンの背中からラヴが口を出す。
「儂にできることを――そう、話をするだけじゃよ。なぁに離れておけば大丈夫じゃ」
老人は無垢な顔でそう言った。
ラヴはそのあまりに邪気のない老人の顔を見て、無邪気な邪気とでもいうべきものを感じた。
ラヴだけでなく、横に立っていたトリカと上半身だけ起こして話を聞いていたカテーナも同じものを感じたらしくためらいが顔に浮かんでいる。
その顔を指さしてゼノンが口を開く。
「ほらみろ、爺さん。あんたが使おうかなって思っただけでこんだけの影響があるんだぞ。そんなもんが使えるか」
そうして話は再びふりだしに戻ってしまった。
「トリカちゃん,何か考えがないかの?」
老人が唐突にトリカへ問いを投げた。
トリカはしばし思考を巡らせた。
そして彼女は、ガウスを助けることは自分だけでは無理だという結論に達した。
それでは鏡で眠る彼なら、ルーならどうするかを考えてみる。
彼ならやはりまず最初に、
「話すのかな」
そう言って彼女はボヤイに近づく。
「ボヤイ」
彼女は優しく話しかけたつもりだが、なぜかボヤイは身を震わせて一歩引いた。
「このままじゃガウス君が死んじゃうわ」
ボヤイが小さく頷く。
「あなたはガウス君のために目を覚ましたのよね」
わからないというようにボヤイが首を傾げる。
「きっとそうよ。ボヤイは本当にがんばったわ。私とルイーゼだけじゃガウス君は助けられなかった。あなたがガウスを救ったのよ。ボヤイこそガウスの真の友人なの。誇っていいわ」
トリカは背伸びをしてボヤイの頬を手で撫でる。
「でも、いまあなたはその友達を死に追い込んでいる」
ボヤイが小さくうめく。
「今回のこともあなたがどうにかしなきゃって思いつめてる。なんでもかんでも背負いすぎなのよ。少し休みなさい。あとは私たちがなんとかするから」
ボヤイが俯いてトリカを見つめる。
「そうね。わたしだけじゃ頼りないかもしれない。でも、私だけじゃないわ。ラヴやゼノンさんやおじいさん。それにきっとカテーナさんも手を貸してくれるはずよ」
ボヤイが睨みつけるようにカテーナを見る。
カテーナもボヤイを睨み返す。
「こら、けんかしない」
トリカの叱りにボヤイが不満の声を出す。
「ボヤイがカテーナさんを許せないのはわかるわ。でもね、一度でもルイーゼに手を出したあなたを許してる私の気持ちも考えて――」
トリカがそう言ってボヤイを見上げて、優しい笑顔を見せる。
「ね? お願い」
しかし、顔とは裏腹に声はまったく優しくなかった。お願いというよりも命令だ。
ボヤイが再び身を引く。
「カテーナさんもお願いね」
トリカがカテーナのほうを向いて伝える。
ボヤイほどではないもののカテーナも少し引きつつ頷いた。
否、頷かざるをえなかった。
「姐さんみてぇだ……」
冷たい汗をかきながら震える声でゼノンが小さくぼやいた。
「ほらね。カテーナさんもガウス君を助けようとしてくれてる。ここにもうボヤイの敵はいない。みんなガウス君の味方。これだけそろえばきっとガウス君を助けられる」
ボヤイからもれる黒い光が乱れ始めた。
「私を、私たちを信じてボヤイ。すこし眠りなさいな。心配ないわ。次に目が覚めたら隣にガウス君がいて、あなたを見つめてる」
ボヤイの手と足を巡っていた光が収まってくる。
「ガウス君はあなたにこう言うわ。『おはようボヤイ』って」
ボヤイの目からも徐々に光が消えていく。
「ボヤイもガウス君に手を伸ばしておはようって合図するのよ」
ボヤイから出る黒い光はついに左胸だけになった。
「それで、また一緒に歩き回るの」
ボヤイの左胸からの光もほとんど収まり、胸のカバーが開く。
溝にきっちりと収まっていた黒箱が徐々に手前に出てくる。
トリカがそれを落とさないように両手で取る。
だから今はもう、
「おやすみなさい、ボヤイ――」
トリカがそう言うと最後の光が黒箱から消えた。




