やさしくするなんて
やってしまった……。
鶏野郎が空を飛ぶ。
空を飛ぶといってもせいぜい一秒程度だ。すぐに床に打ち付けられるだろう。
どんな落ち方をして、殴った顔がどうなっているかは確認しない。
そんなことよりもやらなくてはいけないことがある。
この部屋に赤服はあと二人いる。
やってしまったからには、そいつらを黙らせなければいけない。
まず鶏野郎のすぐ斜め後ろに立っていた奴からだ。
殴った勢いを保ち接近する。男は飛んでいる鶏野郎に目を取られている。
みぞおちを下から上に抉るように拳を打ち据える。男が前に屈んだところで頭を手で抑え顔面に膝を入れる。
これでしばらくは動けないだろう。
すぐさま振り返り茶髪っ子を持ち上げていた男の方へ向かう。彼はまだ茶髪っ子を掴んだまま唖然としていた。
茶髪っ子は虚ろな目でこちらを見ている。
彼は俺が近づくと茶髪っ子をこちらに向けて投げ出してきた。
彼女を避けることは簡単だ。少しだけ身をそらせばいい。
しかし、俺には彼女を避けることができなかった。
ここで避ければ彼女はまた床に倒れるだろう。俺はその姿を見たくなかった。
受け止めることができるのに、それをやらないのなら奴らと同じだろう。
勢いを殺しながら彼女を受け止める。
わずかな時間だったが、赤服が彼の腰にぶら下げていた剣を抜くには十分な時間だったようだ。
赤服が剣先をこちらに向けて、襲いかかってくる。茶髪っ子を俺と赤服がもつ剣の線上からどかしておく。
そして、赤服はそのまま体当たりのようにぶつかってきた。
彼の持つ剣が俺の体を突き抜いた――ように茶髪っ子からは見えたのだろう。
彼女の顔にも恐怖が表出している。
一方、間近に見える赤服の口元は緩んでいる。
こいつは手応えを感じなかったのだろうか。
彼が剣を引き抜こうとしたところで、その笑みは戸惑いに変化した。
剣が抜けなかったのだろう。
そもそも剣は俺に突き刺さってなどいない。腕と体の間を抜けていった。
今は刀身を脇で挟んで固定している。
彼が視線を俺の顔へと向ける。間抜けな顔だが良い位置だ。
頭を少し後ろにそらし、その鼻っ柱にむけて頭突きを食らわした。額から頭の中にかけて衝撃が走る。
よろめいた彼の足をひっかけて床に倒し、その惨めな顔をかかとで踏みつけた。
後ろを振り返る。
鶏野郎と赤服はぴくぴくと動いていた。どうやら生きてはいるらしい。
俺は鶏野郎を死んでも構わないと思って殴った。
本気で殴っても人ひとり殺せない自分の非力さにいらだちを感じ、同時に奴が生きているのを見てわずかに安心をしていた。
部屋の外にも注意を向ける。
かなり音を立ててしまったが、特にこちらへ向かってくる音は聞こえなかった。
先ほど鶏野郎が人払いをしていたからだろう。
茶髪っ子を抱えて近くの椅子に座らせる。彼女はまったく抵抗しなかった。
まず、口の布をほどき、赤服から拝借した剣を使い手を縛っていた縄を切る。
彼女は口をわずかに開き、幽鬼のようにふらりと立ち上がる。
「ゆ、ゆび……わぁ」
うわごとのように口にして指輪の置いてあった机の方へ歩み出そうとするものの、足を引きずり、ふらついて今にも倒れそ……倒れた。
とりあえず床に崩れる前に体を支え再び椅子に座らせた。
「ちょっと待ってろ」
俺は机の方へ歩いて行き、その上に置いてあった指輪を手に取る。
見た目も銀色に輝きいいものだと思っていたが、実際に触ってみて確かな質を感じた。
色、光沢、重み、形状どれをとっても素晴らしい。これは刃でなくても惚れ込める。
時代や場所は違っても職人によって作られた、あるいは鍛えられた物はそれ自身に生命力というべき力強さがある。
この指輪にはそれがあった。
ただ、俺にはそういった物の良さを感じることができても、目覚めることはできない。
それが少し悔しかった。
指輪を手に持って茶髪っ子の側に近寄る。
彼女はやはり虚ろだったものの、指輪を見せると少しばかりの活力を取り戻したように見えた。
指輪をじっと見つめ、その腕を頼りなくあげて手を指輪に伸ばす。その手首には先ほどまで縛られていたあとが浮かび上がっていた。
そんな彼女の手を右手でつかむ。
開かれた彼女の手のひらに左手でつまんでいた銀の指輪をそっとのせる。
そのまま左手で彼女の指を曲げていき閉じさせる。
「わたしの……ゆびわぁ」
「そう。その指輪は君の――君だけの刃だ。そして、君の命そのものだ。もう二度と他の人間に渡したりなんかしちゃだめだ」
指輪を握る彼女の手を両手で包む。
彼女はまだ虚ろなままであったが、その顔にはわずかな安堵が見えた。
少し経つとだいぶ茶髪っ子も生気を取り戻してきた。
「遅れたけど俺は刃の解放軍の人間だ。ここから逃げなきゃいけない。遺跡の近くに連れがいるんでね。ちなみに連れの一人は一週間前に軍を辞めた能力者だ」
トリカのことだ。
茶髪っ子の顔がこちらを向く。
「あなたも……ホルダーなのね」
茶髪っ子はようやく話をしてくれた。表情は変わらない。しかし、最初の質問がそれか。
「いや……俺はホルダーじゃないよ」
茶髪っ子は顔を驚かせたように見えた。ここで驚くのか。
「じゃあ、どうして」
言葉が足りないが、どうしてホルダーでもないのにホルダーの組織であるラーミナにいるのかということだろう。
なんだか逆尋問になってきたな。そういえばなんでラーミナに入ったんだっけ。
「成り行きかな。助けられて、友達も出来て、世界も見ていけるってことで」
茶髪っ子は首をかしげた。よくわかってもらえなかったようだ。
それもそうだろう。話している自分もよくわからない。
「どうして……私を助けたの」
どうやら意味を取り違えていたようだ。しかし、それは彼女も同様だ。
「それは……違う。俺は君を助けてなんかないんだ。君をやつらの理不尽から助けるというなら、さっき君が暴れたときに手を差し出すべきだった。俺は君の『助けて』という言葉と君を助けたときに生じる不利益を秤にかけて、見捨てるほうを選んだ。そして、ここでやつらを倒して君に刃を返したのは、今なら倒しても助けは呼ばれないし、君も何とかいいくるめられるんじゃないかと思ったからだ。だから、俺は君を助けてなんかない。むしろ、見捨てたことを恨まれて然るべきだと思ってる」
そう。
俺は自分の中で奴らの仕打ちに納得できないと思いつつも、状況の悪さを考えて彼女を見捨てた。
父と同じように、自分にとって都合の悪いことを切り捨てた。
知らずに拳をきつく握ってしまう。
「あなた、目は怖いけど正直者ね」
「そんなことは――」
というか、目の怖さと正直者に関係はないだろ。
それに目ならオッカムの方が怖いはず。
「暴力……ふるわない?」
いきなり話が変わった。よくわからない子だ。
「約束はできない。君がそこに転がってる奴らみたいに、他の誰かへ理不尽を行使しない限りはふるわない。でも、君はそんなことをしないと信じてる。君の刃、銀の指輪は見惚れるほどに美しかった。あの指輪に目覚めた君がそんなふうになって欲しくない」
「やっぱり正直者。ふるわないって言えばそれでいいのに」
話は変わってなかったようだ。
彼女はほんのわずかに笑った――気がした。感情が読みづらい。
オッカムは感情の振幅はそれなりにあるが、それが表情にほとんど出ないためわかりづらい。
一方、この茶髪っ子の場合は、感情が表情には出るものの、その振幅が小さいためわかりにくい。なんというか感情が希薄だ。
ちなみにトリカは感情の振幅が大きく、表情にもよく出てくるためわかりやすい。
「わたしも……」
「えっ」
「つれてって、もう痛いのはいや」
「鶏野郎を殴るって決めたときからそのつもりだったんだ。悪いとは思ってるよ。裏切り者として追われることになるんだからね」
「あなたを恨むわ。あなたが最後まで私を見捨ててくれれば、ここで死んで軍からも痛みからも解放された。何も失わず、誰にも思われることなく静かに消えることができたのに」
そう言って彼女は俺に手を伸ばしてきた。細い手だ。その右手の中指には銀の指輪がはめられている。
彼女の手を握り、体を引き起こすものの足が震えている。
そういえば先ほど暴れていたときも足を引きずっていた。足を痛めているのだろう。
「ほら、俺を恨んでいいから。それに消えるにしてもさ……他人から見たらつまらないものでもいいから何か自分で納得できるものを得て、大切な誰か――友達にでも思われながら、せめて派手に散っていこうよ」
そう言って屈み彼女に背中を向ける。
彼女も察して俺の背中に体重をかけてくれる。
彼女の細い足に腕を回して固定し立ち上がる。
痛くない、と尋ねてみたものの返答はない。大丈夫ということだろう。
さらに続けて、「そういえば、君の――」名前と能力を聞こうと思っていたが、
「恨むわ……こんなに――」
耳元で小さな声が聞こえたきたものの、途中からはよく聞き取れない。
小さな嗚咽が漏れ、首筋に生暖かい液体が落ちてきた。
……質問は、もう少しだけ待ってからすることにした。




