3,銀色の包み
翌朝、箱を開けると造花は消えていた。
代わりに、箱の底に小さなカードが一枚。
『造花 198個 検品合格 198ポイントを付与しました』
その下には「ご注文用紙」と書かれた紙が添えられていた。「商品名」「個数」と書かれた欄があり、最後に「ポイント残高 198」と印字されている。添えられた、細くて軽い筆記具で書き込めばいいらしい。
「……検品合格。合格、ですって」
カードを両手でそっと持ち上げた。
王妃教育で教師たちから褒められたことはほとんどない。できて当然、できなければ叱責。それが王太子の婚約者というものだった。
たった四文字のそっけない印字。それなのに、胸の奥がふわりと温かくなった。
「……さて。150ポイント、ですわね」
ミレイユはカタログを開いた。嗜好品の章の一番最初の頁。銀色の紙で包まれた茶色い板。
他にも同程度のポイントで交換できるものはいくつかあった。けれど昨日からずっとあの銀紙の絵が頭から離れないのだ。
銀紙に包まれているということは、きっと貴重なものなのだろう。
ミレイユは丁寧な字で「チョコレート 1」と書き込み、用紙を箱に戻した。それから、新しく補充されていた薄桃色の紙に手を伸ばした。
◆
そして、次の朝。
箱の底に、銀色の紙に包まれた茶色い板がちょこんと置かれていた。
「……本当に、届いたわ」
手に取ると思ったより軽い。銀紙の外側にはさらに赤い紙が巻かれていて、読めない文字が金色で印刷されている。
銀紙で包まれているうえに、金も使われているとは高級品に違いがない。シンプルで洗礼されているパッケージだけで期待に胸が躍った。
赤い紙をそっと外し、銀紙をめくる。
その瞬間、甘い香りがふわりと広がった。石の部屋の冷たくて埃っぽい空気の中に、そこだけ王都で人気の菓子屋へ行ったような香りだった。
板には細かい溝が刻まれていて、小さな四角に割れるようになっている。端の一つをぱきりと割る。
そして、口に入れた。
ミレイユの動きが止まった。
舌の上でゆっくりと溶けていく。甘くて、ほろ苦くて、なめらかで。溶けたあとにも、ふんわりとした香りがいつまでも口の中に残っている。
菓子職人が作るどんな砂糖菓子も、こんな味はしなかった。異国から取り寄せたという高価な蜂蜜菓子も、季節の果物の砂糖漬けも。
「…………」
ミレイユは無言でもう一かけら割った。
そして、もう一かけら。
さらにもう一かけら。
気づけば、板は半分になっていた。
「いけない。これは、いけないものだわ」
ミレイユは震える指先で残りを銀紙で包み直した。一日に食べるのは二かけらまで。そう自分に言い聞かせる。そうでもしなければあっという間になくなってしまう。
それから箱に向き直った。そこには新しい薄桃色の紙がたっぷりと補充されている。
「……やりましょう」
その日、塔の最上階からは、日暮れまでひたすら紙を折る音が聞こえていた。
――もっとも、その音を聞き取れるのは、ミレイユ本人だけだったのだが。
◆
それからの毎日は穏やかに過ぎていった。
朝、ゆっくりと目を覚ます。箱を開けてカードを確かめる。朝食の黒パンをいただき、チョコレートを一かけら。それから夕方まで造花を作る。
ミレイユは独房の壁に小さな印を刻んでいった。日付ではない。その日の作業量だ。
一日目は二百輪。二日目は二百六十輪。三日目には、花びらをまとめて折ってから一気に巻きつける方が速いと気づき、三百輪まで伸びた。
「……王妃教育より、ずっと楽しいわね」
うっかり口に出してしまって、ミレイユは自分でも少し驚いた。
でも、本当のことだった。王妃教育には終わりがなかった。どれだけ努力しても、もっと上があると言われた。けれど造花は眠くなれば終わりだ。そして翌朝には、きちんと評価が届く。
五日目の朝。いつものカードに交じって、少し大きなカードが入っていた。
『品質優良。いつも丁寧なお仕事をありがとうございます。
報奨として百ポイントを加算いたします。』
「…………」
ミレイユはそのカードを、しばらく黙って見つめた。それから、そっと窓枠へ立てかけた。
そのカードが励みになったのか、ミレイユの内職にはますます磨きがかかっていった。花びらを折る指先には迷いがなくなり、茎に帯を巻く角度は、もう目をつむっていてもそろえられる。一日に作れる数は四百輪を超え、「品質優良」のカードは、気づけば窓枠に三枚並んでいた。
内職は、順調そのものだった。
とはいえ、問題もあった。
寒いのだ。
日に日に冬が深まっていく。昼間は指先を動かしていれば気にならないが、夜になると石の床から冷気がしんしんと這い上がってくる。薄い毛布一枚では足先が冷えてなかなか眠れない。指先がかじかんだままでは造花の出来にも影響する。
ミレイユはカタログの「日用品」の章を開いた。
そこには、ふわふわとした毛布の絵があった。「マイクロファイバー毛布」という、よくわからない名前がついている。その隣にはもこもこと毛玉のような靴下。
合わせて一千百ポイント。チョコレートならおよそ七枚分だ。
「……七枚。」
ミレイユは、しばらく真剣に悩んだ。チョコレート七枚と暖かい夜。王妃教育で経済学を学んだときも、ここまで悩んだことはなかった気がする。
そして結局、毛布と靴下を書き込んだ。風邪を引いて内職ができなくなれば、チョコレートどころではないのだから。
翌朝。
箱の中には、淡い蒼色の毛布と、黄色と白の縞模様のもこもこの靴下がきちんと畳まれて入っていた。
靴下に足を通した瞬間、ミレイユは思わず声を漏らした。
「……まあ。」
やわらかい。暖かい。足先を小さな子猫に包まれているみたいだ。
毛布の方はさらにとんでもなかった。触れた瞬間に指がどこまでも沈んでいく。そのくせ、ふわりと軽い。侯爵家の寝台に掛けていた羽毛布団よりもずっと背中に馴染む。
その夜、ミレイユは投獄されてから初めて、朝まで一度も目を覚まさずに眠った。
◆
一方その頃、塔の衛兵たちの詰所では、ちょっとした話題が持ち上がっていた。
「なあ。ああの侯爵令嬢、ちょっとおかしくないか?」
「ああ……一日中、何もないところで指を動かしてるよな」
「それだけじゃない。昨日から、やたらふわふわした青い毛布にくるまってるんだ。あんなもの、誰が差し入れたんだ?」
衛兵たちは顔を見合わせた。
誰も差し入れてなどいない。誰も面会になど来ていない。
「……報告、した方がいいよな?」
「……何て? 『収容者が暖かそうです』ってか?」
しばらくの沈黙のあと、衛兵たちはそっとこの話をなかったことにした。
侯爵家の令嬢が、牢屋で凍え死にするよりはずっといいのだから。
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