11, リーゼ、ようやく
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リーゼは、この二か月あまり何度も白百合の塔に通っていた。
名目は着替えを届けること。十日に一度、侯爵家から預かった衣類の包みを抱えて螺旋階段を上る。
けれど、最初の面会のあとから事情が変わった。
「面会の際は、必ず監視をつけるように」
王太子殿下の命令だという。塔の令嬢が空中で何かを折っている、という噂がどこからか王太子の耳に入ったらしい。罪人が侍女と示し合わせて何かを企んでいるのではないか、と。
それ以来、リーゼの隣にはいつも王太子宮から遣わされた痩せた文官が立つようになった。手には帳面と筆。リーゼとミレイユが交わす言葉を一言残らず書き留めていく。
「お嬢様、お着替えをお持ちしました」
「ありがとう、リーゼ」
「……お変わりはございませんか」
「ええ、変わりないわ」
それだけだった。証拠集めの話などできるはずもない。文官の筆がさらさらと動く音だけが、石の階段に響いた。
そして、来るたびに鉄格子の向こうは「お変わり」していた。
二度目の面会では、寝台の上に白く分厚い床が増えていた。三度目には壁の高いところに白い箱が取り付けられ、牢の中から暖かい風が吹いてきた。四度目には、灰色だった床が桜色になり窓に花柄の窓掛けが掛かっていた。
(お変わりだらけではありませんか……!)
叫びたいのをリーゼは毎回ぐっと飲み込んだ。文官の方は、牢の中をちらりと見てはなぜか毎回、帳面に何も書かなかった。
見たものをどう書けばいいのか分からなかったのもある。だが、それだけではなかった。
文官は王太子宮の帳簿係も兼ねていた。毎月、聖女さまの請求書の束を受け取り、それを王太子宮の予算と照らし合わせるのが彼の仕事だ。束は月を追うごとに分厚くなっている。
そして文官は知っていた。聖女さまが一度この塔を訪れたことを。その翌月、請求書の束が先月の倍の厚さになったことを。暖炉の増築。東の国の羽毛布団。桜色の絨毯。花柄の窓掛け。王都中の仕立て屋への特急料金。その一枚一枚に彼は自分の手で印を押したのだ。
そして今も、牢の中には来るたびに何かが増えている。
もしも帳面に「塔の令嬢の部屋に、また新しい品が増えていました」などと書いて、それが聖女さまの目に入ったら。
(……来月の請求書が、また分厚くなる)
文官は筆を握ったままそっと目を閉じた。
そして毎回、帳面にはこう書くのだった。
『特記事項なし』
◆
そして、今日。
「……今日は、監視の方はいらっしゃらないのですか?」
塔の入り口でリーゼは顔なじみになった衛兵に尋ねた。
「ああ。あの文官どのは王太子殿下に呼び戻されたそうだ。なんでも、書類の山に埋もれて人手がまるで足りないとか」
「……まあ」
「というわけで、今日の付き添いは俺だ。……ま、俺は最上階の手前の踊り場あたりで待ってるさ。あそこ、暖かいんでな」
衛兵はなぜか少し照れくさそうに頭をかいた。
リーゼは着替えの包みを抱え直し、螺旋階段を駆け上がった。百段を超える階段も今日ばかりは少しも苦にならない。上に行くほど暖かくなる空気の中を、リーゼは息を切らして最上階にたどり着いた。
「お嬢様っ!」
「まあ、リーゼ。今日は一人なのね」
桜色の敷物の上でミレイユは封筒に紙を入れていた。小花柄の窓掛け越しの光がやわらかく部屋を照らしている。
リーゼは鉄格子をがしっと握った。
「お嬢様。今日こそ全部お聞きしますからね」
「ええ、どうぞ」
「あの白い床は何ですか」
「マットレスよ。雲の上で寝ているみたいなの」
「壁の白い箱は」
「エアコン。暖かい風が出るの」
「その隣の、霧を吹いている丸い箱は」
「加湿器。雲を作る箱よ」
「床のふわふわは」
「ラグ。うさぎの刺繍が可愛いでしょう?」
リーゼは、一つ聞くたびに少しずつ遠い目になっていった。
「……お嬢様。私、毎晩お嬢様が凍えていらっしゃるのではと心配で眠れなかったのですが」
「まあ、ごめんなさい。毎晩ぐっすり眠っていたわ」
「存じております! 見ればわかります!」
ひとしきり叫んで落ち着くと、リーゼは声をひそめた。
「……証拠集めのことですが。あの茶会の侍女やはり王都にはおりませんでした。ですが、暇を出される前の晩、王太子殿下の側近の方と会っていたのを見た者がおります」
「まあ」
「それから、王宮に出入りしている薬師が茶会の少し前に妙な薬の注文を受けたとか。誰の注文かまでは、まだ……」
リーゼの目は真剣だった。この二か月、監視の目をくぐってどれだけ王都を駆け回ったのだろう。外套の裾はすり切れ、指先は荒れていた。
ミレイユは、少しだけ黙った。
それからそっと言った。
「……ありがとう、リーゼ。わたくしがここでのんびりしている間も、ずっと…」
「当たり前です。私はお嬢様の侍女ですから」
リーゼは胸を張った。それから、ふと何かを思い出したように、頬を赤らめた。
「……それと、その。奥様からお聞きしたのですが」
「お母様から?」
「……格子に、お顔を入れれば、と」
ミレイユは目を瞬かせた。
それから銀紙の包みを取り出した。母のためにいつも取ってあるチョコレートの一枚だ。
「……リーゼ。耳を先に折りたたむのがコツよ」
「存じております。奥様がそれはもう丁寧に教えてくださいましたから」
リーゼはあたりを見回した。誰もいない。階段の下からの衛兵は上がってくる気配すらない。
侍女は大きく深呼吸をすると両手で自分の耳をきゅっと折りたたみ、意を決して格子の隙間に顔を押し込んだ。
頬が、むにっと挟まる。唇がどうにか内側に届く。
「……おじょうはま、ろうぞ」
ミレイユは、一かけらのチョコレートをそっとリーゼの口に入れた。
リーゼは目を閉じた。
二か月前。この鉄格子の前で指先をすり抜けていったチョコレート。お嬢様が「リーゼにも食べてほしかった」と言ってくれたあの一かけら。
舌の上で、ゆっくりと溶けていく。甘くて、ほろ苦くて、どこまでもなめらかで。
「…………」
「リーゼ?」
格子に挟まれたリーゼの目尻から、ぽろりと涙がこぼれた。
「……おいしいれす」
「ええ」
「……ずっと、たべたかったんれす」
「ええ。知っているわ」
ミレイユは、格子越しにリーゼの涙をそっと指で拭った。
それから、もう一かけら、口に入れてあげた。
顔を抜いたリーゼの両頬には、くっきりと縦二本の格子の跡がついていた。
「……奥様とお揃いですね」
「ふふっ。そうね」
二人は顔を見合わせて笑った。
面会の終わりを告げる衛兵の声が階段の下から響く。リーゼは名残惜しそうに鉄格子から手を離し、それから、くるりと振り返った。
「お嬢様。次はあの紙の筒のお料理もいただきますからね」
「カップ麺? あれは中に入らないと……」
「それでもです!」
階段を駆け下りていくリーゼの足音は、上ってきたときよりもずっとずっと軽かった。
その夜、ミレイユはいつもより遅くまで封筒を作った。
次の面会までに、カップ麺を格子の隙間から食べてもらう方法を考えておかなければならないのだから。
エアコンをつけっぱなしにしていたら、電気代はいくらになるのでしょうね。
扉のない塔でつけっぱなしと考えると、恐ろしいですね。




