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第46話 第五部 2・『武部家の不思議な人たち』


「裕也君、それ論文にまとめなさい! 十分発表する価値あるよ」

姉の美由紀の言葉をからかいだと思っていた武部裕也はふくれた顔をしていた。


武部裕也が徳島で全国大会を見続けて感じ取ったものを書き付けたこの文章は、陸上にかかわってこなかった者の一人としての卓見だと姉は考えた。哲学的なものではなくとも、人々の感情や思考のありかをよく捕まえていると思ったのだ。弟の裕也はこの文章を全国大会に随伴したカメラマンのレポートの一部として学校に提出する予定なのだと言う。



『陸上競技の光と影~インターハイで見た「あの瞬間」の正体~』


==誰もが経験した100m走の記憶==

幼稚園の運動会で、私たちは初めて「走る」という行為に触れました。小学校の運動会では、100m走がメインイベント。あの緊張感、ピストルの音、そしてゴールテープを切った瞬間の達成感。誰もが経験した、懐かしい記憶でしょう。


しかし、大人になるにつれて、陸上競技から遠ざかる人が多いのではないでしょうか? 野球やサッカーという人気の球技の人気に押され、陸上競技は「地味」「きつい」といったイメージを持たれがちです。


==なぜ陸上競技は人気が出ないのか?==

その理由は、陸上競技が持つ「特殊性」にあるかもしれません。


<個人の能力が結果に直結する?>

陸上競技は、個人の身体能力が記録に大きく影響します。そのため、早い段階で自分の限界を感じてしまい、諦めてしまう人が多いようです。

<地道な努力が必要!>

記録を伸ばすためには、地道な努力が必要です。球技のように、チームで喜びを分かち合うことが少ないため、モチベーションを維持しにくいと感じる人もいるでしょう。

<ゲーム性がない>

球技や対戦型の競技のように、相手との駆け引きや戦略を楽しむ要素が少ないため、面白みに欠けると感じる人もいるかもしれません。


==それでも陸上競技には魅力がある==

しかし、陸上競技には、他のスポーツにはない魅力があります。


<自分との戦い>

陸上競技は、常に自分自身との戦いです。過去の自分を超え、記録を更新する喜びは、何ものにも代えがたい達成感を与えてくれます。

<研ぎ澄まされる感覚>

走る、跳ぶ、投げる。陸上競技は、人間の基本的な動作を極限まで追求するスポーツです。体を動かす喜び、研ぎ澄まされる感覚は、言葉では表現できない魅力があります。

<美しいフォーム>

陸上競技選手のフォームは、上達するにしたがって無駄がなく、洗練されていきます。走る、跳ぶ、投げる、それぞれの瞬間にはまるで芸術作品を見ているような美しさがあります。


==インターハイで見た「あの瞬間」==

先日、インターハイの陸上競技に同行する機会がありました。そこで私は、陸上競技の持つ特別な魅力に触れました。


<選手の熱意>

予選であれ、決勝であれ、参加するどの選手も、自分の限界に挑戦していました。その表情は、苦しみだけでなく、喜びや興奮に満ち溢れていました。

<観客の熱狂>

全国大会のスタンドは、選手たちを応援する声援で溢れていました。その一体感は、他のスポーツでは味わえないものを感じました。

<感動のドラマ>

男女とも、レースが終わるたびにドラマが生まれました。自己ベストを更新した選手の力強い握りこぶし、惜しくも目標に届かなかった選手のうなだれた視線の先。それぞれの持つ様々なドラマに、見ている私たちは心を揺さぶられました。


==陸上競技の魅力を伝えるために==

陸上競技は、決して「単純」なスポーツではありません。そこには、奥深さ、美しさ、そして感動があります。


私は、このレポートを通して、少しでも多くの人に陸上競技の魅力を伝えたいと思っています。そして、いつか陸上競技が、日本でもっと人気のあるスポーツになることを願っています。


<最後に……>

100m走のスタートラインに立った時の、あの心臓が飛び出るような緊張感。あなたは覚えていますか?


「うん、なんかいいんじゃない……」

美由起は読み取りが速い。速読だけでなく、内容を理解把握する力に優れていた。


「……哲学的な文章だとね、抽象性と理論性が大事にされるから、具体的な事例よりも普遍的な原理や概念に焦点を当てることが多いから敢えてわかりにくくしちゃうんだよね。それでいて論理的構造を組み立てることに価値を見出してるから、明確な論理的構造を持っていて、議論の展開が論理的に一貫していることが求められるわけ。もっと一般的じゃなくて敬遠されがちなのは、問いかけと探求や思索が中心となるから既存の知識を再評価したり、新たな視点を提示することが必要になる学問なんだよね。だから客観的な視点から物事を考察することが重視される、なんてことやってるから人々には伝わりにくくなるわけなのよ。けど、そんなことより人間の個人的な主観の方がもっと大事だし、みんなには伝わるはず……」


息継ぎをしているのが疑われるくらいに言葉が次々に出てくる。子供のころから変わらない姉の喋り方に武部裕也は辟易していた。


「……そしてねー、裕也君のカメラマンとしての才能が際立ってたよー。カメラも陸上もあんまり知らない私なりに見つけたのはね、裕也君のこんなところだよー……。うーん、項目に分けるとね、3つだね」

武部美由起が弟を見て感じたことは次のようなことだった。


1つめ 被写体の理解

 それぞれの種目や選手の独特な動きや感情を理解しているよね。だから、重要 

 な瞬間を迎えるタイミングや角度を予測して最適な瞬間を捉えてるもの。

2つめ 感性と創造性

 カメラマン独自の視点と創造力を持ってるわ。普通の人が見逃しちゃう美しい瞬間

 とか感動的なシーンを予測できてるよね。だから、写真に強いインパクトがあるも

 の。

3つめ 瞬間を逃さない反射神経

 すごく速くて一瞬で終わっちゃう被写体を撮影できてるものね。それはもう、反射

 神経と瞬間的な判断力がもー、極めつけだよねー。決定的瞬間を逃してないもの。

……それからねー……


しばらくぶりで聞く長い長い姉美由起のお褒めの言葉は、いつものように右耳から左耳へと素通りしていった。それよりも、今思い返してみると、カメラのファインダーを覗いていた5日間はそれまでの北海道の選手たちを追いかけていたのとは違った感覚があった。地区予選と全国大会の違いであるのはわかっていたが、どうもそれだけではない何かを感じていたのだ。


それは、スポーツのチャンピオンになる選手は、何か違ったものを持っているということなんじゃないか、ということだ。


トレーニング方法やそれぞれの競技に対する指導方法なども研究されてきている時代なのだから、強くなればなるほどトップの選手たちは、基本的には同じようなトレーニングを行っているはずだ。それでも一番になる選手には何か特別な要素があるように感じたのだ。素質とか能力と言ってしまえば終わってしまいそうな話だが、それだけではない何か……。


それは、まず第一にメンタルの強さかもしれない。彼ら一番になる選手は試合や練習でのプレッシャーに対して非常に強いメンタルを持っている。言わば彼らは、失敗を恐れず、逆境を乗り越えてしまう力を持っている。


そして、欠かせないのは集中力だろう。長時間にわたる集中力を維持できることも、一番になる選手の特徴だ。ずーっと続く長い時間の中でも、一番重要なここという場面で集中力を発揮する選手はやっぱり最高のパフォーマンスを見せている。


それから、一番違いを見せていたのは、自己認識と調整力かもしれない。自分の強みや弱点をしっかりと理解し、必要な修正やアジャストを迅速に行う能力を持っている選手が強い選手だ。練習や今までの試合経験からのフィードバックを受け入れて、改善を続けられる選手が成功者になる。


いや、もちろん人一倍の情熱がなきゃだめだ。一番になる選手は自分の競技に対する無限の情熱を持っている。これこそが、他の選手よりも一歩先に進む原動力となるし勝つという強い気持ちを作り出すはずだ。


そのうえでモチベーションが大きな役目を果たすだろう。彼らは試合へ向かう気持ちが他の選手とは大きく異なるはずだ。試合前のリラックス方法だとか、自分独自のモチベーションの高め方など、自分に合った最適な方法を見つけられる選手が強くなる。


もちろん勝負は時の運で、その時々で変わっていく要素もあるのはわかっている。けれども、これらの要素をどれだけ高めて結び付けられるか……いやそうではなく、一番になる選手はそれが自分の中に備え付けられていると思うのだ。だから、同じような力でもほんのちょっとの差となって勝負が決まる。


野田賢治はその、勝つ要素を持ち合わせていた。特にこの大会ではそれが際立っていた。去年までのアイツとは全く違っていたのはそこだ。自分から「チャンピオンになる」と宣言して臨んだ。つい最近まで、そんなことを言える奴ではなかったはずなのに……。

きっと……アイツの中で何か大きく変わったものがあったに違いない。


「……そう思わない? 当たってるでしょう!」

「うん? なにが?」

「またー、結局あんたは私の話なんかなんにも聞いてないんだからー」

「まあ、うん、ちょっとね、昨日までのこと思い出してた」

「ねーねー、裕也君ねー、聖徳太子なんか十人の話を聞き分けたっていうでしょう。ちょっとくらい考え事してても、ちゃんと相手の話聞くだけのキャパ残しておかなきゃ! 北海道知事になんかなれないぞー!」


「うん、わかったけどさ、その聖徳太子の十人の話なんかさー、ちょっと違うんじゃねえかとおれは思うよ」

「有名じゃないの、この話。まあ、聖徳太子自体が実在するかどうか論争になってたこともあったけどね、最近はちゃんと存在認められるようになってきてるからねー。十人の話の件は逸話だとしてもさー、当時の役職として有能だったってことなんだし……」

「いや、それはさ、俺はちょっと違うんじゃねえかと思うわけ。十人の話を聞き分けたってよりね、聖徳太子のもとにはさ十人のブレーンがいたってことじゃないかなあって思うわけよ。推古天皇の摂政役としてはそういう存在いて当たり前だろう」

「うん、まあ……そうかもね、地歴に関しては裕也君にかなわないから、それも一つの現実的な解釈だと言えるねー」


「うん、だからさー、遣隋使にしても、冠位十二階にしても、たくさんのアドバイザーがいて、しっかり協議して進めたんだと思うんだよね。で、聖徳太子は一応天皇の子供だから、ほかの貴族たちに対しての顔としてトップに存在してたんでないかなー、って思うわけ」

「ほー、裕也君さー、カメラマンよりそっちの道に進んだ方が良いよ。京大にもその手の研究室あるし、古文書の研究もできるよ」

「冗談でしょ、そんな研究してたって現実はなんにも変わらないもの。それよっかやっぱ知事とか大臣とか世の中変えられる存在の方が魅力あるって」


「へー、やっぱ北海道知事なのかいー」

「いやそれがさー。オレ最近考えてしまうんだけどねー、おれって本当は知事になってトップに立つより、裏方の方があってるんじゃないかって思うのさ」

「裏方ってどういうことよ。まさか……秘書ってこと?」

「まあ、秘書でも何でもいいんだけど、俺自身が聖徳太子の十人のアドバイザーになってね、トップに立てた顔役の知事に策を授けて動かした方があってるんじゃないかってさ……」

「そういうのってさ、黒幕っていうのかな? それとも、フィクサー?」

「そんな胡散臭い悪役じゃなくてさ、本当に役に立つ政策とか対処の仕方とかを立案する役だよ! 結局は聖徳太子だって推古天皇の摂政なんだから、本当はトップじゃなかったわけだし」


「でも、でもね、そうすると裕也君は誰かに仕えるってことじゃない。いいのそんなんで?」

「いや、仕えるんじゃなくて協働するってこと! 考えるのはオレ、動いたり喋ったりするのは顔役のだれか。例えば知事役の仲間。ということさ」

「えー、それで良いの? トップじゃないのに? ……で、誰を知事にしたいの? そんな素敵な人いる?」

「そこなんだよねー、考えてたのはさ。今すぐ決めなきゃならないもんじゃないけどさ、今一番その候補に挙がってるのはね……ノダケン……」


「本当にそんなこと考えてるんだとしたらね、その人物のカリスマ性が一番問題になると思うよ。トップに立てるとしたらさ、よくしゃべる軽やかで優しい人なんかじゃなくてさ、なんかこう、黙ってても存在感のある人だよねー。そうだよ。そういう人じゃなきゃダメだと思うよー。いるだけで威圧感あるというかね、吉田茂にしたって田中角栄にしたって……」

「吉田茂とか田中角栄って、今の時代に必要かもしれないよなー。コンピューター付きのブルドーザーだっけ?」


「ノダケン君って、南ヶ丘でモテる? そう、モテるの! で、裕也君は? ……」


家族四人がそろって過ごす最後の日、久しぶりの姉弟の会話を聞いていた武部夫婦、いや、元夫婦は自分たちの二人の子供が共に他とは違った感覚を大切に生きていることに安心感を覚えていた……?


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