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第47話 ウサギは決してカメに負けたりしない!

哲学科に在籍する武部美由起はマジカルミーさんと呼ばれていたこともある。そしてそに話は多岐にわたっていつも面白い。今回はイソップ童話から四神の話にワープしてしまった。

「裕也君ねえ……」

いつものように美由起が突拍子もないたとえ話を始めてしまった。

「……ウサギとカメって物語あるでしょ。アンデルセンだったかイソップだったかな。あの寓話の中のウサギはね、なんでのろまな筈のカメなんかに負けたと思う?」


一年に一度くらいしか会うことのなくなった姉美由起は、小さな子供のころからこんな突拍子もない話を突然始めてしまう奴だった。


「ウサギとカメの競争でウサギが負けるのはなぜ?」

そんな小さな子供に対するような単純な問いかけが、美由起にとってはとても哲学的な意味を持っているらしい。


「あのなー、暇してるわけじゃないからさー、今必要なことだけ言ってくれよー!」

三歳の年の差はこの二人には関係のないことだった。大学二年生の姉美由起は弟のことを裕也君と呼び、高校二年生の弟は姉のことを美由起と呼び捨てにする。それが武部家の姉弟には、幼稚園や小学生の頃から続くあたりまえの会話だった。


「ウサギとカメは、イソップ童話! ウサギが負ける理由は、単に速さだけでは勝負が決まらないことを示す道徳的で寓話的な教訓だろ!」

「そうだ、イソップだったよね。それでさ、もう少し丁寧にウサギの敗因を分析していくとね……」


やばい、始まってしまった。この展開になると話は長くなってしまう。そしてややこしいこじつけのオンパレードが始まる。美由起にとっての哲学的っていう大命題が、こんな単純でわかりやすい話を、無理にめんどくさくてわかりにくい観念的な話にしてしまうのだ。


「……まずねウサギの敗因として挙げられる一つ目は、 油断と過信と言うことね。だってね、走ったり跳んだりすることを考えると、ウサギはカメより圧倒的に速い。だから、どうせ勝てると油断して、途中で休んでしまう。一方、カメは自分が他よりずっと遅いことを十分知っているからコツコツと歩みを止めず、最終的にゴールにたどり着く。そういう 継続の力が大事だと伝えたいっていうこともあるよね。これが二つ目。カメはごくごくゆっくりなんだけど、最初から最後まで同じペースで進み続ける。それを強調することで『努力を続けることが成功につながる』という教訓につながるからね」


美由起は自分の組み立てた考えを喋っているときは本当に幸せそうな顔をする。

「 三つめは、目標への集中力の違いということね。ウサギは勝てるかどうかを簡単に判断して、途中で気を抜いてしまう。一方、カメはゴールすることだけに集中しているので、確実に進み続けることができる。だから、この話は、才能や能力があっても、それを活かし続けなければ意味がない。努力を続けることが大切。というメッセージを私たちに伝えようとしているのね」


「そんなの、小学生とかに言ってくれる。何をいまさらそんなこと言ってるわけ。暇なのはわかるけどさ、俺ちょっとやることあんだよね……」


「あのね裕也君。ここからが大事なところなの。よく聞いて。いい! あのね、カメはなぜ同じペースで歩き続けられるかについて、考えたことある?」

「そんなこと考えるのは暇な大学生だけ!」


「もう、ちゃんと最後まで聞いて。あのね、カメが最後まで歩き続けられるのはね、自分で隠れる場所を背負っているからとは考えたことない。ねえ、そう思わない? でね、その反面、ウサギの場合は常に敵から逃れる場所を模索しながら生きてるの。いつでも周囲に目を配り、安全な場所と自分の身を晒してもいいタイミングだけを見て駆け抜けるから、動くのも休み休みになるんだと思わない?」


相変わらず不思議な発想だった。


「カメが一定のペースで歩き続けられるのは、敵に遭遇しても自分の『避難場所』を常に背負っている——つまり、隠れる場所がいつでもあるから安心して進み続けられるから、という解釈をしてみたことなーい。カメにとって安全は常に確保されていて、余計な心配をする必要がないので、目の前の道をただ着実に進めばいい」


亀の甲羅っていうのは逃げ場所って言うことなのか……まあ、そうだわな。


「一方でウサギは、カメなんか相手にならないくらい素早く動ける。でも、常に周囲を警戒し、最適な避難ルートを探しながら走る必要があるでしょう。野生のウサギは天敵に狙われやすく、広い場所を走るときは一瞬で駆け抜けなければならないし、茂みに身を隠すことも必要になるよね。つまり、ウサギの動きには『安全確保のための戦略』が含まれているの。だからそのため、単純に一直線に走り続けることが難しいのかもしれないでしょう」


哲学科なんかに通うと考えがこういうことになるのか、美由起の独特の発想なのか……。


「そういう視点で考えるとね、カメの勝因はいつでも隠れる場所があるから、ということになるし、ウサギの敗因はいつでも隠れる場所を探さなければならなくて、自分の力を発揮しきれなかったからということにならない?」


「じゃあ、隠れる必要のなくなったウサギは絶対カメには負けないっていうことにもなるけど?」


「そう、そうなのよ。逃げ場を背負っているカメ型の人間が、何かのきっかけで逃げずに済む状況になったとき、一気にウサギ型へと変化するとしたら——それはまるで、長年安全を確保することを最優先にしていた人が、突然自由に走り回ることを許されたような状態になるということなんだと思う」


「えーと、それって……、たとえば自己防衛のために慎重だった人が、環境の変化によって思い切った挑戦ができるようになる、……という形で現れるってことを意味してるのか?」


「そうだね、周囲の評価を気にして慎重に行動していた人が、何かの出来事をきっかけに『自分のままでいい』と思えて突き抜ける。長い間、安全の確保を最優先に生きてきたけど、『逃げ場を気にしなくてもよくなった瞬間』に、ものすごい勢いで変化する可能性がある。もともとのウサギ型の人よりも「我慢」や「計画」に慣れているのでいざ動き出したときには ……」


それって、野田賢治のことかもしれない。武部裕也はそう思い始めていた。


「ただね、カメがウサギに、いや……ウサギがカメにかな……変わっちゃうので、急すぎる変化で、一時的にどう動けばいいかわからない、という戸惑いもあるでしょうね。でも、それを乗り越えた瞬間に 『今まで抑えていた分、むしろすごい勢いで前進できる』 という可能性も大いにあるんじゃないのかな」


「美由起、あのさっ、それって、もしかして野田賢治のこと言ってる?」

「もう、やっと気づいたかー。遅いよ裕也君。あのね、昨日聞いたノダケン君の話からねちょっと推測してみたんだけど、なんかそんなことあるんじゃないかなーって」


「……そうか。ずっと甲羅の中で準備をしていたカメが、甲羅を脱ぎ捨てたら、実は筋肉が鍛えられていて、一気に駆け出せるウサギに変わっていた、という感じかい。人の生き方に当てはめてしまえばさ、『慎重派の人は決して成長が遅いわけではなくて、むしろ安全を確保するフェーズが終われば、一気に爆発的な成長を遂げることもある』ということにもなる」


なんだかどっちがウサギで、どっちがカメなのか分からなくなってしまったけど、どっちにしても逃げる必要がなくなったウサギってことだな‥‥


「逃げ場を確保しなくてもよくなったってことは、逃げる必要がなくなったってことだから、隠すものがなくなったということもできるか……」


武部裕也は、徳島の全国大会で野田賢治が見事に自分の力を発揮しつくしていた姿を思い出していた。

「今までは守りだったけど、もう守る必要がなくなったと気づいた瞬間、積極的に攻めの姿勢に変わる」

金メダルを取ると宣言したときの野田賢治の顔が思い出された。

「今まで逃げ場を確保するために慎重だったけど、もう逃げなくていい、と思えたとき、本当の自分の力を発揮できる……うーん、そうか……」


「四神に玄武っているでしょう?」

美由起がまた別な例えを始めてしまった。

「シジン?」

「昔ゲームでもあったでしょ。ほら、青龍と朱雀と白虎と玄武」

「ああ、そっちの四神ね。で、それが?」


「あの中で一番強いのは玄武でしょ!」

「そうなのか?」

「えー、だって、『武』は戦い。武士の武じゃない!」

「そうなの? 青龍とか、白虎とかそっちの方が強そうじゃん!」

「確かにね、龍と虎だからね。でもね、玄武って亀と蛇が合体したモノだからね。亀は長寿の象徴だし、蛇は多産の象徴のはずだからね。『玄』って字は黒を意味してるから『黒いガメラ+オロチ』だからね」


「ガメラって?」

「もー、日本の若者のくせにガメラも知らないんじゃ困るなー。怪獣映画見なさいよ!」

「なんでお前、そんなのを知ってるの? 女の子って怪獣映画なんて興味ないはずだろ!」

「そういうのがね、セクハラ!」

「えー、もーなんでもセクハラとか、パワハラとか、わけわかんねー」


「そんなのどうでもいいからさ、玄武は強いの! だって北を司る神様なんだからね。知ってるでしょ、東の青竜、南の朱雀、西の白虎に北の玄武……」

「そんなのあった?」

「あのね京都に来なさい。町の四方は四神に囲まれてるからね」

「四神と関係してる? 京都が?」


「四神相応之地って聞いたことあるでしょう? ……無いの? えー、大森先生もうそんなこと言わなくなったの?」

美由起の目がついにとんがってしまった。こうなるともう話は永遠に続いてしまうことになる。


「いい、玄武はね方位は北。地形上のシンボルは大岩。色彩としては、玄(黒)。季節は、冬。玄冬というでしょう……」

「厳冬だと、厳しいの字じゃねえのか?」

「それは同音異義語。四季を表すときは玄冬。あのね、順番に言うよ。青竜は春で青春。朱雀は夏で朱夏。白虎は秋で白秋。そして玄武は冬で玄冬。それぞれ聞いたことがある言葉ばっかりでしょう!」


「北原白秋とか?青春とか?それから出て来たのか?」

「そう言こと! それでね、玄武に戻るよ。玄武の特徴はね、脚の長い亀で、甲羅に蛇が巻き付いた姿で京都の北にある船岡山があてはめられているんだよ」

「あっ、それは聞いたことある。風水の話だ。北に山、南に湖や海、東に河川、西に大道ってことだろ!」

「そうそう、それ!」


「世界遺産検定にあったよな気がする。埋め立てられた巨椋池が南にあったから朱雀通りが南北に走って……」

「そう、行きつくところは玄武のいる船岡山。まあ、京都の人たちは『すざく』じゃなくって『しゅじゃく』って言ってるみたいだけどね。南から北への大通りが朱雀から玄武に向かう」


「朱雀ってのは、鳳凰みたいな鳥だものそっちの方がカッコよくね!」

「うん、朱雀っていうのはなんか主人公的な名前だけどね。でも、本当の実力者は玄武じゃないかなー。蛇が体に巻き付いた足の長い亀なんだよ。ちょっと不気味だけどやたら強そうに感じない? ノダケン君ってそんな感じに見えるんだけど」


確かにそうかもしれない。美由起は知識だけじゃなく、人物判断も天才的なものを持っているから今までもずいぶんとそんな評価を聞かされた。そして、まず外れることはなかった。


野田賢治が玄武か? 解き放たれた「亀」? なんか無性にカッコよく思えてきた。

よし! じゃあ俺は朱雀になって、真正面から玄武に対抗するかな……。

武部裕也と野田賢治の関係が新しく展開しそうな雰囲気がしてきた。

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