第45話 第五部 1・『あこがれと課題』
第五部の始まりです。
徳島鳴門インターハイから帰った南ヶ丘高校陸上部の五人。彼らは初めての全国大会から得た大切な「お土産」と四国徳島で仕入れた仲間や家族への「お土産」をたくさん抱えていた。
玄関を開けると、丹野の婆さんは胸の前で小さく拍手して迎えてくれた。
夕食後には、武部が丹野の婆さんのスマホに送っておいた競技の写真を居間の大画面テレビに映して二人で見ることになった。八種競技最後の集合写真にちゃっかりと映り込んでいる中川健太郎の姿を見つけて彼女は声をあげて笑った。丹野の婆さんにスマホの使い方と撮りためた写真をテレビで見る方法を教えたのも武部だった。
お土産に持ってきた「鳴門金時パイ」と鳴門海峡大橋から見た渦潮の写真集は仏壇に供えられ、線香の匂いが漂い続ける中独り言のように長い時間をかけて亡くなったご主人に語りかけていた。
「鳴門の渦潮はねーぇ、もう何年前になるかしらねー……見たのわよね、一緒に。あの時は大塚美術館はまだなかったものねーぇ……」
燃え尽きた線香を気にすることもなく、亡くなったご主人への独り言はまだまだ続きそうだった。
翌日は、岩内町の実家に着くなり佳織が脚にしがみついて来たので、しばらくの間佳織を脚で持ち上げながら歩くことになった。
「明石タコせんべい」と徳島インターハイ特製の名前入りTシャツを達哉に渡すと、達哉はすぐにTシャツに着替えて胸のインターハイのマークを見せて部屋中を歩き回った。佳織には大会マスコットのぬいぐるみとキャラクタータオルを買ってきたが、あまり気に入らないようだった。そこでインターハイ特製キャップをかぶせて、長く伸ばし始めた髪の毛をポニーテールにしてキャップの後ろから垂らして鏡に映してやると、自分の姿をいろんな角度から鏡に映してにこやかな顔になった。
八種競技で獲得した金メダルは義母を通じて父親に渡した。それはしばらく佳織と達哉のおもちゃとして扱われていたが、父の家の茶の間に賞状と一緒に飾られることになった。
「よくやったな」という父の珍しい誉め言葉に返す言葉が見つからず、母親の涙を不思議な顔で見つめる佳織を抱き上げて、飾られた賞状の名前を指さしながら聞いた。
「名前書けるようになった?」
「うん、カオリね、もう漢字で書けるよ。ママと練習した」
「おばあちゃんにピアノも教えてもらってるものね」
義母の涙はまだ頬を伝っている。
子供相手のピアノ教室を再開した祖母には「阿波踊りのDVD」と鳴門の渦潮写真集を渡すと、丹野の婆さんと同じように仏壇に供え線香の煙の中で祖父に報告をし始めた。仏壇の上の鴨居には柔らかな笑顔の祖父が写真の中に納まっていた。
その日のうちに安徳院の住職に徳島名物の「金露梅」を届けに行くと、いつものように住職の長い長い話に付き合わせられた。
次の日には佳織と達哉を連れて旧フェリー埠頭東側の海水浴場で半日を過ごした。中学の知り合いが何人も声をかけてくるのでその応対に長い時間がかかってしまった。ここで泳ぐことなど小学校以来のことだった。その頃は大きな蛤を採って競った場所だ。砂浜にレジャーシートを敷いて義母が目を細めて眺めている。珍しくカメラマン役をする父が何度も何度もシャッターを切り、スマホの画面を見て夫婦で笑いあっている。野田賢治は今まで「父と母」のそんな姿を見たことはなかった。
夏休みが終わりに近づき、いつものように清嶺高校での合同練習が行われた日のことだ。
「上野先生、あの人たちってどうしてあんなにスタイルいいんですか?」
川合智子の言う「あの人たち」というのは、徳島インターハイで出会った女子選手たちのことだった。
「なーに言ってんの、あなたたちだって十分スタイルいいじゃない。私たちからしたら、もうめっちゃ羨ましいくらいだって!」
「でも、きっと私より5kgぐらい軽いと思いますよ。ハイジャンで優勝した高橋さんなんか私とおんなじ身長なのにモデルみたいな体形だったんですよ!」
「まー、そうね。うん、今までもねその質問はいっぱい聞いて来たんだ。そして、いつもこうやって答えてるよ。『真似しちゃダメ!』ってね」
「真似って? 何をまねしたらあんなモデル体型になるんですか?」
山野紗季が本気の顔で聞いた。
「あのねー、あなたたちなんか十分軽いんだからね……間違ったらダメなんだよ」
「間違いなんですか?」
期待外れの声は川合智子だ。
実際のところ高校の女子選手の場合、ダイエットが成績に結びつく場合が多い。適切な体重管理が成長に結びついて卒業、進学後も記録を伸ばして活躍する人も多くいる。だが、そうではなくなる選手も同じように多いのだ。女子選手にとって体重の増加は大きな問題ですぐに記録に結びついてしまう。
「うちの学校の生徒たちに配ってる資料があるからあなたたちにもあげるよ。うちはほら、陸上だけでなくバスケもバレーも体操もけっこう本気でやってる子たちが多いからね、あなたたちとおんなじこと聞きに来るんだよ。だからその時にはねこの資料で話してあげるの」
◇◇◇
「無理なダイエットは選手生命を縮めます」
女子運動選手にとって体重が特に大きく影響を与える競技はいくつかあります。
1. 体操 体重が軽いことで、空中での動きやバランスが取りやすくなります。
2.陸上競技(特に短距離走や跳躍種目)体重が軽いことで、スピードやジャンプ力
が向上します。
3.バレーボール……
これらの競技では、体重がパフォーマンスに直接影響を与えるため、選手たちは厳しい体重管理を行っています。もちろん、健康を第一に考えたバランスの取れた方法での体重管理が重要です。高校生の女子運動選手が競技力向上のために無理して体重を抑えることには、いくつかの弊害が考えられます。以下に代表的なものを挙げます。
1. 健康問題:無理なダイエットは栄養不足を引き起こし、成長期の体に悪影響を与え
る可能性があります。骨密度の低下や免疫力の低下、月経不順などが挙
げられます。
2. 精神的ストレス:体重管理に対する過度なプレッシャーは、精神的なストレスや
摂食障害を引き起こすことがあります。これにより、競技へのモチベー
ションが低下することもあります。
3. パフォーマンスの低下:栄養不足や過度なストレスは、競技パフォーマンスの低
下を招くことがあります。短期的には体重が減少しても、長期的には体
力や持久力が低下する可能性があります。
4. 社会生活への影響:体重管理に過度に集中することで、友人や家族との関係が疎
遠になることがあります。また、学校生活や学業にも悪影響を及ぼすこ
とがあります。
これらの弊害を避けるためには、健康的な方法で体重を管理し、バランスの取れた食事や適切なトレーニングを行うことが重要です。無理なダイエットではなく、専門家の指導のもとで健康を第一に考えたアプローチが求められます。
女子運動選手にとって体重は非常に重要な要素です。体重が競技成績に直接影響を与えることが多いため、適切な体重管理が求められます。特に高校生の女子選手の場合、ダイエットが成績に結びつくこともあるため、進学や就職後に体重管理が難しくなることがあります。
例えば、食事制限や体調管理が厳しく行われていた高校時代から、大学生や社会人になると自分で管理する必要が出てきます。この変化に対応できず、体重が増加してしまうと成績に悪影響を及ぼすことがあります。
一方で、適切な体重管理を続けることで、卒業後も記録を伸ばして活躍する選手も多くいます。重要なのは、無理なダイエットではなく、健康的な方法で体重を維持することです。
体重管理は競技成績だけでなく、選手の健康にも大きな影響を与えるため、バランスの取れた食事や適切なトレーニングが欠かせません。
具体的な食事のとり方としては、例として……
◇◇◇
「ちゃんとバランス良く食べる。それを間違わないこと。ダイエットなんか考えないこと。大事なのはそこ!」
「今までと変わりませんけど」
「だからそのままでいいのよ。あなたたちの家の人たちはちゃんとわかって食事に手を抜かなかったってことよ。これが大事なことなんだよー。なかなかそうはいかないことが多いの。うーんそしてねー、残念ながら、甘いもので失敗するんだよねー! ほんとにねー。これがつらいんだよねー!」
周りにいた清嶺高校の生徒たちが大きく頷きながら大笑いしていた。上野先生が甘いものを我慢できないことを毎日のように生徒たちに話していたのだ。
「だからね、食事制限しようと思わないで、練習の強度で筋肉量を増やすことが大事なんだよ。ウエイトトレーニングはまだしない方が良いけどね、質の良いトレーニングに心がけることなんだよ」
「ウエイトはだめですか?ほかの人たちけっこうやってるみたいですけど」
「まだ、あなたたちは骨が伸びてる人が多いからね。もう少し待った方が良いと思うよ。あなたたちがあこがれてるあの人たちはね、中学の時からウエイトやってるんだよ。ダイエットもね。それで今、自分の力がピークになってる人が多いんだよね」
「そう言ってました。あのー、ハイジャンの選手たちに練習方法聞いたら、結構ウエイト使ってるって、あ、それからハードルジャンプとラダーを組み合わせてやってる人が多かったです」
「うん、そうだね。私たちもね顧問の先生同士で交流会があるんだけど、同じこと言ってたね。沼田先生もねいくつか資料持って来て研究し始めたから、ちょっと期待してもいいかもしれないよ」
「やっぱり同じ学年の人が良い記録出してると意識しちゃいますね。前は、なんとしてもガムシャラにと思ってたんですけど、なんかやっぱり有効なトレーニング方法って気になりますね。全然太刀打ちできない種目もありましたから」
「いえいえ、山野さんなんかかえって相手の方が気にしていたと思うよ。あなたのスピードは素晴らしいからね」
「でもほかの種目は、とくにハードルなんか全然かないませんでした」
「そうねー、あの人たちハードル凄いものね。でも山野さんハードル何回走った?まだまだ初心者って思った方が良いよ。もっともっと行けるから」
「そうだといいんですけど……」
「あら、珍しく弱気な言葉だねー。あなたらしくないよ」
「そうだよ、紗季なんかしっかり戦えてたじゃない。最後の800mもあの暑さじゃなかったらもっといい記録出てたはずだし、投擲なんか上位にいたでしょう!」
「そうそう、そうやってね自分のいい部分とね、苦手な部分をしっかり自覚できればいいんだよ。そしたら対処の仕方もわかりやすいでしょ。川合さんは素直に真っ直ぐ跳びあがれるけど、スピードに欠ける部分が他の人と違うところだから、その部分をこれからの練習に生かせばいいんだし、山野さんもそうだよ」
「まだ二年生だという利点があるってことですね。全国大会で見えてきた課題を解決する練習方法を見つければいいんですね!」
「うーん、さすがにあなたたちは理解が速いわー。それを言葉にできるのはあなたたちが優秀だってこと。すごいよ。二人ともね。だからほら目標達成シートのようにね書き出してみればいいんじゃない。学校でそういうのやったでしょ」
「私は中学の時にやりましたよ。武部君なんか北海道知事になるためのシートを作成してみんなにバカにされてました」
「ほー、さすが武部美由起さんの弟だね。まああんまり急いでもしょうがないからね、秋のシーズンになる前にねちょっと見直してみることだよ。あなたたちなら自分で出来そうだもの。でも、さーうちの生徒たちはどうかなー? 二年生で全国大会に出場した人たちー……」
清嶺高校の二年生たちはそういう流れになるのを察していて、もうすでに遠くの方でジョギングを始めていた。
「ノダケンはしばらく全力はだめだよ!」
上野先生の言葉は断定的で命令のようだった。
「まずね、ストレッチの仕方をいくつか教えるから、あなたの堅い体をね改善しよう!」
「えーっと、中学の時から体が硬いって言われて頑張ってたんですけど……、なかなか改善しないまんまなんですけど」
「大丈夫!やり方があるのよ。まあ、女の子とは違うから彼女たちのようにはならないけどね。それでもね、関節の可動範囲を広げるだけでいいんだよ。そうしたら怪我のリスクも減るからね」
確かに女子選手の体の柔らかさには付いていけない。それはでも、体のつくりが違うからしょうがないのだし、その分筋肉量でカバーすればいいか……と考えていたのは間違いなのがよく分かった。野球をやっていたので肩関節の柔軟性は良いんだけどもそれ以外は……確かに人一倍硬い。右足を前にしたハードルストレッチもいつも悲鳴を上げていた。これは股関節が関係しているらしいことを最近知ったばかりだ。
「あのね、あなたの場合はね、足首と股関節のストレッチが大切だと思うからね。ほらこういうやり方を覚えなさい」
上野先生が持ってきた冊子にはストレッチの具体的な動きがたくさん説明されていた。
「まあ、時間がかかることなんで二週間その冊子を預けるから、正しい動き方を覚えてきなさい。いい。これはとても大切なこと!あなたのこれからにもかかわってくるかもよ!」
上野先生はこういう言い方をめったにしない。聞き方によっては危機感を感じさせる口調でそう言ったのだ。
「そしてね、今年はもう個人種目は出場しない方が良いよ。もう走れるって言ってたみたいだけど、まだまだ、完全に元に戻るのはもっと先だからね。ジャンプはだめ。それから膝に大きな負担がかかるから槍と砲丸は今年はもう終了。新人戦もあるけどリレーで頑張りなさい。それも、ちゃんとストレッチとか終わった後のクールダウンとかを今まで以上に丁寧にすること」
ますます厳しい口調になっていた。
もう今シーズンは終了せよってことじゃないか。
「でもまあそんなに悲観することじゃないよ。あなたは今全国で一番にいるんだからね、来年厚別で二連覇しなきゃつまんないでしょ!そのためにね、ちょっとの我慢!そして少しの工夫! 全国大会が終わったばかりなんだから焦ってもしょうがないからね。今のうちに頭の整理をして、これからどんな風に何を目指していくのかを整理してしまいましょう。それも大事なことだからね」
やさしい言い方に戻った。上野先生の話はいつもと同じように沼田先生と相談した結果なので100パーセント従うしかない。そうやって信じてここまで来たのだから、これからもそうする。
「ちょっとね、『ノダケンのこれから』ってことでね、二人で相談してまとめたものがあるから、この内容もしっかり目を通しておいて。内容でわからないことは沼田先生に聞くこと。いいね!」
そう言ってクリアーファイルに挟んだカラー刷りの二枚のプリントを手渡された。
◇◇◇
全国大会で優勝した高校2年生がこれから取り組むべきことは、更なる成長と進路の選択を意識したトレーニングや準備です。以下のポイントを意識すると、今後の競技人生をより充実したものにできます。
全国優勝は大きな成果ですが、それは「次のステップの始まり」です。自己分析・進路選択・メンタル強化・コンディショニング・次の大会への準備を意識して行動することで、さらに高みを目指せます。
1. さらなるレベルアップを目指す
自己分析と課題の明確化
全国大会の映像を振り返る → 良かった点と課題を確認する。
コーチや専門家と相談 → 技術・戦術・フィジカルの課題を洗い出す。
データ分析 → タイム・記録・試技数など、具体的な数値を基に改善点を探る。
基礎の再確認と強化
勝ったことで安心せず、基礎練習の質を上げる。
フォームの見直し(ムダな動きをなくし、効率的な動作へ)。
持久力・瞬発力の向上(次のシーズンに向けたフィジカルトレーニング)。
2. 進路選択と目標設定
大学進学を考える場合
スポーツ推薦を目指す → 各大学の指導者や競技環境をリサーチ。
学業の成績管理→ 指定校推薦などの条件を満たすため、学校の成績も意識。
大学の練習会や合宿に参加 → 進学後の環境に慣れるために、積極的に参加する。
プロや実業団を考える場合
実業団のスカウト情報を集める。
実力をアピールできる大会に積極的に出場。
メディアやSNSを活用し、知名度を高める工夫をする。
3. メンタルとコンディションの管理
メンタル面の強化
優勝のプレッシャーをプラスに変える
周囲の期待が高まるが、プレッシャーをうまく利用する。
メンタルトレーニング(ルーティンやポジティブ思考)を取り入れる。
次の目標を明確にする
「高校3年生で連覇する」「U20日本代表を目指す」など、新たな目標設定をする。
コンディショニング
怪我のリスク管理
体のケアを徹底し、オーバーワークを避ける。
柔軟・ストレッチ・補強トレーニングを習慣化する。
食事・睡眠の管理
体づくりのための栄養バランスを意識する。
睡眠をしっかりとることで、疲労回復とパフォーマンス向上を図る。
4. 次の大きな大会への準備
来年の全国大会で連覇を目指す
優勝経験者としての自覚を持ち、さらに高いレベルで挑戦する。
国際大会やU20日本選手権などに挑戦する
世界を意識した戦い方を学ぶために、より大きな舞台に挑戦する。
新しい技術や戦術を取り入れる
現在のスタイルに新しい要素を加えることで、さらなる進化を目指す。
◇◇◇
野田賢治はこのプリントを自分の部屋の壁に貼り付けて、一週間毎日声に出して読み上げた。そして、自分の文字で短冊に書き写し天井に貼り付けた。
掃除の度にその書き写しを見ることになった丹野さんは、丁寧な毛筆で書かれたそれぞれの短冊をお経を唱えるようにして読み上げるのを楽しみの一つに加えてしまった。
今後少し公開の間隔が伸びることになります。




