暗殺 その一
十 暗殺
深夜、密かに一縄の屋敷に家人達が集められた。夏の夜だと言うのに板戸を閉め切り、油灯の弱い光の中に男達の顔が浮かび上がっている。どの顔も緊張した面持ちなのは、評議の趣旨が予想できているからだ。皆が居並ぶ広間に、満を持して一縄正虎が姿を現す。男達を睥睨して、勿体を付ける様にゆっくりと歩を進める。一身に男達の視線を集め、広間の一段高い位置に置かれた円座にどっかりと胡坐をかく。
「さて、いよいよ鷹ノ巣山物見砦攻めを始める。」座るなり、正虎は声を張る。「砦が完成しておらず、山猿の眼の役を果たせていない今なら、兵を興し易い。以前話した通り、物見砦攻めは忠隆の軍に任せる。宇木正を除くそれ以外の者は、鷹ノ巣山の郷巻側に回り込み、加勢に登って来る郷巻の軍を防ぎ止める。宇木正の軍は、鷹ノ巣山に火の手が上がるのを合図に、澤の郷へと押し出し、曲輪を攻め取る。…いいか!」
力強く一気に話す正虎の気迫に圧されて、誰も口を開かない。それを確かめてから、正虎は言葉を継ぐ。
「日時は、明日の夜…」
「親方。」
正虎の話の途中で笠階宇木正が口を挟む。正虎は話すのをやめ、横目で冷めた視線を宇木正に飛ばす。
「澤の郷に向けての兵を興すとなると、一日では足りません。もう一日、猶予を下さい。」
正虎は黙って宇木正を見ている。良いとも悪いとも態度を示さない。
「宇木正よ」横から土薙忠隆が口を挟む。「そこをなんとかすんのが、家人の俺達の仕事だぜ。」
忠隆は、如何にも困った風な顔をして見せる。
「澤の郷曲輪には深い堀がめぐらされています。」忠隆の挑発には乗らず、宇木正は正虎に向けて話す。「これを越える仕掛けを準備する時間を下さい。」
それでも、正虎は黙っている。
「充分な兵が繰り出せれば、必ずや無傷で曲輪を取って見せましょう。そのための時間を是非とも頂きたく。」
宇木正の額に、汗が玉の様に浮かぶ。目を逸らさず、冷たい正虎の視線に耐える。周囲の家人達は固唾を飲んで、事の成り行きを見守っている。
「宇木正」正虎の言葉が冷たく流れる。さっきまでの熱量が嘘の様だ。「ならば、必ず落とせ。言い訳は聞かんぞ。」
「は。」宇木正は軽く頭を下げる。「では、直ぐに支度にかかります。」
「決戦は明後日の夜。」正虎は声を張る。「皆、準備を怠るな!」
家人達は、一斉に動き出した。
笠階宇木正は屋敷に戻ると、夜遅くにもかかわらず、直ぐに郎党達を集めた。
「出陣の準備をしろ、急げ。明日の日中に支度を終えるのだ。一族にも知らせを走らせろ。良いか!」
郎党達は、各々の役目に沿って動き出す。俄かに笠階の屋敷の中は、慌ただしくなる。
「アカゲラを呼んで来い!」
間も無く、谷子呂は宇木正の元に現れる。二人は、余人を交えずに対座する。
「良いか、お前にやってもらう時が来た。」
宇木正は真剣な顔で谷子呂を見据える。谷子呂は少しも表情を変えずに、宇木正の次の言葉を待っている。
「明日の夜、兵を興す。お前は、一縄の屋敷に忍び込み、隙をついて一縄正虎とその息子を仕留めろ。」
己の棟梁を殺せと言う命令を聞いても、谷子呂は動じない。
「息子と言うのは?」
「五歳になる東林丸と言う子だ。常に乳母が傍に居るから、その女ごと始末してしまえ。」
「承知。」
「俺は夜半から土薙忠隆を攻める。それが済んだら一縄に向かう。もし、正虎が存命中に忠隆が攻められたと知れば、警戒が厳しくなる。その前に片を付けろ。」
谷子呂は黙って頷くと、そのまま姿を消した。
宇木正はその後、慌ただしい屋敷の中を巡って作麻呂を見つけ出すと、自室に連れて行く。
「もう一度、遣いを頼む。」
それ言われれば、郷巻への密使だと作麻呂には分かる。作麻呂の顔に緊張が走る。
「明日の夜発て。今日の内に竹林の館に移り、姿を隠しておけ。」
「はい。…何を届けましょう。」
「手紙は無い。今から言う事をお前の頭の中にしまって行け。誰かに捕らえられそうになったら、自由が利かなくなる前に自死を選べ。」
作麻呂の頬がピクリと動く。
「笠階宇木正、一縄正虎を誅す。手出し無用。」
鬼気迫る宇木正の顔を見て、作麻呂の全身から汗が噴き出てくる。
「承知しました。」
作麻呂はそのまま、戦支度で騒がしい屋敷を静かに抜け出し、一人竹林の館に向かった。
宇木正はこの機会を待っていた。勢力が落ちたとはいえ、土薙忠隆の軍勢を殲滅するには、それなりの規模の兵力が必要だ。その上、返す刀で一縄正虎の軍勢も制圧しようとすれば、猶更だ。事が成った後、中小の家人を黙らせるためにも、力を誇示して睨みを利かせなければならない。正虎から郷巻攻撃の号令が発せられれば、規模の大きな戦支度をしても、誰も怪しまない。だが、流石に今日の明日では忠隆達の不意を突く機会がない。砦攻めとの間に一日あれば、その夜に決行できる。
一日はあっと言う間に過ぎ、決行の夜が来た。谷子呂はひとり、戦支度で騒がしい郎党達から離れて支度をする。黒の筒袖、黒の袴、手甲、脚絆…。右手で唯一自由になる親指と左手で支度をするのは時間がかかる。腕の曲線に合う様に曲げられた鉄の板を右腕の前腕に括りつけ、最後に蕨手刀が納まった革の鞘を背中に縛りつける。左手で一度刀を抜いてみて、思い通りに扱えるか確認すれば完了だ。
屋敷の庭では、一族郎党が集まり始めている。これから宇木正が皆の前でどこを攻めるか告げるのだろう。その前に谷子呂は、他者に気取られない様に屋敷を後にする。
目指すは一縄正虎の屋敷。切れ切れに浮かぶ雲の隙間から半月が覗いている。遠い山の上には厚い雲が垂れ込め、時折思い出した様に稲光が輝く。
里まで雨が降りて来なければ良いが。
谷子呂は、林の端の暗い陰を伝って走る。
「谷子呂。」
男の声、誰だ。
「谷子呂、谷子呂待ってくれ。」
谷子呂は足を止める。彼を追って来た男も、黒ずくめの装束だ。渦巻く黒い髪、大きな目、澤の郷曲輪の合戦以来の再会だ。
「谷子呂、まずはお前に謝らなければならない。」言うなり、山保呂は地面に両手をつく。「済まない、お前を傷付けるつもりは無かった。」
「そんな事を言いに来たのか。」
「お前を止めたかっただけなんだ。あそこで郷巻興嶽を殺めていれば、いや、傷付けただけで、お前は旗本達に八つ裂きにされていた。」
「お前に心配される謂れはない。」
「お前なんて言わないでくれ。兄の山保呂だ。」
「知らん!俺の家族はみな村で焼かれて死んだ。」
「そうだ、俺達の親兄弟は、あの焼き討ちで死んだ。それをやったのが一縄じゃないか!」
谷子呂が黙る。驚きは無い。ただ怒りに満ちた目で、山保呂を睨んでいる。山保呂はゆっくり立ち上がる。
「お前は騙されているんだ。一縄の良い様に使われているだけだ。」
「それはお前も同じだ。」
「俺は違う。一縄が仇だと分かっていたから、郷巻に協力しているだけだ。敵の敵は味方だ。」
「もう良い、うせろ。」
「お前はこれから何をしに行くつもりだ。」
「お前に関係ない。」
「関係ある。俺達兄弟の仇の手先になって、郷巻興嶽を殺しに行くのか。そんな事はやめて、俺と一緒に来い。教えてやる、本当の敵が一縄な事を、村を襲ったのが笠階だって事を。」
初めて、谷子呂の体から殺気が漂う。身を屈め、山保呂に向かって身構える。
「邪魔をするならば、力づくで圧し通る。」
山保呂も身構える。
「やめろ。もう、お前と闘いたくない。」
谷子呂は蕨手刀を抜くと、大地を蹴って一直線に山保呂に突っ込む。山保呂も小刀を抜いて応戦する。谷子呂が繰り出した蕨手刀の刃を辛くもかわす。
「右腕はどうした、使えないのか。」
問いには答えず、谷子呂は振り向きざまに膝の高さから蕨手刀を振り上げる。小刀で切っ先を受け流し、山保呂は真後ろに跳び退く。
「お前を傷付けた兄が憎いか。それは俺の過ちだ。殺されても仕方ないが、今死ぬ訳にはいかない。」
「兄なんていない!」
谷子呂はがむしゃらに山保呂に向かって走る。
「幼い時だから忘れたか。もう、この世にお前と俺の二人だけだ。」
蕨手刀の一閃を小刀で受け流し、谷子呂の返す刃を避けて、山保呂が後ずさる。谷子呂の刃は虚しく空を切る。
「俺に兄は居ない!」
「谷子呂、思い出せ。あの日、タラの芽を一緒に採りに行ったじゃないか。だから、俺達は助かった。」
谷子呂は山保呂に正対して構え直すと、懲りずに真っ直ぐ山保呂に突っ込む。
「だったら」谷子呂は山保呂の胸に向かって、蕨手刀を持った左腕を思い切り突き出す。「どうして俺を助けに来てくれなかったんだ!」
身をひねって避ける山保呂の着物の衿を刃が掠める。
「こうして、来たじゃないか。」
体が交差した瞬間、谷子呂の左腕を掴んで脇に抱え込み、山保呂は体を寄せる。
「どうして助けてくれなかった!燃える村を見たのなら、なんで俺の所に戻って来てくれなかった!どうして逃げろと教えてくれなかった!」
「済まない…。」
山保呂が目を閉じる。その隙に、谷子呂は右腕の肘を繰り出し、前腕に巻き付けた鉄板で山保呂の顔を打つ。怯んだ山保呂を振り払い、二人は再び距離を取る。
「あの時、俺も必死だったんだ。俺は、郷巻興嶽と出会って、全てを知った。まさか…まさか、お前が生きているとは思っていなくて…」
「うるさい!」
谷子呂は蕨手刀を構え直し、三度山保呂に突進する。
「谷子呂、落ち着け。もう、良いんだ。もうすぐ、こんな事は終わりにできるんだ。」
山保呂は近くの木の陰に身を隠す。二人は、木の幹を間に挟んで対峙する。幹の左から蕨手刀を繰り出せば、山保呂は反対に逃げる。右に回り込もうとすれば、これも反対に逃げる。二人は、幹の回りで鬼ごっこをしている様だ。
「笠階は一縄から離反し、代わりに成り上がるつもりだ。その後、笠階を仕留めれば、仇が取れる。お前に協力して欲しい。笠階を根絶やしにするんだ。」
急に谷子呂の動きが止まる。
「何だって?」
「笠階宇木正を仕留めるんだ。自分の棟梁を裏切ってまで生き残ろうとする卑怯な奴だ。」
「だったら、宇木正だけを殺せば良い。」
「それじゃあ駄目だ。家族を残せば、彼等が笠階の家を継ぐ。今度は俺達が仇として狙われる立場になる。」
谷子呂の動きが止まった事に気を許し、幹の陰から、山保呂は姿を現す。
「だから、皆殺しか…。」
「ああ、止むを得ない。」
俄かに谷子呂の瞳に狂気が宿る。
「殺す!」
谷子呂が、真っ直ぐに蕨手刀を山保呂の鼻先に突き出す。反射的に小刀で受ける。谷子呂は我武者羅に左腕を振り回し、蕨手刀を山保呂に浴びせる。冷静さを欠いた技をいくら繰り出しても、山保呂にあしらわれるだけだ。
「強くなったな、谷子呂。」
山保呂には余裕さえ感じられる。
「馬鹿にするな!」
周囲を憚らない谷子呂の叫び声に、騒ぎを聞きつけた笠階の武者が集まって来る。
「おい、何の騒ぎだ。」
月明りの下で闘う二人の姿は常人にも見える。二人の目が月明りを反射して煌めいている。
「おい、ユニ族同士だぞ。」「どっちがアカゲラだ?」「そう言えば、以前にユニ族の間者が忍び込んだって言う騒ぎがあったな。」「どっちだ?どっちが敵だ。」「アカゲラは右手が使えない。左手に刀を持っている方がアカゲラだ。」
薄暗い月明りの下で組み合う二人は、同じ様な背格好で区別がつかない。互いにもつれ合い、どっちの人影が左手に刀を持っているのかも定かでない。
「どうする?」「敵の間者が残っては厄介だぞ。」「構わん、これと思う方に射掛けろ!」
武者達は、矢筒から矢を取り、番える。二人の男の動きに合わせて引き絞ると、一気に放つ。
「危ない!」
山保呂は、飛び来る矢に気付いて、谷子呂に取り付く。谷子呂の蕨手刀が山保呂の脇腹を掠める。二人の動きはそこで止まった。
「…済まないな、こんな事しかしてやれなくて。」
山保呂の腕から力が抜け、一気に体重が谷子呂に圧し掛かる。状況が分からずにいる谷子呂をよそに、山保呂の体はその場にゆっくりと崩れ落ちた。
「おい…」
足元に倒れた山保呂の背中には三本の矢が刺さっている。
「おい、兄貴…。」
蕨手刀を放り出し、山保呂の肩を揺するが、最早反応は無い。
「仕留めたぞ。」「どっちだ?」「おい、残っているのはアカゲラか?」
武者達が、谷子呂目掛けて駆け寄る。彼等が傍に来るまで、谷子呂は、ぐったりと谷子呂に抱かれた山保呂の穏やかな顔を見詰めていた。
「良かった。生き残ったのがアカゲラだ。」「おい、こいつは誰だ?」
山保呂の亡骸をその場にそっと置いて、谷子呂が立ち上がる。まだ山保呂の顔を見下ろしている。
「…敵の間者だ。」もう、谷子呂の声はいつもの無感情な響きに戻っている。「この亡骸は、このままにしておいてくれ。絶対に触るな。同じユニ族の者だ。始末は俺が付ける。俺はこれから宇木正様の命を果たしてくる。」
亡骸を見下ろす武者達を残して、谷子呂はその場を後にした。




