あざなえる縄 その八
山保呂が郷巻興嶽の屋敷に着いたのは、朝になってからだった。一縄攻めを考えていない興嶽だが、山保呂の求めに応じて直ぐに山保呂と会った。
「一縄勢の情勢を調べて参りました。」
興嶽の前に座ると、早速話を切り出す。
「何か面白い話が有るか?」
口ではそう言うが、興嶽は如何にも気の無い表情をしている。
「一縄の屋敷に坊主が囚われておりました。何でも、郷巻の間者と疑われたそうです。」
「それはまた、罰当たりな。だが、そうなった原因は、お前にあるんじゃないか?」
山保呂は興嶽の言葉に構わず、話しを続ける。
「一縄正虎がその坊主に向けて、事が済むまで勝手にウロウロされては困ると言って、座敷牢に入れたそうです。事が終われば、出してやると。」
「ふん。」
こんな話では全く興嶽に響いていない。
「一縄は何か企んでいます。少しでも郷巻側に情報が流れる恐れがあるなら、摘み取ってしまいたいと考える程の企みです。」
「うん、そうだな。」
「先に潰してしまわなければ、どんな災厄を呼ぶとも限りません。弱り切った相手と軽んじなされるな。」
「…奴等は、またぞろ鷹ノ巣山物見砦を狙っている。」
そう言うと、興嶽はニヤつきながら山保呂の表情を窺う。自分の知らないところまで興嶽が知っている事に驚きを隠しきれず、黒い大きな瞳を更に大きく見開いて、相手の表情を見る。
本当だろうか?当てずっぽうに鎌を掛けているのじゃないだろうか。
山保呂は、興嶽の真意が図れずに黙り込む。
「一縄の家人が寝返った。」山保呂の驚き具合に満足したのか、興嶽の口は滑らかに種明かしをする。「土蜘蛛には言っていなかったな。もう一年近く前からになる。その頃から一縄は、もう一度物見砦を落とそうと考えているらしい。」
「そんな…。」
山保呂は何を言って良いか分からない。
「話が本当かどうかは分からない。そんな無謀な計画、本当は無いのかも知れない。だが相手は、俺が何も動かなくて良いと言ってきている。頃合いを見計らって、そいつが一縄を倒すと言っている。」
「話がうま過ぎる…。」
「そうかも知れない。だが、例えばこの話が嘘だったとして、俺にどんな災いがある?」
言われて、山保呂は考える。例えそれが嘘でも、何もしていない郷巻は今と変わらない。そうやって郷巻を安心させておいて、その間に兵を養おうと言う策略だとしても、攻めるつもりが元々ない郷巻にとっては何も変わらない。違いがあるとすれば、一縄側が安心して兵を養えるだけの事だ。
「その男は、代わりにこんな条件を出してきた。一縄を滅ぼした後、俺の家人になるから、今の領地を安堵してくれと言うのだ。つまりは、一縄が見限られたに過ぎない。」
興嶽が細い目を一層細くして笑う。
「それでも、そんな男を信用して良いのですか。いくら勢力が落ちたとはいえ、一縄を滅ぼすとなれば簡単ではない筈。そんな力のある家人が、奴等の中に残っていましょうか。」
「笠階宇木正と言う男だ。」
興嶽は、あっさりと男の名前を口にする。山保呂は、口から心臓が飛び出さんばかりに驚く。
「澤の郷曲輪での合戦の後、一縄勢の中で一悶着あったらしい。笠階宇木正は息子を殺されたと言うのに、その下手人の処罰が甘過ぎた。それで愛想を尽かしたらしい。一縄の家人の中でも大きな勢力だ。一縄を倒す事だってできるだろう。ま、倒せなかったとしても、こっちに損は無い。」
「…いけません。笠階は駄目です。信用できる様な相手じゃない!」
山保呂は、堰を切った様に興嶽に言い募る。
「なんだ、なんだ。やけに噛み付くじゃないか。」
「そいつは、俺達の村を焼いた張本人だ。一縄の中でもそいつだけは生かしておいちゃいけない相手だ。」
「成る程…。だか、それは土蜘蛛の都合だ。俺にとっちゃ、そんな思い入れは無い。噂じゃ、有能な武将だと言うじゃないか。」
「駄目だ。例え一縄が滅んだとしても、笠階が残っていちゃ、意味がない。」
「ほう、ならば、どうする。」
興奮する山保呂に対して、興嶽はすっかり他人事だ。涼しい顔で山保呂を見ている。山保呂は自分の右手の拳を見せる。
「この手で、始末する。」
「俺の郎党なら、勝手な真似はやめさせるところだが…。お前は、お前の仇討ちを果たすために俺に協力していただけの立場だ。俺がどうしてもお前を止めたいなら、お前を殺さなければならない。だったら、好きにすればいい。その代わり、協力もしない。」
「分かっている。…すまない。」
山保呂は頭を下げると、その場から姿を消す。興嶽は一人部屋に残り、目を閉じる。
これで、土蜘蛛とは最後になるだろう。惜しい気もするが、仕方ない。一縄を仇と私怨を燃やす土蜘蛛は、この先、一縄勢を郷巻に取り込もうとした際、障害になる。土蜘蛛一人でできる事など高が知れている。一縄勢が郷巻の軍門に下る運命は変わらない。
興嶽は、目を閉じたまま、口角を上げてほくそ笑んだ。
山保呂は郷巻の屋敷を出た後、どうするか思案しながら山道を歩いた。
笠階宇木正が郷巻側に寝返った。興嶽の話が本当ならば、棟梁たる一縄正虎の首を土産に郷巻の家人になると言う事だ。なんて狡猾は奴だ。自分の陣営の旗色が悪くなれば、味方を裏切って自分だけ助かろうと言うのだ。ますます笠階宇木正と言う人間が許せない。絶対にこの手で宇木正の首を取らなければ。一縄を滅ぼし、笠階宇木正も確実に仕留めるならば、まず、笠階宇木正に一縄正虎を討ち取らせ、その混乱に乗じて宇木正を亡き者にするのが良いだろう。
問題はそれよりも谷子呂だ。誤ってあいつを傷付けてしまったが、生きていてくれた。あいつは何故か、一縄側の間者として活動していた。あいつは、一縄に騙されているんだ。見つけ出して、自分の過ちを詫びるとともに、あいつの目を醒まさせなければ。きっと今も一縄の手下として働いているに違いない。郷巻の領内に潜伏しているのか?それとも、一縄の領内で待機しているのか?澤の郷曲輪の合戦では、郷巻興嶽の首を狙っていた。それなら、今もきっと狙っている。興嶽を暗殺できれば、一縄の一発逆転が狙えるやも知れない。相手はそう考えて、谷子呂に興嶽を狙わせているのだろう。
山保呂は、笠階の事は後回しにして、郷巻領内で谷子呂が潜伏して居そうな場所を虱潰しに探そうと決めた。
山保呂が郷巻領内で谷子呂を探している頃、当の谷子呂は、山吹と共に毎日を過ごしていた。但し、山吹は父の宇木正に、決して間違いを犯さぬ様にと釘を刺されている。誰でも入って来られる広い部屋で、山吹は座敷に座り、谷子呂は部屋の外、回り廊下に座って一日を過ごす。屋敷の外に出る時は、二人以外に山吹お付きの下女達、警護の郎党数人を加えて出掛ける。こうする事で、笠階の郎党、下人の間におかしな噂が広まるのを防いだ。
七月のある夜、山吹は裏山に行くと言い出した。思った事はためらわずに口にする山吹だが、我儘を言うのは珍しい。こんな宵の時間に山に入れば、藪蚊の格好の餌食になるのは目に見えている。それでも、思いとどまらせるための説得をするよりも、裏山に行かせて満足してもらう方が楽だとお付きの下女達は考えたのだろう。谷子呂や警護の郎党が呼び出され、十人程度の人数で裏山に行く事になった。
家の外に出ると、山吹は母屋の裏手の方へと足を向ける。
「山吹様、門は向こうでございます。」
下女の言葉など聞かず、山吹はさも当たり前の様に離れの庭へ向かった。一行は、裏庭の土塀に開いた穴の前で立ち止まる。
まさか、この穴を通るつもりか?
お付きの者達は口に出さねど、皆、胸の内で不安になっている。体の大きな谷子呂でも、腹ばいになれば通れない事は無い。だが、そんな事までして、この穴を通る何の意味があると言うのだ。まして、笠階の跡取りとなった山吹にそんな真似はさせられない。きっと誰かがやめる様に言い出すだろうと、誰もが互いに様子を窺っている内に山吹が言い放つ。
「この穴を通って裏山に行きます。」
「ちと、小さい様に思います。」
谷子呂が即座に応える。内心、お付きの者達はほっとする。谷子呂が言ってくれた。谷子呂の言う事なら、山吹はきっと素直に聞くだろう。
「通れない事も無いでしょう。谷子呂、お前が最初に通ってみなさい。」
山吹と谷子呂は、笠階の中では主従の関係だ。お互いそれをわきまえられる年齢になっている。命じられるまま、谷子呂は躊躇する事無く穴へと頭を突っ込む。腹ばいになり、全身土埃まみれになりながら、塀の向こうに谷子呂の姿が消える。
「外はどうですか?」
「はい、問題ありません。」
「では、そこで見張っていなさい。」
そう言って、山吹は身を屈め、穴に頭を突っ込む素振りを見せる。
「山吹様」流石に見かねた下女が、慌てて声を掛ける。「そんな穴をくぐらずとも、門に回りましょう。」
動きを止めた山吹が下女を振り返る。
「通りたくないなら、お前はここで待っていて良いですよ。」
山吹はにこりと笑い、頭を穴に突っ込む。長い髪が土壁と擦れてぼさぼさになろうとも、着物が土まみれになろうとも、まるで気にせず山吹は穴の向こうに消えていく。こうなっては止める事も、ましてや自分だけ穴のこちら側に残る事もできない。山吹の姿が消えたと見るや、警護の郎党が穴に自分の頭を突っ込む。
「無理をしないで良いです。気の進まない者は、そちらで待っていて下さい。直ぐに戻って来ますから。」
山吹はそう言うが、お付きである以上、その言葉に甘んじる訳にはいかない。結局、全員穴を抜けた。塀の外で互いの姿を確かめ合う。暗いとはいえ、埃だらけの下女達は、なんとも情けない顔をしている。皆が穴を抜けたのを確かめると、山吹は何も言わずに歩き出す。谷子呂も何も言わずに付いて行く。やがて小さな小さな滝が流れ落ちる池が見えて来て、その周りを蛍が飛んでいる。儚い光を放って、蛍は山吹達を誘っている。山吹は池の端まで来て立ち止まる。
「谷子呂」山吹は飛び回る蛍を目で追いながら声を掛ける。「蛍は何のために光るのですか?」
「良く知りません。」谷子呂は落ち着いた低い声で答える。「恐らく、雌雄で呼び合っているのでしょう。」
「こんな淡い光で相手に分かるのかしら。」
「蛍には、これで充分なのでしょう。」
山吹はふっと笑みを零す。
「蛍達はどのくらい生きられるの?」
「こうして飛び回っていられるのは、両手で数えられる程の日数を思います。」
「そんなに短い…。この池より他に知らずに終わるのですね。可哀想。」
「人と蛍は違いますので、憐れむ必要はございません。」
「では、何が蛍の幸せですか?」
「こうして夜の水辺を飛び回り、雌雄出会えれば、それで充分かと。」
山吹が手を伸ばし、蛍を一匹捕まえる。手をそっと開けば、何事も無かった様に飛び去って行く。
「同じではありませんか。一生が短いか長いかの違いだけです。…谷子呂は幸せですか?」
一瞬の沈黙が辺りを支配する。
「…考えた事もありません。」
山吹は何も言わず、蛍の動きを目で追いながら微笑む。暗い山の中で、山吹の笑顔に気付いたのは、ユニ族の谷子呂だけだったろう。山吹は、草履を脱いで、素足を池の水に浸した。




