澤の郷曲輪合戦 その二
未明に一縄の軍は動き出した。土薙忠隆と中小の家人の軍勢を合わせた一万三千は、鷹ノ巣山の裾野を迂回する山道を通って、澤の郷へと向かう。同じ頃、笠階宇木正の軍勢六千は、鷹ノ巣山を登り、物見砦とその周辺に陣取る。一縄正虎の旗本と手勢五千は、遅れて出立し、曲輪攻めが始まる頃に、後方の稲荷山に陣取る手筈になっている。正虎直属の軍勢の半分以上は一縄領に留め置かれた。これは、郷巻勢が万一他の方面で動いた場合への備えだ。宇木正が弩や渡来人の情報を流して懸念を伝えた事が、結局はそう言う形で正虎の判断に影響していた。
土薙忠隆の進軍路には、郷巻勢による嫌がらせが施されていた。澤の郷へ抜ける道は山の中の一本道だ。谷を通る場所は、両側の崖を崩して岩で道が埋めてあった。藪の中には、馬でも飛び越えられない程の大きな穴が掘られている。その度に進軍は止まり、忠隆のイライラは増して、周囲に怒鳴り散らすのだった。
澤の郷の曲輪が見える場所まで軍を推し進められた時には、とうに日が昇った後だった。まだ、周囲にはうっすらと朝霧の余韻が残っている。目の前の曲輪は、以前と様子が違う。曲輪を形作る土塁の高さが増し、土塁の上にはそれまでは無かった丸太の足場が組まれている。枝を落とした丸太を縦横に組み合わせただけの簡単な造りだが、矢避けの板が貼られた中段には、人が立てるように踏み板がぐるりと回されている。その踏み板の上に人影がある。宇木正からの情報にあった、弩を手にしている者も見える。一縄の軍勢を迎え撃つ、曲輪の守備隊は二千。この数でも、狭い曲輪は人でぎゅうぎゅうに詰まっている。
「ふん!」曲輪の様子を見て、土薙忠隆は鼻で笑う。「どれだけ固めようと無駄な事だ!おい。」
忠隆は周囲の兵に命じる。竹を梯子状に組んだ物を持って、四、五人が一つの組になった集団が五組、曲輪に向かって走る。梯子を曲輪の外周に設けられた堀に渡して、その上に板を置いて兵を曲輪に突入させようと言う算段だ。だが、堀の前まで行ってみると、以前調べた時よりも深く、広くなっている。用意した梯子では向こう側まで届かない。堀の際で戸惑っている兵に対して、曲輪の中から弩の矢が飛んで来る。数人の雑兵が矢に射られて倒れる。堪らず梯子を抱えて後退する。報告を聞いた土薙忠隆が怒鳴る。
「そんな事でおめおめと引き下がって来たのか。おい、石を運んで埋めてしまえ!」
石を運ぶもっこが用意され、丸太を通して担いで石運びを行なう二人一組の人足と、矢板を持って曲輪から撃ち下ろされる矢から人足を守る雑兵と、矢を放って曲輪の弩を邪魔する武者が組みになり、協力して堀に石を運ぶ。
どうにか曲輪からの矢を避けながら作業できるが、矢鱈時間がかかる。二ヶ所で用意した梯子を渡し、どうにか向こう側に渡れるようになった頃には、日は高く昇っている。矢板で弩の矢を防ぎながら、騎馬武者を先頭に堀を渡る。堀を渡っている者は格好の的になる。数名の武者が矢に射抜かれる。それでもひるまず突き進み、土塁を乗り越えて、曲輪の中へと突入する。突入が始まれば、乱戦に移行する。忠隆の軍が多勢でも、曲輪の中に入れる人数は限られる。数の優位をうまく生かせない。苦戦は見た目に明らかだ。
一縄正虎は、予定通り稲荷山に陣取り、忠隆勢の戦いぶりを観戦していた。堀の対処や曲輪の中の激戦で苦戦しているのは見えるが、と言って、加勢のしようがない。曲輪内の勢力は知れている。苦戦はしても、占領するのは時間の問題だ。
その頃、アカゲラは郷巻領で郷巻興嶽の居場所を探していた。笠階宇木正から興嶽暗殺の命を受けて、最初に澤の郷曲輪やその周辺を探したが、興嶽の姿は無い。背の低い、凡そ武者には見えない華美な出で立ちの男が居れば直ぐに分かる。曲輪の中に守備隊二千の兵はいるが、そもそもそれ以外、周囲に郷巻勢はいない。ならばと、郷巻本領に向かう。郷巻本領からも、家人の領地からも主だった武将が消えている。最早出陣した後だ。昨晩の内に移動したのだろう。
何処へ行った?
アカゲラは焦る。何か取り返しのつかない事になりそうだ。郷巻本領から鷹ノ巣山方面に向かう。鷹ノ巣山の麓に郷巻の兵が集まっているのを見付ける。だが兵が少ない。ざっと二、三千の兵力しかいない。郷巻の総兵力の一割にも満たない。興嶽は?探してもその中に興嶽の姿は無い。全軍一斉に動いたとすれば、馬と人の通った跡が郷巻領のどこかに残っている筈。アカゲラは、もう一度郷巻本領に戻り、痕跡を探す。
痕跡は一縄領とは離れた場所で見つかる。水はけの悪い道に夥しい人の足と馬の蹄の跡が残っている。
この道の先は、鷹ノ巣山でも澤の郷でも、それ以外の一縄領との境でもない。郷巻領内の、鷹ノ巣山とは澤の郷を挟んで向かい側にある山へと通じている。
興嶽は何か策を考えている。
既に澤の郷曲輪では乱戦になっている。焦る気持ちと不安にかき立てられて、アカゲラは息を切らせながら郷巻軍の後を追った。
午頃には、曲輪の戦いの趨勢は見えてきた。一時は忠隆の兵を押し返さんばかりに勢いがあった曲輪の守備隊だが、守備隊に予備は無い。ずっと戦い続けている。忠隆の軍は数で優っているから、順次兵を入れ替えて戦う。時が経るに従い守備隊は目に見えて勢いが弱まり、曲輪の一角に追い詰められていく。
もらった!
忠隆は、その様子を見てほくそ笑む。
宇木正は物見砦の上から遠く眼下に見える曲輪の戦いを見守っていた。最初はなかなか勝敗が見えず、何をしているのかと気を揉んだが、どうやら優勢に戦いを進められていそうだ。
これならば、加勢の必要は無いだろう。
宇木正が安堵し掛けたその時、伝令が来る。
「郷巻軍が山道を攻め上がって来ました!」
「なに!」
陣頭指揮を執るべく、宇木正は鷹ノ巣山の郷巻側の斜面へ急ぐ。馬を駆りながら、頭の中ではすさまじい勢いで考えを巡らす。
郷巻は、曲輪を餌に一縄の軍勢を引き付け、その間に物見砦を取り返すつもりなのか?それにしては、攻めて来るのが遅い。
防塁まで行ってみれば、郷巻側から盛んに矢を射掛けてきている。防塁に拠る武者も弓矢で応戦する。
敵の姿は林の中に隠れていて見えない。一体どのくらいの兵が押し寄せてきているのやら。もし、本気で落としに来るなら、こっちの倍以上の兵が攻めて来る筈だ。
「良いか、何としてもここで食い止めるぞ!矢合わせの後は、騎馬が突進してくる。射落とせ!防塁を飛び越えられたら、囲んで倒せ!」
郷巻興嶽は、鷹ノ巣山とは澤の郷を挟んで向かいの山の斜面に己が兵を散開させ、澤の郷を見下ろしていた。その数八万。一縄の軍に見付からぬよう、旗指物は持たず、兵が一か所に固まる事も許さなかった。大半の将兵は、木が鬱蒼と生える林の中の木陰に待機させている。草木の勢いが盛んな真夏だからこそ、麓からは見えない。興嶽自らは少人数の供を連れて見晴らしの良い尾根から、澤の郷全体を見渡す。曲輪も、それを攻める土薙忠隆の陣も、稲荷山に陣取る一縄の軍も、全て一望できる。
アカゲラは、漸く郷巻の軍勢の場所に辿り着いていた。山の斜面。どこに行っても興嶽の兵が待機している。彼等に見付からない様に、木々の間を縫って興嶽を探す。
凄い数の兵だ。これが郷巻の本隊だ。ならば、どこかに必ず興嶽がいる。
興嶽の姿を開けた尾根に見付けた頃には午後になっていた。興嶽は大胆にも周囲に木が無い草原の真ん中に床几を据え、目にも鮮やかな赤糸威の甲冑で身を固め、盆地で繰り広げられる戦を見物している。これでは近付こうにも周囲に隠れる所が無い。その上、興嶽の周りは、旗本の武者が立ち並び、警戒している。
興嶽が他に移動する機会をゆっくり待っている暇は無い。郷巻の本隊が動き出す前に始末しないと、一縄勢が危ない。一か八か強行だ。林を出たら素早く取り巻き連中を突破して、興嶽の首を取る。
アカゲラは枝を押しのけ、一気に草原に走り出す。
同じ瞬間、郷巻興嶽も決断していた。
「獲物を狙う獣は、仕留める瞬間に隙だらけになるもの。」興嶽は一人呟くと床几から立ち上がる。「馬を牽け!敵は稲荷山!一気に突っ込むぞ!」
命に服した郎党が馬を興嶽の前に牽き出す。水面に広がるさざ波の様に、興嶽の指示を復唱する声が山の斜面全体に広がって行く。
「オキタケェェェ!」
腹の底から湧き上がるおどろおどろしい声を張り上げて、黒い塊となったアカゲラが興嶽に向かって突進する。それに気付いた旗本がアカゲラの前に立ちはだかり、太刀を抜きざまに切りつける。アカゲラは、しなやかに身を翻して切っ先をかわすと、くるりと武者の後ろに回り込み、武者の背後から蕨手刀を首筋に滑らせる。瞬く間に血が噴き出し、武者の動きが止まる。武者の体から離れ、アカゲラは興嶽の姿を探す。
邪魔な武者を始末している間に、詰めた間合いが広がってしまった。刺客の出現で馬に乗るのを諦め、近侍の武者に守られて、小柄な男が転げる様に斜面を下って逃げて行く。
「逃がすか!」
アカゲラは走る。見る間に興嶽との距離が詰まる。邪魔な武者を背後から切り伏せる。興嶽の背中まであと少し。
急に横から強い力で押され、アカゲラの体が斜面を転がる。ブナの幹にぶつかって跳ね返る。背中を嫌と言う程ぶつけ、一瞬息ができない。危ない瞬間だ。素早く起き上がり、ブナの幹の陰に隠れて、呼吸を整える。
何だ?何が起きた?
ブナの幹の陰から覗く。さっきまでアカゲラが走っていた開けた尾根に、一人の男が立って、こっちを睨んでいる。海藻の様に渦巻く黒い髪、太い眉、何より大きな黒々とした瞳が際立って見える。同じユニ族だ。いや、同族と言う以上にアカゲラに瓜二つだ。まるでもう一人のアカゲラ。二人は初めて互いの肉眼で相手を捉えた。
厄介な奴。
アカゲラは瞬時に感じ取る。
あいつの相手をせずに興嶽を始末しなければ。
周囲を見回す。興嶽と旗本達は、林の中に入ったのか、すっかり姿が見えない。
「谷子呂。お前、谷子呂だろ。」
声を聞いて、もう一度男を見れば、小刀を持った右手を下におろし、戦うつもりがない意志を示している。
「出て来い。俺だ、山保呂だ。」
声を無視して、アカゲラは興嶽が消えたと思しき方向に向けて走り出す。その動きに合わせて土蜘蛛も走り出し、アカゲラの行く手を遮る。アカゲラは体の向きを変え、土蜘蛛の脇をすり抜けようとする。
「待て!興嶽を殺してはいけない。俺達の仇じゃない。」
土蜘蛛が手にした小刀を差し出し、アカゲラの行く手を邪魔する。
無理だ。この男を倒さなければ、興嶽に近付けない。
アカゲラは、土蜘蛛と対峙する覚悟を決める。蕨手刀を右手に握り締め、軽く膝を曲げて上体を屈める。対する土蜘蛛は手に小刀を持っているが、真っ直ぐに立って、構える素振りは無い。
「お前、谷子呂だろ?そうだよな?」土蜘蛛は空いている左手を自分の胸に当てる。「山保呂だ。わかるか?山保呂だよ。」
アカゲラが襲い掛かる。土蜘蛛は後ずさりしながら、小刀で蕨手刀を辛うじてかわす。
「やめろ。俺達が争う必要は無い。お前は騙されているんだ!」
構わず、アカゲラは次々と蕨手刀を繰り出す。
「やめてくれ!」打ち込まれる刃をかわしながらも、土蜘蛛は話し続ける。「落ち着け!話を聞いてくれ。そうすれば、お前も分かる筈だ。」
土蜘蛛はブナの幹に追い詰められる。蕨手刀が振り降ろされる。やむなく、土蜘蛛は小刀で切りつける。アカゲラが避ける隙に窮地を脱す。
「おい、お前は知らないのか?俺達の村を焼いた奴等が誰か。」
アカゲラの大きな目に憎しみの火が灯る。蕨手刀が土蜘蛛の脇腹を掠める。間髪を入れず眼前に来た刃を、土蜘蛛はすんでの所でかわす。
「おい、待て!」
殺される。
アカゲラの気迫に土蜘蛛は恐怖を感じる。アカゲラは本気で土蜘蛛を仕留めようとしている。
土蜘蛛の胸を刺しに来たアカゲラの右腕を反射的に小刀で払う。アカゲラの持っていた蕨手刀が手を離れ、回転しながら空中を舞う。土蜘蛛はアカゲラの足をすくって倒し、馬乗りになってアカゲラの動きを封じる。見れば、右腕がざっくりと切れて、傷が大きく口を開けている。傷は深い。恐らく腱が切れている。組み据えられたアカゲラは観念したのか、息を弾ませながら真っ直ぐに土蜘蛛を見上げる。二人の視線がぶつかり合う。冷たく鋭いアカゲラの視線が土蜘蛛の目を貫く。
「…殺れよ。」
アカゲラの冷めた低い声。土蜘蛛の動きが止まる。一瞬土蜘蛛の全身から力が抜ける。隙を見逃さず、アカゲラは土蜘蛛を跳ね除け走り去る。
『殺れよ』
アカゲラの吐いた冷たい言葉が、土蜘蛛の頭の中で鳴り響いている。土蜘蛛は追う事も忘れて、力なくその場にへたり込んだ。




