澤の郷曲輪合戦 その一
六 澤の郷曲輪合戦
土蜘蛛は一縄勢の領地の中を精力的に調べ回った。昼間うろつけば、直ぐに怪しまれる。昼は里山の木の上から傍観し、夜の闇に紛れて武者屋敷を回る。一縄本領でも、他の家人の領地でも、忙しく人が動いている。出陣は近い。だが、いつと言う確証が取れない。
今の土蜘蛛にはもう一つ、重要な関心事がある。一縄勢の中のユニ族。笠階の娘が探しているのが本当なら、その男は笠階と関係のある者なのだろう。探していると言う事は、今、あの娘の回りには居ない。だが関係があるのなら、何か手掛かりが笠階の屋敷に残っているかも知れない。笠階の屋敷は特に念入りに調べる価値がある。
その夜、一縄の家人の屋敷の様子を見て回り、最後に笠階の屋敷に侵入する。戦の準備に追われているとしても、深夜になれば流石に人の目が減るだろう。もしかすると母屋に忍び込めるかも知れない。
屋敷に近い林の中から様子を窺う。各所に篝火が焚かれ、夜中と言うのに郎党も下人も動き回っている。土蜘蛛の期待に反して、これでは屋敷の敷地に入り込むのすら苦労しそうだ。屋敷の周囲をぐるりと回って、入り込み易い場所を探す。裏山に面した土塀に、都合よく穴が開いている。土蜘蛛は周囲に人の気配が無いのを確かめてから、腹這いになって穴をくぐる。
塀の内側は狭い裏庭だ。隣に小振りな建物があり、その向こうとは竹囲いで仕切られている。人の気配は感じられず、静まり返っている。郎党、下人は皆、家の表側に居るのだろう。ここに居れば見付かる心配はないが、代わりに得る物も無い。どこまで近付けるか分からないが、人の気配のする方に忍び寄らなければならない。土蜘蛛は少しでも暗い場所を伝って、人の気配がする方へそろそろと進む。小屋がある。近付いて中を覗く。薄暗い油灯の光の中、大小の子供達が寝転がっている。暑さのせいか、寝苦しそうにしている者もいる。土蜘蛛は周囲を見回す。もう少し先にもう一つ小屋がある。だが、そっちは傍で篝火が煌々と焚かれている。
ここでためらっては、何も得られない。
土蜘蛛は塀際の暗がりの中に身を置き、そろそろと小屋に近付く。開け放たれた入り口から中が見える。郎党達が胡坐をかいて、武具の手入れをしている。小屋の中の会話が聞こえてくる。
「おい」手持ち無沙汰にしている男が、太刀の手入れに余念がない郎党達に話し掛ける。「いつまでやってもキリがないぞ。そんなに手入れしたところで、切っている内に直ぐ重くなる。」
「馬鹿者。」太刀の手入れをしている郎党の一人が応える。「切れ味が重くなるまで生き延びるために手入れするのさ。」
「良い加減にしておけよ。寝る間が無くなるぞ。」
手持ち無沙汰な男は、その場に寝転がる。
「今夜はもう寝ていられないだろ。お前は寝るつもりなのか。いつ出るか分かっているのか?」
「ああ。夜明け前だ。」
「寝過ごして、手柄どころか、罰をくらうなよ。」
「寝てたら、起こしてくれ。」
「嫌なこった。お前に付き合って遅れでもしたら、一生の不覚だ。」
太刀の手入れをする郎党達が鼻で笑う。
そうか、明日出陣か。
土蜘蛛は胸の内でほくそ笑む。
「ひゃあ!」
男の悲鳴で振り向くと、庭に男が一人、土蜘蛛の方を見て驚いている。土蜘蛛は、小屋の中に注意が向いていて、近付いて来た男に気が付かなかった。
しまった!騒がれる前に始末するか。
土蜘蛛は懐に手を入れ、小刀を握る。
「なんだ…」男は土蜘蛛を見たまま脱力する。「驚かせるなよ。全く…。」
何故か騒ぎもせずに、グチグチと何か呟きながら、男は遠ざかって行く。
何より騒がれずに済んで良かった。流石にこれ以上は危ない。これ以上危険は冒せない。ユニ族探しは次の機会だ。まず、一縄の出兵が明日にもある事を郷巻に伝えなければ。
土蜘蛛は急いでさっき入って来た土塀の穴に戻ると、裏山へと抜け出す。一刻も早く知らせなければ間に合わない。裏山から鷹ノ巣山へと山づたいに闇の中を駆け続けた。
ブツブツと独り言をつぶやく郎党を見付けた笠階和正が声を掛ける。
「どうした。何か不満があるのか。」
「いえ、そうじゃありません。」和正に声を掛けられて、男は姿勢を正す。「なに、そこの暗がりにアカゲラがいたもんで。あの二つの目がぼうっと光っていて、思わずびっくりされられただけです。」
「そうか、谷子呂が帰って来たのか。」
それなら父上の所に行くだろう。谷子呂がどんな話を持って来たか、自分も聞きたい。
和正はその足で宇木正の部屋に向かった。
アカゲラは本当に宇木正の元に戻っていた。彼は、郷巻で見聞きした情報を宇木正に全て報告した。
先日アカゲラが見つけた、郷巻の屋敷内にあった弩は運び出され、澤の郷の曲輪に運び込まれた。澤の郷の曲輪ではそれ以外にも、周囲の空堀が掘り直され、更に何本もの丸太が運び込まれた。渡来人達は郷巻の屋敷から姿を消し、どこに行ったのか掴めていない…。
宇木正は話を聞いて腕組みをする。これは明らかに、一縄が澤の郷曲輪に攻めて来るのを知っている。奴等の行動は、それに対する備えだ。だが、曲輪が攻められるのに感付いているのなら、曲輪の補強だけで良しとしているとは到底思えない。どんなに曲輪を補強しても、俄かに堅固な城塞に仕立て上げられる訳ではない。小さな曲輪では、中で守る兵力も蓄えも限られる。攻められれば、多少長く持ち堪えられたとしても、いずれは落ちる運命だ。
「それ以外に動きは無いか。」
眉間にしわを寄せて、アカゲラに迫る。
「郷巻興嶽の屋敷だけでなく、家人達も戦支度を進めています。こちらと一戦交えるつもりなのは確かですが、いずれの場所で、どのようにするつもりなのかは、判りません。」
恐らく、作戦の詳細は郷巻興嶽の腹の内にしかない。探ろうにも探り切れない。こちらが澤の郷曲輪を攻めると知っているならば、攻めて来た軍勢を取り囲んで、内と外から挟み撃ちにするのか、逆に兵を曲輪に集中させている隙に全く別の場所で一縄領に攻め入るのか…。手掛かりがない以上、考えても相手の出方が分かる訳もない。
「まずいな。」
宇木正は下唇を噛む。
出陣は明日。今からではもう止まらない。曲輪を攻める主力は、未明に行動を開始してしまう。第一、止められたとしても、対策の立てようが無い。
宇木正は熟考する人だ。アカゲラは、彼が何か言い出すまでじっと待つ。そうやって、もう半時も二人で対座したまま過ごしている。
「和正です。失礼します。」
板戸がすっと開いて、和正が顔を覗かせる。
「おや、谷子呂、素早いな。もう、父上の元に来ていたか。」
アカゲラは黙って和正に頭を下げる。
「素早いも何も、もうずいぶん前から俺とこうして、頭を突き合わせている。」
代わりに宇木正が応える。
「え?今、外で谷子呂を見たと言う者が…」
思わず、宇木正と和正は顔を見合わせる。和正は息を飲むと、慌てて立ち上がり、その場から駆け出して行く。
「おい!曲者だ!曲者が紛れ込んでいるぞ!探せ!」
和正の叫ぶ声が遠くで聞こえる。俄かに屋敷中が騒がしくなる。
「お前以外にユニ族が残っていたのか。」
妙に宇木正は落ち着いている。
「分かりません。」
アカゲラも静かに答える。
宇木正は思い返していた。あの時、村の中に居た者は全て死んだ筈。密かに逃げおおせた者が居たのか?あるいは、谷子呂の様に村の外に出ていた者が他にも居たと言う事か?…今は、そんな事を考えている場合じゃない。ユニ族であろうがなかろうが、郷巻の間者がうろついている事に変わりはない。だからこそ、郷巻は澤の郷曲輪が狙われていると知っているのだ。
「おい、アカゲラ!」宇木正は腹を括る。「郷巻興嶽の首を取れ!」
「承知。」
アカゲラは静かに言うと、静から動に移行する。素早く立ち上がると、和正が開けたままにした板戸から音もなく姿を消す。
興嶽の周りの警戒は厳重だろう。アカゲラが暗殺の修行を積んでいるとしても、近付く事すら難しいかも知れない。だが、万に一つでも、興嶽を亡き者にできれば、いや、せめて傷を負わせられれば、彼等の計画は頓挫するに違いない。
宇木正はアカゲラに賭けた。しかも、それ程分が悪い賭けだとは思っていなかった。




