探り合い・すれ違い その五
峠の麓で土蜘蛛と別れた後、悟正は竹林の中の館に向かった。土蜘蛛に付けられていないか、途中何度も振り返り、周囲を見回し、更に、真っ直ぐ竹林に向かわず、大きく遠回りし、その上、途中で辻に立って読経して様子を窺う。夕暮れ近くになって、漸く目的の竹林の中の館に足を向けた。
竹林の中の侘しい小径を進み、ひっそり佇む館が見えて来ると、門前に若い娘が立ってこっちを見ている。白い肌と茶色の長い髪。以前会った娘に違いない。
「ここで何をされているのですか?」
山吹の前まで来て、悟正は話し掛ける。
「お坊様を待っておりました。」
訪ねて来ると知らせていない。そもそも再び来る約束もしていない。なのに悟正を待っていたと言う。
「もしや、ずっとそうやって待っていたのですか?いつ来るとも知れないのに。」
山吹がクスクス笑う。
「いえ、違います。お坊様の足音が聞えたので、ついさっき出て来たばかりです。」
「私の足音?」
確かに竹林の小径には、枯れた笹の葉が積もっている。歩けばカサカサと音が出るが、離れた館で聞こえる程の音がしただろうか。
不思議に思いながらも、その事には拘らずに、悟正は用件の話を始める。
「ここを出た後、郷巻の領内を一通り回って来ましたが、貴方がお探しの人は見付けられませんでした。」
「わざわざそれを言いに寄って頂いたのですか?ありがとうございます。本当に誰もいなかったのですか?」
山吹は探る様な視線を悟正に投げ掛ける。悟正は何か胸の内を見透かされている様でぎくりとする。
「いえ実は、貴方が言う特徴を持った男に、ついさっき峠を越える時に出会ったのです。」
「まあ!」
山吹は驚いた様に声を上げるが、驚いている様な顔はしていない。
「大きな目をした男です。ですが、貴方の様な女性は知らないと言っていました。」
「そうですか…。」
山吹はあらぬ方向に視線を向ける。悟正の斜め後ろ、竹が密生するその先を見つめている。悟正は山吹の仕草が気になりながらも、話を続ける。
「その男は本当に貴方の探している人ではない様です。私は知らなかったのですが、そういう目の大きな人達の一族がいて、ユニ族と言うそうです。ああ、その事はご存知ですね。その男に貴方の探している男の話をしたら、それは自分と同じユニ族に違いないと興奮気味に言っていました。どうやら、その男も同じユニ族の仲間を探している様な言い方をしていました。」
「そうですか…。」山吹の返事は上の空だ。意識は視線の先の竹林に向いている。「それでは、お坊様のおっしゃる男が付いて来たのでしょう。」
「え?」
悟正の視線は、山吹の顔と彼女の視線の先の竹林の間を何度も往復する。山吹は少しも慌てず、生い茂る竹で遮られた向こうを凝視し続けている。
「そんな、まさか。用心してここまで来たのです。竹林に入る前にも周囲を確かめて…。」
山吹は視線の先を指差す。
「でも確かに、あそこに人が居ます。」
まさにその時、土蜘蛛が竹林の中、二人から離れた位置で様子を窺っていた。一介の僧侶に過ぎない悟正が、どれだけ用心を重ねたところで、間者の土蜘蛛を欺く事はできない。土蜘蛛は、悟正の言った言葉の真偽を確かめるために、峠の麓で別れるふりをして、ここまで付けて来た。竹と竹の僅かな隙間から悟正と山吹の姿を捉え、悟正の言った事が事実で、今目の前にいる娘が、話の娘なのだと理解する。
あの娘、見覚えがある。あれは、笠階宇木正の娘だ。何故、宇木正の娘が、ユニ族の男を探しているのか?その男と郷巻の屋敷に侵入したユニ族の男が同一人物だとするなら、一縄勢の人間であるあの娘は、男の居場所は知っているのではないのか?間者だから、味方にもその存在を隠している事は考えられるが…。
思案に耽っている間に、気付けば娘の視線が土蜘蛛の方に向いている。土蜘蛛に緊張が走る。
何故?あそこからでは、土蜘蛛の姿は竹に隠れて見えない筈。あの僧侶が土蜘蛛の存在に気付いていながらここまで来たとも思えない。あの視線は単なる偶然か?
山吹の指が土蜘蛛の方を差す。
まずい。本当に気付いている様だ。これ以上居ると大変な事になりかねない。
土蜘蛛は望まぬ事態が発生しないうちに、深追いするのをやめてその場を離れた。
「…行ってしまいました。」
山吹は指差していた腕を降ろす。
「どんな人が居たんですか?」悟正はまだ半信半疑で山吹に詰め寄る。「貴方の知っている人?」
「姿は見えませんでしたので分かりません。」
山吹は涼しい顔で言う。
「姿を見ないで、どうしてそこに人が居ると分かるのですか?」
悟正の疑念は深まる。
「足音がしますから。こんなに積もった笹の葉の上では、音を出さずに歩く事は誰にもできません。」
山吹は悟正に微笑む。
足音。確かに音を立てずには歩けないだろう。だが、悟正には何の音も聞こえなかった。話に夢中になっていて聞き漏らす事は有るだろう。だが、山吹に人が居ると言われた後は、人の気配を感じようと集中していたのに、竹林を去って行く人の出す足音なんか聞こえなかった。
「あの足音、いつ聞いたのか憶えていませんが、聞いた事のある足音でした。お坊様が言われたユニ族の方だとしたら、足音を憶えておいて、次にどこかで聞いた時に、その人を掴まえて、是非話をしてみたいと思います。」
山吹は、さっき人が居ると言った方向を遠い目で見つめている。
そう言えば、悟正が来たのも足音で分かったと言っていた。悟正の頭の中で古い記憶が呼び覚まされ、この出来事と結びつく。
「昔、私に勉学を指導してくれる者がおりました。その者が言っていました。遠い大陸には、狗を自分達の始祖と仰ぐ民が居て、その中には、本来狗にしか聞こえない筈の音を操る一族がいると。その一族は、人に聞こえない音を聞き分けて、目に見えなくとも人の気配を察する事ができると言います。貴方は一体…」
「私は、笠階宇木正の娘、山吹です。けっしてその様な異国の者ではございません。」
「笠階殿と言えば、この地の領主殿ではありませんか。これは、知らぬ事とは言え、失礼致しました。」
悟正は丁寧に頭を下げる。
「やめて下さい。その様に頭を下げられる身分の者ではございません。単なる田舎者。農民の娘に過ぎません。」
「山吹殿は否定なさるが、僅かな音で人の気配に気付くなど、並みの人間には到底無理な事。こんな裏寂しい竹林に住まわれているのは、人の多い場所ではうるさ過ぎるからでしょうか?」
「そう言う訳ではありません。音が聞こえるのも、私には普通の事。他の方と何が違うのか分かりません。」
「成る程、成る程。」悟正は興奮気味に何度も頷く。「山吹殿、後学のためにもう一つだけ教えて下さい。貴方は、狗と出会った事がありますか?」
「…小さい頃に一度。…狗を見た様に思います。」
「狗を見たのですか。どんな風でした?」
山吹は怪訝な顔で悟正を見ている。
「どんな風と言われましても…、何か大きな毛むくじゃらの生き物が、直ぐ傍に居た様な…。」
「成る程。…面白い、いや実に。」
山吹は初めて戸惑った表情を見せる。
「いや、失礼。山吹殿の想い人を探すお力にもなれず、申し訳ありませんでした。」
悟正はまた、頭を下げる。
「そんな、お頼みした訳ではありませんし、想い人などと言う訳では…。」
「縁は巡るもの。お探しの方ともいずれ巡り会いましょう。もしかすると、すぐ近くまで来ているやも知れません。山吹殿と私は、またお会いする事があるかどうか…。」
「遠くへ行かれるのですか?」
「さぁて、どうしようかと迷っています。何やら面白い事が起こりそうなので、この目で見てみたいと言う気持ちもあります。坊主の癖に煩悩が抜けません。」
悟正はカラカラと笑い、山吹と会釈を交わして、竹林を後にした。




