探り合い・すれ違い その四
その日、鷹ノ巣山を越える裏街道で、悟正は窮地に陥っていた。山の中の一本道、彼の目の前には半裸のむさ苦しい男達が、機嫌の悪そうな顔で立ち、彼の行く手を遮っている。戻ろうにも、後ろにも仲間の男達が現れ囲まれてしまう。男達は、一体どのくらい風呂に入っていないのだろう。髪の毛は固まって、頭皮に貼り付いている。薄手の着物は、木の枝に引っ掛けたのか、そこら中破れている。すね毛の生えた足が埃と垢まみれなのは、悟正も変わらない。
男達の中でも少し後ろに控える一番体格の良い男が口を開く。
「誰でぇ女なんて言ったのは」男は居並ぶ仲間を見回す。「坊主じゃねぇか。」
「タキツボの野郎で。」
男達の中の誰かが答える。
「へへ、すいやせん。」
恐らくタキツボと呼ばれた者だろう。体格の良い男に向けてペコペコと頭を下げる。
「ま、しょうがねぇや。出張って来ちまったからには、手ぶらじゃあ戻れねぇ。金目の物は置いて行ってもらおう。」
「金目の物と言われましても」怯えもせずに悟正が応える。「銭は一銭も持っていません。」
下っ端と思われる連中は、不安そうに互いに目くばせし合っている。
「まずは、それを寄こしな。」
体格の良い男が顎で指し示す。悟正には何を指しているのか分からなかったが、子分の一人が錫杖に手を伸ばす。悟正は抵抗もせず、寧ろ手を伸ばして錫杖を渡してやる。
「鉢もだ。」
別の手に抱えている鉢に、別の男が手を伸ばす。悟正はそれも素直に渡す。錫杖は真鍮でできているから、それなりに金になるかも知れないが、木製の何の変哲もない鉢では、自分達で飯を盛るくらいしか使い道は無いだろう。悟正は自分から網代笠を脱ぎ、渡そうとする。受け取ろうとする男が頭と思しき体格の良い男の表情を窺う。頭は渋い顔をして首を横に振る。途端、手下の男は伸ばした手を引っ込める。差し出したが受け取る者がいなくなって、笠を持った腕が宙に浮く。折角渡す気になって突き出した腕だ。そのまま引っ込めるのは何となく気不味い。だからと言って、笠を持った腕をいつまでも前に出しているのも妙な格好だ。悟正は仕方なく笠を持ったまま腕を下げる。
「おい、探れ。」
頭は顎で両側の男達に指図し、悟正の体を墨衣の上から探らせる。懐に何かを見付けて、体を探っていた男の顔が急に明るくなる。無遠慮に悟正の懐に手を入れて取り出したのは経本だ。探り当てた物の正体が判ると、みるみる男の顔が落胆に変わる。頭が大きく溜息をつく。
「これじゃあ、割に合わねぇ。」
「困りましたね。これ以上、差し上げる物は有りません。」
「お頭、こいつぁ?」
一人の男が悟正の来ている墨衣を引っ張る。頭は即座に首を振る。
「坊主の衣を取ったとあっちゃあ、地獄行きだ。」
錫杖や鉢なら構わない理屈は分からない。
「あとはお前の命しかねぇ。どうするね。」
頭は悟正に凄んで見せる。
「止むを得ません。」
悟正は足元の頃合いの場所を探して、地べたの上に正座する。半眼に閉じて合掌、念仏を唱え始める。こうなると、山賊にとってはいよいよ厄介だ。下手に手が出せない。脅してみせれば命乞いをして、おいしい情報でも口走るのを期待したが、頭の目論見通りに事が運ばない。覚悟を決めた悟正を見て、頭はなお一層渋い顔になり、頭を掻く。
「お前達は罰当たりも良い所だ!」
林の中から声が響く。と思う間に、黒い衣装の男が躍り出て、手にした小刀で男達に切りつける。見る間に四、五人が腕を切られて情けない悲鳴を上げる。
「やべぇ、なんか出た!」
逃げ足は天下一品。蜘蛛の子を散らす様に男達は逃げ出す。
「おい、置いて行け。」
黒ずくめの男は、逃げる山賊から錫杖と鉢を取り返す。気付けば、悟正と黒ずくめの男以外、むさ苦しい男の姿は一人も見えなくなった。夏だと言うのに、強い日射しの山道に黒い着物の男が二人。僧侶は仕方ないにしろ、飛び出して来た男が土蜘蛛だと知らなければ、酔狂な奴だと思うに違いない。
「助けて頂き、ありがとうございます。」
悟正は土の上に正座をしたまま、土蜘蛛に頭を下げる。
「坊さん、何でこんな裏街道を通ろうとした。この辺りは、ああいう連中がウロウロしているんだぞ。」
「そうなんですか。それは知らなかったので。山の中までは郷巻殿も、一縄殿も、威光が及ばない訳ですか。」
「そもそも、人の住まない山ん中まで誰が気にする。この土地の者なら、この裏街道を一人で通ろうとする者など居ない。」
「成る程、ごもっともで。」
悟正は立ち上がり、膝の土を払う。土蜘蛛は錫杖と鉢を悟正に渡す。
「おや?」
悟正は土蜘蛛の顔を見上げ、ひと際大きなその眼に気付くと、無遠慮に顔を近付ける。
「坊さんはどこから来た。向こうに行くのかい?」土蜘蛛は、一縄領の方角を指差す。「途中まで一緒に行ってやろう。」
「それは助かります。」
「男の二人連れなら、流石に襲って来ないだろ。第一、坊さんは金目の物を持っていないと知られちまっているしな。」
二人は山道を並んで歩き始める。
「坊さんはこの辺の人じゃないんだろ?今度この峠を越える時は、表の街道を使うんだな。」歩きながら、土蜘蛛は忠告する。「どうしてもこの道が使いたければ、脇に太刀を差して、武者の格好をする事だ。腕が立つかなんて奴等には分からない。自分達にも被害が出るかも知れないと思えば、襲うのを躊躇うだろ。」
「成る程、肝に銘じます。私は悟正と言う修行僧です。国々を回り、托鉢の旅をしています。この辺りも一通り巡りましたので、次の国へ向かおうかと思案しています。」
「そうかい、それが良い。いつまでもこの辺りをうろついていると、災難に巻き込まれる。」
「おや、随分物騒な話ですね。一縄の里も、郷巻の里も、ぐるりと回ってみましたが、実に穏やかでした。私は、何か見落としましたかね。」
「いや、そんな事は無い。今は穏やかだ。けど、今だけだ。悪い事は言わない。次の土地に行くつもりなら、さっさとした方が良い。」
「そんなに直ぐですか。」
「ああ、直ぐだ。…それにしても、坊さん、さっきのあれは、何の真似だい。」
「何の事でしょう?」
「あんな事をしていたら、いくつ命があっても足りないぞ。」
「あんな事?」
「山賊の前で念仏を唱え始めたじゃないか。あれじゃ、どうぞ切って下さいと言っている様なもんだ。」
「でも、そうなりませんでしたね。」
悟正は涼しい顔をしている。
「あんた、それを見越して、あんな事したのか?」
悟正を見る土蜘蛛の目に疑心の色が浮かぶ。
「いえ、そんな事はありません。私は仏の道に、この身を差し出した人間。もし、あの場で切られて命を落とすならば、それも定め。それだけの事。でもあの時、あなた様が現れたと言う事は、まだまだこの身にはこの世での苦行が足りないと、御仏に看破されたのでしょう。」
悟正は乾いた笑い声を上げる。土蜘蛛には何も面白くない。
「それなら、次に坊さんを見掛けても、もう助けない事にするよ。」
「それも定め。」悟正だけがさらに大きな声で笑う。「そうそう、あなた様は、一縄領に向かわれるのですよね。」
「それが、なんだ?」
土蜘蛛に緊張が走る。
「可愛い娘さんに会われるのですか?」
「可愛い娘?」
「おや?人違いでしょうかね。…色の白い娘さんですよ。」
「…いや、覚えはない。」
「そうですか…それは失礼しました。」
「坊さん」土蜘蛛は悟正に喰い付く。「今、誰かと俺を間違えたんだろ?なんで、その、あんたの思い浮かべた人が俺だと思ったんだ?」
「その…」悟正は不安そうな顔になる。「大きな目の人だと聞いたもので…」
「それは、誰が言ったんだ。」土蜘蛛は凄い勢いで悟正に迫る。「誰が大きな目だって言ったんだ。」
「あの…、娘さんの探している人が大きな目をした人だって話を聞いたんです。」
「それは、ユニ族だ。ユニ族のモンは、みんな目が大きいんだ。何故だ、何故娘はユニ族の男を探している。」
「そこまでは知りません。」土蜘蛛の勢いに圧されて、悟正は身を縮める。「只、探していると、どこかにいる筈だと聞いたもので…。」
「あんた、その娘に会ったのか?」
余りの剣幕に、どこまで話して良いのか悟正は迷う。
「…ええ、まあ。」
「それで、娘はどこにいる。娘の目も大きいのか?」
「勘弁してください。良く知らないあなたに、娘さんの居場所を言う訳にはいきません。」
悟正と言う男、命は惜しくない。脅したところで、きっと吐かないだろう。土蜘蛛も素性は明かせない。
「目は?娘の目は?」
「私は、そのユニ族と言うのは初めて聞くので、どのくらい目が大きれければユニ族なのか分かりませんが、娘さんは、貴方ほど大きな目はしていませんでした。」
「そうか…。」
土蜘蛛は興奮を抑え切れない。娘に興味はない。だが、自分以外にユニ族の生き残りが必ずいる。それも一縄側の人間の中に。ならば、必ず見つけ出してやる。
急に鬼気迫る顔になった土蜘蛛を横目で見ながら、悟正の中でどんどん不安と後悔が広がって行った。




