探り合い・すれ違い その三
アカゲラが郷巻の動向を探っている頃、土蜘蛛は一縄の動向を探っていた。土蜘蛛は、日が沈むと行動を起こし、毎日、一縄の屋敷の庭の隅、陰になっている場所に潜んで屋敷の様子を窺うのを日課にした。
その日は、昼間から一縄の家人達が正虎の元に集まり、評議を行なっていたらしい。板戸を閉め切った広間の中に、男達が籠っている。夏だと言うのに、さぞ暑いだろう。それだけ重要な話と言う事だ。土蜘蛛がいるのは庭の隅。板戸を閉めきった広間との間に広い庭があり、到底物音が聴ける距離ではない。近付こうにも、下女や下男が回り廊下をうろつくので危険過ぎる。土蜘蛛は無理をせずに、庭の隅でじっと我慢し続けている。
土蜘蛛は知る由も無かったが、中では次の戦の詳細について一縄正虎が武将達に告げていた。それまで目標を慎重に伏せていた正虎が、遂にこの日、目標を宣言した。彼が口にした目標は、澤の郷曲輪。鷹ノ巣山に隣接し、鷹ノ巣山と他の山々に囲まれた盆地の集落・澤の郷。川の流れが緩やかになるその場所は、谷が開けて平地になり、隅々まで田が広がっている。この地を守るため、郷巻は盆地の郷巻本領近くに小振りの曲輪を設けて、守備の兵を常駐させている。曲輪に高い楼台は無い。周囲に空堀を巡らし、その内側に土塁を設けて、外敵の侵入を妨げた簡単な造りだ。これを奪い取ろうと言う訳だ。本格的な城郭が無い分、攻め易い。勢力を盛り返して来たとは言え、まだ郷巻勢と正面からぶつかるのは分が悪い。しかも、一縄正虎の元に家人達を引き付けておくには、常に勝ち続ける必要がある。正虎の苦しい胸の内が生み出した作戦だ。彼は、詳細を皆に話す。
「良いか、曲輪攻めは忠隆に任せる。」
「おうよ!」
勢いよく土薙忠隆が応じる。
「諸将はこれに加勢しろ。宇木正は鷹ノ巣の物見砦で待機しろ。」
「は。」
宇木正は頭を下げる。
「こちらの隙をついて、山猿が物見砦を奪い返しに来るやも知れぬ。その時は、相手を引き付けて離すな。…郷巻が攻めて来ないなら、物見砦から澤の郷の様子を見張っていろ。澤の郷曲輪攻めで、万一、不測の事態があれば、山を駆け下り、曲輪攻めに側面から加勢しろ。」
「親方、そんな必要ねぇ。あんなちっぽけな曲輪、俺等で一気に蹴散らしまさぁ。」
忠隆は不満そうに言い募る。
「万一だ、万一。良いから、お前の戦いぶりを宇木正にとくと見せてやれ。」
「へへ。」
忠隆はニヤリと宇木正を見る。宇木正は冷ややかな目でそれをやり過ごす。
「俺は、稲荷山に陣を敷く。」
稲荷山は、澤の郷の中にある小高い丘だ。頂上に稲荷神社があるからその名が付いた。曲輪が澤の郷の郷巻側に作られているのに対して、稲荷山は一縄領に近い位置にある。正虎は、稲荷山に彼の側近たる一族郎党を従えて陣を敷く。曲輪で不測の事態が起これば、直ぐに加勢できる位置だ。澤の郷全体が見渡せて、鷹ノ巣山の物見砦も肉眼で確認できる。戦況を把握するにはもってこいの場所だ。
「決行は、今から十日後。皆心して準備せよ。」
評議が終わると祝宴が催された。板戸が全て取り払われ、酒と肴が下女達によって持ち込まれる。暑いさ中、板戸で閉じ込められ、雪隠詰めにあった様な気分の武将達は、汗だくで乾いた喉に酒を流し込んで生き返る。俄かに宴は盛り上がる。
土蜘蛛はこんな機会を待っていた。宴の一部始終を庭の隅の暗がりの中から見守る。そこに人が居ると分かっていれば、闇にぼんやりと浮かぶ二つの眼に気付きもするだろう。だが、解放された気分の武将達は勿論、彼等の接待に一生懸命な下人達も、庭の隅などに注意を払う者は居ない。
「親方、ちゃんと後ろで俺の戦ぶりを見ててくだせぇよ。」
酔いが回り始め、活舌が怪しくなった土薙忠隆が声を上げる。
「ああ。しっかり働け。」
正虎は面倒臭いのを隠さない。だが、酔っ払い相手ならば、それで充分だ。
「おめぇもだ、宇木正。」忠隆は、今度は宇木正に絡む。「山の上じゃ、すん事もねぇんだから、ちゃーんと目ん玉ひん剥いて見てろ。」
宇木正は取り合わない。無視して肴に箸を伸ばす。
「おめぇの助けなんかいらねぇ。俺の後ろにゃ、親方が居んだから。いざとなりゃぁ、トトーンと駆けつけて下さらぁ。おめぇは、物見砦で見物してりゃあ良い。」
「もうやめろ。」
静かに宇木正は言う。
「なぁ、親方、そうだろ?稲荷山ってのは、そう言う事で良いんだろ?」
「ああ、もう良い。そのくらいにしておけ。」
流石の正虎も、酔いが回って口の軽くなった忠隆を制する。
「へいへい。承知。」
忠隆は座っていても上体がフラフラしている。宇木正は、忠隆の醜態を見せつけられて、苦りきった顔で酒を呷った。
宴は、宵の内に幕を下ろした。武将達はほろ酔いの体を馬の背にあずけて、家路に就いた。土薙忠隆は酩酊している様に見えて、不思議と馬に乗ると背筋を伸ばし、まるで正気の人間の様に帰って行った。土蜘蛛は、一縄の屋敷の者達が全て寝静まるまで庭の隅でじっとしていた。動く者の気配が無くなってから、慎重に屋敷を抜け出す。
評議の中身は聞けなかったが、必要な情報は手に入れた。忠隆のあの発言から大体の予想は付く。奴等が狙っているのは澤の郷だ。稲荷山と言えば、まずそこだ。その上、あの雰囲気では、攻めるまでそれ程間がない。直ぐに戻って郷巻興嶽に報告せねば。
土蜘蛛は夜の山中を急いだ。一縄勢に悟られぬよう、鷹ノ巣山の道なき林を抜け、大きく迂回して郷巻領に入る。郷巻の屋敷に辿り着いたのは明け方だった。土蜘蛛が棟梁に会いたいと告げれば、直ぐに興嶽に伝えられる。興嶽は土蜘蛛が帰って来たと聞くと、人払いをして自室に呼び寄せた。
「一縄は、近々兵を興す計画を立てています。目標は澤の郷。曲輪を攻め取るつもりでしょう。」
「ふぅん。」土蜘蛛の報告を聞いて、興嶽は思案顔になる。「昨年の冬は、鷹ノ巣山。そして、今年の夏は澤の郷。随分刻むじゃないか。」
「正面からやり合うだけの自信がないから、隙を見て掠め取る事ばかり考えているのでしょう。」
「まあ、そんなところか…。だが、やられてばかりでは、ちと悔しい。」
興嶽は目を伏せ、思案に耽る。興嶽の思考の邪魔をしない様、土蜘蛛は黙る。
「渡来人の賊で一縄領内を荒らし回らせようと思っていたが、向こうがそう出るなら、それを利用して、ぐうの音も出ない様にしてやるか…。」
興嶽は、渡来人の騎馬軍団を賊に仕立て上げ、一縄領内で活動させる計画を進めていた。神出鬼没に村を襲い、一縄軍が救援に駆け付ける前に姿を消す。一撃離脱の蛮行を繰り返せば、一縄の里は荒れ、体力が落ちていく。その上で、一縄領の治安悪化が目に余る様になって、郡司として兵を繰り出す口実に利用できればしめたものだ。だが、現実は相手のある事。相手の動きに合わせて作戦を変えるのも肝要。
興嶽がそんな事を頭の中で考えていても、土蜘蛛には分からない。訊いたところで教えてはくれまい。策の全貌を知るのは、将だけでなければ成功は危うい。
「土蜘蛛は一縄領に戻って、戦の始まる日を探ってくれ。少しでもあやつ等に動き出しの兆候が見えたら、急いで知らせてくれ。それまでに、こっちはあやつ等を出迎える準備を進めて置く。頼めるか。」
「承知。」
「おい、ちょっと待て。」頭を下げて立ち上がり、部屋を辞そうとする土蜘蛛を興嶽が呼び止める。「先日の夜、この屋敷に賊が入った。」
興嶽の話の趣旨が見えず、土蜘蛛は座り直す。
「賊と言っても、何も取られておらん。きっと一縄の間者に違いない。相手もこっちの手の内を探っていると言う事だ。ただ、間者と相対した者が面白い事を言っておった…。真っ暗闇の中で両目が光って見えたそうな。」
そこまで話して、興嶽は土蜘蛛の反応を面白そうに眺める。土蜘蛛は大きな目を一層大きく見開いて、興嶽を見つめている。土蜘蛛の反応に満足したのか、興嶽は細い目をなお細くしてニンマリと笑う。
「お前以外にも、ユニ族が残っていたって事だな。」
「その者は、どうなりましたか?」
土蜘蛛が身を乗り出す。
「残念ながら、取り逃がした。今頃、一縄領に逃げ戻っているだろう。」
「そうですか…。」
土蜘蛛の肩から力が抜ける。
「相手に心当たりはあるのか?」
興嶽は土蜘蛛の反応を楽しんでいる。
「…分かりません。」
土蜘蛛は目を伏せる。
「そうか。…ま、その内、分かるかも知れんな。」
興嶽はわざと素っ気なく話を打ち切る。土蜘蛛はもう一度、興嶽に頭を下げて立ち上がる。
「もし…」
興嶽の言葉に土蜘蛛は立ったまま動きを止める。
「その者が、お前の知り合いだったとして、それが分かっても、お前は郷巻のために働くのか?お前が郷巻のために働く義理は無い筈だ。」
興嶽は、立ったままの土蜘蛛の背中を見つめる。
「勿論、郷巻のために働きます。一縄は仇ですから。」
土蜘蛛は振り返りもせずに即答する。
「その者と殺し合う事になるかも知れないぞ。」
「…それでもです。」
そんな事態には俺がしない。
土蜘蛛はそう思いながらも、口に出さずに興嶽の部屋を後にする。
まさか、いや、有り得る事だ。
土蜘蛛の頭の中には、幼かった谷子呂の面影が浮かぶ。
いや、そうだ。そうに違いない。
土蜘蛛は、昼日中の山を越えて、急いで一縄領に取って返した。
アカゲラも笠階宇木正の元に報告に戻っていた。彼は、宇木正に郷巻の屋敷で見た事、偉丈夫な渡来人の集団と弩について告げた。
「郷巻がどんな戦術を考えているのかは分からないが」話を聞いて、宇木正は腕組みをする。「戦の準備を進めているのは間違いない。…先手を取られると、危ういかも知れんな。」
「渡来人は騎馬の戦いに長じていると聞いた事があります。」同席した笠階和正が声を上げる。「ただ、騎馬で弩は扱いにくいのではないでしょうか。やはり、曲輪か砦を攻めるつもりかと。」
「弩なら甲冑をも射抜かれるだろう。そのうえ、渡来人と切り結べば、一対一では力負けするに違いない。…兎に角、俺は親方に知らせる。用心するに越した事は無い。アカゲラは、俺が戻るまで屋敷の中で待っていてくれ。」
そう言い残すと、宇木正は手早く支度をして屋敷を後にする。馬を飛ばして一縄の屋敷まで行けば、屋敷の中はすっかり戦の雰囲気に染まっている。弓の手入れに余念がない郎党、炊き出しの準備に俵を蔵から引き出す下人…、忙しく動き回る人の間を縫って、宇木正は正虎の元に急いだ。
正虎は、一人部屋でくつろいでいた。元服前からの腹心だ。笠階宇木正と土薙忠隆は、いきなり正虎の元に入って来る事が許されている。正虎を見つけるやいなや、宇木正はその前にかしこまって話を切り出す。
「親方、耳に入れたき知らせがあります。」
「ん?」
気乗りの無い返事。今の機嫌はどうなのだろう。
「郷巻方に間者を放ち調べさせたところ、気になる事が分かりました。郷巻は、偉丈夫な渡来人を味方に招き入れ、更に、大量の弩を準備している由にございます。」
「それで?」
言われて、宇木正は言葉に詰まる。まさかこの情報を聞いても、何も反応しないとは思いも寄らなかった。
「つまり、奴等は攻めて来る準備をしているに相違ありません。」
「そりゃ、そうだろ。鷹ノ巣山を取られたまま、黙っている山猿じゃあるまい。そんな事は百も承知だ。お前もそう思っていたのだろ?」
「はい、それはそうですが、まさか弩まで持ち出すとは思いませんでした。」
しどろもどろだ。宇木正の全身に汗が噴き出す。
「弩か…、一の矢を凌いでしまえば、取る足らん。所詮、騎馬武者の敵にはならん。」
「は。」
正虎の言う事は分かる。どんなに強い矢が射れても、次の矢を番えるまでに時間がかかっては、その間に騎馬なら間合いを詰められる。事実だが、それはあくまで一対一の想定の話だ。と言って、これ以上反論するだけの情報は持っていない。
「気にするな。宇木正の心配は分かる。お前の性分なら心配になるだろう…。こっちが先手を取れば良い。奴等が弩や渡来人を押し立てて攻めて来る前に、こっちが攻めれば無駄な備えだ。帰って戦支度に専念しろ。」
こう諭されては、もう取り付く島もない。やむなく宇木正はその場を辞し、すごすごと帰宅した。
「いかがでしたか。」
屋敷に付くと、和正が出迎える。
「うん…。心配には及ばないと追い返された。」
「谷子呂はどうしますか。」
和正だけが、いまだに彼を本当の名前で呼ぶ。待っている様に申し渡したから、アカゲラは郎党の部屋で待っている。
「そうだな…。」
宇木正は思案する。正虎の言う様に、先手が取れれば良いのだろう。そうなれば、対応を迫られるのは郷巻勢だ。ならば、逆に相手に先手を取られれば、澤の郷など攻めている場合じゃなくなる。準備した兵で対応を迫られるのはこっちだ。
「アカゲラを呼べ。」
宇木正は自室に陣取り、アカゲラが来るのを待つ。程無くして、背の高い黒々とした髪のアカゲラが姿を現し、宇木正の前にかしこまる。
「郷巻の領内に戻り、奴等がどこに向かって討って出るつもりか探れ。もし、それが分かるより前に奴等が動き出したなら、急を知らせに戻って来い。良いな。」
「承知。」
アカゲラは一言だけで応えると、頭を下げて姿を消す。
嫌な予感しかしない。正虎が歯牙にもかけない場合は、大抵悪い方に転ぶ。
宇木正は一人、苦虫を噛み潰したような顔をして腕を組んだ。




