探り合い・すれ違い その二
宇木正から郷巻の情勢を探る様に申し付けられたアカゲラは、郷巻領の山中の、打ち捨てられた炭焼き小屋を根城に活動を開始した。まずは、郷巻領内でも一縄領に近い場所に設けられた曲輪や砦の様子を見て回る。
郷巻は鷹ノ巣山の物見砦を取られ、反撃を企図している筈だ。攻勢に出るつもりなら、敵に近い拠点に兵を集めるなり、兵糧を持ち込むなり、何らかの動きをしている筈。仔細に見て回れば、きっと何か見付けられるだろう。
安易なアカゲラの予想に反し、どの曲輪、砦にも怪しい動きは見付からない。常駐する兵からも緊張が感じられず、むしろ緩み切っている。まるで、物見砦を一縄に奪われた事など無かったかの様だ。
おかしい。
アカゲラは直感的にそう感じる。例えば、本当に郷巻が一縄を攻める気が無いとしても、郷巻側の者にとっては、一縄がこれ以上攻めて来ないと言う保証はない。いや寧ろ、物見砦くらいで終わる筈がないと警戒するのが普通だろう。
きっと何か隠している。
アカゲラは、敵の本拠地、郷巻興嶽の屋敷に直接忍び込んで探ろうと腹を決める。まずは、屋敷がある里に潜入して、情報収集を行なうため、郷巻の里に市が立つ日を選んで山を下りる。市には周辺地域から人が集まるから紛れ込み易い。アカゲラは、網籠にきのこを入れて背負い、菅笠を目深に被る。大きな目を見られたら、直ぐに怪しまれてしまう。山人が山で採れた物を市に売りに来たのを装って、里に入り込む。郷巻の里は、噂通り賑わっている。これなら、アカゲラの姿も人に紛れて目立たない。笠の内を覗かれない限り、ユニ族だと気付かれる心配もない。アカゲラは売り物を広げる場所を探すふりをしながら、町をうろつく。郷巻の広い屋敷は、周りをぐるりと回って侵入に適した場所に目星をつける。町内の道は、夜を想像して逃走経路を組み立てる。そうやって一通り地理を調べ終えたら、市が立つ目抜き通りで、郷巻の屋敷に一番近い場所を選んで敷物を広げて、籠に入れて来たきのこを並べ、物売りの振りをしながら周囲を観察する。顔を見られてはいけない。菅笠をかぶったまま座り込み、下を向いて、人の会話に聞き耳を立てる。
目の前を男達の一団が通り過ぎる。上を向けないから、アカゲラに見えているのは、菅笠で遮られない足元だけだ。男達は、見慣れない革製の靴を履いている。たとえ武家の棟梁だろうとわらじを履いているのが当たり前の時代、こんな物を履いている男を見るのは初めてだ。それも一人や二人ではない。次々とアカゲラの前を通り過ぎる。ざっと三十人はいる。靴を履いていて分かりにくいが、靴から出ている脛とふくらはぎは尋常でない太さだ。きっと上半身も屈強な戦士に違いない。
わらじを履いた、それまでの男達に比べたら、はるかに細い足の男が、男達の一団の最後から付いて来て、その足が、アカゲラの前で止まる。
「おい、お前。」
頭上から菅笠を抜けて、声が降って来る。少ししわがれた声。きっと壮年の男。脇に差した太刀の鞘の先がアカゲラの視界に入っている。
「おい、聞こえないのか。お前だ。」
男の声に力が籠り、周囲に響く。先行していた革の靴を履いた男達が足を止め、振り返っているのも分かる。
「何故、笠を被っている。客の顔が見えないでは、商売にならないだろう。」
ここで騒ぎを起こすのはまずい。上手く逃げられたとしても、怪しい者が居たとなれば、郷巻の警戒が厳しくなる。と言って、顔を見られたら、それはそれですんなりと許してはくれまい。どうするか…
「おい、聞こえないのか。」
声に凄みが増してくる。男は、左足を斜め後ろに引く、恐らく右手は太刀の柄を握ったに違いない。
アカゲラは顔を伏せたまま、素早く視線を走らせる。相手の数は三十。身構えているのは、目の前の男だけだ。急に立ち上がって、この男を押しのければ、直ぐにかかっては来れまい。その間に走れば逃げられるか。どっちへ?相手を撒くなら、斜め右に見える狭い路地に走り込むのが有利か…
「大人が大勢で取り囲んでどうなされた。この人が何か失礼でもしたのですか?」
別の男の声。穏やかな喋り口。アカゲラの傍らに裸足にわらじ履きの足が現れる。垢と埃だらけの足。その上、墨衣の裾が僅かに見える。
「お前は何だ。」
構えた男は、急に割り込んで来たこの男にも警戒している。
「通りがかっただけの坊主です。市の真ん中で、何やら殺伐とした空気が見えましたので。」
「坊主には関係ない。怪しい男を問い質しているのに過ぎない。」
「笠を被っていたら怪しいですか?なら私も随分怪しい。」
「坊主は黙れ!俺は、こいつに話している。」
「今日は暑い。日なたに座っているのでは、笠でも被らなけりゃ、体を壊してしまいますよ。」
「黙れ!お前になど訊いていないと言っているだろ。」
墨衣の男の言い方では、却って男を怒らせてしまう。だが、僧侶が話に割り込んでくれたおかげで、アカゲラの緊張がほぐれ、機転を利かす余裕が生まれた。
やおらアカゲラはその場に手を付くと、身構えた男に向かって地に額を擦り付けんばかりに土下座する。
「直ぐに答えねぇで申し訳ねぇっす。」
アカゲラは上目遣いに男の足を見る。まだ足を踏ん張り構えたままだ。アカゲラが少しでもおかしな行動をすれば、切り付けるつもりだろう。
「実は親父に、市が出るんで、採れた物を持って売って来いと言われたんだけんどぉ、おらぁ、山しか知らねぇから、こんーな人の多いとこはやぁでぇ、客なんか来て欲しくねぇっす。だから、目ぇ合わさねぇ様にしてただ。…売れなきゃ、親父も、もう売りに行けって言わねぇだろし。」
アカゲラは顔を上げずに話し通す。急にペラペラと喋るのを、怪しまれたらそれまでだ。男はアカゲラの言う事を信じた訳ではないのだろう。足は身構えたまま動かない。
「ほうれ。そんなところでしょう。」僧が呑気に話す。「こんな田舎の若者に、何をいきり立っていらっしゃる。」
「こいつの言う事を信じろと言うのか。」
「それがよろしいでしょう。それとも…、なにも抗わない者を、衆目の中で切ってお捨てになるおつもりで?」
呑気に話していた僧だが、言葉の最後だけ力が籠る。男は返事をしなかったが、構えた足から力が抜ける。アカゲラは身じろぎもせずに、土下座をしたまま、目だけ動かして様子を窺う。
「…おい、若造。坊主にちゃんと礼を言うんだな。」
男は捨て台詞を残して、その場を立ち去る。革靴を履いた男の集団も遠ざかって行く。ゆっくりとアカゲラは立ち上がる。
「いきなり難癖をつけられ、災難でしたね。」
僧がアカゲラに声を掛ける。
「ありがとうございました。」
アカゲラは注意深く、顔を上げないまま、僧にお辞儀をする。
「いえいえ、殺生を防ぐのは私共の役割ですから、気になさらずに。」
アカゲラがきのこを背負い籠に入れている間に、僧は、もうその場から立ち去っていた。
夜になってから、アカゲラはもう一度行動を開始する。黒の筒袖、袴を穿き、これまた黒染めの手甲、脚絆を付け、黒の足袋を履く。全身黒づくめの衣装になったら、顔を泥で汚す。今夜は晴れた夜空に三日月が昇っている。月が山陰に沈む夜半過ぎからがアカゲラの時間だ。里山を出たアカゲラは、郷巻の家並みに沿って走る。暗闇の中にぼんやりと浮かびあがる二つの眼は、もしそれを見る者がいれば、人魂と見紛うだろう。
郷巻の屋敷を囲む土塀に行き着いたら、助走距離を取って勢いをつけ、土塀の側面を蹴って一気に駆け上がる。土塀の上に並べられた瓦の上にフワリと柔らかく着地して、次の瞬間には屋敷の敷地の闇へと飛び込む。
アカゲラはそこで動きを止め様子を窺う。人の気配は無い。庭のどこかから、夏虫の声が響いている。母屋と思しき大きな建物とは別に、その傍に小屋が一つ、庭を挟んで門の近くにもう一つ。更に、蔵が二つ。蒸し暑い夜のせいか、どれも窓が開け放たれている。アカゲラは格子窓から光が漏れている、門に近い小屋から探ってみる事にする。格子窓に近付き中を覗けば、案の定、そこは郎党達の住居になっている。ざっと数えて十五、六人。夏ならではだろう、戸口も窓も開けられる所は全て開け放したまま、雑魚寝をしている。壁には、太刀や槍、弓を掛ける受けが設えてあり、綺麗に武具が並べられている。
アカゲラはそれを確かめると、小屋を離れる。次には、母屋に近い小屋を覗く。こちらも武者が雑魚寝をしている。要は、門の方にあるのが遠侍、母屋の近くが近侍と言う事か。流石に郷巻、屋敷に住まう郎党の数も多いと見える。
だが、アカゲラは別の事に目を見張る。こっちの小屋には図体の大きな男が何人もゴロゴロしている。アカゲラは背の高い東人の中でも更に背の高い方だが、それよりも一つ頭が抜け出ている上に、胴回りはアカゲラの倍はありそうだ。あんな男とまともに組み合ったら、簡単に力でねじ伏せられてしまいそうだ。倭人の顔でない。鼻が高く、額がせり出しているのか、眼窩が落ち込んでいるのか、いずれしろ顔の凹凸が大きく、何より顔だけでなく、服から出た手足まで浅黒く、毛が濃い。きっと奴等が、昼間見た革製の靴を履いた男達だ。彼等の体の寸法では、この小屋での生活は窮屈だろう。
それ以外に見るものが無いのを確かめると、次に二棟の蔵を調べる。外から窺った限りでは、人の気配はしない。
ならば、忍び込んでみるか。
格子の入った窓は小さく、高い位置に付けられている。それに取り付いて中に入るのは手間そうだ。試みに、蔵の扉を押し引きしてみる。引いた途端、あっけなく扉が開く。施錠していない。何とも不用心。それだけ、郷巻は平穏だと言う事なのだろう。音を立てない様にゆっくりと扉を動かし、人ひとりが入り込める隙間ができた所で、中に滑り込む。
常人ならば、明かりが無ければ見えない暗さだ。アカゲラだから、格子窓から僅かに射し込む星明りで物の形が識別できる。同じ大きさの平たい木の箱が、幾つも積み上げられている。その一つを開けてみる。身と蓋が嵌合になっている木箱の蓋が、スゥっと空気を吸い込む音を立てて持ち上がる。中身を見て、アカゲラの動きが止まる。
弩だ。現代風に言えばクロスボウ。矢をセットし、引き金を引いて射出する兵器。強い矢を射る事ができるが、一度矢を射てしまうと、次の矢を番えるまで時間がかかるのが難点だ。
アカゲラが実物を見るのは初めてだ。斎行大師の元で修行をしていた折、墨書きされた絵を見せられて、その特徴を教え込まれた。他に類のない形だから、見間違える事は無い。弩は国府の武器庫にしかないと大師から教えてもらったが、郷巻の蔵に山の様に置かれている。経緯は何となく想像できる。あの渡来人と一緒に持ち込まれたのだ。だが郷巻興嶽は、これを使って一体どんな戦をしようとしているのだろう。
アカゲラは木の蓋をそっと元に戻して、蔵の出入り口から外に滑り出る。ゆっくりと扉を元の位置まで閉める。
「そこで何をしている。」
少ししわがれた男の声。この声には聞き覚えがある。アカゲラが振り返った先、暗い庭の中央に立つ小柄な男の姿。太刀の柄に手を掛けて、身構えている。
あの構え。昼間市場で詰問して来た男だ。
「そうか、お前はユニ族か。…それで合点がいった。」
闇に光るアカゲラの二つの目を見て男は言うと、素早く太刀を抜く。アカゲラも右太ももの外側に括りつけた鞘から蕨手刀を引き抜く。
「おい!曲者だ、起きろ!起きろ!」
男が叫ぶ。最早こそこそしても意味は無い。ぐずぐずしていればいる程、身に危険が及ぶ。男が叫んだ瞬間、アカゲラは土塀に向かって走る。そうはさせじと男も走る。小兵だからか、動きが素早い。アカゲラは庭に植えられた木の間を縫って進み、容易に男を近づけない。木の枝は男が太刀を振るうのを妨げる。アカゲラの動きを止めようと、枝の隙間から太刀を突き入れて来る。鮮やかに身を翻してよけながら、アカゲラは土塀に迫る。逃がすものかと、土塀とアカゲラの間に男は割り込もうとすれども、常にアカゲラが一歩早い。すんでの所で土塀を蹴り、てっぺんの瓦で一跳びして、アカゲラはあっと言う間に向こう側へと姿を消す。その頃になって、漸く郎党と渡来人達がどやどやと庭に現れる。
「外だ!外に逃げた!探せ!」
男が郎党に指図する。わらわらと郎党達が外に向かって走り出す。
今から門を出て行っても、最早間に合うまい。
男は恨めしそうに土塀のてっぺんの瓦を睨んだ。




