探り合い・すれ違い その一
五 探り合い・すれ違い
話は、一縄が物見砦を奪った冬が終わり、アカゲラが宇木正から郷巻領の探索を指図された春に戻る。アカゲラが去った一縄領には、一人の托鉢僧が姿を現していた。托鉢僧が噂になり出したのは、一縄正虎の本領で、埃だらけの乞食僧が家と言う家に門付けして回り、疎まれる様になってからだ。よそ者が入って来る事は滅多にない田舎だ。見知らぬ者がうろついていれば、必ず目に付く。ある日、一縄の屋敷の周りをうろついていたと思えば、次の日には、配下の家人の領地の辻に立って念仏を唱えている。この時代、仏教はまだ庶民にまで浸透しきっていない。国の組織と多少なりとも関わりがある武家はともかく、下々の農民達は、彼等修行僧を邪険にはできないが、かと言って、関わりたくもない存在程度に思っている。触らぬ神に祟りなし。托鉢僧が門前に立てば、幾許かの食料をお布施として鉢に入れ、兎に角早く立ち去ってもらおうとする。埃だらけの墨衣に、泥と垢がこびり付いた素足を見て、彼の素性を知らぬ者は、乞食僧と白い目を向けて近づこうともしない。それでも僧は人目を気にせず、春の草花が茂る路傍に腰を下ろし、さっき貰ったばかりの飯を鉢からすくい上げて口に運ぶ。竹で編んだ、椀を伏せた様な丸みのある網代笠を被っているから、わざわざ覗き込んで僧の顔を見なければ誰も気付かないが、女人と見紛う程の端正な細面をしている。華奢な体も墨衣に包まれていては分からない。諸国を巡って脚力だけは付いたが、悟正の容貌は、頭を丸坊主にした以外、都の離宮に居た頃と少しも変わっていない。
さて、これからどこに行こうか。
一通り一縄領の中は見て回った。昔に比べて一縄の力は衰えたと噂されているが、そんな事は無い。里は穏やかだし、武家も農民も食い足りている様だ。ならば、次は郷巻領に行ってみて、どちらが豊かか比べてみようか。山越えになるから、その前にまだ回っていない大きめの屋敷を巡って腹を満たすか。
悟正は一縄勢の領地で見た大きな屋敷を思い起こしてみる。既に回った屋敷にまた行くのは忍びない。それ以外の所を回ると決める。数件の屋敷を回って、笠階の領内に入ってみると、竹林の中に館があるのを見付ける。こんな所に館があるとは、見落とすところだった。早速、悟正はその前に立ち念仏を唱える。程無くして、館の中から若い娘が椀に飯を盛って現れる。背中で束ねた、腰まである茶色の長い髪が目を引く。透ける程白い肌に大きな目は、都でいつも見ていた細い目の女房達では有り得ない容貌だ。仏に仕える身でも、その色香の存在は感じ取れる。
山吹は手にした椀を悟正の鉢の上で返し、飯を鉢に移す。そして一つ会釈する。悟正も合わせて頭を下げ、その場を立ち去る。早く立ち去ってくれと、どこでも思われているのは悟正も承知だ。
「もし、お坊様。」
山吹は悟正の背中に声を掛ける。悟正は足を止め、ゆっくりと振り返って山吹の次の言葉を待つ。
「お坊様は、諸国を回り修行されていらっしゃるのでしょうか。」
「そのつもりで旅をしておりますが、まだ緒に就いたばかりで、これからが本当の修行です。」
「あの…、どこかで目がとても大きな青年を見なかったでしょうか。」
もし、谷子呂がこの地に戻って来ているなら、この僧が見掛けているかも知れない。館の中では、他にする事の無い母・露音の目が常にある。一緒に暮らす山吹には、笠階の領内を探し回る事すらできない。今なら、露音の耳目は傍にない。
「ほう。目の大きな青年ですか。」
悟正は首を傾げ、記憶の中を探る。
「あの、とても大きな黒い目なのです。一目で大きいと分かるくらいに。」
「さあて…、その様な青年は見た記憶がありません。」
「そうですか…。」
「不躾に立ち入った事をお訊きますが、その青年を何故お探しですか。」
「私がまだ小さい頃、親切にして頂いた方です。せめてもう一度、お会いしたいと願っております。」
僧と山吹の二人きり、露音に限らず周囲に耳をそばだてる者はいない。相手はこの場限り、もう二度と会う事など無い旅の僧だから、寧ろ本当の気持ちを素直に吐ける。
「そうですか…、お力になれず、残念です。」
悟正は小さく頭を下げる。
「いいえ。お引止めして申し訳ありませんでした。」
「諦めず思い続けていれば、望みが叶う事もあるでしょう。もし、その青年とあなたとの縁が残っているのなら、きっと御仏が青年を導いてくれます。」
気休めに聞こえるだろうか。恐らくそうだろう。仏教への高潔な思いも無しに、仏門に逃げ込んだ生臭坊主が言えるのはこの程度だ。だが例え気休めだったとしても、それでこの娘の青年への気持ちが保てるならばそれで良い。思い続けているなら、いずれ再会する可能性が残せる。諦めてしまえば、可能性は無に帰する。僅かでも娘の希望を保つ手助けになるなら、それも慈悲と言えはしまいか。
二人は互いにもう一度会釈をして別れる。竹林の中の細い道をゆるりと遠ざかって行く墨衣の痩せた背中を、山吹は見えなくなるまで見送った。




