見える者・聞こえる者 その七
谷子呂は、山吹の持っている笛に魅せられていた。あんな笛が自分も欲しい。夜は、子供組にいても独りぼっちでやる事も無い。
笛が吹けたら。
谷子呂は目を閉じて、自分が笛を吹いている姿を想像する。月の照る夜空の下、一人静かに笛の音を響かせる自分の姿。
それなら、自分で作ろう。山吹に内緒で作って、驚かせてやろう。それで、一緒に笛が吹けたらきっと楽しいに違いない。
谷子呂は、里山で笛の材料を探す事にした。とは言え、おいそれと頃合いの材料は見付からない。普通の木の枝は中身が詰まっている。小刀しか使う道具がない谷子呂では、通しの穴を空ける事ができない。元々穴の空いた材料を使うとなれば竹だ。谷子呂が柴集めに行く山にも竹の生えている場所はある。だが、山吹が持っている笛の様な細くてまん丸で真っ直ぐな材料はなかなか見付からない。どうせならば、山吹が驚く様なとっておきの凄い物を作ろうと、試行錯誤を繰り返している内に時は過ぎて行った。
春が過ぎ夏になった。谷子呂は十歳、山吹は六歳。二年間の月日が、山吹にとって谷子呂をなくてはならない存在にしていた。仲の良過ぎる二人に対する宇木正の懸念が解決した訳ではなかったが、まだ幼い者同士だ、無理に遠ざける程の必要は無い。寧ろそんな事をすれば、山吹はきっと父である宇木正を恨むだろう。宇木正はそれを恐れて、懸念を懸念のまま、何もせずに放っていた。
ある日、柴集めの折に足を延ばして訪れた谷で、それまで知らなかった種類の竹を見付けた。細くすっと伸びたその枝を見て、谷子呂は喜んだ。
これだ。この竹なら、あの笛が作れるに違いない。
頃合いの枝を切って持ち帰る。作業は夕飯から寝るまでの間に行なう。親しい仲間のいない谷子呂だから、小刀を使って竹を削っていても誰も寄って来ない。また何かやっていると横目でみて放っておいてくれる。去年の夏に山吹の笛を見て以降、何度か山吹に頼んで笛を見せてもらった。大きさや細部の形状を目に焼き付けて、夜になるとそれを思い出しながら作業をした。こうして、どうにか見た目は山吹の笛と同じ様な物ができ上がる。勿論、漆は塗ってない。竹のままの、如何にも手作りの物だ。
これで音が鳴るのだろうか?
形がそれらしくても、音がしなければ笛とは呼べない。変な音を出して、子供組の奴等に揶揄われるのは冗談じゃない。谷子呂は皆が寝静まった夜中に屋敷の外に出て、誰も居ない田んぼの真ん中で、作った笛を吹いてみようと決めた。
月の無い新月の夜。月明りが無ければ、常人には真っ暗な夜だ。けれど谷子呂にとっては、他者に見付かる危険の少ない夜。作った笛を手に小屋を抜け出し、土塀を乗り越えて屋敷の敷地の外に出る。目に留まった大きな松の根元に腰を下ろして、徐に笛を口に当てて吹く。
スース―と気持ちよく息は通り過ぎるが、音が出ない。
あれ?こりゃ、失敗だな。
きっと、息を吹き込む口と、管を切り欠いて付けた窓の何かが上手くないのだろう。素人なりにも、大体どこが要点かくらいは想像がつく。こんな事もあろうかと、小刀も一緒に持って来た。暗い中でも、谷子呂なら問題なく扱える。気になる所に手を加え、もう一度吹く。やっぱりうまく音が出ない。
その頃、屋敷の母屋では、山吹が耳をそばだてていた。山吹の様子がおかしいのに、一緒に居た宇木正が気付く。
「どうした、山吹。」
「何でしょう、笛の音…。」
「何?」胡坐をかいていた宇木正は、思わず腰を浮かす。「お前の笛は?」
「ここに。」
山吹は胸元から笛を取り出して見せる。これ以外に誰かが狗を操る笛を持っていると言う事か。不思議な事ではない。宇木正の母親だけに限られた能力ではないだろう。もしかすると、山吹以外にも高い音が聞こえる者が、笠階の領内に居るのかも知れない。どう対処するにしても、まず、その者を探し出さなければ。
「一緒に来い。音の在り処を探るぞ。」
山吹の手を取り、宇木正が部屋から飛び出す。事情が判らない露音と和正は、驚いたまま部屋に残された。
音が消えてしまう前に見つけ出さなければ。
「どっちから聞こえる?」
子供の足ではもどかしい。宇木正は山吹を抱え上げ、彼女の示す方向へと走る。
「遠いのか?」
「ううん。多分近く。」
屋敷の門を開けさせて、外に飛び出す。
「あっち!」
明かりも持たずに飛び出して来てしまった。足元を不安に思いながら山吹の示す方向に進んで行くと、暗闇の中にぼうっと浮かび上がる青白い二つの光が見える。その光を目にすると、物の怪にでも出くわした様に、宇木正の背中を悪寒が走り抜ける。思わず、宇木正の足が止まる。
「あ、宇木正様。」
その声は谷子呂だ。まだ背中がぞわぞわするのを我慢して、二つの光る眼にゆっくり近づく。傍まで近寄れば何とか谷子呂の体も判別できる。五体を持った人間だと分かって、漸く宇木正のおぞけが和らぐ。よく見ると、谷子呂の手に笛が握られている。それを見た途端、宇木正のおぞけは激しい怒りに変わった。
山吹をそっとその場に降ろしてから、やおら谷子呂を掴み、その笛を取り上げ、いきなり殴りつける。
「うわぁ。」
谷子呂は身を丸めて、宇木正の折檻に耐える。怒られているのは、夜中に許可も取らずに屋敷を抜け出して、こんな所で夜更かししているからだと谷子呂は理解した。
「すいません、すいません。」
只管謝る。
ど突き回し、最後は蹴飛ばして、宇木正は折檻をやめた。肩で息をする。父親の急な変貌ぶりに、山吹は身を強張らせて声も出せずにいる。宇木正は、取り上げた笛を暗がりの中で眺めてみる。山吹の笛によく似ている。
「何故、お前がこんな物を持っている。答えろ!」
谷子呂には、宇木正の質問の意味が理解できない。小刀を持って夜に忍び出た事を言っているのか?
「父上、御免なさい。」
先に口を開いたのは山吹だった。泣き声だ。
「谷子呂、なんだこれは。何処で手に入れた。」
山吹には構わず、宇木正は地面に転がる谷子呂の前に膝をついて、彼が作った笛を目の前に突き付ける。
「それは…、おいらが作りました。」
「何…」
「父上やめて、笛を見せたのは私。私だから!」
山吹は、父の背後から取りすがり、着物を掴んで谷子呂から引き離そうとする。宇木正は不意に思いつき、注意を周囲に向ける。それからゆっくり立ち上がり、もう一度、周囲を見回す。
「…狗は来ない。音が違うから。」
宇木正を引っ張り続けながら、山吹が応える。
「そうか。…谷子呂、もう山吹に近付くな。」
宇木正はすがる山吹の腕を掴むと、彼女を引っ張って屋敷に帰って行く。暗い夜の路傍に、あざと埃だらけになった谷子呂だけが残された。
次の日、谷子呂は子供組の頭から謹慎を言い渡された。昨日まで谷子呂がやっていた柴集めと薪割は尉周太が担当になる。谷子呂は小屋から一歩も出てはならない。彼の監視のために、下人が小屋の前後の出入り口を見張る程の厳重さだ。子供組の子供達は、谷子呂に白い目を向けるだけだった。誰一人、彼に話し掛けようとしない。あの夜、谷子呂が小屋からいなくなっているのに気付いた者が居た。勝手に夜中に抜け出して、何か悪い事でもしたのが見付かったのだろうと、陰で噂し合った。
山吹は、父親にも母親にも、谷子呂を許してくれる様に泣きついた。父親の宇木正は笛の事を知っている。だから、笛を見せてしまった自分が悪い。つい自分の能力の秘密も話してしまった。全部自分の責任だからと、たった六歳の女の子が必死になって谷子呂を庇った。宇木正は、山吹が感情に任せて谷子呂を助け出さないよう、離れに閉じ込めた。郎党の中から信頼できる者を見張りに付け、笠階の家族以外は入れない様に申し付けた。露音は、お前がそんなに谷子呂を気にする必要は無いと山吹に言い、早く離れから出られる様に宇木正に言ってあげるとは言うが、同時に、やっぱりあいつに関わったのが間違いだったと愚痴を零した。
山吹は四日目に自由になった。だが、子供組の小屋には近付いてはいけない、遠くから声を掛けるのも禁止された。もし破れば、即刻谷子呂を放逐し、二度と笠階の領地に入れないと宇木正に言いつけられた。独りに戻った山吹には、後悔と恋慕で自身を苦しめる日々が、罰になって降りかかってきた。
谷子呂の謹慎は一ヶ月に及んだ。ある日、郎党の一人が谷子呂を母屋に連れて行った。その部屋には、宇木正が待っていた。一ヶ月の間、子供組の連中と飯を奪い合って食べるのにも精彩を欠いた谷子呂は、見るからにやせこけている。笠階の屋敷に連れて来られた時よりも、おどおどし、目が泳いている。
宇木正の正面に谷子呂が座らされると、間髪を入れずに宇木正が告げる。
「お前はこれから修行をするのだ。」
反応が無い谷子呂に構わず、宇木正は話を続ける。
「俺の知り合いに斎行大師と言う人がいる。武術、格闘術を極めた方だ。お前はその方の下で修行をし、それらを体得して戻って来い。お前は、修行を積んで、俺の命で動く守り人になれ。この笠階を守る大事な役目だ。笠階を守ると言う事は、山吹を守ると言う事だ。」
宇木正は、谷子呂の反応を窺う。虚ろな目でぼんやりと宇木正を見ている。どこまで言った事を理解できただろう。
「谷子呂、分ったか?返事はどうした。」
「…はい、精進致します。」
「うん。ならば、支度をしろ。数日中に斎行大師が迎えに来られる。」宇木正は、脇に控えている郎党に眼を向ける。「おい、谷子呂に飯を食わせてやれ。このままじゃあ、長旅は無理だろう。」
「は。」郎党は宇木正に一礼すると、谷子呂に近付く。「それ、立て。勝手で好きなだけ食わしてやる。」
谷子呂は宇木正に頭を下げてから立ち上がり、郎党について炊事場に向かった。
谷子呂にも分かっている。つまりは体よく追い出されるのだ。ただ、何故自分が追い出される様な事態になったのかは、今一つ納得できずにいる。宇木正の娘である山吹に近付き過ぎたからか?それが一番考えられる。だが、そもそも山吹の面倒を見る様に申し付けたのは宇木正だった。それに、急に二人の距離が近付いた訳ではない。もう二年も一緒に遊ばせておいて、急に引き離す理由にはならない。つまりは、あの夜の出来事が引き金だ。宇木正は、谷子呂が作った笛を目の前に突き出して怒っていた。山吹は、笛がお婆様の物で、お父様から貰ったと言っていた。きっとそれだけ特別な笛なんだ。イヌを呼んでしまうとも言っていた。そんなものを自分が真似して作ったから、怒りをかったのか?やってはいけない禁忌だったと言う事か?
谷子呂は炊事場の脇で、下女が呆れる程に飯を平らげた。
負けたらお終いだ。自分の運命を切り拓くのは自分しかいない。
谷子呂は、やけになって米の飯を呑み込んだ。




