見える者・聞こえる者 その三
『谷子呂を山吹の遊び係にする。』
その日の夜には、宇木正から作麻呂に申し渡された。午前中は今まで通り、柴集めと薪割をこなし、余った時間で庭の掃除をする。午後は離れで山吹の遊び相手をする。明日からそれが日課になる。
「お前、遊びが仕事なんて、ズルいぞ。」それを知った尉周太は、谷子呂を非難せずにはいられない。「おいらは代掻きだ、田植えだって、一日中泥まみれになっているって言うのに、不公平だろ。」
そう言って、見えない所で足を蹴ったりしたが、それ以上何かをする事は無かった。
谷子呂は昼飯を済ますと、母屋の裏に回り、離れで待つ山吹の元に向かう、幸い、宇木正は最初の日以降、姿を見せなかった。谷子呂が離れの竹囲いの前に行くと、山吹はいつも外に出て待っていた。例え雨が降っていても、それは変わらない。ずぶ濡れになっている事はないから、谷子呂が現れる直前に出て来るのだろう。夕方、母屋に戻る時間になると、お付きの下女と思われる女が、離れに山吹を呼びに来た。山吹はいつも、下女の姿が見える前から遊びをやめて、谷子呂に明日また遊ぼうと挨拶するのだった。
「どうして、おいらが来るのが分かるんだ?」
ある日、谷子呂は山吹に尋ねた。
「足音がするから。」
「雨の日だって、凄い風の日だって、先に出ているじゃないか。そんな時でも聞こえるのか?」
「聞こえる。」
「おいらだって分かるのか?」
「分かる。」
山吹は、得意気に微笑んで見せる。
二人で遊び始めた頃、山吹はかくれんぼがお気に入りだった。だが、離れと竹囲いに囲まれた狭い庭では、隠れられる所は限られる。その上、何かコツを掴んだのか、どんなに谷子呂が上手く隠れたと思っても、山吹が直ぐに見付けてしまう様になった。
「もっと広い所でやりたいな。」
谷子呂は、屋敷の母屋や庭も使ったかくれんぼを提案してみる。山吹が居れば、母屋に入るのも許されるだろう。だが本当のところ、谷子呂は母屋など他の者がいる所で遊ぶのは気が引ける。みんな働いている。たとえ宇木正の娘の相手だとしても、遊んでいる姿を見せられたら、誰だって気分の良いものじゃないだろう。特に本当は遊びたい盛りの子供組の奴等にとっては。
「ううん。」
山吹は暗い顔で首を横に振る。
「広い方が色んな所に隠れられて、楽しくないかい?」
「ううん。あっちには行きたくない。」
きっと母屋には、何か嫌いなものがあるのだろう。それとも、谷子呂と同じで、遊んでいる姿を働いている大人に見られるのが嫌なのだろうか。高々四歳の山吹が、そんな事を考えたりするのだろうか。
「そうか。じゃ、違う事をしよう。う~ん。」
谷子呂は子供なりに腕を組んで考える。何も無い離れの空間で遊べる事が思いつかない。女の子同士なら、ままごとでもするのだろうか。
「…山へ行ければなぁ。」
谷子呂は山育ちだ。山野を走り回って育って来た。山なら木登りをしてカブトムシを捕まえ、捕まえたカブトムシ同士を喧嘩させて、どっちが勝つか勝負させたり、小川で魚を獲ったり、野草の実を集めて食べたり…、遊びは幾らでも思いつく。但しそれは、どれも男の子の遊びだが。
「山に行くの?」
「屋敷の外に出ちゃうから駄目だね。」
かくれんぼの拡大版と同じだ。人目に付く庭を横切り、門から外へと山吹を連れて行けば、どこに行くんだと声を掛けられる。山に行くんだと言えば、そんな所に連れて行くなと言われるのに決まっている。嘘をつくのはもっと気が引ける。
「行けるよ。」
小さい声で言う山吹の顔が笑っている。
「でも、二人で門から出ようとしたら、きっと駄目だって言われちまうよ。」
「行ける。こっちから行ける。」
山吹は竹囲いとは反対の土塀の方を指差す。
「こっちだよ。」
嬉しそうに山吹は谷子呂の手を取って引いて行く。土塀の前まで行くと、塀の根元が崩れて穴が開いている。その向こうは雑木林だ。山吹が先に穴を抜けて見せる。後ろから谷子呂が続く。
「山吹は、ここから良く外に出ていたのか?」
「へへへ。」
春から夏へと季節は移り変わっている。林の中は木々の香に満ち、生命の気配に溢れている。
「いつもどこに行ってたんだ?」
「あっちに滝があるんだよ。」
「お、滝か。」
山吹に付いて行ってみれば、滝と言うのには小さい。恐らく斜面の上に湧き水があり、その水が崖から流れ落ちている。ちょろちょろと放物線を描き、地面に落ちた場所に小さな池ができている。本当に小さい、だが澄んだ水だ。谷子呂は池の端にしゃがみ込んで指先を浸してみる。直ぐに痺れる様な冷たさが伝わってくる。隣で山吹も両手を入れて、バシャバシャと水しぶきを飛ばして喜んでいる。
「冷たい。良い水だな。」
「ここはあたしの内緒の場所。」
「そうなんだ。」
崖から落ちて来る水の筋を見上げる。ポチャンと水の跳ねる音に目を向ければ、小さい緑色の蛙だ。谷子呂はそれを捕まえて、山吹に見せる。
「ほら、蛙だ。」
山吹は怖がりもせずに、不思議そうに眺めている。
もっとこの辺りを探せば、面白い物、面白い所があるだろう。山吹にもっといろんな面白い事を教えてやりたい。
その日以降、二人は土塀の穴から外に忍び出て、野山で遊ぶようになった。二人だけの秘密にして遊ぶのは、何かワクワクして心が弾む。
「もっと、向こうの方まで行ってみよう。」
谷子呂の誘いに、山吹はすまなそうに首を振る。
「誰か呼びに来たら、戻らなきゃならないから。」
「そうか…。そうだな。」
安心させようと谷子呂は笑って見せる。
「この周りなら大丈夫だよ。」山吹は、小さい腕を一杯に伸ばして、ぐるりと一回転する。「誰か呼びに来ても分るから。」
「うん、分かった。」
笠階の屋敷の裏山の斜面で二人は遊んだ。木登りして虫を捕まえ、暑い日には、小さな滝の下の池に足を浸けて涼んだ。
「ヤチシロはお兄ちゃんみたい。」
並んで池の端に座って、山吹は谷子呂に体を寄せる。
「そうか、お兄ちゃんか。」
山吹は宇木正の娘だ。そう言えば、この屋敷に連れて来られた時、宇木正に駆け寄る男の子がいた。
「山吹にお兄ちゃんがいるのか?」
「うん、いる。」
「何て名前なんだ?」
「和正兄ちゃん。」
「和正って言うんだ。」
あの時、谷子呂の名前を聞いて、『変なの』と叫んだ男の子の顔を思い出す。
「何で、お兄ちゃんと遊ばないんだ?」
「和兄ちゃんは遊んでくれない…。」
山吹の表情が曇る。待っていてもそれ以上話さない。理由を言いたくないのか、彼女自身、理由を知らないのかどちらかだ。問い詰めても仕方ない。
「おいらが来るまでは、いつも一人で遊んでいたのか?」
「うん…。」一層表情が暗くなる。「みんな、気持ち悪いって言う。」
何が気持ち悪いのだろう。子供組の奴等が谷子呂に浴びせる言葉を不意に思い出して、胸が痛む。
「そんな事ないよ。おいらは、髪の毛がごわごわのぐるぐるで、これに、あと、角があれば鬼みたいだけど、山吹はさらさらの長い髪で、本当にお姫様だ。」
山吹は首を振る。
「ううん、そうじゃない。あたし、見えないのに誰か分かっちゃうから。」
山吹は拙い言葉でぽつぽつと話した。山吹の言葉を繋ぎ合わせて、谷子呂は、大体次の内容を理解した。
どうやら、彼女は常人には聞こえない音が聞こえるらしい。彼女自身には、常人はどこまでの音が聞こえて、どこから聞こえないのか分からない。彼女は、相手が姿を現す前から、地面や床を歩く時に出る音を聴いて、人が来ると分かるだけでなく、その音の調子から、その人物が誰なのか分かるのだと言う。人だけでなく、この裏山に棲んでいる狸や兎、猪の足音も聞き分けられる。どうやらそれは常人にはできない、特別な能力だと知ったと言う。
「へぇ、凄いな。」
谷子呂は素直に気持ちを言葉にする。山吹は少しも嬉しそうにしない。谷子呂には彼女の気持ちが分かる気がする。目に見えない心の傷の痛みが分かるのは、同じ傷を負った者だけだ。
「実は、おいらも普通の人には無い力がある。」
山吹は興味があるのか、谷子呂の顔を見上げる。
「おいらだけの力じゃなくて、昔住んでいた村の人は、皆持っていたんだけどね。…おいら、ユニ族って部族の者なんだ。この目」谷子呂は自分の目を指差す。「暗闇でも物が見えるんだ。普通の人は見えないらしい。おいらには見えるのが普通だし、村じゃ、みんなそうだったから気にしていなかったけど、普通の人は暗い所じゃ見えないらしい。だからかな、こんなに大きいのは。暗闇で会うと、この目が光って見えるから、普通の人はそれが嫌みたい。嫌われるんだ。」
口の悪い者は、ユニ族を梟人間とか、獣の血が入っているなどと蔑む。
「ヤチシロの目、好き。」
「ありがとう。」
自分の目が普通だったら、みんなから忌み嫌われなかっただろう。だからと言って、運命を呪う気は無い。自分はユニ族だ。ユニ族である事が誇りだ。
「きっと、山吹の人よりも聞こえる耳も、とっても良い事なんだよ。」
「うん。…おとうはそう言ってくれる。」
「そうだ、山吹の家族はどうなの?山吹と同じ様に良い耳を持っているんじゃないの?」
山吹は首を振る。
「あたしだけ。」
「そうなんだ…。ね、草笛って知ってる?」
谷子呂は沈んだ空気を振り払おうと、明るい声で話を変える。
「なぁに、それ?」
「草で音が出るんだ。丁度良い葉っぱがないか、探そう。」
「うん。」
元気の良い山吹の返事を聞いて、谷子呂は内心ほっとした。




