見える者・聞こえる者 その四
谷子呂を山吹の遊び相手にした事に、笠階宇木正は満足していた。あの日、一緒に遊ぶ山吹と谷子呂を見て、宇木正は、谷子呂ならば山吹を孤独から救えると確信した。
それまでの山吹は孤独だった。両親が彼女を可愛がらない訳ではない。父親の宇木正は山吹が特別愛おしかったし、母の露音も愛情を注いでいた。だが、山吹の持つ能力が、皮肉にも彼女を孤独にしていた。彼女は生まれながらにして、常人が聞こえない高い音を聞く能力を持っていた。山吹は、生き物が地面を踏みしめる時に出す、常人には聞こえない音域の僅かな音を聴きとって、姿が見えない内から人が近付くのを察知し、その音の癖から誰が近づいて来るのかを当てる事ができた。だが、その能力は秘密にされている。知っているのは本人と宇木正だけだ。
笠階当主の娘だ。小さい頃から、乳母や下女など多くの人に構ってもらって育ってきた。それらの人の驚く顔を見るのが面白くて、山吹は近づいて来る人を言い当てたり、裏山に猪が来ているとか、今おとうが馬に乗って屋敷に向かっているとか、言葉を覚えた幼い山吹は、周囲の者に告げる様になった。それがどれも当たるため、彼女の能力を知らない者達は気味悪がり、表立っては言わないけれど、あの子には何か憑いていると噂する様になる。当主、宇木正は勿論、母親の露音、兄の和正にも、そんな気味の悪い言動は無い。あの子だけだ。きっと鬼が取り付いた呪われた子に違いない…。
山吹が使用人達から気味悪がられているのを、宇木正は何となく感付いていた。だが一方で、彼女のその能力を、どうしても秘密にしておきたかった。周りに知れ渡れば、奇異の目に自分の娘を晒す事になりかねない。更には、山吹の能力を欲して、名だたる者達が山吹を物の様に争奪し合う事態が発生するだろう。それは、愛しい娘を不幸にする。だから宇木正は、山吹に自身が常人と違う事を自覚させ、その能力の事を他人に言ってはいけないと教え込んだ。結局それが山吹を孤独にした。彼女は、秘密を口走らない様に使用人達と口を利かなくなり、使用人達も彼女と距離をおく。兄の和正は山吹を避けなかったが、次期当主として、そして武者として、乗馬、弓、太刀の扱いと、教育を担当する家臣達が彼を放っておかなかった。山吹は三歳にして、離れで一人遊ぶ孤独な子になった。
谷子呂と遊ぶようになって、山吹は変わった。子供本来の明るさを取り戻した。家族で夕飯を囲む時、山吹の笑顔が戻ってきた。宇木正はそれに満足していた。だが、露音はそうではない。谷子呂を山吹の遊び相手にした事を、宇木正は露音には告げなかったが、別に秘密にする様に周囲の者に言い渡した訳ではない。やがて自然と露音の耳に入る。彼女はそれを知るやいなや、慌てて宇木正を掴まえて訴えた。
「なんて事をなさるんです!あなたは、山吹が可愛くないのですか!」
「急になんだ。今は駄目だ、後で話す。」
宇木正は周囲の郎党の目を意識して、その場では話をせず、頃合いを見計らって、自分から露音と二人になる場を作った。
「あのユニ族の子供を山吹の遊び相手にしたそうですね。」
頭が冷える時間をおいたつもりだったが、それでも露音は怒っている。
「何が悪い。山吹を見ただろ?よく笑う様になったじゃないか。」
「そう言う問題じゃありません。あんな忌まわしい者を近付ければ、いずれ災いが山吹に降り掛かります。」
露音は見た目の気味悪さに捉われている。そう思う宇木正は真剣に取り合うつもりが無い。
「何を根拠にそんな事を言う。」
「理由なんかありません。感じるんです。」
「ユニ族だからか?」
「そうじゃありません。…他にユニ族の者を見た事は有りませんが、そう言う事じゃないんです。あの子供には、何か言い知れない、背筋を寒くする物を感じます。」
「そうか?」
谷子呂をここまで忌み嫌っているのは露音だけだ。毎日一緒に寝起きしている子供組の者達は、谷子呂を邪険に扱いはしても、恐れたりはしない。第一、祟りがあるとするなら、山吹じゃなくて、子供組で谷子呂に辛く当たって恨まれている子供達だろう。
「あれを山吹と一緒に居させてはいけません。」
「お前が、谷子呂から嫌な物を感じるのは分かった。だが、山吹はどうだ?谷子呂が唯一の遊び相手だ。今、谷子呂を無理に遠ざければ、山吹はまた一人で遊ぶしかない。今度は、谷子呂と遊んで楽しかった思いがあるから、以前より余計に辛いぞ。俺達が意地悪をしたと恨むだろう。お前はそれで良いのか?」
「でも…」
「まあ、もう少し様子を見よう。…そうだ、お前も一度、山吹と谷子呂が遊んでいるところを見てみると良い。お前の懸念も晴れるやも知れん。」
「冗談じゃありません。」露音は、まるで気味の悪い虫でも見付けた様に身震いする。「あんな子など見たくありません。」
「そう、毛嫌いするもんじゃない。谷子呂は愛想はないが、言われた仕事はきちんとこなす。子供組の他の者に辛く当たられても、じっと我慢している。きっと良い郎党になる。」
暗闇でも目が利くユニ族の能力は、きっと戦でも役に立つ。
「あれを?あれを郎党にするおつもりで!」
「ああ。」
「いけません。それこそ、笠階の命取りです。是非、是非お考え直しを!」
「まあまあ、今直ぐにと言う訳じゃない。もう少し様子を見ようじゃないか。」
その内、露音の誤解も解ける。
「もし、谷子呂に何かおかしな所が有ったら、直ぐに山吹から引き離す。場合によっては、この屋敷から放逐する。それで納得してくれ。」
露音はいつまでもグズグズと文句を呟いていたが、宇木正は頃合いと話を切り上げて、その場を後にした。
山吹と谷子呂が出合った春は駆け足で通り過ぎ、辺りを満たす夏の活力の中で、本当の兄妹の様に遊び回り、秋は物悲しさよりも実りを謳歌し、凍てつく冬の空気を割いて二人は走った。こうして一年が過ぎ、新しい春を迎えても、一つずつ年を取っただけで二人の関係は変らなかった。山吹と谷子呂の体は大きくなった。二人の周りも少しずつ変化した。子供組の頭だった作麻呂は、郎党の仲間入りをし、別の者が頭になった。谷子呂よりも後から子供組に入って来る者もあった。相変わらず、谷子呂と親しくする者はいなかったが、酷くいじめられる事は無くなった。
露音は諦めなかった。山吹には谷子呂を信用しない様に言い聞かせ、谷子呂の小さな失態を目敏く見付けては、宇木正に告げ口した。
春の訪れは、それだけで心をワクワクさせる。冬がけっして嫌いな訳じゃない。吹雪の時に、離れの中に籠って遊ぶのは寒く退屈だけど、晴れた日に雪で遊ぶのは面白い。それでも、雪が解け、草花が芽吹き始めると、何故か己にも新しい活力が湧いて来るのを感じる。土塀の穴から抜けて裏山に入れば、草木の香りが満ち溢れ、自然と体を動かしたい衝動に駆られる。山吹は谷子呂の手を取った。
「ね、今日は向こうに行ってみましょ。」山吹は裏山の奥を指差す。「きっと何か面白い物があるから。」
誰かに呼ばれやしないかと、いつも気にして屋敷から遠く離れようとしない山吹ですら、春風に誘われる。二人は、新芽の木々の間を縫って、今まで入り込まなかった山の奥まで登った。屋敷から見えていた山桜の木の下は、散ったばかりの花びらが敷き詰められて桃色に染まっている。冬の間は全く聞こえなかった鳥たちの鳴き声がけたたましい程に聞こえる。
「あ、これって、食べられるんでしょ?」
山吹が嬉しそうに、タラの木の枝先を指差す。薄茶色の枝先から緑色の小さな葉の塊りが顔を出している。それを見た途端、谷子呂の顔色が変わる。全身が震え、怯えた目が宙を彷徨う。
「ヤチシロ?」
谷子呂の急変に、山吹の顔から笑顔が消える。
「あああ…」
谷子呂は両手で頭を抱えてその場にうずくまる。
「ヤチシロ!大丈夫?」
慌てて駆け寄る小さい山吹が、抱えきれない谷子呂の背中を抱く。谷子呂はうずくまり、只全身を震わせて小さく呻いている。
「ヤチシロ、ヤチシロ!」
二人は暫くそのままでいた。少しも落ち着きを取り戻さない谷子呂を無理矢理に立たせ、山吹は屋敷に戻った。離れの縁側に座り、漸く谷子呂は落ち着きを取り戻す。それでもまだ蒼い顔をして俯いている。結局その日、谷子呂の笑顔は戻らなかった。
その夜、谷子呂は夢を見た。
目の前に置かれた背負い籠は、タラの芽でいっぱいだ。
「タラの芽はお前が背負って行けよ。」
兄の声が聞こえる。
こんなに重くっちゃ早くなんて歩けない。待って、待ってよ、兄ちゃん。待ってったら!
暗い夕暮れの道を一人、足元ばかり見つめて歩く。ふと視線を上げると、村が燃えている。紅い炎の海だ。
母ちゃん!
谷子呂は目を醒ます。まだ暗い。夜明け前だ。周囲から、誰のものとも分からないいびきが幾つも聞こえる。谷子呂は子供組の小屋の天井を見上げて考える。
あの時、救い出してもらえたから、今の自分がいる。
谷子呂はそのまま目を閉じた。




