見える者・聞こえる者 その二
尉周太に限った話ではない。子供組の中で谷子呂に話し掛けて来る者は、まとめ役の作麻呂だけだった。彼等は申し合わせた様に、恐らくは暗黙知として、谷子呂に関われば自分も同じ扱いを受けると悟って、関わらない様に遠巻きにしている。いつの間にか自分の傍に谷子呂が居るのに気付けば、「うわぁ、近寄って来るんじゃねぇよ、バケモノ!」と言いながら慌てて避ける奴もいる。それを他の奴等は、遠くから見て笑っている。谷子呂も、彼等に自分から関わろうとしなかった。反撃も懐柔もしない。ただ、飯の時だけは、全力で闘った。自分は常人と違うユニ族。それは孤独な彼の覚悟であり、誇りだった。
何日経っても、尉周太は谷子呂に仕事を教えなかった。彼の存在など無いかの様に、一人で黙々と仕事をする。五日目、薪割をする尉周太の元に作麻呂がやって来た。
「尉周太、どうだ。谷子呂は仕事できる様になったか?」
「いや、全然っすよ。」
当たり前だ。何もやらせていないのだから。
「ちょっとやらせてみろ。」
作麻呂は顎で谷子呂を指す。
「え…?無理っすよ。」
「良いから、やらせてみろ。」
尉周太は渋々、手斧を谷子呂の方に差し出す。谷子呂は黙って受け取ると、丸太を置いて割って見せる。斧の使い方は、父親に教えてもらった。どの程度の大きさに割れば良いのかは、ここ数日、飽きる程見て理解している。
「できるじゃないか。」作麻呂は満足そうだ。「それじゃあ、今日から、柴集めと薪割は谷子呂の仕事だ。」
「え~!」
不満の声を上げたのは、尉周太だ。自分の仕事を取られるのが嫌なのだろう。
「尉周太は別の仕事だ。田植えをするぞ。」
「え~、田植えってずっと屈んでて、腰が痛くなるやつでしょ。え~。」
作麻呂に背中を押されながら、尉周太がいなくなってしまうと、谷子呂は一人になる。
柴集めと薪割と言っていた。畑の手伝いはしなくて良いのか?まだ、見習いみたいなものだから、見くびられたか…。
谷子呂は黙々と、夕方まで薪割を続けた。
仕事は決まったが、屋敷の仕来りを教えてくれる者もいなかった。谷子呂はそれを、いちいち失敗して怒られながら覚えた。例えば、『自分より目上の人が通る時には、脇に避けて道を空け、頭を垂れて行き過ぎるのを待て』と言うのを知らず、谷子呂は、柴の入った籠を背中に担いで、後ろから来た笠階一族の者の前を堂々を歩き続けた。付き従っていた郎党に蹴り飛ばされ、地面に倒れた所を足蹴にされて、その上罵倒された。だが、それで学んだ。
ああ、だからみんな、ああして両側に並んで頭を下げているのか。と合点がいけば、あとは間違わない。誰が目上かで迷う事は無い。底辺にいる谷子呂にとって、みなしご集団の子供組以外は全て目上だと思って間違いない。
こうして段々と谷子呂は、笠階の屋敷の中に馴染んでいった。馴染むと言うのとは少し違うかも知れない。それとは反対に、少しずつ、でも確実に、彼の感情は彼の体の中に沈んでいったのだから。
焚きつけに使う柴探しに、谷子呂は勝手に工夫を入れた。尉周太はいつも同じ道順で里山を回っていたが、毎日の事だ、落ちている頃合いの小枝は取りつくされて生木の枝を折って足しにしていた。でもそれでは水分が多く、焚き付けには向かない。山の中を飛び回っていた谷子呂にとって、笠階屋敷周辺の里山など、どこへ行っても散歩の様なものだ。普段人が入らない様な所に行けば、直ぐに籠は一杯になる。こうして、今日は向こうの斜面、明日はこっちの谷と、行く場所を変えて里山を歩き回り、すっかり周辺の地理に明るくなった。薪割も慣れてくれば、力加減と丸太にどう刃を入れれば割れ易いか、分かる様になる。こうして、薪割も楽に早く終わる様になった。
そうなってしまうと、やる事が無い。尉周太が午前中一杯かかって終わるか終わらないかだった仕事が、午前中だけでも時間が余ってしまう。かと言って、ぶらついていれば、怠けていると思われてしまう、何かできる仕事を探さなければ。
谷子呂は、空いた時間で庭の掃除を始めた。敷地の広い庭は、誰も手入れをしない。木の枝や草は伸び放題、落ち葉は吹き溜まりに山になっている。そもそも掃除道具が無い。谷子呂は柴集めで山に入った時に、良くしなる細い枯れ枝を集めて来て、竹の柄に束ねて縛り付け箒を作る。塵取りは壊れた竹籠を利用してそれらしい物にする。伸び過ぎた枝の剪定は、いつも寝起きする小屋に太刀か小刀しかないから、流石に太刀は遠慮して、古そうな小刀を勝手に拝借した。
谷子呂が庭の掃除をしていると、いろいろな人が通りかかる。立派で偉そうな武者、腰を屈めて忙しそうに足早に通る下人…、作麻呂も通りすがりに、掃除をしている谷子呂の姿を見た。だが、何も言わずに通り過ぎた。やってはいけない事じゃないのだ。それに、何かしら仕事をしていれば文句を言われないのだろう。そうして毎日庭掃除をしていたら、いつの間にか庭掃除が谷子呂の仕事の一つになっている。屋敷の中でそれが知れ渡ったのか、畑仕事をしている郎党が、集めた枯葉をもらいに来る。腐らせて肥料にするらしい。
毎日掃除をしていればどんどん綺麗になり、掃除をする所が無くなっていく。人目に付き易い母屋の正面の庭から始めたが、その辺りはすっかり綺麗になり、当分手を付ける必要が無い。周囲へと手を広げる。母屋の裏手に離れがあり、その周りは背の低い竹囲いで囲われている事に気付く。竹囲いの向こうは、一面に落ち葉が降り積もって、如何にも掃除のしがいがありそうだ。春だと言うのに、見た事の無いキノコまで顔を出している。
ここは入って良いのだろうか?
ちょっと不安になりながら周囲を見回すが、母屋の裏手では通る人もいない。
ま、良いか。怒られたら、次から入らなけりゃ良いんだ。
谷子呂は、竹囲いに付いた小さな木戸を押して中に入り込む。
何のための離れだろう?
余りに静かで、何だか悪い事をしている様な気分になる。忍び足で進み、頃合いな所から掃除に取り掛かる。
「だぁれ?」
急に、高い小さな声が聞こえる。電気が流れた様に体を硬直させ、持っていた箒を強く握りしめる。まるで悪戯をしようとして見付けられた子供だ。声がした離れの方を振り向けば、板戸が少し開いて、白い幼女の顔が覗く。
「だぁれ?お名前、なんていうの?」
板戸を押して姿を現す、幼い女の子。七歳の谷子呂の半分くらいの背丈しかない。茶色の真っ直ぐな髪を肩より上で切り揃え、ほっぺたにたっぷり肉がついた丸い顔。谷子呂程ではないにしろ、大きい目をしている。瞳も茶色い。肌は白いと言うよりも、血の色が透けてほんのり桃色に色づいている。谷子呂でも分かるくらい高そうな着物を着ている。
「…谷子呂。」
笠階の屋敷に連れて来られて、一体何回自分の名を名乗ったろう。初めて会う大人達は皆、ユニ族の風貌に興味をそそられて、最初に彼の名を訊く。
「ヤチシロさん?聞いた事の無い足音だったから、分からなかった。」
そう言いながら、チョコチョコと縁側に出て来て、草履を履く。
足音?忍び足で来たから、足音なんてさせなかった筈だ。
幼女は真っ直ぐに谷子呂に近付くと彼を見上げる。
「何してるの?」
「あの、ほら。」谷子呂は持っている箒を彼女に見せる。「庭の掃除だ。」
「綺麗な目ね。」
人の話を聞いているのだろうか。自分が興味ある事だけ、口にしているのではないのか?
「そんな事ない。みんな、気持ち悪いって言う。」
「あたしも、そんな真っ黒な目が良かった。」
「良い事なんか無い。」
「髪も真っ黒ぉ。」
幼女は谷子呂の渦巻くくせ毛に手を伸ばすが、届かない。
「そっちの髪の毛の方が良い。おいらのは、いろんなものが絡まってしょうがない。」
幼女はどうしても髪の毛に触りたいのか、一生懸命手を伸ばす。谷子呂は仕方なくしゃがみ込む。幼女は満足そうに、ごわごわの黒い髪を触る。
「おいらといない方が良いぞ。」
「これは何?」
今度は箒に興味を示す。
「これは箒。落ち葉を集めるんだ。」
幼女は、箒を谷子呂の手から取るが、大き過ぎてうまく扱えない。谷子呂が手を添えて、使い方を教える。
「ね、遊ぼ。」
幼女は谷子呂の手を取る。
「え、でも、おいら、仕事しなきゃ。ここを掃除するのがおいらの仕事だから…。」
「遊ぼうよ。」
「いや、でもな。」
「あ、おとうだ!」
幼女は、急に谷子呂が入って来た竹囲いの方を見て声を上げる。谷子呂も幼女の視線の先を振り返る。だが、そこには誰もいない。幼女は拙い足取りで竹囲いの方へ走って行く。
何を言っているんだ?
谷子呂は訝しく思ったが、纏わりつかれなくなって漸く仕事ができると、ちょっとほっとする。
「おとう!」
「山吹、なんだ、外に出ていたのか。」
幼女の呼び掛けに応える声が聞こえて再び振り向くと、笠階宇木正が竹囲いの向こうに立っている。
まずい。この屋敷に連れて来られた時は知らなかったが、今なら知っている。あれは一番偉い人だ。
谷子呂は隅に立って頭を下げる。
「おとう、遊んでもらって良い?」
「ん~、父ちゃんと遊ぶか。」
「ううん、あのお兄ちゃんと遊ぶ。」
「あいつか…。」
下を向いている谷子呂には、親子の会話だけが耳に入って来る。
そうか、あの子は宇木正様の娘か。
「おい、谷子呂。」
「…はい。」
呼ばれて、恐る恐る顔を上げる。目の前に幼女を抱き上げた宇木正が立っている。怒った様な目が、谷子呂を睨み付けて来る。
こりゃ、まずい。けど、あんたの娘だって知らなかったんだから、しょうがないだろ。
「お前、山吹を遊んでやれ。」
声は怒っている。
「…はい。」
本当に自分で良いのか?子供組の中で、自分がどんな扱いを受けているのか知らないから言えるんじゃないのか?それとも、何か無礼な行ないをしないか試しているのか?
宇木正は山吹を下ろすと、自分は離れの縁側に上がり、二人の様子を眺める。
これじゃあ監視されているのと同じだ。とても遊ぶ気分になんかなれない。
「そ、それじゃあ…、かくれんぼをしようか。」
「かくれんぼ?」
「そう、一人は隠れて、もう一人が鬼になって隠れた人を探すんだ。見付けられたら交代だよ。」
「うん、やる!」
二人は、そうして夕暮れになるまで遊んだ。谷子呂は、親の監視の元で遊び相手をする事が、普通に仕事をこなすよりも何倍も疲れる事を思い知らされた。




