見える者・聞こえる者 その一
四 見える者・聞こえる者
ユニ族の谷子呂が何故笠階の郎党になったのかは、話が十二年前まで遡る。ユニ族の村が焼き討ちされ、親兄弟を失った谷子呂を、笠階宇木正が自分の馬に同乗させて連れ帰った。当時、谷子呂は八歳だった。
一族郎党を引き連れて屋敷に帰って来た宇木正を、妻の露音が門で出迎える。
「お帰りなさいませ。」
「うん。」
馬上で宇木正が抱え上げた谷子呂を、下で下人が受け取る。
「この子は?」
露音が尋ねる。
「ユニ族の村で拾った。今日から、うちの子供組に入れる。」
「ユニ族…」
露音は、下人が地面に降ろした男の子の顔を覗き込む。間近に寄って来た婦人を、谷子呂も何事かと見上げる。手を伸ばせば届く近さで二人の視線が合う。
「ひっ!」
露音は思わず体をのけ反らせ、恐怖に顔をゆがませる。
「ああ、ユニ族を見るのは初めてか。大きな目をしているだろ。」
馬を降りながら、事も無げに宇木正は言う。
「この子は…。本当にこれをこの屋敷に置くのですか。」
露音の声には、非難の色が滲んでいる。
「見た目はびっくりするが、悪い者ではない。」
宇木正は意に介さない。
「父上ぇ。」
男の子が宇木正に駆け寄り、足元にしがみ付く。宇木正はその子の頭を撫でる。
「どうだ、和正の遊び相手に丁度良いだろ。」
「遊び相手なんて、とんでもありません。これに近付いたら、災いがあります!」露音は、宇木正の足にしがみ付く男の子に手を差し出す。「さ、和正、向こうに参りましょう。」
和正と呼ばれた男の子は、母の手を振り解き、谷子呂に近寄る。二人の歳も、背格好も大して変わらない。同じ高さで視線がぶつかる。
「お前の方が一つお兄ちゃんだ。」
宇木正が和正に向かって言う。
「お前、何て言うんだ?」
和正の物言いは、遠慮が無い。
「谷子呂…。」
谷子呂は、知らない者ばかりに囲まれて、すっかり雰囲気に飲まれている。
「変なの!」
和正は一声叫んで走り去っていく。露音がその後ろを追いかける。二人の姿は家の陰に入って見えなくなった。
「お前の居場所を作ろう。」
宇木正は棒立ちになっている谷子呂の手を取る。屋敷の母屋とは離れて敷地の隅に小屋がある。二人はその小屋に向かった。
「作麻呂、…作麻呂。」
小屋の中を覗き込み、宇木正が声を掛ける。
「はい。」
作業の手を止めて、十五、六歳の少年が、宇木正の前に走り寄る。
「こいつをお前の所にあずける。ここでの作法や、仕事を教えてやってくれ。」
興味本位で周囲の子供達が集まって来る。忽ち子供の輪に囲まれる。十歳前後の子が殆どだ。中には谷子呂より小さな子もいる。全て男の子だ。何か珍しい動物でも観察する様に、みんなの好奇の目が谷子呂に注がれる。
「はい。…お前、名前は?」
「谷子呂…。」
「何?」
声が小さ過ぎて聞き取れなかったのか、作麻呂は片耳を谷子呂の方に向ける。
「谷子呂!」
「ヤチシロか。今日から、ここがお前の家だ。」
作麻呂は、腰に手を当てて声を張る。
「じゃ、頼んだぞ。」
宇木正は谷子呂を残して、あっさりと小屋を出て行ってしまう。
「分かりました。」
宇木正が居なくなっても、子供達は谷子呂を遠巻きにして近付こうとしない。
「こいつ、変な目してる。」「うわ、なんだ、こいつ。」
子供達の中から遠慮のない言葉が飛ぶ。
「ユニ族だ。お前等、知らないのか?」
作麻呂は少し偉そうにしている。
「へ~。」「あ、それ、聞いた事ある。バケモンだ。」
「こら、そんな事言うな。これから、俺達の仲間だぞ。」子供達の責任者を任されている作麻呂は、年少者達をたしなめる。「そうだな…、尉周太、谷子呂と組め。お前がここの決まりや、仕事の仕方を教えるんだ。」
「え~、何で俺ぇ。」
あからさまに不満の声を上げる。尉周太は、谷子呂より少し年上だろう。細長い顔に低い鼻、薄い眉、切れ長の目。眉毛が太く、目の大きな谷子呂と対照的だ。似ているところと言えば、量の多いぼさぼさの髪の毛ぐらい。
「尉周太にはいい経験だ。小さい者の世話をした事、なかっただろ。」
「おいら、野良仕事を教わってる最中だ。屋敷の中の仕事だって、柴集めや薪割くらいしかやってねぇし、教える事なんてねぇよぉ。」
「その柴集めと薪割から教えてやれ。」
「え~、おいらより、ワラ兄や、奏多の方が教えられるよぉ。」
「いいや、お前だ。良いな、命じたぞ。…ほら、みんな、仕事に戻れ!」
年長者の一喝で、蜘蛛の子を散らす様に、子供達はやりかけの自分の仕事に戻って行く。
「付いて来て。」作麻呂が谷子呂に声を掛ける。「尉周太、お前も一緒に来い。」
「おいら、仕事途中だから。」
「それは後にしろ。そんなに手間は取らせない。」
作麻呂は、谷子呂と尉周太を連れて、屋敷の敷地の中を回った。まず、子供組が寝起きする小屋で谷子呂の寝場所を決め、毎日使う椀と箸を割り当てる。裏手に回って、井戸の場所、煮炊きの場所を教え、母屋には良いと言われない限り行ってはならないと釘を刺す。
「後は、お前に任せる。途中になってる仕事に連れて行って、教えてやれ。」
作麻呂は尉周太にそう言って、二人を残して自分の仕事に戻って行った。尉周太は、不機嫌な顔をして、谷子呂に目もくれずに歩いて行く。さっきの年長者がああ言っていたのだからと、谷子呂は少し離れて彼の後からついて行く。
「近寄るな。」
谷子呂に掛けた言葉はそれだけだ。尉周太は不機嫌な顔のまま、やりかけの薪割に戻る。どうして良いか分からない谷子呂は、少し離れて彼の様子を眺めていた。
「おーい、イーやん。仲良くやってっかぁ。」
通りすがりに、誰かが冷やかしの声を掛けて行く。
「うるせぇ!はっ倒すぞ!」
いよいよ尉周太の機嫌が悪くなる。
結局その日、尉周太は谷子呂にそれ以上声を掛けなかった。何をして良いか分からない谷子呂は、ずっと少し離れて尉周太の様子を見て立っていた。それが尉周太には余計目障りだった。
夕方になれば、子供組の子供達は小屋に帰って来て、下女が作って運んで来た飯を食べる。一同が車座になった中央に飯の皿が置かれる。飯は、大盛りにされた皿から奪い合いだ。育ち盛りの子供達ばかり。どんな事をしても良いから、口に入れた者が勝ちだ。ぼんやりしていたら、食う物なんか残っていない。それが日常で慣れている彼等は、年齢の上下などお構いなしに奪い合う。家族で落ち着いた食事しかした事の無い谷子呂は、呆気に取られてろくに食べられずに終わる。空いた腹を抱えて、与えられた一人分やっとの隙間に体を横たえ、谷子呂はその夜をやり過ごす。
暗い部屋の中に寝転んでいると、七日前の出来事を思い出す。紅蓮の炎に囲まれて、馬に乗った宇木正が谷子呂を見下ろしていた。馬を降りて谷子呂に近付くと、抱え上げ、自分の馬に乗せた。そうして宇木正自身も馬に乗り直して、燃え盛る村から外へと連れ出してくれた。あの時、宇木正は言った。
「助けに来た。お前を連れて行く。」
もう谷子呂に他の道は無い。ここで、この笠階の屋敷の中で生きていく。
子供組は、親を亡くした子ばかりを集めた集団だ。日頃農民と同じ様に田畑を耕して生活している武士だが、いざ戦となれば武具を身に付け、殺し合う。当然死ぬ事もある。戦が無くても、飢饉になれば多くの死者が出る。そういう出来事で親を亡くした一族郎党の子供達を集めて、文字通り笠階家子飼いの家臣に育てていく。成長すれば、彼等は笠階のために命を投げ出せる戦士となる。
子供組に押し込められて、何が何だか分からない内に一日が暮れた。だが、次の朝になるまでに、谷子呂は理解した。
『自分の道は自分で切り拓け。』
他人に遠慮していては、食う物すら手に入らない。誰も気に掛けてくれない。他人を押しのけてでも、望む物を手に入れなければ死ぬだけだ。上下関係など気にしていられない。手にした者が勝ちだ。
そうか、それがここの決まりか。いや、きっと、この世の決まりだ。
夜が明ければ朝飯になる。夕飯と同じ様に大盛りの皿が出されて、全員で群がって取り合って食べる。大皿から一番遠い位置に座る谷子呂は、食事が始まると全力で大皿に突進する。
「あ、邪魔だ。この野郎!」
周囲の者から罵詈雑言を浴びせられ、腕で押され、肘鉄を食らっても、食い物を目掛けて割り込んでいく。箸を使うのも面倒だ。手づかみで取れるだけ鷲掴みにしたら、争いの中から抜け出し、部屋の隅に行って口に頬張る。
「こら!ちゃんと席に座って食べろ。」
作麻呂は谷子呂の着物の衿を掴んで元の席まで引き摺って行く。
「ほら、ちゃんと箸も使え。」
口一杯に頬張って咀嚼もままならない谷子呂の、料理を直に持ったベタベタな手に箸と茶碗を持たせる。谷子呂はされるがままに、箸と茶碗を持って口をもぐもぐさせながら座る。それでも作麻呂はそれ以上、もう何も文句を言わなかった。
尉周太は、今日も谷子呂に声を掛けない。その日、朝食の片づけが済むと、黙って自分の仕事に出掛けて行く。谷子呂の存在など知らないかの様に視線を向ける事すらしない。どうすれば良いだろうと迷ったが、他の者も皆、何かしら役目を与えられていて、何か言われなくても夫々仕事に取り掛かる。小屋の中でぼーっとしていても仕方ないので、尉周太の後からついて行く。そうして丸一日、尉周太の傍で彼のやる事を観察した。最初は柴集め。籠を背負い、屋敷を出て裏山に行く。落ちている小枝や、何故か決まった種類の木の小枝を折って籠に入れる。籠がいっぱいになったら屋敷に戻り、風呂の焚口と炊事場に分けて置く。火起こしに使うためだ。次に薪割。頃合いな丸太は、屋敷の敷地の隅に山積みになっている。恐らく、丸太を切って来るのは誰か他の年長者の役目なのだろう。手斧を使って、コツコツと割っていく。割った薪は、これも風呂の焚口と炊事場の、決められた置き場に積み上げる。その後は、昼食を挟んで畑仕事の手伝い。春は夏野菜の作付けだ。冬の間に固くなった大地に鍬を入れ、掘り起こしていく。鍬を扱うのは大人達の役割だ。まだ貧弱な体の尉周太は、種の準備や抜いた雑草の片付け、水やりと言った手伝いが仕事だ。鍬を振るう大人達に指図されて仕事をこなしていく。谷子呂にはいつも不機嫌そうな顔をして口も利かないくせに、大人達には愛想笑いを浮かべ、やたらと嬉しそうに話している。谷子呂は畔にしゃがんで、尉周太を冷めた目で追った。
「お前、誰だ。見慣れない顔だな。」
鍬を振るう大人が一人、手を止めて谷子呂に話し掛ける。
「…谷子呂。」
「そいつ、昨日来た奴で、ユニ族っす。」
声を聞きつけた尉周太が脇から話し掛ける。
「ん?ああ、そうか、だからこんなに目が大きいのか。」
大人は感心した様に谷子呂の目をまじまじと見る。
「どうだ。何か手伝ってくれんか。」
ずっと暇だった。何でもやる。
谷子呂はその言葉に黙って立ち上がる。
「そいつ、駄目っす。なんにもできないから。」
慌てて、尉周太が言い訳する。
「そうかぁ?五体満足なんだから、簡単な事ならできるだろ。」
「いやいや、ユニ族なんて碌なもんじゃないっすよ。…やる事あるなら、おいら、やるんで、言ってもらって良いっすか。」
「ん…、そうか。じゃ、今日の所は見ていな。」
大人は、ちょこっとだけ笑顔を谷子呂に見せると、畑仕事に戻る。
なんだ…。
谷子呂はやる事を失い、一度立ち上がったその場に、またしゃがみ込んだ。




