08 王女の侍女
悪魔は嘘をつかない。嘘が嫌いなんてことではない。必要ないからだ。
嘘で身を守ったり、他人を陥れたりしない。強いからだ。
エミリーを復讐に誘ったのも気まぐれだ。正義を守るなんて、みじんも思っていない。
エミリーが言いたいことを言いたいと願ったから、場所を闘技場に設定した。
証言者は人間らしく嘘をついたが、言いたいことを言えるようにしたやったら、おもしろいことになった。
08 王女の侍女
証言者として出廷するよう求める書状を、ロザリーは朝から何度も開いては閉じていた。
王室の紋章。正式な文面。そして、王女付き侍女ロザリーの名。
(やっと、この日がきたわ)
開廷の場所は王都の闘技場。大勢の前で、王室の方々も見ている。そこで話せるのだ。
王女の寝室の隣にある控えの間で、ロザリーは書状を胸に押し当てた。扉の向こうから、王女が目を覚ました気配がする。慌てて書状をエプロンの内側にしまい、表情を整えた。
「失礼いたします、殿下。お目覚めでしょうか」
「ええ。起きているわ」
ベッドの上で、王女はクッションに背を預けていた。顔色はもうすっかり戻っている。ロザリーは水差しを取り、カップに注いで差し出した。
「今朝は、お加減はいかがですか?」
「だいぶいいわ。ありがとう、ロザリー」
王女はカップを受け取り、唇の端だけで笑った。
「医師は、あと少し量が多ければ危なかったと言っていたわね。ちょうどいい量だったでしょう? 私、飲み込む前にこっそり吐き出したのよ。でも、苦しそうな顔をするのは大変だったわ」
ロザリーは、声を落として笑った。
「さすがでございます、殿下。あの場の誰も、疑っておりませんでした」
「あなたが上手に動いてくれたからよ。約束どおり、裁判が終わったら侍女頭にしてあげる。お給金も倍にするわ」
「ありがとうございます!」
ロザリーは深く頭を下げた。口元が緩むのを、うつむいて隠す。
(侍女頭。私が、侍女頭に)
あの日のことは、今でもよく覚えている。
事件の三日前、王女に呼ばれたのだ。
「近いうちに、エミリーを部屋に呼ぶわ。お茶の時間に、私が合図をしたら、あの子の手から瓶を取り上げなさい。あとは、私の言うとおりに話してくれればいいの」
最初は、何のことかわからなかった。だが、王女の話を聞くうちに、ロザリーは理解した。エミリーが煙たいのだと、邪魔なのだと。
お茶の時間、エミリー様は何も知らずに部屋を訪れた。
王女はにこやかに迎えた。
王女がカップを口に運び、よろめいて、片手を喉に当てる。
「うっ……」
それが合図だった。
ロザリーは駆け寄り、テーブルに置かれていた瓶をとりあげてエミリーに突き付けた。
「エミリー様、それは何でございますか!」
「えっ? 知りませんわ。最初から……」
エミリー様が驚いた顔で答えるのも聞かず、ロザリーは叫んだ。
「誰か! 医師を! 殿下が毒を!」
エミリー様の言葉は、騒ぎの中に飲み込まれていった。
「ロザリー、聞いている?」
王女の声に、はっとして顔を上げた。
「申し訳ございません、殿下。少し、考え事を」
「裁判のことね。いい? あなたは、エミリーが私のカップに瓶の中身を入れるのを見た。それだけを話せばいいの」
「はい。承知しております」
ロザリーは神妙にうなずいた。
「頼りにしているわ」
王女はカップを傾け、静かに微笑んだ。
その日の午後、洗濯室の前を通りかかったロザリーは、同僚のアンナに呼び止められた。
「ロザリー、聞いたわよ。闘技場に呼ばれたんですって?」
「ええ。証言者としてね」
ロザリーは胸を張って答えた。
「すごいわね。じゃあ、あなたが見たことを、皆の前で話すのね」
「そうよ。エミリー様が、殿下のカップに瓶の中身を入れたところを」
アンナは洗濯物を抱えたまま、首をかしげた。
「あなた、事件の日は、エミリー様の手から瓶を取り上げたって言っていなかった? カップには、触れてもいなかったって」
ロザリーは眉を寄せた。
「そんなこと、言ったかしら」
「言っていたわよ。あなたが自分で、私に話したじゃない」
「あのときは、動揺していたの」
ロザリーはきっぱりと言った。
「殿下が倒れかけたのよ。落ち着いて話せるわけがないでしょう。今ははっきり思い出したの」
「でも、エミリー様は、瓶はテーブルにあったって……」
「アンナ」
ロザリーは声を低くした。
「あなたは見ていないから、そう言えるのよ。私は目の前で見たの。間違いなんて、あるはずがないわ」
アンナは唇を結んだ。何か言いたそうに目を伏せ、それ以上は口にしなかった。
「いいのよ。それより、洗濯物が落ちそうよ」
ロザリーは背を向けて歩き出した。
(あの子は黙るわ。誰も、私を疑ったりしない)
部屋に戻り、扉を閉めた。
鏡の前に立ち、背筋を伸ばす。
証言台に立つ自分の姿を思い浮かべながら、口を開いた。
「私は、王女殿下付きの侍女、ロザリーでございます。あの日、エミリー様が殿下のカップに、瓶から何かを入れるところを、この目で見ました」
声に出すと、悪くない響きだった。
何度か繰り返すうちに、作り話に細かい飾りを足したくなってくる。
「エミリー様は、笑っておられました。瓶を傾けると、液体がカップに落ちて、かすかな音を立てて……」
そこまで言って、ロザリーは満足げにうなずいた。
音など聞こえてはいない。エミリー様は笑ってもいなかった。けれど、そのほうが皆様の心に残るだろう。
(本当に毒を入れたのは殿下ご自身だけれど、そんなこと、誰も思わないわ。だって、私は殿下の命の恩人なのだから)
ロザリーは衣装箱を開けた。王女からいただいた、上等な薄青の外出着が入っている。袖に手を通し、襟を整えた。鏡の中の自分は、いつもより凛々しく見えた。
「忠義者、と呼ばれるのかしら」
つぶやいて、頬が熱くなった。
エミリー様が何と言い訳をしようと、こちらには王女殿下がついている。毒が入っていたのも、瓶があったのも本当だ。ならば、あとは少し話を足すだけでいい。
ロザリーは鏡の前でもう一度、堂々と胸を張った。
裁判の日が、待ち遠しくてならなかった。
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