05 母
05 母
王室の紋章が入った書状が届いた。
侍従が差し出した盆の上で、赤い封蝋が光っている。母はカップを置き、ペーパーナイフで封を切った。
証言者として出廷を要請する。場所は王都の闘技場。
最後まで読んでから、母は小さく息を吐いた。
(やはり、呼ばれるのね)
驚きはなかった。母親が呼ばれないほうが不自然だ。
「奥様、旦那様が書斎でお待ちです」
侍従に言われ、書状を持ったまま廊下を進んだ。
扉を開けると、夫はすでに同じ書状を机に広げていた。
「お前にも届いたか」
「ええ。私は、何を話せばよろしいのかしら」
母が尋ねると、夫は書状から目を上げずに答えた。
「聞かれたことに答えればいい。あの娘が幼いころから扱いづらかったこと。それでも、私たちが手をかけて育てたこと。事実を話すだけだ」
「承知しましたわ」
「それと、殿下の婚約者であった以上、我が家も被害者だということを忘れるな」
「もちろんです」
母はうなずいた。
「殿下にも王女殿下にも、合わせる顔がありませんもの」
そう口にしてから、本心だろうかと、ふと思った。
書斎を出て、自室へ戻る。窓辺の椅子に腰を下ろすと、もう一度書状を読み返した。
エミリーのことを聞かれる。
そう考えて、母は娘の顔を思い浮かべようとした。
浮かんだのは、幼い日のエミリーだったが、すぐに義母の面影が重なった。
(いやだわ。思い出したくもない)
エミリーは転んでも、あまり泣かない子だった。膝をすりむいても、自分で立ち上がってから、じっとこちらを見ていた。抱き上げてほしいのか、そうでないのか、母にはわからなかった。
妹のほうは違った。少し転んだだけで大声で泣き、母の裾にしがみついてきた。抱き上げて頭をなでれば、すぐに笑った。
母にとっては、そちらのほうが子どもらしく、扱いやすかった。
(エミリーは、何を考えているのかわからない子だったわ)
(あの子を抱きしめたことがあるだろうか?)
最後にあの子とゆっくり話したのは、いつだっただろう。
考えかけて、母は首を振った。
(今さら思い出しても仕方がないわ。大事なのは、これからのこと)
母は立ち上がり、侍女を呼んだ。
「当日の衣装を決めたいの。黒いドレスを出してちょうだい」
「黒、でございますか」
「ええ。娘に裏切られた母親が、華やかな色を着ていけるはずがないでしょう。レースは控えめにして、黒いベールも用意して」
「かしこまりました」
侍女が衣装部屋へ向かうと、入れ替わるように扉が開き、妹のポーラが顔をのぞかせた。
「お母様、闘技場の裁判に行くのでしょう? 私も行きたいわ」
「あなたは、来なくていいのよ。つらい思いをさせたくないもの」
「でも、お姉様がどうなるのか、ちゃんと見ておきたいの。殿下もいらっしゃるのでしょう? 私がそばにいたほうが、殿下もお心強いと思うわ」
ポーラは母の腕に手を回した。甘えるときの、いつもの仕草だった。
母は少し考えてから、娘の手をそっと叩いた。
「それもそうね。殿下のお傍に、あなたがいると安心だわ。おとなしくしているのよ」
「はい、お母様」
ポーラが弾むような足取りで出ていくと、母は鏡台の前に座った。
ハンカチを取り出し、目元に当ててみる。
「あの子が、こんなことをするなんて……」
声に出してみた。震えは悪くない。けれど、涙は出なかった。
母は鏡の中の自分を見つめた。ハンカチを当てたままの、母親らしい悲しげな顔が映っている。
(涙は、当日になれば出るでしょう。大勢の前なのだから)
そう考えて、ハンカチを引き出しにしまった。
引き出しを閉めるとき、ほんの一瞬、手が止まった。
地下牢で、あの子はいま何をしているのだろう。
今の今まで、考えたこともなかったのに。
そんな思いが浮かんだが、母はすぐに打ち消した。
「奥様、黒のドレスをご用意しました」
侍女の声に振り返り、母は微笑んだ。
「ありがとう。では、袖を通してみましょうか」
闘技場で何を話すか、頭の中で組み立て始める。
そこにエミリーの言い分が入る余地は、どこにもなかった。




