03 悪魔の能力
03 悪魔の能力
エミリーは、久しぶりにぐっすりと眠った。
目を開けると、昨夜と同じ天井が見えた。寝返りを打ち、ゆっくりと体を起こす。眠る前には重かった手足も、今朝は軽かった。
両手で髪をすき、もつれたところを指先で解いていく。櫛も鏡もなかったが、手櫛でひとつにまとめ、肩のところへ流して三つ編みにした。
「起きたか? おはよう」
悪魔の声に、エミリーは顔を上げた。彼は少し離れたところに座り、こちらを見ていた。
「おはようございます」
エミリーが頭を下げると、彼は軽く手を振った。
何もなかった場所に、昨夜と同じテーブルが現れる。椅子が二脚。その上には湯気の立つカップと、朝食の皿が並んでいた。
「座るといい。腹が減っているだろう」
悪魔に促され、エミリーは椅子に腰を下ろした。温かなパンの匂いに、空腹を思い出す。
「ありがとうございます」
そう答えたものの、エミリーはすぐには食事に手をつけなかった。テーブルの縁に置いた指をそろえ、向かいに座る悪魔を見つめる。
「ひとつ、聞いてもいいですか?」
「聞くだけなら、いくつでも」
彼の返事を聞いて、エミリーは少し身を乗り出した。
「時を戻すことはできますか?」
真剣なまなざしを受けても、彼の表情は変わらなかった。
「時を戻すのは、無能な神の領域だ。俺にはできない」
「そうですか……」
エミリーの肩が、わずかに落ちた。テーブルにそろえていた指先も、力なく離れる。
悪魔はその様子を眺め、面白そうに笑った。
「ずいぶん、あからさまにがっかりしたな」
「いえ、そんなことは」
エミリーは慌てて首を横に振った。食事も寝床も用意してくれた相手に、失礼な態度を取ったようで、頬が熱くなる。
「そうやって人間は嘘をつく。がっかりしたと、ちゃんと言えばいいのだ」
悪魔はカップを持ち上げた。責めるような口調ではなかったが、エミリーは返す言葉を探して唇を結んだ。
やがて、小さく息を吐く。
「……はい。がっかりしました。戻れるかもしれないと、期待してしまったので」
「うむ。それでいい」
悪魔は満足そうにカップへ口をつけた。
「怒らないのですか?」
「なぜ、俺にできないことを残念がっただけで怒る?」
エミリーは目を瞬かせた。それから、少しだけ口元を緩める。
「そうですね。悪魔は嘘をつかない、でしたね」
「覚えていたか」
「はい」
エミリーはうなずき、ようやくパンに手を伸ばした。ちぎると、柔らかな内側から温かな湯気がこぼれる。
一口食べてから、ふと思い出したように顔を上げた。
「そういえば、悪魔さん。お名前はありますか?」
「あるとも。レガシーだ」
悪魔は誇らしげに名乗った。
「レガシーさんですね」
「ああ。レガシーでいい」
エミリーはその名を確かめるように、もう一度うなずいた。
「私はエミリーです」
「そうか。エミリー、よろしくな」
レガシーは小さく笑った。
エミリーも、今度はためらわずに笑みを返した。名前を呼べるようになっただけで、向かいに座る相手との距離が少し縮まったようだった。
しばらく、食器の触れ合う静かな音が続いた。
エミリーは温かな飲みものを一口ずつ飲み、パンを食べた。空腹が落ち着くにつれて、先ほど落としていた肩が上がり、背筋が伸びていく。
(戻れないなら、これからのことを考えなければ)
カップを置き、エミリーはレガシーをまっすぐに見た。
「レガシー、裁判を開いてもらうことはできますか?」
レガシーは、皿へ伸ばしかけていた手を止めた。
「裁判?」
「はい。私、言いたいことを言いたいんです」
エミリーは膝の上で両手を握った。
「今までは、何を言っても聞いてもらえませんでした。私が話している途中でも、嘘をつくなと言われて……最後まで話せたことがありません」
声が少し震えた。エミリーは一度唇を結び、呼吸を整えてから続けた。
「だから、皆の前で話したいんです。私が何をしたのか、何をしていないのか。私の口から言いたい」
レガシーはカップを置いた。
「それはいいな。公の場の発言は取り消せないからな」
満足そうに口角を上げた悪魔を見て、エミリーは握っていた手を緩めた。
「では、できますか?」
「ああ。お前が話せる場を用意しよう」
「ありがとうございます」
エミリーは深く頭を下げた。
「礼を言うのは早いぞ。お前の望む裁判と、あちらが開きたがる裁判は、ずいぶん違うかもしれない」
レガシーの言葉に、エミリーは顔を上げた。
「それでも、話せるのなら」
彼女は今度こそ、はっきりと答えた。
「私は、話したいです」
その日のうちに、王都の広場にある掲示板へ告知が貼り出された。
王室の紋章が入った大きな紙を役人が広げると、通りかかった人々が足を止めた。貼り終えるのを待ちきれず、肩越しに文字を読み始める者もいた。
【王女殿下毒殺未遂犯の裁判を行う。
すぐにも処刑したいところであるが、慈悲と秩序を大切にする王室は、このような女に対しても裁判を行う。
なお、この女が幼少期より冷酷非道であったことを万人に知らしめるため、裁判は闘技場で行う】
読み終えた男が、隣の知人の肩をたたいた。
「闘技場だとよ。これは大勢入れるぞ」
声をかけられた男も、掲示を見上げた。
「王女様を毒殺しようとした女か。どんな顔をしているのか、一度見てみたいと思っていたんだ。裁判かぁ、初めて行くな。楽しみだ」
買い物カゴを腕に掛けた女が、二人の横から口を挟んだ。
「幼いころから冷酷だったそうじゃないか。いったい何をしてきたんだろうね」
「裁判で聞けるんだろう。早く行って、いい席を取らないとな」
男がそう答えると、周囲でも笑い声が上がった。
掲示板の前には、次々と人が集まった。読める者が声を張り上げ、読めない者に内容を伝える。その声を聞いた人々が、さらに知人を呼び止めた。
屋台の店主は、闘技場の近くで何を売るかを話し始めた。久しぶりの大きな催しに、広場は浮き立っていた。
告知には、すでにエミリーを犯人とする言葉が並んでいた。
それを疑問に思う声は、賑やかな人々の声の中からは聞こえてこなかった。




