29 その後の国王夫妻
29 その後の国王夫妻
その日の夕刻、国王の執務室に、宰相が会合の記録と一通の文書を携えて現れた。
机の上に置かれたそれを、国王は立ったまま読んだ。王妃は傍らの椅子に座り、読み終えた紙を受け取っては重ねていた。
二枚目で、国王の手が止まった。
「……税の免除?」
宰相は目を伏せた。
「貴族方の総意として、とのことでございます」
「総意だと」
国王は紙を机にたたきつけた。
「王女の不始末の始末をつけるために、私が税を差し出すのか。説明を求められて開いた会合ではなかったのか!」
「はい」
「それが、いつから取り立ての場になった」
宰相は答えなかった。答えようがなかった。
国王は残りの紙をめくり、三枚目、四枚目で、さらに顔色を変えた。
「侍女二人を主犯とする説明。ここまでは、決めたとおりだ。だが、王太子を、貴族たちが選ぶだと?」
「陛下の養子として迎え、新たな王太子に、と」
「誰が許した!」
声が執務室に響いた。壁際に控えていた書記が、びくりと肩を震わせた。
王妃が、静かに口を開いた。
「王太子は、何と言ったのですか?」
「それが……」
宰相は言いよどんだ。
「『誰かが決めてくれれば、それでいい』と。『父上が決めればよい』と」
王妃の指が、受け取りかけた紙の端を強く握った。紙が小さく鳴った。
「あの子は」
その先は、言葉にならなかった。
国王は椅子に沈み込み、両手で顔を覆った。
「言い含めておいたはずだ。余計なことを言うな、王家として遺憾に思うとだけ述べよと」
「余計なことは、確かにおっしゃいませんでした」
宰相は低く言った。
「ただ、何を聞かれても、『面倒だ』『どうでもいい』と」
王妃は目を閉じた。
「王女は」
「最初の質問で、すでに」
宰相が差し出した記録を、王妃は受け取って読み始めた。読み進めるうち、唇から血の気が引いていった。
「看守に、食事も出すなと命じた……いい気味ね、と」
「はい」
「知らなかったと答えなさいと、あれほど」
王妃の手から記録が滑り、床に落ちた。
国王が、その紙を見下ろした。
「司会は何をしていた。打ち合わせたとおりに進めさせろと言ったはずだ」
「司会の者も、同様でございます。事前の打ち合わせの内容を、すべて、その場で」
「すべて?」
「『王家に不都合のない説明を聞かせて、納得して帰っていただくために呼んだ』と、ご自分で」
国王は、言葉を失った。
しばらくして、絞り出すように言った。
「その男を処罰しろ。今すぐだ。書記もだ」
「陛下」
宰相は、頭を下げたまま続けた。
「貴族のお一人が、手帳に今日のやりとりを書き留めておられます。細かな字で、びっしりと。この文書をお認めにならなければ、その通りに話す、と」
「脅すのか」
「いえ。そう申されただけでございます。ただ、聞いたことをそのまま話すと」
国王の手が、机の上で握りしめられた。
「闘技場の観客は数千人だ。その者たちが、すでに話している」
「ええ。ですが、貴族方が口を揃えて同じことを話せば、噂は事実として定まります。今は、まだ、定まっておりません」
宰相は、顔を上げた。
「侍女に責任を負わせるという形も、貴族方のからの申し出です。これに同意すれば、陛下と王妃殿下が事前にご存じだったとは、誰も言えなくなります」
王妃が、はっとして夫を見た。
あの夜、二人だけで決めたことを、貴族たちは知らない。それなのに、同じ結論へ別の道から辿り着き、しかも対価までつけてきた。
「私たちの望みまで、見透かされていたのですね」
王妃の声は震えていた。
「いいえ」
宰相は首を振った。
「貴族方にも、守りたいものがあっただけでございます。自分の家と、自分の娘を」
国王は椅子の背に深くもたれ、目を閉じた。
あの会合の席に、自分が座っていたら。
何をどこまで話しただろう。侍女のことだけか。王女のことだけか。それとも。
出席しなくてよかった、と思う自分に気づいて、国王は唇をかんだ。
「王女は、離宮へ移すと」
王妃が、小さく言った。
宰相はうなずいた。
「手紙は検閲し、訪問者には許可を、と」
「私は、あの子に、好きなお菓子を届けさせるつもりでした」
誰も、返事をしなかった。
やがて、国王が目を開いた。
「署名する」
宰相が、驚いたように顔を上げた。
「税の免除、新たな王太子の件、王女の処遇。すべて、いったん受け入れる」
「陛下……」
「いったん、だ」
国王は羽根ペンを取った。インクがにじむほど、強く握りしめていた。
「今は、受け入れるしかない。ほかに、何ができる」
誰も、その問いに答えなかった。
ペンの先が、紙の上を滑った。署名が、ひとつ、ふたつと増えていく。
窓の外では、王妃が手配させていた園遊会のために、庭師たちが花壇を整えていた。
王妃は、その光景から目をそらした。
最後の署名を終えたとき、国王が、ぽつりとつぶやいた。
「……王太子は、エミリーに聞けばよいと言ったそうだな」
王妃は答えなかった。
あの娘の名が、この部屋で口にされたのは、あの夜以来、初めてだった。
けれど、二人とも、それ以上は何も言わなかった。




