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百人目の囚人  作者: 朝山みどり


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21 侯爵家で

21 侯爵家で


 早朝、侯爵家に役人たちがやってきた。


 玄関広間へ降りてきた侯爵は、並んでいる男たちを見て足を止めた。先頭にいたのは、昨日の裁判でエミリーの証言を聞いていた役人だった。


 その後ろには、書類を抱えた書記と、蓋のついた木箱を持った男が控えている。


「何の用だ」


 侯爵の声は硬かった。


「薬瓶の捜索に参りました。エミリー嬢の証言に基づいて、屋敷内を調べさせていただきます」


 役人は一礼してから、侯爵をまっすぐに見た。


「エミリー嬢は、ポーラ嬢のお部屋と、ご両親のお部屋にも毒薬があるかもしれないとおっしゃいました」


「あれは娘の当て推量だ。娘の嫌疑は取り消されたはずだろう」


「はい。エミリー嬢の嫌疑は取り消されました」


 役人はそこで言葉を切った。


「ですが、事件の調査が終わったわけではありません。エミリー嬢のお部屋に毒が持ち込まれた経緯を、確認する必要があります」


「だからといって、私たちの部屋まで調べるというのか」


「昨日の証言をお聞きになったうえで、調べる必要はないとお考えでしょうか」


 侯爵の眉間にしわが寄った。


 役人は、それ以上返事を待たずに書面を差し出した。


「捜索の対象はこちらに記されています。ご確認ください」


 侯爵は受け取ったものの、すぐには目を落とさず、役人を睨みつけた。隣に立つ夫人が、落ち着かない様子で役人たちを見回している。


「使用人の部屋まで調べるのか」


「はい。エミリー嬢のお部屋も、改めて確認します。侯爵閣下と奥様、ポーラ嬢のお部屋も同様です」


「私たちの部屋まで?」


 夫人の声が高くなった。


 役人は静かにうなずいた。


「ほかにも薬瓶が持ち込まれている可能性があります。中身のわからない薬が屋敷にあるとすれば、放置はできません」


「この家を、何だと思っているのです」


「毒薬が見つかった屋敷です」


 夫人は口を閉じた。


 侯爵はようやく書面に目を通した。紙を持つ指に力が入り、端がわずかに折れた。


 しばらくして、そばに控えていた家令を呼んだ。


「案内しなさい」


 家令は深く頭を下げた。


「承知いたしました」


 捜索は、部屋ごとに進められた。


 役人たちは棚や引き出しを開け、中身をひとつずつ確かめた。薬瓶が見つかると、その部屋を使う者に用途を尋ね、書記が答えを書き留める。


 夫人は廊下に立ち、役人が部屋を出入りするたびに視線を向けた。侯爵は何度も懐中時計を取り出したが、誰も捜索を急ごうとはしなかった。


 やがて、ポーラの部屋で、ひとりの役人が化粧台の前にかがんだ。


 下段の引き出しには、髪飾りやリボンの箱が収められていた。その箱を順に取り出すと、奥に小さな布包みが見えた。


「こちらは何でしょう」


 寝台のそばに立っていたポーラが、顔を上げた。


「それは……」


 役人の手元を見たまま、言葉が続かなかった。


 役人は包みを化粧台の上に置いた。慎重に布を開くと、小さな瓶が二本、並んで現れた。


 どちらにも栓がされていた。


 先頭の役人が近寄る。その横から、ポーラが手を伸ばした。


「お待ちください」


 役人が制すると、ポーラの指が瓶の手前で止まった。


「そのままにしておいてください。これは、あなたのものですか」


 ポーラは手を引っ込めた。


「私が、預かっていたものです」


「誰から預かったのですか」


「あるお方からです」


 書記が顔を上げた。


 役人はポーラを見つめたまま、もう一度尋ねた。


「その方のお名前は」


 ポーラは答えず、戸口へ目を向けた。


 そこに立っていた夫人が、息をのんだ。


「ポーラ。なぜ、まだ持っているの?」


 役人の視線が、夫人へ移った。


 夫人は唇を引き結んだが、ポーラは母を見たまま答えた。


「だって、どうすればいいのかわからなかったんですもの」


「あなたは……」


 夫人が部屋へ入ろうとすると、役人が一歩進んだ。


「順に確認させてください」


 夫人は戸口で足を止めた。


「ポーラ嬢。この瓶の中身は何だと聞いていましたか」


 ポーラは唇をかみ、視線を落とした。


「何も聞いていません」


「中身を知らずに預かったのですか」


「はい。ただ、預かってほしいと言われただけです」


 書記の筆が動いた。


 廊下から足音が近づき、侯爵が部屋に入ってきた。化粧台の上に並ぶ二本の瓶を見ると、顔をこわばらせた。


「毒は侍女に渡したと言っていたではないか」


 ポーラは肩をすくめた。


「ガーベラに渡したのは、別の瓶です。これは何かわかりません。ただ預かっているだけです」


「では、この二本は、証言で話した瓶とは別のものなのですね」


 役人が確認すると、ポーラは小さくうなずいた。


「はい」


 侯爵は化粧台の前まで来たが、瓶には触れなかった。


 役人は少し声を和らげた。


「預けた方は、そのとき、何と言いましたか」


「覚えていません」


「いつまで預かるように言われたのでしょう」


「覚えていません」


「返す場所や、渡す相手については?」


「それも、覚えていません」


 返事をするたびに、ポーラの声が速くなった。


 役人は一度、侯爵夫妻へ目を向けた。侯爵は口を開きかけていた。夫人は近くの椅子の背を握りしめている。


「瓶を預かるほかに、何かするように言われましたか」


「覚えていません」


「何か指示があったかどうかも、ですか」


 ポーラは急いで首を振った。


「何も覚えていません」


「娘は、何も覚えていないと言っています」


 侯爵が割って入った。


「同じことを何度尋ねても、答えは変わらんだろう」


 役人は侯爵とポーラをゆっくり見た。


「承知しました。では、現時点では、預けた方のお名前も、中身も、預かった経緯も確認できないということで記録します」


 書記が書き留めた内容を確かめ、続きを記した。


 役人は木箱を持った男へ合図した。


「この二本を保管してください。見つかった場所も記録するように」


「お持ちになるの?」


 ポーラが一歩近づいた。


「はい。中身を調べます」


「でも、預かりものですから」


「中身のわからないものを、そのままお返しするわけにはいきません。預けた方について思い出したことがあれば、お知らせください」


 ポーラは何か言いかけたが、侯爵を見ると口を閉じた。


 瓶は一本ずつ布で包まれ、木箱へ収められた。蓋が閉じられるまで、夫人は椅子の背から手を離さなかった。


「それでは、ほかのお部屋を捜索します」


 役人は戸口で待っていた家令へ向き直った。


「次は、侯爵閣下のお部屋へご案内ください」


 家令の視線が侯爵へ向いた。


 侯爵はしばらく黙っていたが、やがて短くうなずいた。


 役人たちが出ていくと、ポーラは化粧台の前に立ち尽くした。引き出しから取り出された髪飾りやリボンの箱が、卓の上に並んでいる。


 夫人が口を開いた。


「ポーラ、どうして……」


「奥様」


 戸口に残っていた書記が声をかけた。


「先ほどの、なぜまだ持っているのかというお言葉についても、あとでお聞かせください」


 夫人の手が、椅子の背から滑り落ちた。


 書記は一礼して廊下へ出た。


 侯爵夫妻もポーラも、しばらく何も言わなかった。

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