↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
百人目の囚人  作者: 朝山みどり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/33

20 噂


20 噂


 裁判が終わった日の夜、王都の食堂も酒場も、いつもより遅くまで灯りがついていた。


 料理の皿が空になっても、帰ろうとする者は少ない。誰かが昼間の証言を口にすると、隣の卓からも声が飛んできた。


 皆、話したいことが山ほどあった。人の話を最後まで聞くより、自分の覚えている言葉を披露するほうが忙しかった。


「貴族の考えることは、よくわからんねえ」


 食堂の窓際で、仕立て屋の女が首をかしげた。


「姉さんに妹のお古を着せるんだってさ。侯爵家ってのは、思ったよりけちなんだね」


 向かいに座った八百屋の女房が、すぐに口を挟んだ。


「けちなんじゃないよ。妹には新しいのを作ってやってたんだから。可愛い娘と、そうでない娘の違いさ」


「だったら、なお悪いじゃないか」


 仕立て屋の女は、卓の上に置いた手を広げた。


「うちだって、お古は着せるよ。でも、体に合うように直してから渡す。あのお嬢さん、自分で裾を直したっていうじゃないか。侯爵様のお屋敷には、針仕事をする人間もいないのかね」


「いるだろうさ。妹のドレスを作る人間が」


 八百屋の女房が言うと、隣の卓にいた男が吹き出した。


 仕立て屋の女は笑わなかった。指先で、自分の袖口の縫い目をなぞった。


「人手も金もあるのに、姉娘の服を直す手間だけ惜しんだんだね」


 その声は、先ほどより低くなっていた。


 けれど、少し離れた卓では、別の話で盛り上がっていた。


「俺は、あの言葉に驚いたよ」


 荷運びの男が、酒の入った杯を持ち上げた。


「貴族のお嬢さんでも、寝取るって言うんだな」


「ほかに何て言うんだい。やったことは同じだろう」


 八百屋の女房が振り返ると、男は肩をすくめた。


「いや、もっと上品な言い方をするのかと思ってさ。それも、自分の部屋でだろう。ずいぶん大胆なことで」


「親も侍女も知っていたってね」


 仕立て屋の女が言った。


 隣の卓の男が、身を乗り出した。


「寝取るを上品に言うと、何て言うんだ?」


「お寝取りになられるのでございます、かな?」


 荷運びの男が気取った口調で答えると、あちこちから笑い声が上がった。


「むずかしいね。丁寧に言ったところで、やったことは変わらないよ」


 八百屋の女房も、口元を緩めた。


「恥知らずに平民も貴族もないんだな。そっちにも驚いたよ」


 荷運びの男が言うと、仕立て屋の女がうなずいた。


「まったくだよ。姉さんには可愛げがないだの何だの言って、妹にはそれかい。あの家じゃ、行儀がいいってのは何を指すんだろうね」


「ご先祖様が墓で起き上がったんじゃないか?」


 隣の卓の男が言った。


「ああ、情けないだろうな。おちおち死んでもいられない」


 荷運びの男が応じ、二人で笑った。


 そこへ、奥の卓から太い声が上がった。


「それより、騎士だよ」


 仕事着の袖をまくった大工が、空の杯を卓に置いた。


「あのお嬢さんが言ってたじゃないか。ろくに調べもしないで、人を殴って、それで給料をもらってるって」


 近くの卓で笑っていた男たちが、そちらを向いた。


「俺たちは、寸法ひとつ間違えたって、やり直しだ。仕事が悪けりゃ金は払ってもらえん。次の注文だってなくなる」


 大工は、木の粉が残った爪の先を見た。


「騎士様は、無実の人間を牢に放り込んでも、給料が出るのか」


「私らなんか、朝から働いて、ほんのわずかな儲けだよ」


 八百屋の女房が、腰につけた小さな財布をたたいた。


「売れ残りが出りゃ、それだけで損になる。そこから税を納めてるっていうのにね」


「うちも同じだ」


 食堂の主人が、皿を下げる手を止めた。


「粉も薪も、買わなきゃ商売にならん。客が少ない日だって税は待ってくれない。あのお嬢さんを殴った連中の給料にも、うちの金が入ってるのかと思うとな」


 主人は皿を重ね直した。陶器の触れ合う音が、妙にはっきり響いた。


「人を殴って、贅沢三昧かい」


 仕立て屋の女が顔をしかめた。


「立派な制服を着て、いいものを食べて。こっちは、その制服を縫うために目を痛めてるっていうのに」


「俺なんか、王宮へ荷を運ぶたびに待たされるんだぞ」


 荷運びの男も、杯を置いた。


「遅いと文句を言われるから早く行けば、担当がいない。荷を下ろそうとすれば、許可がない。待ってる間の金なんか、誰も払ってくれん」


 ほかの客も、次々に話し始めた。門で横柄に追い払われたこと。頼まれた修理の代金が、いつまでも支払われなかったこと。


 裁判の話をしていたはずが、いつの間にか、それぞれが胸にためていた不満を持ち出していた。


「ただ、あのお嬢さんが殴られたのは、今日まで知らなかったね」


 八百屋の女房が言った。


「あの血のついた服を見ても、最初は恐ろしい娘だと思ってたよ。王女様に毒を盛ったんだから、仕方ないって」


 仕立て屋の女は、卓に目を落とした。


「私もさ。周りがそう言うから、そうなんだろうと思った」


 短い沈黙が落ちた。


 大工が、空の杯を指で回した。


「それを確かめるのが、あいつらの仕事だろう」


「そうだよ。聞いた話をそのまま信じて捕まえるだけなら、騎士なんか要らないじゃないか」


 八百屋の女房の言葉に、何人もがうなずいた。


 食堂の主人は、戸口へ目をやった。それから扉を閉める代わりに、外に出していた最後の椅子を中へ運び入れた。


「お偉方は、どう始末をつけるかね」


 主人が言うと、大工が顔を上げた。


「あのお嬢さんも、それを見たいって言ってたな」


「私も見たいよ」


 仕立て屋の女が答えた。


「謝って終わりにするのか。殴った騎士は、また明日も同じ仕事をするのか。ちゃんと聞きたいね」


 今度は、誰も笑わなかった。


 それでも、話は尽きなかった。冷めた煮込みを食べながら、杯の底に残った酒を飲みながら、人々は同じ証言を何度も取り上げた。


 帰り支度をした客さえ、戸口で別の客に呼び止められ、また話し始める。


 昼間、闘技場で聞いた言葉は、家へ持ち帰られ、隣人に伝えられ、夜更けまで王都のあちこちで繰り返されていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。