18 エミリーの証言
18 エミリーの証言
最後に、エミリーの名が呼ばれた。
証言台へ向かう彼女を、観客たちが目で追った。破れたドレスの裾が、歩くたびにかすかに揺れる。乾いた血の染みを見て、顔を曇らせる者もいた。
エミリーが証言台に立つと、役人は手元の書類を整えた。先ほどまで幾人もの証言を書き留めていた筆は、今は机の上に置かれている。
「これまでの証言を聞いて、何か申し立てたいことはありますか」
エミリーは少し考えてから、口を開いた。
「私は、自分が疎まれているのを、ずっと感じていました」
客席で、父が身じろぎした。
「ご家族から、ということですか」
「はい。小さい頃は辛かったです。どうしたら可愛がってもらえるのか、何を直したら喜んでもらえるのか、いつも考えていました」
エミリーは証言台の縁に目を落とした。
「でも、何をしても変わりませんでしたから。そのうち、考えなくなりました。今はもう平気……」
そこで言葉が止まった。
平気だと言い切ろうとしたのに、続けられない。エミリーは唇を結び、一度、息を吸い直した。
「……さほど、気にしなくなったと思っていました。でも、先ほど侯爵ご夫妻が、ポーラのために立ち上がったのは辛かったです」
会場が静まり返った。
先ほど夫妻が声を張り上げたときには顔をしかめていた婦人が、今は痛ましそうにエミリーを見つめている。
「証言を要請されていないからと、あんなに必死に止めようとなさっていましたね。私は見え透いた証拠で殴られ、牢に入れられたのに、妹はかばわれた。王女殿下に至っては、この場にいらっしゃいません」
エミリーは、空席のままの王女の席へ目を向けた。
「まあ、どこかに隠れてご覧になっているのでしょうけれど。卑怯なことはお得意ですもの」
客席の一角で、小さく息をのむ音がした。王女の席を振り返る者もいたが、エミリーをとがめる声は上がらなかった。
彼女の視線が侯爵夫妻へ移ると、観客たちもそちらを見た。
父は口を開きかけたが、何も言わなかった。母は膝の上で両手を重ね、じっと下を向いている。
「私のときは、何も聞いてくださいませんでした。私がやったかどうか確かめるより先に、罪人として扱われました。まるで、待っていたことがようやく起きたみたいに」
エミリーは、父の顔を見つめた。
「いい加減な証言に飛びついて、私を排除しようとなさったんですね。もしかしたら、企みをご存じだったのかもしれません。可愛くない娘を、罪人として堂々と排除できる。そう考えて、あの間抜けなやり方に乗ったのでしょうか」
侯爵が背筋を伸ばした。反論しようとしたのか、唇が動いたが、声は出なかった。
その様子を見て、近くの席にいた男が眉をひそめた。
「先ほどの侍女が着ていたのは、私のドレスです。私が戻らないとわかっていたから、侍女に与えたのでしょうね」
ざわめきが広がった。
侍女の証言を聞いていた婦人たちが顔を見合わせる。華やかなドレスをまとっていた侍女と、血のついた服で証言台に立つ令嬢。その違いを、今になって理解した者もいた。
「あの……エミリー嬢。そのとき、ご自身の潔白を訴えましたか」
「はい。何度も。でも、聞いていただけませんでした。今日の証言を聞いて、助けてくださらなかった理由がわかった気がします。私を守る側ではなく、陥れる側にいらしたのですね」
静かな声だった。
エミリーは、うつむいたままの母へ目を向けた。
「ポーラが証言台に立つことは止めるのに、私が牢へ連れていかれるのは止めなかったんですね」
母の指が、膝の上で強く絡み合った。
客席から低い声が漏れた。何を言っているのかまでは聞き取れなかったが、夫妻へ向けられる目は、先ほどよりも冷たくなっていた。
エミリーは二人から目を離し、役人へ向き直った。
「私は、家と、この国を出たいです」
役人の手が、書類の上で止まった。
「まずは、事件について確認させてください。あなたは、毒を用意しましたか」
「いいえ」
「誰かに入手を頼んだことは」
「ありません。だいたい、私は忙しくて、毒を準備する時間なんてありませんでした」
エミリーはわずかに眉を寄せた。
「私が毎日どこにいて、何をしていたか、ちゃんと調べればわかったはずです。……調べるまでもなく、私に用事を言いつけていた方たちなら、ご存じだったでしょう。両親は私に関心がありませんでしたから、知らなかったと思いますけれど」
役人は筆を取り、短く書き留めた。
「当時のあなたの行動については、改めて確認します」
「今からですか。今さらですね」
筆先が止まった。
「私を牢に入れる前には、なさらなかったんですね」
「……十分な確認が行われたとは、言えません」
「両親も、調べてくれとは言いませんでしたしね。取り調べでは、殴られるばかりでした。そんないい加減なことをやってお金をもらって生活してるんですね。真面目に働いている人を馬鹿にしてますね」
エミリーの言葉に、観客の視線が再びドレスへ落ちた。
「馬鹿にしやがって」
「泥棒だね」
そんな声が広がって行った。
布に残る黒ずんだ染みを見つめ、口元を押さえる婦人がいた。隣に座る男は、固い表情で役人を見た。
「私の部屋から瓶が見つかった。それだけで、私が買ったことになるんですか。誰が部屋へ持ち込んだのか、私がいつ手に入れたのか、そういうことは確かめないんですか」
「本来は、確かめるべきことです」
「でも、しなかった。殴ることだけはした」
役人は一瞬ためらい、それから答えた。
「はい」
その返事を聞いて、エミリーは小さくうなずいた。
「やはり、最初から私を罪人にするつもりだったんですね」
「エミリー嬢。それについては、捜査に関わった者たちを調べたうえで――」
「そうでないなら、よっぽどの間抜けですね」
役人が顔を上げた。
客席のどこかで、こらえきれないような笑いが漏れた。すぐに咳払いでごまかされたが、隣の席の者まで口元を押さえていた。
エミリーは声を荒らげていなかった。ただ、不思議そうに役人を見ている。
「人を牢に入れるのに、なぜ、そんなことも確かめないのでしょう。私が何を言っても聞かず、瓶を見つけた人の言葉だけを信じて」
役人は黙っていた。
「毒を購入したという書類だって、そうですよ。自分の署名に『侯爵令嬢』なんて書きません。それくらいは、いくら王女殿下でもご存じだと思います。それを証拠として採用するなんて……」
エミリーはそこで一度、息を吐いた。
「恥知らずって、最強ですね」
今度は、あちこちから笑いが漏れた。
笑ってよい場ではないと心得ている者たちが、懸命に顔を伏せている。一方で、書類の不自然さに初めて気づいたらしい者は、驚いた顔で隣の者とささやき合っていた。
役人はしばらく黙ったあと、低い声で答えた。
「あなたが、そのように考えるのは当然です」
エミリーは目を伏せた。
ようやく話を聞いてもらえた。けれど、その返事で、殴られた痛みも、牢の中で過ごした時間も消えるわけではなかった。
「先ほど、国を出たいとおっしゃいましたね」
「はい」
「今回の件が明らかになり、あなたの名誉が回復しても、そのお考えは変わりませんか」
「変わりません。家にも戻りたくありません。こんな間抜けな支配者のいる国にも、いたくありません」
客席で数人が顔を上げた。
エミリーはためらわず、言葉を続けた。
「見え透いた証拠だとわかっていながら、それを採用して私を殺そうとする婚約者など、まっぴらごめんです」
笑い声が聞こえた。
「ほんとだね」
黒い服の男だった。
男は楽しそうに笑っていた。何人かがそちらを振り返ったが、その声を聞いたエミリーは、わずかに肩の力を抜いた。
今度は、言葉が止まらなかった。
「私がこの国を出たら、王女殿下の目的はかないますね。王太子殿下の目的も」
「エミリー嬢。殿下がたの目的については――」
「婚約者を変えたいなら、婚約を解消しようとおっしゃればよかったのです。何も、殺そうとしなくても。喜んで応じましたのに」
会場の奥で、椅子のきしむ音がした。
「王女殿下も、私を邪魔だと思っていらしたのでしょう。確かに、何をさせても私のほうが上でしたから。妬みって怖いですね」
王女を知るらしい婦人が、困ったように目をそらした。その隣では、若い令嬢が小さくうなずきかけ、慌てて姿勢を正した。
「間抜けと妬み。両方そろえば、もっと恐ろしいことになりますね」
役人は何か言おうとしたが、エミリーのほうが早かった。
「だいたい、毒が二本も出てくるって、どういうことですか。一本で十分だと思いますけれど。……まあ、間抜けの考えることはわかりませんからね」
再び笑いが起こった。役人は口を引き結び、筆を握り直した。
「もしかしたら、三本目がポーラの部屋にあるかもしれませんね。いえ、両親が加担していたなら、どちらかの部屋でしょうか。もしかしたら、両方?」
侯爵夫妻のほうを見た観客たちが、ざわついた。
「エミリー嬢。確認されていないことについては――」
「そうですね。そこは調べてください。今度こそ、ちゃんと」
役人は返す言葉を失った。
エミリーは小さく息をつき、証言台の縁へ指を置いた。
「最初から、正直に出ていけとおっしゃってくださればよかったのに。妹だって、婚約者を頂戴と言えばよかったのですよ。寝取る前に言えば――」
会場が、一瞬で静まり返った。
エミリー自身も目を見開いた。
「あれ……そこまで言うつもりは……。寝取るなんて……自室でしたから、侍女も侯爵ご夫妻もご存じのはずですが……ああ、どうしましょう」
慌てて口を押さえたが、もう遅かった。
観客たちが一斉に侯爵夫妻を見た。母は顔を上げたものの、その視線に耐えられず、再びうつむいた。
驚きの声と、ひそひそ話が重なった。先ほどまで笑っていた者も、今は険しい顔をしている。
エミリーは両手で口元を覆ったまま、困り果てたように役人を見た。その姿は、言うつもりのなかったことまで話してしまった、これまでの証言者たちと同じだった。
黒い服の男が、肩を揺らして笑っている。
エミリーは何度か深呼吸をした。ようやく手を下ろし、慎重に言葉を選ぼうとする。
「私は、家も王宮も嫌いですから。出ていけと言われたら、喜んで出ていきました。それなら、誰も破滅せずに済みましたのに」
役人が口を開く前に、また言葉がこぼれた。
「ああ、もみ消すのでしょうから、破滅はしませんね。恥を知らないって、とても有利ですね」
観客の笑いは、今度は長く続かなかった。
互いに顔を見合わせ、役人へ目を向ける者が増えていた。エミリーの皮肉を笑って聞いていた者たちも、この事件がどう扱われるのか、答えを待っているようだった。
「出ていきたいですけれど、この始末を、あの間抜けたちがどうつけるのかは見てみたいです」
エミリーは言い終えると、もう余計な言葉が出てこないか確かめるように、固く唇を結んだ。
少し間を置いて、役人へ視線を戻す。
「もう、よろしいでしょうか」
「証言を終えたいということですか」
「はい。これ以上、余計なことを言う前に。それから、出国に必要な手続きを教えてください」
役人は彼女を見つめ、それから静かにうなずいた。
「あなたにかけられた嫌疑を正式に取り消したうえで、担当の者に確認させます」
「ありがとうございます」
エミリーは頭を下げた。
証言台を離れるときも、侯爵夫妻のほうは見なかった。観客たちは彼女が歩いていく先を見つめ、誰も声をかけられずにいた。
その静けさの中で、拍手が鳴った。
黒い服の男だった。
男はエミリーを見て、ゆっくりと手をたたいていた。
近くに座っていた婦人が、それに続いた。次に、通路側の男が手をたたいた。拍手は席から席へと広がり、やがて立ち上がる者まで現れた。
エミリーは驚いて足を止めた。
先ほどドレスの血を見て顔を曇らせていた婦人が、目元をぬぐいながら拍手を送っている。その隣の男も、まっすぐに彼女を見ていた。
エミリーは何か言おうとして、やめた。
代わりに、観客たちへもう一度、深く頭を下げた。
割れんばかりの拍手が、場内を揺るがした。




