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百人目の囚人  作者: 朝山みどり


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17 王女の侍女の証言

 17 王女の侍女の証言



 ロザリーの名が呼ばれた。


 薄青の外出着の膝に置いていた手が、ぴくりと動く。立ち上がろうとして、足に力が入らず、椅子の肘掛けを握り直した。


(大丈夫。私には殿下がついていらっしゃる)


 ロザリーは襟元を整え、証言台へ向かった。砂を踏むたびに、靴の中で足先が冷えていくようだった。


 台に上がると、役人が書類から顔を上げた。


「名と役目を申せ」


「王女殿下付きの侍女、ロザリーでございます」


 いつもどおりの声が出た。

 ロザリーは胸の前で手を重ねた。鏡の前で何度も練習した姿勢だった。


「事件当日、そなたは王女殿下のお部屋にいたのだな」


「はい。お茶のお世話をしておりました」


「エミリー嬢が、殿下のカップに毒を入れるところを見た。そのように報告しているな」


 ロザリーは息を吸った。


(この目で見ました。それだけでいい)


「見ておりません」


 自分の声に、ロザリーは目を見開いた。

 重ねた手が離れ、片方の手が口元へ上がる。


 役人は書類を見直した。


「見ていないのか?」


「はい。エミリー様がカップに何かを入れるところは、見ておりません」


 客席から声が上がった。ロザリーは慌てて貴賓席を見たが、すぐに役人の杖が台をたたいた。


「こちらを見て答えよ。では、そなたの報告は何だったのだ」


「殿下に、そのように申し上げるよう命じられました」


 ロザリーは両手で口を押さえた。


(言ってはいけない。殿下のことは、絶対に)


 役人の声が低くなった。


「王女殿下が、虚偽の報告を命じたというのか」


 ロザリーは首を横に振った。

 けれど、手の下から出た返事は、その動きと合わなかった。


「はい」


 役人はしばらくロザリーを見つめていた。やがて、書記に記録を促し、問いを続けた。


「いつ命じられた?」


「事件の三日前でございます。エミリー様をお茶に招くから、合図をしたら瓶を取り上げるように、と」


「エミリー嬢の手からか?」


「そのように言われました」


「実際には、どこから取り上げた?」


 ロザリーの指が、唇に食い込んだ。


「……テーブルの上です」


「エミリー嬢は、その瓶を持っていなかったのだな」


「はい。触れてもおられませんでした」


 役人は手元の書類を一枚めくった。


「そなたは、エミリー嬢の手から瓶を取り上げたとも報告している」


「そう言えば、エミリー様のものだと思っていただけるので……」


 ロザリーはそこで声を詰まらせた。

 客席のざわめきが大きくなる。先ほどまでこちらを見下ろしていた人々が、隣の者と顔を寄せ合っていた。


「静粛に」


 役人が声を張り、再びロザリーへ向き直った。


「瓶は、誰がテーブルへ置いた?」


「私です」


「中身を知っていたか?」


「毒だと、殿下から伺っておりました」


 役人の眉間に、深いしわが寄った。


「では、殿下のカップに毒を入れたのは誰だ」


 ロザリーは息を止めた。


(見ていない。知らない。そう言わなければ)


 唇を結んでも、その答えを口にすることはできなかった。

 呼吸が苦しくなり、わずかに口を開いた。


「殿下ご自身でございます」


 闘技場に、鋭い叫び声が上がった。

 役人が杖を鳴らしたが、すぐには静まらなかった。


 ロザリーは台の縁をつかんだ。指先が滑り、もう一度握り直す。


「そなたは、それを見たのか」


「はい。エミリー様がおいでになる前に、殿下が瓶からカップへ……少しだけ、お入れになりました」


「そのカップでお茶を飲み、倒れたのか?」


「はい。カップを口に運ばれて、喉に手を当てられました。それが、私への合図でした」


「それで、そなたは瓶を取り上げた」


「はい」


 役人の問いに答えるたび、ロザリーの声は細くなっていった。


「エミリー嬢は、何と言った?」


「知らない、と。瓶は最初からそこにあった、とおっしゃいました」


「その言葉を、そなたは皆に伝えたか?」


「いいえ」


「何故だ」


「聞かれると困るからです。私はすぐに、医師を呼ぶよう叫びました」


 ロザリーの目から涙が落ちた。

 手で拭おうとしたが、台から手を離すことができなかった。


「私は、殿下をお助けしたかったのです」


 それだけなら、口にできた。

 ロザリーはすがるように役人を見上げた。


 役人は表情を変えなかった。


「毒を飲まれる前に止めようとは思わなかったのか?」


「……殿下が、少しだけだから大丈夫だとおっしゃったので」


「では、何からお助けしたかった?」


 ロザリーはうつむいた。


「エミリー様が邪魔だと、おっしゃっていました。あの方がいると自分がくすむと」


 役人は書記の筆が止まるのを待った。


「そなた自身は、何を得るつもりだった?」


「何も……」


 続く言葉が出なかった。

 ロザリーは喉に手を当て、苦しそうに息を継いだ。


「侍女頭にしていただけると、約束されていました。お給金も、倍にしてくださると」


 薄青の袖が、台の上で震えた。

 裁判の日のために選んだ服だった。胸を張って着てきたのに、今は顔を隠すために袖を持ち上げることさえできない。


「だから、嘘の証言をするつもりで来たのだな」


「……はい」


「王女殿下を救った侍女として、褒められるつもりだったか?」


「はい」


 その返事は、ひどくはっきり響いた。


 ロザリーはエミリーのほうを見た。

 血の残るドレスを着た彼女は、椅子に座ったまま、静かに証言を聞いていた。


「エミリー様、私は……」


 ロザリーは言いかけて、口を閉じた。


(殿下に命じられたから。逆らえなかったから)


 そう訴えたかった。

 だが、役人が問いを重ねた。


「断れば罰を与えると、殿下に言われたのか?」


「いいえ」


「脅されたのか?」


「いいえ」


「自ら引き受けたのだな」


 ロザリーは、台の縁を握ったままうなずいた。


「はい。喜んで、お引き受けしました」


 役人が背後の騎士に合図した。


「この者を別室へ。証言の記録を保管せよ」


 近づいてきた騎士に腕を支えられて、ロザリーはようやく台から手を離した。

 降りる間際、役人に呼び止められた。


「最後に確認する。エミリー嬢が毒を用意し、王女殿下に飲ませたという証言は、すべて偽りか」


 ロザリーは足を止めた。

 観客席へ顔を向けることは、もうできなかった。


「……はい。エミリー様は、何もしておられません」


 その声が闘技場に響いた。


 騎士に促され、ロザリーは台を降りた。靴の先で薄青の裾を踏み、よろめく。

 今度は、誰からも歓声は上がらなかった。

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