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百人目の囚人  作者: 朝山 みどり


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12 父親の証言

 12 父親の証言


 ロイド・ハーヴェイは、証言台の前で一度足を止めた。

 上着の裾を整え、背筋を伸ばす。中央に座るエミリーには目を向けず、進行役の役人だけを見た。


「偽りを述べぬことを誓いますか」


「誓います」


 ロイドは低い声で答えた。

 自分の声が闘技場全体に響くのを聞き、顎をわずかに引いた。


(余計なことは話すな。家を守るために、ここへ来たのだ)


 役人が書類をめくった。


「父親として、エミリー嬢をどのように育ててこられましたか」


「貴族の娘として恥ずかしくないよう、必要な教育を受けさせました。王太子殿下の婚約者に選ばれてからは、なおさら厳しく……」


 そこで声が途切れた。

 続けようとしたロイドの口から、別の言葉が出た。


「教育の中身は、知りません」


 役人の手が止まった。


「……ご存じない?」


「教師を雇う金を出しただけです。何を学び、何に困っていたのか、聞いたことはありません」


 ロイドは唇を引き結んだ。

 証言台の縁へ置いた指が、ゆっくりと曲がる。


(何を言っている。そんなことを聞かれたのではない)


 役人は、慎重に問いを重ねた。


「娘御の様子を、ご自身で確かめることはなかったのですか」


「家庭内のことは妻に任せておりました。私は領地と家の仕事で忙しく……」


 言葉が詰まった。


「忙しくないときも、忙しいと言いました」


 ロイドは息をのんだ。

 客席で、誰かが身じろぎした。衣擦れの音が妙にはっきりと聞こえた。


「あの子が書斎へ来たことがありました。本を抱えて、扉の前に立っていたのです。何か聞きたそうにしていました」


 ロイドの視線が、初めてエミリーへ向いた。


「私は、あとにしなさいと言いました」


「そのあと、お話を聞かれたのですね」


 役人の問いに、ロイドは口を開いた。


「……いいえ」


 喉が上下した。


「いいえ、聞いていません。この出来事も、今思い出しました。娘が来たことを忘れて、そのままにしました」


 エミリーは静かに座っていた。

 ロイドはすぐに視線を戻した。


「しかし、あの娘は、自分の考えを口にしないところがありました。親に何も話さなければ、こちらにもわかりようが……」


「話そうとしたときに、私が追い返しました」


 自分の言葉が、自分の言葉を打ち消した。


 ロイドは片手で口元を押さえた。

 その手を下ろさないうちに、また声が漏れた。


「ポーラが書斎へ飛び込んできたときは、仕事を止めました。今日あったことを聞き、欲しがったものを買ってやりました」


 ロイドは娘と目を合わせられなかった。


「エミリーは待たせても騒がないから、待たせました。断っても泣かないから、断りました」


 役人が眉を寄せた。


「お二人への扱いが違うことに、気づいておられたのですか」


「……気づいていました」


 証言台をつかむ手に力が入った。


「妻がポーラを抱き寄せ、エミリーを叱るのを、同じ食卓で見ていました。ポーラがスープをこぼしたのに、妻はエミリーへ、もっと妹を気にかけなさいと言いました」


「あなたは、何とおっしゃったのですか」


「何も」


 短い返事が、闘技場へ響いた。


「おかしいとは思いました。ですが、妻に何か言えば、その説明を聞かなければならない。食事の席で言い争いになるのは、面倒でした」


 ロイドの額に汗がにじんだ。

 上着の中に熱がこもり、襟元がひどく窮屈だった。


(やめろ。それ以上は言うな)


「花瓶のときも、同じでした」


 役人が顔を上げた。


「花瓶とは?」


 ロイドは首を横に振ろうとした。

 だが、口は動き続けた。


「ポーラが椅子に乗り、花瓶の花を引き抜こうとしていたのです。私は、扉の隙間から見ていました。エミリーは少し離れたところにいました」


 客席のざわめきが収まっていく。


「花瓶が落ちて割れると、ポーラは、お姉様が押したと言いました」


 ポーラが王太子の袖をつかんだ。

 ロイドには、その動きが見えた。


「ですが、エミリーは押していませんでした。手が届く距離にもいませんでした」


「そのことを、奥様に伝えましたか」


「いいえ」


「何故です」


「たかが花瓶一つだと思ったからです」


 言い終えたロイドは、顔を伏せた。


「妻はもうエミリーを叱っていました。ポーラは泣いていました。そこで私が見たことを話せば、二人とも黙ってはいないでしょう。それより、エミリーひとりが叱られていれば、早く済むと思いました」


 客席の男が、低く声を上げた。


「見ていたのに、黙っていたのか」


 その隣に座る女が、中央のエミリーを見た。


「その子だけ、誰にも助けてもらえなかったんだね」


 ロイドは声のしたほうへ顔を向けかけ、やめた。

 どこを見ても、人の顔があった。


 役人は書類を置いた。


「今回の事件について伺います。エミリー嬢が毒を用意したところを、ご覧になりましたか」


「いいえ」


「では、娘御が犯人だと判断した理由は何ですか」


「王宮から、そのように知らされたからです。侍女の証言もあると……自宅の娘の部屋からも毒薬が見つかりました」


 ロイドは急いで続けようとした。

 今度こそ、父親として当然の判断をしたのだと説明しなければならなかった。


「私は、娘を信じたいと思いながらも……」


 声が止まった。


「信じるかどうか、考えもしませんでした」


 ロイドの肩が落ちた。


「王太子殿下との婚約がどうなるか。家が罰せられるのか。そればかり考えていました」


 役人は、すぐには次の問いを発しなかった。

 ロイドの口から、さらに言葉がこぼれた。


「殿下の婚約者に選ばれたときは、誇らしく思いました。娘が何を望んでいるかは聞きませんでしたが、我が家の将来は安泰だと喜びました」


 貴賓席で、王太子の顔がこわばった。


「罪人だと言われた途端、今度は切り捨てようとしたのです。家に災いを持ち込んだ娘だと……」


 ロイドは中央を見た。

 エミリーの右手が、左手の甲へ動きかけていた。


 昔、書斎の扉の前で見た仕草だった。

 亡くなった母も、言葉を飲み込むとき、同じように手の甲をさすっていた。


 ロイドは証言台から身を乗り出した。


「その手……」


 エミリーの指が止まった。


 役人が問いかけた。


「どうされましたか」


「あの子は、言いたいことを我慢するとき、手の甲をさするのです」


 ロイドの声が震えた。


「私の母も、そうでした。だから、知っていました。あの子が黙っているとき、何も考えていないのではないと」


 エミリーは両手を重ね直した。

 その小さな動きを、ロイドは見つめた。


「知っていて、聞かなかったのです」


 証言台に置いた手から、力が抜けた。


「父親として、できる限りのことをしたと……今日は、そう言うつもりでした」


 乾いた唇が、かすかに動いた。


「ですが、していません。私にとって都合のいい娘でいてくれれば、それでよかったのです」


 闘技場は静かだった。

 ロイドは、その沈黙の中で立ち尽くした。


 やがて役人が、低い声で告げた。


「証言者は、下がってください」


 ロイドは台を降りた。

 数歩進んでからエミリーを振り返り、口を開いた。


「エミリー。私は、お前の話を……」


 最後まで言えなかった。


 今まで聞かなかった話を、この場で娘に話させたいのか。

 自分の証言を聞いた娘に、何か言ってほしいのか。


 ロイドは唇を閉じた。


 エミリーは父を見ていた。

 ロイドはその視線を受け止めきれず、うつむいて証人席へ戻った。

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