11 ナタリーの証言
11 ナタリーの証言
闘技場の砂は、朝のうちに丁寧にならされていた。
円形の客席は、すでに人で埋まっていた。立ち見の者まで出ている。屋台の呼び声と、期待にはずむざわめきが、すり鉢状の壁に反響して、うなりのように降ってきた。
中央に、エミリーは座っていた。
やがて、進行役の役人が杖で床を打った。
「これより、王女殿下毒殺未遂事件の裁判を始める。最初の証言者、ナタリー・メイソン殿」
観客席がどよめいた。
入場口から、鮮やかな紅色のドレスをまとった女が、ゆっくりと歩み出た。襟元のレースが陽光に光り、袖がふんわりと揺れる。ナタリーは顎を引き、重々しい表情で証言台へと上がった。
(あの顔だわ。鏡の前で練習していたという……)
エミリーは思わず目を伏せた。口元が動きそうになるのを、唇を結んでこらえる。
役人が告げた。
「証言台に立つ者は、偽りを述べぬことを誓うように」
「はい。誓います」
ナタリーの声が、闘技場全体に響き渡った。
台に仕込まれた仕掛けが、声を拡大して四方へ散らしているのだ。ナタリー自身も、その大きさに少し驚いたようだった。けれど、すぐに胸を張った。
(ちょうどいいわ。皆様に、よく聞こえるもの)
「では、証言を」
役人に促され、ナタリーは一度、観客席を見渡した。
人々の視線が、自分に集まっている。
喉の奥が熱くなった。待ち望んだ瞬間だった。
「私は、エミリー様の家庭教師を務めておりました、ナタリー・メイソンでございます」
凛とした声が、闘技場に響いた。
「エミリー様は、幼いころから、人を困らせるお子様でした。どうしても正しい方向に導けませんでした」
ざわり、と客席が揺れた。
あちこちで、ひそひそ声が交わされる。
「やっぱりね」
「小さいころから、そうだったのか」
ナタリーは満足そうにうなずいた。練習したとおりの言葉が、練習したとおりに出た。
ところが、口はそこで止まらなかった。
「……質問ばかりする子で、私は、答えられなくて……」
言ってから、ナタリーははっとして口を押さえた。
けれど、手を当てても遅かった。
「困っていたのです。私が知らないことまで聞くので」
闘技場が、しんと静まった。
(え……? 私、今、何を)
ナタリーの顔から、血の気が引いた。
台の仕掛けは、容赦なく声を運んでいた。いまの心の揺れまでも、息づかいと一緒に、闘技場の隅々へ届けていた。
「どうして、こんなことを言っているの……」
小さなつぶやきさえ、人々の耳に届いた。
ナタリーは慌てて背筋を伸ばし、役人のほうを向いた。
「失礼いたしました。続けます」
咳払いをして、もう一度、観客席に向き直る。
「エミリー様は、人を試すようなところのあるお子様でした」
そう言いながら、ナタリーの視線が泳いだ。
「先生、それはどうしてですか、と、いつも、目を見て尋ねてくるのです」
客席のざわめきが、少し変わった。
「それは……普通の質問じゃないのか?」
誰かが、小さく言った。
ナタリーの耳にも、それは届いた。頬が、かっと熱くなる。
「違います。普通ではありません。七歳の子が、戦争の理由だの、作法の違いだのを聞くなんて」
言い切ってから、ナタリーは唇を噛んだ。
それでも、口は勝手に動いた。
「でも、本当は、その子の言うことが、いつも正しかったのです。私が、教本に書いてあることしか、教えられなかっただけで」
「……っ」
ナタリーは両手で自分の口を覆った。
観客席の誰かが、息をのむ音がした。
王太子が、わずかに眉を寄せた。
進行役の役人が、慌てて杖を鳴らした。
「証言者は、聞かれたことのみ答えるように」
「は、はい。申し訳ございません」
ナタリーは震える手を下ろし、深く息を吸った。
(落ち着いて。落ち着くのよ。言いたいことは決まっているわ)
ドレスの裾を握りしめる。紅色の布が、手の中でくしゃりと潰れた。
「エミリー様は、反抗的でした」
その途端、ナタリーの口が、また動いた。
「いいえ、反抗はしませんでした。声を荒らげることも、一度もありませんでした。ただ、私の顔をまっすぐに見て、説明を待つのです」
ナタリーは口を押えようとした。
「その目が、嫌でした。私が何も知らないことを、見透かされているようで」
闘技場は、水を打ったように静かだった。
ナタリーの小さなつぶやきが、もう一度、拡大されて響く。
「止まらない……どうして」
エミリーは、証言台を見つめていた。
胸の中で、何かがゆっくりと動いた。恨みとも、悲しみとも違う。かつて七歳の自分が、あの教室で飲み込んだものが、今になって形を変えて戻ってきたような気がした。
(先生は、そんなふうに思っていたのね)
その視線に気づいたのか、ナタリーがこちらを向いた。
目が合った。
ナタリーは何か言おうとして口を開き、それから、ぎゅっと閉じた。
けれど、閉じた唇の奥から、ささやきが漏れた。
「質問をやめたあの子の顔が、いちばん嫌でした」
客席の誰かが、ごくりと唾をのんだ。
「私に聞いても無駄だと、見限られたのだと思いました。まだ七歳の子の机に歴史書が積みあがっていました。私でも読んだことがないものが……だから、妹様ばかり褒めて、奥様には、エミリー様は可愛げがないと報告しました」
「やめなさい、私……」
ナタリーは自分の頬を、両手で押さえた。
「妹様は、何を教えても素直に受け入れてくださるから、楽でした。同じことを何度教えても、ちゃんとできるようにはならなかったけれど、頼られている気分になれたのです」
ポーラが身じろぎした。
進行役の役人は、杖を持ち上げかけたまま、固まっていた。止めるべきか、続けさせるべきか、判断がつかないようだった。
「あの……証言者は」
一応役人は声をかけた。
「はい」
ナタリーは、蒼白な顔で役人を見た。
「私、今日、この日を、楽しみにしておりました」
「……は?」
「ずっと、誰かに話したかったのです。私の話を、聞いてもらえる日を。紅色のドレスも、この日のために仕立てました。鏡の前で、何度も練習をして……」
「あああ……」
ナタリーは、その場にしゃがみ込みそうになった。膝に力が入らない。
客席のあちこちで、堪えきれない笑い声が漏れた。けれど、それは嘲りだけではなかった。戸惑いと、気まずさと、目の前のものをどう受け止めればいいのかわからない息が、混ざり合っていた。
「あの人、全部しゃべっちゃってるぞ」
「どういうことだ。嘘をついているようには、聞こえないが」
「じゃあ、エミリー様は……」
ざわめきが広がっていく。
王太子が低く言った。
「静粛に」
だが、その声にも、いつもの張りはなかった。
ナタリーは、震える声で言った。
「私は、エミリー様に、嫉妬していたのだと思います」
闘技場の空気が、ひときわ重く沈んだ。
「七歳の子が、私よりも先を見ていました。それが悔しくて、悔しくて……教えるべきことを教えず、考えることをやめさせたのは、私です」
言い終えたナタリーは、ぼうぜんと立ち尽くした。
涙が、頬を伝って落ちた。化粧が崩れ、紅色のドレスの胸元に、黒い染みができた。
「これが、私の証言です……」
最後のつぶやきまで、闘技場全体に響いた。
「何を、言っているの、私は……」
役人は、しばらく言葉を失っていた。やがて、咳払いをして杖を鳴らした。
「証言者は、下がってよろしい」
ナタリーは、のろのろと台を降りた。
鮮やかな紅色のドレスが、砂の上を引きずられていく。数歩進んだところで、ふと足を止め、エミリーのほうを振り返った。
何か言いたそうに、唇が動く。
けれど、そのまま、うつむいて去っていった。
エミリーは、その背中を見送った。
ふと、いちばん高い席に目を向けると、レガシーが身を乗り出していた。金色の瞳が、愉快そうに細められている。
彼は両手を広げ、声を出さずに口を動かした。
エミリーには、その言葉が読み取れた。
楽しめただろう?
(……はい)
エミリーは、ほんの少しだけ口元をゆるめた。
そして、進行役が次の名前を呼ぶのを、静かに待った。
「次の証言者。エミリー嬢の父君、ロイド・ハーヴェイ殿」




