プールデート 後編
愛沙に手を引かれて連れてこられたのはこの施設で最も大きい流れるプールだった。
屋内外にまたがる施設のうち、外の施設の外周を覆うように流れるので、移動がてら入ることも出来る。
膨らませた浮き輪に愛沙を乗せ、遠慮がちに縁に手をかける。
愛沙と至近距離で目を合わせる羽目になった。
「……なによ」
「いや、ごめん」
手を離して離れようとしたら、愛沙が手を掴んで引き戻される。
「……康貴が持ってきた浮き輪なんだから、使ったら良いじゃない」
「そ、そうか……」
ぎこちないながらも再び距離を詰める。
さっきは一瞬打ち解けたかと思ったけど、やっぱりこうして向き合うと緊張して喋れなくなる。
「……」
「……」
お互い顔が赤い。言葉もないまま一周流されてきた。
「愛沙……」
「なに……」
「ウォータースライダーとか、興味ないか?」
「なくは……ない」
「じゃ、いくか」
「ん……」
そのまま半周、言葉もなく流される形で目的地を目指す。
周りのカップルが同じような体勢で流れているのを見ると、同じような状態の自分たちの姿が浮き彫りになるようで妙な気持ちになった。
「ふふ……ちょっとぉ、いま触ったでしょー?」
「えー? わかんなかったなぁ」
「きゃっ! いまのは絶対触ったぁ!」
俺と愛沙とは決定的に心の距離が違う様子を見せつけられている。いや、あれをやりたいかと言われれば……。
愛沙を見るとそのカップルを凝視して顔を真っ赤にしている。
そりゃこんな可愛い子と触れ合えたらまぁ、男として嬉しくないはずはない……。が、今じゃない、ここじゃないと言い聞かせる。
熱に浮かされた頭を冷やすためにあの日の愛沙の言葉を思い出す。
◆
「私もちょうど、夏っぽいことはしたいけど、クラスの子達と約束はしてないし……男子と出掛けるのってなんかちょっと……まあでも、康貴なら幼馴染だし、無害だし、私の夏っぽいことをするためってだけなら、一緒に行くけど……」
◆
妙に必死な姿を思い出すと変な期待や気持ちが湧き上がるが、言葉通りに受け取っておいたほうが俺の精神衛生上良い。つまりあれだ。決して周りの様子に浮かれたり合わせたりしちゃいけない。
今愛沙が俺と一緒にいるのは俺が『無害』だから。そう自分に言い聞かせて、改めて愛沙に向き直る。
「大丈夫? 顔が赤いけど」
「焼けたかもな。じゃ、並ぶか」
ごまかすようにウォータースライダーの列に並びに向かう。
「ちょ、ちょっとまって……」
潜るのを嫌がる愛沙は浮き輪から出るのに苦戦している。
ちょっと子どもの頃を思い出す光景に安心感を覚えて手を差し出す。
「ありがと……」
浮き輪を受け取ってから、改めて手を取って引き上げる。
「じゃ、行くか」
「ん……」
取った手をぎゅっと握りしめられて驚くが、不思議と離す気にはならなかった。
「なに……」
「いや」
顔を背ける愛沙の顔が赤いのが、怒っている赤さでないと確信を持てたのはこのときが初めてだったかもしれない。
◇
ウォータースライダーに並んでからは、アトラクションの多さに助けられ、ぎこちないながらもひとしきり遊び尽くすことができた。
屋外で遊び尽くし疲れた俺の提案で、室内施設に入って落ち着くことになった。
「ここ、こんなことになってたのね……」
「そうだな……」
洞窟型の施設の中は四〇度近い温泉のようになっていた。
「ちょうど休憩できてよかったんじゃないか?」
「そうね」
スペースを見つけて腰を下ろす。湯気でよく見えていなかったが、ここはカップル御用達らしく、周囲はほぼ全てカップルで埋め尽くされていた。当然距離も近い。
「ねえ、もうちょっと近づかないと、場所が……」
「あぁ……」
カップル向けにスペースが分けられているせいでそういうことも起こるらしい。
ほとんど肩が触れている状態でなお、身を寄せてくる愛沙を避けるスペースはなかった。
「んっ……」
この状況でその声は本当に勘弁してほしい……。
それでなくても温泉に二人で入ってるような錯覚に陥るんだ。実際に横を見れば水着を着ているのはわかるんだが、それを確認してしまうとそれはそれで変な気持ちが沸き起こること間違いなしという八方塞がりの状況だった。
素数でも数えるしかないかもしれないと思っていると愛沙のほうが口を開いた。
「ねえ。康貴」
お互いに顔をそらしているので表情はわからないが、多分その顔は、ここ最近で一番やわらかいものだ。
「なんだ?」
「あのね……私ずっと、康貴に謝りたくて……」
「謝る……?」
愛沙の言葉を待つ。
「ん……。私ね、自分でもこの性格が、嫌になるときがある……」
「なんでまた……」
普段、俺以外に接しているときの愛沙の性格が悪いなんて全く思わない。その証拠にクラスで間違いなく中心として周囲に人が集まり、クラスメイトたちにも慕われているし、仲が良くなかったとしても、相当な人気になっている。
「私は多分、甘えてたんだと思うの」
「甘え……?」
「そう。康貴のこと、家族みたいに思ってる」
「それはまぁ、そうやって育ったからな」
俺たちは本当に兄妹か、姉弟か、そういう風に幼少期を過ごしてきている。
「そう、ね……。でもね、だからって、私達は血がつながってるわけじゃないから」
「そりゃそうだ」
「それを、わかってたはずなのに、私は康貴がどこにも行かないと信じて甘えてたんだと思う」
甘え……か。それをいうなら俺だって多分、心のどこかで愛沙は特別で、愛沙にとってもそうだと思って過ごしてきたと思う。
「進学して、距離ができちゃって、自分でもよくわからなくなって……。それでも康貴なら、見捨てないでくれるだろうなって思ってた」
「そりゃまぁ、見捨てたりはしないけど」
「うん。でもやっぱり、距離が開いちゃえば、兄妹じゃない私達は簡単には戻れない」
そうだ。だから俺は愛沙と離れたし、愛沙もそれが良いんだと、そう思っていた。
「私ね、康貴がまなみの家庭教師って形でうちにくるようになって、また家族みたいになるんじゃないかって、勝手に思ってた」
愛沙の言葉の意味はなんとなくわかる。
ただやっぱり、距離の開いた俺たちが自然と距離を詰めるのは難しかった。
「まなみのおかげでここまで来て、流石に姉として私も、しっかりしなきゃって思ってね」
「おう……」
愛沙がそこで初めてこちらを向いた。俺も釣られて目を合わせる。
「私は素直じゃないから、多分康貴が優しくってもそういう態度を、これからも取るときがあると思う」
「そうだな」
思わず笑ってしまう。そんなことを面と向かって言う愛沙に。
そんなものはもう、今更なんだ。これまで何年それに付き合ってきたと思っているのか。
「ふふ。うん。康貴がそれでも許してくれるから、私はそれにたくさん甘える」
「すごい宣言だな」
「うん。でもその代わりね」
ぐっと愛沙の顔が近づいてきて、ドキッとする。
「私も康貴に、なにか出来ることを探す」
「なにか……?」
「そう。何か。もちろん普段の態度も気をつけるけど……」
「それがすぐどうこうならないのはよくわかってるからいいよ」
「むっ……」
子どもっぽく膨れる愛沙だが、反論はできないらしかった。
「ま、そんなに気を使わなくていいんだよ」
「でも……」
「俺は今日、愛沙がそう思ってくれてるのを聞いて、嬉しかったから」
「……ん」
家族だったあの頃のようにと愛沙が望むなら、普段の態度だってあの頃の素直になれない愛沙のままだと思える。
「なによ……」
「いや、すっかり人気者になって、あの頃とはぜんぜん違うと思ってたからさ」
「そう簡単に変わらないわよ」
変わらないまま甘えられたのが家族だけだったってことか。そこが変わっていないならよかった。
「あのさ」
「なに?」
「これからもよろしく」
「ん……」
なんとなく、口に出した言葉が愛沙に届いたところで、二人とものぼせてしまいどちらからともなくそこを出ることを決めた。




