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最終話

 ルーチェレンは押しに弱い。

 三狼に押せ押せ状態にされたら、抵抗などできない。


「…………るーちぇ?」


 見た目通り冷たかった唇が、ルーチェレンの名を呼んだ。

 磨かれた金属のような温度のない艶を持つ灰色の髪の間で、切れ長の目がぱちぱちと瞬きをした。

 当然ながらその瞳を縁取る睫も灰色で、意外に長い……間近で見続けるには少々心臓に悪いであろう氷点下の美貌を覗きこみながら、ルーチェレンは寝相最悪の城主に返事をした。


「おはよう、フェ……城主様」

「るーちぇが起こしてくれたんじゃな? 最近寝不足じゃったから、少々居眠りしてしまったようじゃ」


 はっ?

 少々居眠り?

 あんなに床をゴロゴロして目が覚めないんだから、熟睡なんじゃないですか!?

 と、突っ込める雰囲気ではなく。

 

「…………」


 ルーチェレンは黙って頷いただけだった。


「戻ってきてくれたのじゃな、るーちぇ」


 身をお越し、立ち上がったフェンフェン……城主リーギュスフェンは乱れた髪を左手でかき上げると、

傍に立つルーチェレンを露になった灰色の目で見下ろした。

 蝙蝠のフェンフェンの時はルーチェレンの手のひらに収まるほど小さかったリーギュスフェンだが、この姿では長身で、ルーチェレンの背は彼の胸の下ほどしかなかった。

 だからルーチェレンは首を精一杯伸ばすようにして上を向き、言った。 


「……寝るなら棺で寝なきゃ。寝相が悪いからファンガデン様達がとても心配してるし、朝になって窓からお日様が入ってきたら、灰になっちゃうんでしょう? そうならないように、吸血鬼は棺で寝るんでしょう?」


 太陽の問題だけじゃなく、この吸血鬼の場合は寝相の問題もある。

 棺で寝てもらわないと、大迷惑だ。


「ふっ……いいのじゃ。お馬鹿で愚かな儂なんか、灰になって深く反省すべきなんじゃ……るーちぇ」

「城主様?」


 長い両腕が伸びルーチェレンを引き寄せた。

 見た目以上に柔らかな灰色の髪が、ワンショルダーのドレスを着ているルーチェレンの首筋に触れた。


「るーちぇっ!」


 冷たい額が、鎖骨に当たる。

 腰に回された腕に、力が加わるのが分かった。


「フェンフェン……っ!?」


 強く抱きしめられて、知った。

 吸血鬼も心臓が動いているのだと。


「……儂、さっき言いたかったのじゃ」


 どくどくと、それは背筋をぞわりとさせる振動と共に耳へと届く。

 その鼓動にルーチェレンの心臓は、どくどくではなくどきどきした。


「その、あのじゃなっ! わわわ、わしっ、儂は王子様じゃないがのう! 城主様なのでな! 王子と立場的にはそんなに変わらんじゃろうしっ、王子様っぽく浪漫ちぃ~っくに登場したかったのじゃぁああ!いや、言いたいのはそのことじゃなくっ、儂、儂はっ!」


 ルーチェレンの腕が、手が。

 自然に動いて。


「一緒に帰るのは止めなのじゃ、魔女の森に帰っては駄目なのじゃ!」


 自分を抱く男の広い背中に伸びていくのを、腕の持ち主であるルーチェレンは止めなかった。


「るーちぇ、帰るな。儂と一緒にいてくれなのじゃ」

「……うん、フェンフェン」


 ルーチェレンは、目を閉じて答えた。


「ルーチェレン、帰さない。私の傍にいろ」

「うん、いる」


 そうすると、良く分かるから。

 蝙蝠の時と同じ声。

 蝙蝠でも吸血鬼の城主様でも、【儂】でも【私】でも。

 同じだと、分かるから。


「るーちぇ……ルーチェレン」


 白く長い指が。

 ルーチェレンの首を撫で上げた。


「フェンフェン?」


 冷たい吐息を肌に感じた。

 氷のように冷たい唇が、何度も何度も同じ場所に口付ける。


「あっ……」

 

 熱く濡れた舌が、そこをゆっくりと舐めた。

 確かめるように……味わうように。

 柔肌の下に脈打つ、命の流れを探り出す。


「好きじゃ、るーちぇ」


 ルーチェレンは瞳を見開き、慄いた。


「あ、ああっ!?」


 城主様なフェンフェンは、吸血鬼。

 吸血鬼と一緒にいるということは。

 吸血鬼のものになるということは。

 それがどんな意味を持つのか、ルーチェレンは首筋に当たる牙に教えられた。


「……フェンフェン」


 ルーチェレンぎゅっと目を閉じて、それを受け入れた……はずだった。




「ぎゃあああ~! 儂ったらっ、なんつーことを!? まだいかん、いかんいかんのじゃぁあああああ!!」

 



「なんでやめちゃうんですかっ!?」


 ベーエルテンが尾の毛をぶわっと膨らませて叫んだ。


「一気にガブっと噛んで、ちゅ~って吸ってちゃっちゃと眷属にしちゃいなさいって! もう、城主様ったら肝心なところで……」


 右腕を天に突き出しようにして二本足で立ち上がったファンガデンが、不満気に言った。


「さあさあ、私達の事は気にせずに。お2人で進めてください」


 見合いに長けた世話焼きおばちゃんのような事を言いつつ、ワンコルはその場にどっかりと寝そべってじっくりゆっくり観察できる体勢をとった。


「駄目じゃ! 記念すべきるーちぇの初吸血は、もっと“む~でぃ~”でありたいのじゃぁあああ!  儂は儂なりにこの3ヶ月間練りに練った“む~でぃ~”な初吸血計画があるのじゃぁあああ!」

「む、む~でぃ~?」


 三狼に向かって、しそこなったまま吸血臨戦態勢の鋭い牙を剥き出しにして城主リーギュスフェンは言った。

 彼の腕の中のルーチェレンの脳では、“む~でぃ~”というその言葉がぐるぐると回っていた。

 その“む~でぃ~”はルーチェレンの知るムーディーという単語は別のものとしか思えなかった。

 そんなルーチェレンの戸惑い……っつーか、呆れ?

 そう、呆れというかあきらめ的感情など汲み取れない城主様はなぜか得意気に、最後は逆切れ気味に言った。


「儂はな、棺の中で2人っきりで“む~でぃ~”に……吸血以外にもイロイロと同時進行でしたいことがあるのじゃ。恥ずかしいので、これ以上は内緒な計画なのじゃぁああああああっ!」

「「「…………」」」


 “む~でぃ~”な計画というより、エロな妄想?

 3ヶ月間も、何も知らない本人を前にいろいろ妄想してたんですか?

 ルーチェレン様、これから大変そうだな……。

 そう三狼は思ったが、口にはしなかった。

 城主様至上主義な彼等としては、吸血鬼なのにすっかり枯れて草食系男子化してきていた主の<復活>を心から喜び、全力で応援するのみ!


「城主様、ご婚約&ご結婚おめでとうございます! あぁ、あまりの喜びにこのワンコルの寿命が千年は延びましたぞ! 城主様がお使いになっている棺はシングルタイプなので、急いでダブルを……いや、キングサイズをご用意致しますか!? オプション等どうされます? あぁ、お子様は一ダースは欲しいですな~!」


 ワンコルはどこからか出したカタログをめくりつつ、言った。

 その棺のカタログは申し込み有効期限がとっくに切れていることに、最近老眼気味のワンコルは気づいていなかった。

 寝相が激酷いんだから、キングサイズの棺にしたら中で転がってしまってルーチェレンが大惨事になるんだということにも、ワンコルじーさんは気づいていなかった。


「おめでとうございます、城主様! この忠実なる僕ファンガデンが調べておきました! ルーチェレン様は年齢=彼氏無し歴な優良処女でございます。ちなみにナンパされたことすらございません。サンドラなる自称大親友な魔女が言っておりました! ルーチェレン様は今年で魔女年齢15になられてますから、肉は食べ頃血も吸い頃でございます!」


 得意げに言うファンガデンの嬉々とした様子とその内容に、ルーチェレンは彼へ抱いていた好意がみるみるうちに萎んでいった。

 

「実は私、ベーエルテンは城主様とルーチェレン様の仲睦まじい様子の合成写真を使って“私達、結婚しました♪”葉書きを製作しておきました! 他の吸血鬼の皆様には、すでに発送済みでございます! あ、ルーチェレン様もお友達に出されますよね? たくさん印刷したから遠慮無く仰ってくださいね」

 

 さりげなく自分達の名前をアピールしつつ、口々に祝いの言葉と共にとんでもない発言を連発する三狼に、ルーチェレンは思った。


 ――フェンフェンがお馬鹿なのって、あなた方のせいでもあるんじゃないですか!? それにサンドラ! なんであなたがぁああ~!?


 思ったもののそれはさすがに口に出来ず、ルーチェレンは今言うべきことを言った。

 言うべき事を言わなきゃいけない時に言えないお馬鹿なフェンフェンとは、彼女は違った。


「あ、あのっ! 舞踏会の続き、これからしてくれませんか!? どの女の子も皆、すごく楽しみにして頑張ってお洒落してきたんです!」


 本来なら主催者である城主に言うべきなのに、ルーチェレンの顔は三狼達へと向けられていた。

 

「お願いします! 魔女の皆も、舞踏会に行ける事をとても喜んでいたんです!」


 彼女は自分を抱いていた城主の腕を押しのけ、狼達の元へと駆け寄り懇願した。

 そんなある意味正直すぎるあからさまなルーチェレンの行動を見る灰色の目が、不機嫌丸出しで細まった。

 その瞳が紅く染まり始めたのに気づいたファンガデンが、あわててルーチェレンに言う。 


「申し訳ありません、ルーチェレン様。確かに実際動くのは私達なんですが、一応城主様にお願いしてくださいますか?」

「え? あ、はい。ごめんなさいっ」


 床に伏せ状態で尾を隠して耳をぺたんと倒している三狼の様子に、ルーチェレンは謝らずにはいられなかった。

 なんだかんだ言ったって、お馬鹿だってなんだって城主様がお城で一番偉いのだから。

 三狼達の言うような、一応(・・)が必要で重要なのだ。


「お願いします、城主様なフェンフェン。舞踏会を続けてください」

「……ならば儂と、踊ってくれるかのう? るーちぇは儂とだけ、踊って欲しいのじゃ。儂、昨日いっぱい練習したので、きっと踊れるのじゃ。きっと……多分踊れると思うのじゃが……儂と踊ってもらえるかのう」


 腕組をしてルーチェレンを見下ろしながらの偉そうな態度のわりに、言ってる事は気弱だった。

 そりゃそうだ。

 本人にだって、すぐ忘れる頭の持ち主だという自覚がちゃんとあるのだ。

 ルーチェレンにもそれを説明すべきなのに、今の城主様の頭に中にはピンクの花が咲いているので無理だった。


「いいわ。でも条件が一つあるの」

「なんじゃ?」


 ルーチェレンはずっと知りたかったことを口にした。

 やっと訊けた。


「貴方の本当の名前、教えて」


 城主様の名前は、この国の誰も知らないのは有名な話だ。

 仕えている三狼達すら、一度も彼の名を呼んでいなかった。

 ルーチェレンは知りたかった。

 名前を呼びたかった。

 呼んであげたいと、そう思った。 


「儂の名か? リー……リー? リー………とかフェーとかついたはずなんじゃが。すまんのじゃ、今夜はいろいろあったせいかまた忘れてしもうたのじゃぁあああ!」


 覚えたはずの名前<リーギュスフェン>が、彼の脳内ではもやもやしたものに成り果てていた。

 使わないと忘れると分かっていても、自分の名を連呼する機会は普通は無い。

 今夜も使う機会が無かったので、脳から薄れてしまった。


「え? 忘れ……!?」

「今から地下室に行って棺を確認してくるので、待っていてくれなのじゃ! 今度は忘れぬように、ちゃんとメモをしてくるからの!」


 そう言って、風のように走り去った。


「自分の名前をメモって……あの人、大丈夫なのかしら?」


 吸血鬼らしい素早い動き。

 城主リーギュスフェンの身体能力は、脳の性能とは反比例なのだ。

 容姿と中身は反比例を通り越し、もはやチャームポイントの域に達していた。


「城主様は大丈夫ですよ。これからはルーチェレン様が毎日お名前を呼んでくださるのですから、忘れることはもう無いでしょう」


 さすがに少々心配になってきたルーチェレンの呟きに、ワンコルはそう答えた。

 これから城に住まうことになるであろうルーチェレンに教えてあげたいこと、教えなければいけないことは山のようにあるけれど、それを言うべき時は今ではない。

 今夜は特別な夜だから、思いっきり楽しんで欲しかった。

 ワンコルの言葉に合わせて、ファンガデンとベーエルテンの尾が同意を示して左右に揺れた。


「……はい! 私、毎日名前を呼んであげます」


 ルーチェレンは笑顔で言った。

 この城に来てからでは一番の笑顔だけど、これがいつもの彼女の笑顔。

 魔女ルーチェレンの笑顔を見た三狼は、幸せな気分になった。

 これからは、彼等の大事な城主様が毎日この笑顔を見ることが出来るのだ。

 それはとても嬉しいことだ。

 ルーチェレンは彼等の大事な大事な城主様だけの太陽になって、この城をあたためてくれるだろう。


「さあ、舞踏会再開の準備をいたしましょう!」

「はい!」 


 メモをとると言いながら、紙とペンを持って行かなかった城主リーギュスフェン。

 彼は棺の前でそれに気がつき、紙とペンを書斎に取りに行く道中に迷っていた。

 寝てばかりの名ばかり城主であるリーギュスフェンは、書斎にはこの300年ほど行っていない。

 絶望的だった。


「……」


 彼が大広間から去り、一時間が経たっていた。

 当然ながら舞踏会は再開され、大広間は音楽と着飾った娘達の楽しげな声が満ちていた。

 三狼が娘達のために召集した貴族の子息と頬を染めて踊る彼女達にも、新しい恋が生まれるだろう。


「……フェンフェン、どうしたんだろう? 舞踏会、始まっちゃったのにな。ふふふっ、まさか自分のお城で迷ってたりして~。なんて、あるわけな……」

「「「っ!!」」」


 主役のはずが一人さびしく壁の花となってしまったルーチェレンの言葉に、三狼達は駆け出した。

 その後、三狼に無事に発見されたリーギュスフェンだがやはりダンスもすっかり忘れていて踊ることが出来ず、2人の結婚を祝う舞踏会までに猛特訓することが決まった。


「大丈夫よ、フェンフェン……リーギュスフェン。きっと覚えられるから!」

「うう、すまんんじゃ。る~ちぇぇええ」


 紙とペンをワンコルに用意してもらったリーギュスフェンは、自分の名をルーチェレンに無事に伝えると、そのメモを破いて捨てた。

 なぜならメモなどなくても大丈夫なのだと、彼も気が付いたから。

 

「ねぇ、リーギュスフェン」

「なんじゃ? るーちぇ……ルーチェレン」


 踊る皆を玉座に座り眺める城主の傍らには、もこもこのピンク色のクッションに座るルーチェレン。

 ルーチェレンの左手は城主の膝の上にあり、包み込むように握られていた。


「リーギュスフェンは今日()私が、今日()私が好き?」


 それは蝙蝠のフェンフェンが、毎日毎日ルーチェレンに言っていた言葉。

 リーギュスフェンは、ルーチェレンの手をぎゅっと強く握って答えた。


「ああ、大好きじゃ!」


 これからは、いつだって。

 大好きなルーチェレンが、リーギュスフェンの名を毎日呼んでくれるのだから。



読んでくださった皆様、ありがとうございました!

いったん完結とさせていただきますが、いつか続編を書きたいと思っております。

その時はまたよろしくお願いいたします。

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