4 これっ、犯罪じゃないから。自力救済だから
こういうとき、立ち飲み屋のシステムはありがたい。
ここの飲食はすべてが前金制だから、水頭症で膨れてくあたまを両の掌で頬ずりしながら脱兎のごとく店を去る。工事中のビルディングの真上から急に鉄筋が降り注いできたからの、そうした条件反射といわんばかりに、寝散る男のクチャくちゃから身をよじり、くねらせ、駆け出す。
メゾソプラノで山本夫人の彫塑を肉付け作業中のカナと、本気のキャッチボールでミットを揺らしあたしの横隔膜を揺らしてくれた三段目の力士たちは、仁義を欠いた自力救済だから、もちろん置きざり。
電車なんて使わない。使えない。いつも50人はのってる客車の中で両の掌の頬ずりで持たせてる水頭症が破裂したら、間違いなく臨時ニュースを独占するのは辛いから。
小路とは呼べないお日様の隠れてる湿った陰ばかりにポリバケツのゴミ箱がふんぞり返ってる路地を繋いだ先にあるあたしのアパートメントを目指して、あたしは駆け抜ける。もしかして途中疲れて挫けて崩れてしまったら、ポリバケツに頭をツッコミ嘔いてるオッサンら5人の横に並び、混って、ゼリー状で半透明まで肥大した頭を隠してしまえば、誤魔化せるはず。
ミニスカのギャルがTバックぎりぎりの逆立ち姿でポリバケツに刺さっていたら、アートか、撮影だけど、それをスルーせずギャップ萌えでどうにかなってしまう感度の高い変態は濹水より此方生存してないから、大丈夫なはず。
あたしはオバさん。熟女までは熟れてはいかないオバさん。履いてるのも厚底ブーツでもピンヒールでもない158センチを160センチに誤魔化すための2センチ高のぺったんこパンプスがいいところ。
なんとか間に合う。
外階段を2センチ高のペったんこパンプスで駆け上がり203号室の鍵を開ける。流し台と共用の給湯を押したらバスタブのないシャワー室の閉める必要のない鍵を締める。
がっちゃん
小さな鍵だから、かギかギのカタカナでなくひらがなで施錠された音が背中でする。シャワーのお湯は流し台と共用のお湯だから、こんなときに水圧で流せるような勢いはない。
落ちて、沁みて、そして流れる。その一部始終が見つめるように聞こえてくる。触覚から始まった異物はだんだんに繋がっていくものだから、目を閉じれば消えてくれる視覚よりも聴覚が受け取って呉れる感じが似つかわしい。流れていく一番は水頭症に肥大化したあたまだから、それがだんだんに落ちて、お湯と乳化し葛饅頭みたくなったプルンに沁みている。地頭から剝がれた髪の毛は張り付かない。乳化はしていかない。別もので目皿に溜まってくのが30ワットの茜色した照明の陰から聞こえてくる。
カッティングマシーンであたしの盤に刻まれ記録となるのは、膨らんだシャボンの溶けていく断末魔のシュワシュワ。カナの声はいつものアルトに戻ってる。山岸センセーと茜ちゃんのママと山本夫人の声色はヒト型した白い紙片に吸い付くように排水口に溜まったままのあたしのロングでもショートでもない肩まで掛かる髪の毛の残骸に吸い付くように消えている。あたしの記録にはならないから。
Kポップなルックスの大壮と鴻野は刻んでおきたい。二人の先を争いながら駆け続けている上腕二頭筋上腕三頭筋がぶつかってた幕下30番の欠片だけは、あたしの横隔膜の記録から取り除きたくない。
がッチゃん
開けるときの鍵の音は掛けるときと少し違ってる。あたまにはびこってた嫌なもの悪いものは溶けて流れて入ったときのあたしの裸体よりも3オンス軽くなっているから、少しカタカナが混じってる。
1オンスは28.35グラム。
28.35掛ける3の、85.05グラムが無くなっている。嫌なもの悪いものの85.05グラムがなくなっている、その7割8割は外の汚れで抜けることになったあたしの髪の毛だけど、幾分かは立ち飲み屋で染み込まされたクチャくちゃも含まれているはず。
山岸センセーと茜ちゃんのママは消えてるけど山本夫人は残ってる。山本夫人の声色を本当のあたしは好きなのかもしれない。大壮と鴻野は残っていない。代わりに最古参48歳序二段45枚目同士の朝が岳と新古藤がぶつかったときの爬虫類が目張りしたアンコ腹は刻まれて残ってる。
あたしの横隔膜に欠片で刺さってるのは、イケメンの二の腕でなく、爬虫類みたいたオヤジ腹のカサカサカタカタかもしれない。
こんなにしたのに、がんばったのに、これだけじゃあクチャくちゃは剝がされていって呉れない。
動物由来を口中に溜めて発するクチャくちゃは、あたしの身体のお肉の記憶に欠片ひとつ残さずきれいさっぱり剝がされてるのに、刺さったあとはバッチリ残っている。爪痕は残ってる。土留め色は落ちてるのに土留め色だったドローイングの線は陰を灯している。耳骨のリンパ液から染み出たヤツはあたしの肝臓と膵臓を犯し、そのあとヤツは白Tと寄せて集めてのDカップブラを通り抜け、段々な下腹の汗腺毛穴に侵入し、あたしの脂肪を犯していった。
シャワーで85.05グラム落としていったのを認めても、きれいさっぱりとはいかなかった。
ものでないから、いったん受けてしまったら、大嫌いな音はあたしの中をズタズタにする。回復はしない。怒りに変貌しながら残ってる。復讐の段取りを踏んで残ってる。
目皿からロングでもショートでもないおばさんな髪の毛を拾い上げたあと、水頭症のジェルで拵えた水饅頭のプルンを掌に載せる。丁度21グラムだ。魂と同じ重さだ。裸のままのあたしの全身に塗ると、ずぅーと日に焼けるのを嫌ってきた皮膚の真白が灰白に変わる。色ばかりでなくジェルはラバーのような光沢を伴う質感に変容し、あたしに馴染む。
あたしのはクチャくちゃが固まっていった土留め色なんかじゃない。土留め色の実になる前の桑の葉の緑をたらふく食べてるときのお蚕さんのさらさらしゃりしゃりを固めた灰白色。触れたらすぐに深夜2時の深い眠りに納まる灰白色。どんな強力なヘッドフォンよりも皮膚より外を遮断してくれる。
耳穴はすっぽりで隠し、目と鼻と臍と尻と膣の穴だけを残して、あたしは灰白色したラバーマンに変身する。復讐の鬼に変身している。
もうクチャくちゃなんて染み込ませない。




