表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕はまだ、この本を書いていない  作者: 岐阜昌志
黒く滲む七月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
89/120

第82話 図書館

 七月三日の夜。


 家に帰った時には、すでに外は暗くなっていた。


 夕方、ようとファミレスで話したことが、まだ頭の中に残っている。


 本の話。


 文芸部の話。


 そして、遥が安心したように笑った顔。


 大きなことをしたわけではない。


 誰かを助けたというほどでもない。


 ただ、大丈夫だと言っただけだ。


 怪我はしていない。


 体調も悪くない。


 心配しなくていい。


 そう伝えただけだった。


 それでも、遥は本当にほっとした顔をした。


 黒い本に書かれていた「ひとつだけ気になっていること」は、昌志の怪我だったのだろう。


 昌志は自分の部屋へ入ると、鞄を床に置いた。


 机の上には、黒い本が置かれている。


 閉じているのに、そこだけが妙に目に入った。


 今日はもう、終わったはずだった。


 朝は、いつもより少し早く家を出た。


 放課後は、美月と一緒に文芸部へ入部届を出した。


 夕方には街中で遥を見つけ、ファミレスで話した。


 黒い本に書かれていた出来事は、すべて済んだはずだ。


 昌志は椅子へ座り、黒い本の表紙に手を伸ばした。


 指先に、いつもの冷たさが触れる。


 ゆっくり表紙を開くと、七月三日のページは、すでに文章へ変わっていた。


 ━━━━━━━━━━━━━━


 ――七月三日、朝。


 家を出る時、

 少しだけ早く動いた。


 早く出たことで、

 小さな遅れを避けた。


 しかし、

 何を避けたのかは、

 分からなかった。


 ――七月三日、夕方。


 街中で、

 遥と会った。


 遥は、

 楽しそうに話した。


 けれど、

 ひとつだけ、

 気になっていることがあった。


 昌志は、

 遥が自分を心配していることに気づいた。


 昌志が大丈夫だと言うと、

 遥は少しだけ安心した。


 その後、

 昌志と遥は、

 文芸部と本の話をした。


 ━━━━━━━━━━━━━━


 昌志は、その文章を黙って読んだ。


 やはり、遥だった。


 街中にいたのも。


 自分を心配していたのも。


 文芸部や本の話をしたのも、遥だった。


 起きた出来事が、名前と一緒に文章になっている。


 書かれていることに間違いはない。


 けれど、ファミレスで過ごした時間が、黒い本の中では、わずかな文章に変えられていた。


 遥が声を上げて笑ったことも。


 二人でドリンクバーへ行ったことも。


 どんな本が好きなのかを話したことも。


 すべてが、短い文章の中へ押し込められている。


 自分が楽しいと思った時間まで、黒い本に勝手に記録されている。


 そう考えると、少しだけ落ち着かなかった。


 *   *


 十二時を過ぎ、昌志はページの先へ目を移した。


 七月三日の文章の下には、今日の記述が浮かび上がっている。


 ━━━━━━━━━━━━━━


 ――七月四日、午後。


 彼女は図書館で、

 ひとりで本を探している。


 昌志が会いに行けば、

 彼女は笑って帰る。


 昌志が会いに行かなければ、

 彼女は雨の中、

 ひとりで帰る。


 ――七月四日、夕方。


 彼女が部屋に入り、

 何かを探している。


 昌志が早く戻れば、

 彼女は見つけたものを、

 それ以上調べられない。


 昌志が戻るのが遅ければ、

 彼女はそれを持ち出す。


 ━━━━━━━━━━━━━━


「彼女……」


 昌志は小さく呟いた。


 結果として書かれた文章には、遥の名前があった。


 けれど、まだ起きていない明日の出来事では、また名前が消えている。


 二つの予告には、どちらも「彼女」と書かれていた。


 同じ人物なのか。


 それとも、別の人物なのか。


 それすら分からない。


 午後。


 図書館で、ひとりで本を探している彼女。


 今日の出来事から考えるなら、美月かもしれない。


 文芸部へ入ったばかりで、読む本を探していても不思議ではなかった。


 遥の可能性もある。


 遥も本が好きだ。


 今日も、本屋で新刊を探していた。


 黒い本には名前が書かれていない。


 誰なのかは、図書館へ行って確かめるしかなかった。


 そして、もう一つ。


 夕方、部屋へ入り、何かを探している彼女。


 こちらは、図書館にいる彼女以上に分からない。


 そもそも、どこの部屋なのかが書かれていなかった。


 学校の部室かもしれない。


 誰かの家の部屋かもしれない。


 あるいは、昌志の部屋かもしれない。


 昌志が早く戻れば、それ以上調べられない。


 そう書かれている以上、自分が戻れる場所なのだろう。


 それなら、自宅の可能性が高い。


 けれど、そうだと決まったわけではない。


 黒い本は、肝心なところを何も書いていなかった。


「俺の部屋だとしたら……」


 昌志の視線が、机の上の黒い本へ落ちた。


 誰かに探されて困るもの。


 調べられて困るもの。


 持ち出されて困るもの。


 すぐに思い浮かぶのは、この黒い本だった。


 司なら、昌志がいない間に部屋へ入ることもある。


 何かを探していたとしても、不思議ではない。


 ただし、予告に書かれた彼女が司だという確証はない。


 部屋が昌志の部屋だという確証もない。


 何を探しているのかも分からない。


 それでも、何も対策をせずに出かける気にはなれなかった。


「持っていけばいいのか……?」


 黒い本を持って出かける。


 部屋になければ、誰かが探しに入っても見つけられない。


 それが一番確実に思えた。


 けれど、図書館の予告には雨が書かれている。


 どこかで雨が降るのだろう。


 鞄へ入れておけば、すぐに濡れるわけではない。


 それでも、雨の中を持ち歩くことに不安は残る。


 鞄の中へ水が入るかもしれない。


 どこかへ置き忘れるかもしれない。


 落とす可能性もある。


 黒い本を家の外へ持ち出すこと自体が、危険なようにも思えた。


「やめた方がいいか」


 昌志は黒い本を見つめた。


 持っていくのではなく、いつもより見つかりにくい場所へしまっておく。


 そのうえで、午後になったら図書館へ行く。


 彼女を見つけ、用事を早めに済ませる。


 そして、夕方になる前に家へ戻る。


 部屋が自分の部屋でなければ、それでも構わない。


 自分の部屋だった場合に備えて、できることはしておいた方がいい。


 黒い本を隠し、早く帰る。


 それが、今の昌志に考えられる一番安全な方法だった。


 それから、傘も必要になる。


 図書館にいる彼女が、傘を持っているとは限らない。


 会いに行かなければ、彼女は雨の中をひとりで帰る。


 会いに行った場合に雨の中を歩かずに済むとは書かれていないが、少なくとも傘を持っていれば困ることはない。


 昌志はもう一度、四日の予告を読み返した。


 午後に図書館へ行く。


 彼女を見つける。


 用事を早めに済ませ、夕方までに帰る。


 黒い本は持ち出さず、簡単には見つからない場所へしまっておく。


 そして、傘を忘れない。


 昌志は頭の中で順番を確かめてから、黒い本を閉じた。


 最近の起きた出来事には、名前が書かれている。けれど、これから起こる出来事では、誰なのかも、どこの部屋なのかも分からない。


 図書館にいる彼女。


 どこかの部屋へ入る彼女。


 二つの「彼女」が、昌志に何かを問いかけている気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ