第80話 同じ部活ですね
七月三日の放課後。
放課後になると、昌志は鞄を持って教室を出た。
廊下には、部活へ向かう生徒たちの声が広がっている。
いつもなら、そのまま帰るだけだった。
けれど、今日は違う。
文芸部へ行く。
正確には、美月と一緒に入部届を出しに行く。
昌志が文芸部に強い憧れを持っていたわけではない。
本は読む。
嫌いではない。
けれど、三年生のこの時期になって、新しく部活へ入るほどの熱意があったわけではなかった。
美月が文芸部に入ってもいいと言った。
ただし、自分が入るなら、昌志にも一緒に入ってほしいと言った。
だから、昌志も入ることになった。
それだけの話だった。
廊下の先で、美月が待っていた。
昌志を見つけると、すぐに顔を明るくする。
「昌志先輩」
「待たせた?」
「いえ。全然です」
そう言いながら、美月は明らかにそわそわしていた。
「行きましょう」
「そんなに楽しみなのか?」
「楽しみです」
美月は迷わず答えた。
(よっぽど文芸部に入りたかったんだな。誘ってよかった)
「同じ部活ですね」
「まだ入部届も出してないけどな」
「出したら、同じ部活です」
「受け取ってくれたらな」
「受け取ってくれます」
美月は妙に自信満々だった。
その様子に、昌志は少し笑ってしまう。
「なんか、テンション高いな」
「高いです」
「自分で言うのか」
「だって、昌志先輩と同じ部活なんですよ」
(美月ちゃんが、こんなに本好きになるなんて……)
まっすぐ言われて、昌志は少しだけ返事に困った。
そのまま二人で、文芸部の部室へ向かう。
部室は、校舎の端にある小さな部屋だった。
昌志が扉を開けると、中にいた雪が顔を上げた。
「あ、本当に来てくれたんだ」
雪が嬉しそうに言った。
「昨日、今日来るって言っただろ?」
「昌志くんのことじゃないよ。美月ちゃんの方」
雪はそう答えると、昌志の隣にいる美月へ目を向けた。
「昨日は急にお願いしてごめんね。来てくれてありがとう」
「いえ。私も文芸部には少し興味があったので」
美月は少し緊張した様子で答えた。
「それに、昌志先輩も一緒ですから」
「うん。そこは昨日、よく分かった」
雪が少し笑う。
「何が分かったんだ?」
「昌志くんは分からなくていいよ」
「何だよ、それ」
二人のやり取りを聞いて、美月が楽しそうに笑った。
その声に気づき、部室の奥にいた女子生徒が顔を上げた。
少しふっくらとした大柄な体つきで、落ち着いて椅子に座っているだけでも堂々として見える。
女子生徒は立ち上がると、初めて会う美月へ向き直った。
「二年の矢部です。文芸部の部長をしています」
「相沢美月です。よろしくお願いします」
美月が丁寧に頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします。来ていただいて、ありがとうございます」
矢部も軽く頭を下げた。
部室にいた一年生の女子部員二人も、美月へ向かって会釈する。
矢部はそれから、昌志へ目を向けた。
「岐阜先輩も、昨日はありがとうございました」
「いや、俺は別に何もしてないけど」
「そんなことないです。本当に助かりました」
矢部は落ち着いた口調で答えた。
「では、昨日お話ししたとおり、今日は入部届を書いてもらいますね」
「あ、はい」
美月が嬉しそうに答えた。
矢部は机の引き出しから、用意していた用紙を二枚取り出し、二人の前に置いた。
「名前とクラス、それから学校用の連絡先を書いてください。分からないところがあれば聞いてください」
「今、書いていいんですか?」
「はい。書き終わったら、そのまま私に渡してください」
手続きは、それだけだった。
昌志は少し拍子抜けした。
もっと何か聞かれるのかと思っていた。
三年生のこの時期に入る理由とか。
これから活動できるのかとか。
そういうことを聞かれるかもしれないと思っていた。
けれど、矢部は特に気にした様子もなかった。
美月は丁寧な字で名前を書いている。
昌志もその隣で、自分の名前とクラスを書いた。
書き終わった用紙を、二人で矢部に渡す。
矢部は記入された内容を簡単に確認してから頷いた。
「大丈夫です。これで、今日から文芸部員です」
「ありがとうございます」
美月が頭を下げる。
昌志も続いて軽く頭を下げた。
「正式な活動日は、火曜日と木曜日です」
矢部が説明を続ける。
「ただ、それ以外の日に来てはいけないわけではありません。部室が開いていれば、本を読んだり、書いたりしていても大丈夫です。参加も毎回強制ではありません」
「読むだけでもいいんですか?」
美月が聞く。
「はい。読むだけでも、感想を話すだけでも構いません。詳しいことは、次に来た時に説明します」
「分かりました」
美月は嬉しそうに頷いた。
「これで、本当に同じ部だね」
雪が言う。
「はい」
美月の顔が、さらに明るくなった。
「同じ部活ですね、昌志先輩」
「そうだな」
今度は、昌志もそう答えた。
「今日、少し残っていきますか?」
雪が二人に尋ねる。
美月は答える前に、昌志の顔を見た。
「悪い。今日は用事がある」
「用事ですか?」
「ああ。ちょっと街中に行く」
「買い物ですか?」
「そんな感じ」
本当は違う。
黒い本に書かれていたから行く。
夕方。
街中。
彼女。
彼女は楽しそうに話す。
けれど、ひとつだけ気になっていることがある。
それを確かめるために行く。
けれど、美月に言えるはずがなかった。
「では、今日は入部届だけですね」
矢部が言った。
「はい。すみません」
「大丈夫です。用事があるなら仕方ありません」
矢部は気にした様子もなく答えた。
「正式な活動は、来週の火曜日からですね」
美月が言う。
「ああ」
「でも、月曜日も来ていいんですよね?」
美月は矢部へ確認する。
「はい。部室は開ける予定なので、来てもらって大丈夫です」
その答えを聞くと、美月は昌志を見上げた。
「昌志先輩、月曜日も来ませんか?」
「火曜日からでいいんじゃないのか?」
「今日、入部届を出しただけで帰ってしまうんですから。少しくらい、一緒に活動したいです」
美月は少し不満そうに言った。
「分かった。月曜日も行くよ」
「本当ですか?」
「ああ」
「約束です」
「分かったって」
昌志が答えると、美月はようやく満足そうに頷いた。
「私、楽しみにしていますから」
「ああ」
その言葉は、嬉しいはずだった。
けれど、胸の奥に少しだけ重さが残った。
誰かが楽しみにしている。
自分が来ることを待っている。
そういうものが、またひとつ増えた気がした。
昌志は美月たちと別れ、校舎を出た。




