幕間6 偶然が重なりすぎる
その日の夜、圭佑はスマホを手に取った。
少し前、昌志から電話があった。
駅前で瑞美遥に会ったこと。
遥が髪留めを落として困っていたこと。
それを昌志が拾ったこと。
遥が膝を少し擦っていたこと。
そして、圭佑の彼女ということになっているのだから、一応連絡して確認してやれと言われたこと。
昌志は、いつも通りの声でそう話していた。
けれど、圭佑には引っかかることがいくつもあった。
今日の放課後、昌志は駅前へ向かった。
行き先は、本屋か、適当に。
そう言っていた。
その駅前で、実際に瑞美遥を助けている。
それだけでも、偶然にしてはできすぎている。
しかも、昌志は電話の中で、遥、と自然に呼んでいた。今日からそう呼ぶことになったらしい。
そのうえ、髪留めをつけていたからかもしれないけど、前より少し髪が伸びた気がした、とも言っていた。
昌志は、たぶん深い意味で言ったわけではない。
けれど、圭佑にはその言葉も妙に引っかかっていた。
最近の昌志は、やはり何かを隠している。
火事の話が出た時の反応。
名乗り出ない高校生の話題が出た時の顔。
そして、今日のスクラッチくじの話。
一枚だけ買って、二万円が当たった。
普通なら、ただの幸運で済ませる話だ。
けれど、昌志の周りで起きていることを考えると、圭佑にはそれだけで片づけられなかった。
圭佑は息を吐き、瑞美遥の名前を押した。
何度か呼び出し音が鳴ったあと、遥が出た。
『はい。相沢さん?』
「夜にすみません。今、大丈夫ですか?」
『はい。大丈夫です』
「昌志から聞きました。今日、駅前で怪我をしたそうですね」
電話の向こうで、遥が少し黙った。
『……昌志さんから、ですか?』
「はい。髪留めを落として困っていたことと、膝を少し擦ったことを聞きました」
『大きな怪我ではありません』
「本当に大丈夫ですか?」
『はい。昌志さんが絆創膏をくれました』
「そうですか」
圭佑は少し息を吐いた。
「昌志に、連絡して確認してくれと言われたんです」
『昌志さんが?』
「はい。一応、彼女なんだろって」
電話の向こうが、少し静かになった。
『……そうですか』
「すみません」
『いえ。相沢さんが謝ることではありません』
遥は静かに答えた。
けれど、その声には、ほんの少しだけ複雑なものが混じっていた。
「それで、何があったんですか?」
『駅前で、小さな髪留めを落としてしまって。それを、昌志さんに拾ってもらいました』
「駅前、ですか?」
圭佑の声が、少しだけ変わった。
今度は遥が黙る番だった。
『……どうかしましたか?』
「今日、学校で昌志が言っていたんです。放課後、駅前に行くって」
『駅前に、ですか?』
「はい。本屋か、適当にって言っていました。でも、今聞くと……」
圭佑はそこで言葉を止めた。
言い切るには、まだ早い。
けれど、言わなくても遥には伝わったらしい。
『まるで、そこに行く理由があったみたいですね』
「そう聞こえます」
圭佑は、少し迷った。
言っていいことなのかどうか、すぐには判断できなかった。けれど、黙ったままにするには、引っかかることが多すぎる。
「……あくまで、俺の予想です」
『はい』
「昌志は、最初から瑞美さんを助けに行ったんじゃないですか?」
電話の向こうで、遥が黙った。
「瑞美さんが駅前で何かに困る。何かを落とす。そういうことが起きるって、知っていたみたいに」
『……昌志さんが、知っていた』
「はい。そう考えると、駅前に行った理由も、髪留めを見つけたことも、少しつながります」
『でも、どうしてそんなことが分かるんですか』
「そこまでは分かりません」
圭佑は正直に答えた。
「だから、今はただの予想です。でも、偶然にしては、少し重なりすぎています」
『はい』
遥の声も、少しだけ硬くなった。
『私も、そう思います』
圭佑はそこで、さっきから引っかかっていた言葉を口にした。
「瑞美さん」
『はい』
「さっき、昌志さんって言いましたよね?」
電話の向こうで、遥が小さく息をのむ気配がした。
『……言いました』
「今日からですか?」
『はい』
遥の声は、少しだけ落ち着かないように聞こえた。
『今日、また助けてもらって……そのあと、私が、お礼をしたいと言ったんです』
「お礼、ですか」
『はい。助けてもらってばかりなので、何か返したいと』
「それで、昌志が?」
『そうしたら、昌志さんが、岐阜さんと呼ばれるのはあまり好きではないと言って』
「岐阜の苗字が?」
『はい。地名みたいだから、と』
遥の声が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
『岐阜山みたいだと話していました』
「岐阜山」
『少し、ありそうですよね』
電話の向こうで、遥が小さく笑った気配がした。
圭佑は、その声を聞いて少しだけ目を細めた。今の遥は、たぶん少し機嫌がいい。
『それで、これからは名前で呼んでほしいと言われました』
「昌志が、自分からですか?」
『はい』
「それで、昌志さん、と」
『はい』
「昌志は、瑞美さんのことを?」
『遥、と呼ぶと言ってくれました』
「そうですか」
圭佑は短く答えた。
昌志が、自分からそこまで距離を縮めた。
それは、少し意外だった。
「そういえば、昌志が言っていました」
『何をですか』
「髪留めをつけていたからかもしれないけど、前より少し髪が伸びた気がした、と」
電話の向こうが、少し静かになった。
『……そう、ですか』
「瑞美さん?」
『いえ。何でもありません』
遥はすぐにそう言った。
けれど、その声はほんの少しだけ揺れていた。
圭佑は、それ以上は聞かなかった。
聞かない方がいい気がした。
遥が髪を伸ばしている理由までは、圭佑には分からない。
ただ、昌志の言葉が、遥にとって何か意味を持ったらしいことだけは分かった。
「それで、本当に大丈夫だったんですね?」
『はい』
「小さな髪留めというのは、髪につけていたものですか?」
『はい。落ちた場所が悪くて、私だけではすぐに拾えなかったと思います』
「昌志は大丈夫でしたか?」
『少し手を痛めたみたいです』
「やっぱり怪我してるじゃないですか」
『大きな怪我ではないと思います。でも……』
遥の声が少し落ちた。
『私は、また助けられました』
「また、ですか」
『はい』
遥は静かに言った。
『これで、四回目です』
圭佑は返事に詰まった。
四回。
それは、偶然というには多すぎる。
しかも、昌志はいつも、ちょうどその場にいる。
ちょうど助けられる位置にいる。
ちょうど間に合う。
「昌志は、今日どうでしたか?」
『どう、というのは?』
「変ではありませんでしたか?」
遥は少し考えたようだった。
『変では、ありました』
「やっぱり」
『でも、いつもより少し話してくれました』
「話してくれた?」
『はい。名前で呼ぶことも、そうですけど……私が何か返したいと言ったら、ちゃんと聞いてくれました』
遥の声は、さっきより少しだけ明るかった。
『だから、もしかしたら、いつか話してくれるかもしれないと思いました』
「何をですか?」
『分かりません』
遥は正直に答えた。
『でも、昌志さんは、何かを一人で抱えているように見えます』
圭佑は黙った。
それは、圭佑も同じことを感じていた。
『今日も助けてもらいました。怖かったです。でも、それだけではなくて』
「それだけではない?」
『少しだけ、近づけた気がしました』
遥は言ってから、少し恥ずかしそうに黙った。
圭佑は、それ以上は突っ込まなかった。
今の遥は、たぶん少し機嫌がいい。
昌志に助けられたこと。
名前で呼ぶようになったこと。
距離が縮まったように感じていること。
それは、圭佑がからかっていい話ではなかった。
「そうですか」
『はい』
「無事ならよかったです」
『ありがとうございます』
そこで、圭佑はもう一つ気になっていたことを思い出した。
「そうだ。瑞美さん」
『はい』
「昌志って、前にもスクラッチくじを当てていませんでしたか?」
電話の向こうで、遥が黙った。
さっきとは違う沈黙だった。
『……どうして、それを?』
「今日、昌志から聞いたんです。一枚だけ買って、二万円当てたって」
『二万円、ですか』
「瑞美さんが見た時は?」
『一万円でした』
圭佑の手に、少しだけ力が入った。
「その時も、一枚だけでしたか?」
『はい。たしか、一枚だけでした』
「その時、昌志は何か言っていましたか?」
『私が、当たるのを知っていたみたいですね、と言ったんです』
「はい」
『そうしたら、昌志さんは、たまたまです、と言いました』
「……そうですか」
一枚だけ買って、一万円。
別の日にまた一枚だけ買って、二万円。
ありえないとは言えない。
けれど、偶然で片づけるには気持ちが悪い。
『相沢さん』
「はい」
『やっぱり、変ですよね』
「変だと思います」
圭佑はごまかさなかった。
「普通は、一枚だけ買って何度も高い当たりを引くなんて、そうそうありません」
『はい』
「しかも、昌志はそれを偶然みたいに話していました」
『昌志さんは、いつもそうです』
「たまたま、とか?偶然、とか?」
『はい』
圭佑は小さく息を吐いた。
たまたま。
偶然。
昌志はよく、その言葉を使う。
でも、たまたまが重なりすぎると、それはもう普通の偶然には見えない。
「瑞美さん」
『はい』
「今すぐ問い詰めるのはやめましょう」
『……はい』
「たぶん、聞いてもあいつは逃げます」
『そうですね』
「でも、何か分かったら教えてください」
『分かりました。相沢さんも、お願いします』
「もちろんです」
通話が切れた。
圭佑はスマホを下ろし、しばらく画面を見つめていた。
遥は無事だった。
それはよかった。
昌志との距離が少し縮まったことを、遥は喜んでいるようだった。
それも、悪いことではない。
けれど、圭佑の胸の奥には、重いものが残っていた。
駅前へ行くと言っていた昌志。
その駅前で、助けられた遥。
一枚だけ買ったスクラッチくじ。
一万円。
二万円。
火事。
小さな髪留め。
そして、遥がまた助けられたこと。
偶然が、重なりすぎている。
昌志は、やはり何かを隠している。
圭佑はもう、それをただの気のせいだとは思えなかった。




