表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕はまだ、この本を書いていない  作者: 岐阜昌志
第2章 選ばなかったもの

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
61/120

第56話 美月に会う理由

六月二十六日の朝。


 学校へ向かう途中も、昌志は黒い本の文章を思い返していた。


 昨日の火事。


 助かった赤ん坊。


 変わった文章。


 そして、次に出ていた三つの文章。


 そのうち二つは、良さそうに見えた。


 一つは、美月に会うこと。


 もう一つは、赤ん坊を助けられた夫婦から礼を受け取ること。


 夫婦の方は、無理だ。


 受け取るつもりはない。


 名乗ることになる。


 説明を求められてしまう。


 どうしてあの場所にいたのか。

 どうして赤ん坊の場所が分かったのか。


 答えられるはずがない。


 だから、選ぶなら美月の方だった。


 美月は、昌志に会いたいと思っている。


 美月は、兄について、少し気になっていることがある。


 会えば、美月は少し安心する。


 会わなければ、その気持ちは残る。


 黒い本には、そう書かれていた。


 昌志は、その中の「兄について」という言葉が気になっていた。


 兄。


 圭佑のことだ。


 圭佑といえば、あの文章がある。


 親友は、望んでいたものに少し近づいた。


 あの時、黒い本はそう書いていた。


 親友は圭佑だった。


 でも、圭佑が何に近づいたのか、昌志はまだ知らない。自分が知らないところで、圭佑が何かを手に入れた。


 黒い本は、そういう書き方をしていた。


 それが何なのか。


 美月なら、何か気づいているかもしれない。


 圭佑が最近少し変わったとか。


 誰かと連絡を取っているとか。


 何か隠しているとか。


 美月と話せば、その欠片くらいは拾えるかもしれない。


 それに、黒い本は「美月」と書いた。


 今までの「彼女」ではなく、名前で。


 その意味も気になっていた。


 学校に着いてからも、昌志の頭の中はそのことでいっぱいだった。


 授業中、ノートは取っている。


 黒板も見ている。


 けれど、内容はあまり入ってこない。


 美月。


 兄について。


 圭佑が何に近づいたのか。


 その三つが、ずっと頭の中で回っていた。


 圭佑は、そんな昌志を何度か見ていた。


 授業と授業の間、圭佑が机の横に来る。


「お前、今日も寝不足か?」


「少し」


「少しって顔じゃないけどな」


「昨日、あんまり眠れなかっただけ」


「またかよ」


 圭佑は眉を寄せた。


 昌志は曖昧に笑った。


 圭佑の顔を見ると、余計に気になる。


 この親友は、何を手に入れたのか。


 あの時、黒い本は何を書いていたのか。


 直接聞くことはできない。


 圭佑に「最近何か手に入れたか」などと聞けば、怪しまれるだけだ。


 だから、美月に聞く。


 圭佑のいないところで。


 その方がいい。


 *    *


 昼休みになった。


 教室の中が一気に騒がしくなる。


 弁当を出す音。


 椅子を引く音。


 廊下へ出ていく足音。


 昌志は、圭佑に声をかけなかった。


 圭佑を通す必要はない。


 美月とは、前に連絡先を交換している。


 直接連絡することもできる。


 けれど、今は文章を送るより、直接伝えた方がいいと思った。


 文章に残すほどのことではない。


 長く説明するつもりもない。


 場所と時間だけ伝えればいい。


 昌志は教室を出た。


 下の階へ向かう。


 美月の教室は、一年生の教室が並ぶ廊下の先にあった。


 三年生が昼休みに一年生の教室へ来る。


 それだけで少し目立つ。


 廊下を歩いている生徒が、ちらりとこちらを見る。昌志は気づかないふりをした。


 教室の入口の近くで、一度足を止める。


 中から、女子の笑い声や机を動かす音が聞こえた。美月はすぐに見つかった。


 教室の奥の方で、友達と話している。


 昌志は入口近くにいた生徒に声をかけた。


「あの、相沢美月さん、いる?」


 その生徒が昌志を見て、少し驚いた顔をした。


「美月ですか?」


「うん」


「美月ー。三年生の人、来てるよ」


 教室の奥で、美月が顔を上げた。


 最初は不思議そうな顔。


 次に、昌志だと分かった瞬間、目が大きくなる。そして、ぱっと表情が明るくなった。


「昌志先輩?」


 美月は慌てたように立ち上がり、教室の入口まで来た。周りの生徒たちが、明らかにこちらを見ている。


 三年生の男子が、一年生の女子を呼び出している。


 そう見えているのだろう。


 長く話すと余計に目立つ。


 昌志は少し声を落とした。


「急にごめん」


「いえ。どうしたんですか?」


「今日の夕方、少し会える?」


 美月の表情が変わった。


 驚き。


 それから、嬉しさ。


 少しだけ戸惑い。


 全部が混ざったような顔だった。


「夕方、ですか?」


「うん。駅前のファミレスの前。学校が終わった後で」


「はい。大丈夫です」


 返事が早かった。


 昌志は少しだけ驚いた。


「無理ならいいんだけど?」


「無理じゃないです。大丈夫です」


 美月はすぐに首を振った。


 教室の中から、誰かが小さく声を上げる。


「え、何? 美月、呼び出し?」


「三年生?」


「デート?」


 美月の顔が赤くなった。


「ち、違うから」


 昌志も少し困った。


 こうなることは考えていなかった。

 だが、ここで説明を増やす方がまずい。


 余計なことは言わない。

 場所と時間だけ伝える。


 それだけでいい。


「じゃあ、夕方。ファミレスの前で」


「はい」


「あと、このこと圭佑には俺から言うから」


「あ、お兄ちゃんにですか?」


「うん。だから、美月ちゃんは気にしなくていい」


「分かりました」


 美月は真面目に頷いた。


 昌志はもう一度だけ頷き返し、すぐに教室を離れた。


 背中に視線を感じた。


 美月の視線だった。


 昌志が廊下を曲がるまで、美月がこちらを見ている気配があった。


 振り返らなかった。

 振り返ると、余計に目立つ。


 ただ、歩きながら思った。


 黒い本に書かれていた通りなのかもしれない。


 美月は、昌志に会いたいと思っている。それは、文章で読んだ時よりもずっと分かりやすかった。


 *    *


 自分の教室へ戻ると、圭佑がすぐに顔を上げた。


「どこ行ってた?」


「一年の教室」


「一年?」


 圭佑の眉が動く。


「美月ちゃんに会ってきた」


「……美月に?」


「うん」


「何で?」


「夕方、少し会うことにした」


 圭佑は箸を持ったまま固まった。


「は?」


「だから、夕方に美月ちゃんと会う」


「いや、何でだよ?」


「少し話したいことがある」


「美月と?」


「うん」


「お前が?」


「俺が」


 圭佑はしばらく昌志を見ていた。


 驚いている。


 それはそうだと思う。


 今まで昌志は、美月の話題を自分から出すことはほとんどなかった。


 助けた相手ではある。


 圭佑の妹でもある。


 けれど、わざわざ二人で会おうとするような関係ではなかった。


「何の話だよ」


「大したことじゃない」


「大したことじゃないなら、俺もいていいだろ」


「来るな」


 昌志は、少し強めに言った。


 圭佑がまた固まる。


「……何でそんな強いんだよ」


「二人で話したい」


「おい、それ言い方」


「変な意味じゃない」


「当たり前だろ。俺の妹だぞ」


「分かってる」


「なら俺も行く」


「来るな」


「だから何でだよ」


「圭佑がいると話しにくい」


「俺の妹と話すのに、俺が邪魔なのかよ」


「邪魔」


「はっきり言うな」


 圭佑は呆れた顔をした。


 昌志は引かなかった。


「頼むから、ついてくるな」


「……お前、ほんと今日変だぞ」


「分かってる」


「分かってるのかよ」


「でも、ついてくるな」


 圭佑は、しばらく黙った。


 昌志の顔をじっと見る。


 いつもの冗談で流せる雰囲気ではないと思ったのかもしれない。


 やがて、圭佑は小さく息を吐いた。


「分かった」


「ありがとう」


「ただし、美月を困らせるなよ」


「困らせない」


「泣かせたら許さないからな」


「泣かせない」


「あと、変なことしたら妹から俺に連絡来るからな」


「しない」


「ならいい」


 圭佑はそう言った。


 けれど、納得した顔ではなかった。今まで美月の話題などほとんどなかった昌志が、急に美月と会うと言い出した。


 しかも、圭佑は来るなと強く言った。


 不自然だ。


 そう思っている顔だった。


「美月、何て?」


「大丈夫だって」


「喜んでただろ?」


「……たぶん」


「たぶんじゃないだろ。顔見れば分かるだろ」


「嬉しそうではあった」


「だろうな」


 圭佑は少しだけ表情を緩めた。


 その顔を見て、昌志はまた気になった。


 圭佑は、何を手に入れたのか。


 あの時の黒い本の文章。


 親友は、望んでいたものに少し近づいた。


 親友は圭佑だった。


 でも、圭佑本人はそれを知らない。


 昌志も知らない。


 美月なら、その周辺に何か気づいているかもしれない。兄について、少し気になっていることがある。


 黒い本は、そう書いていた。


 美月の中にある「兄について」の違和感。


 それが、圭佑の手に入れたものとつながっているのかもしれない。


 昌志は、そこを確かめたい。


 ただ、それを圭佑には言えない。


「ほんとに、大した話じゃないから」


 昌志はそう言った。


 圭佑は疑わしそうに目を細める。


「大した話じゃないやつは、そんな顔しないんだよ」


「どんな顔だよ」


「何か隠してる顔」


「してない」


「してる」


「してないって」


「まあいいけど」


 圭佑は、そこでいったん引いた。


 それ以上は突っ込まなかった。


 けれど、完全に流したわけではない。


 昌志には分かった。


 圭佑は、覚えている。


 今のやり取りも。


 昨日からの自分の様子も。


 そして、美月と会うと言ったことも。


 それでも今は、ついてこないと言った。


 なら、それでいい。


 夕方、美月に会う。


 そこで何を聞くか。

 どう聞けば不自然ではないか。


 圭佑が最近変わったこと。


 誰かと連絡を取っていないか。


 何か隠していないか。


 それを直接聞きすぎれば、美月にも怪しまれる。何気なく雑談の中で。


 美月が気にしている「兄について」の話から、少しずつ探る。昌志は頭の中で、何度も会話の形を考えた。


 黒い本は、美月と書いた。


 彼女ではなく、美月と書いた。


 そして、兄について、と書いた。


 その意味を知るためにも、会う必要がある。


 美月が何を知っているのか。

 圭佑が何を手に入れたのか。


 その欠片だけでも拾えればいい。


 昌志はそう思いながら、午後の授業を待った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ