ティアーノの複雑な事情
「いやはや、これは少々歴史の話になりますな」
そう前置きをして、ピッツァーは指を組んだ。
「巡礼の道と呼ばれるティアーノ公国ですが、なぜ独立国家なのか、不思議に思いませんかな?」
確かにその通りだった。
聖地へ向かう道なのだから、聖地バルフォルニアの領土でもおかしくない。
「実は、そこには複雑な事情がありましてな」
ピッツァーはゆっくりと語り始めた。
長い長い魔王と救世の女神との戦いの中で、巡礼の道は幾度となく主戦場となった。
聖地を守る最後の防波堤として。
その大地は数えきれないほどの人と魔族の血を吸った。
そしてついに魔王は討たれた。
誰もが平和の訪れを信じた。
「めでたしめでたしじゃ終わらないよね。世界はそんな単純じゃないもの」
イサメがぽつりとつぶやく。
「ええ、まさに」
ピッツァーは苦笑した。
「平和は訪れませんでした。女神は世界の統一を望んだのですよ」
その後に起きたのが、後に『世界統一戦争』と呼ばれる戦いである。
救世の女神を信奉する者たちと、それに従わない者たちとの戦い。
世界は再び血に染まった。
その結果、生まれた秩序は単純だった。
女神の名のもとに栄える者。
そして、抵抗したがゆえに永遠の隷属を課された者。
「なんか女神様のほうが怖く聞こえてきたんだけど……」
「歴史とは、勝者が書くものですからな」
ピッツァーは肩をすくめる。
その時代、聖地は絶大な権力を誇った。
当然、巡礼の道も聖地の支配下にあった。
だが、永遠に続く権力などない。
数百年の時を経て、教会は次第に傲慢になっていった。
そして、世俗の王たちは思い始める。
――教会は口を出しすぎではないか、と。
「もともと教会だけで政治なんてできません。各国の王たちに任せていたのです」
だが、
税にも。
法律にも。
戦争にも。
教会は口を出した。
やがて不満は爆発する。
聖地から遠い国々から始まった反教会運動は、燎原の火のごとく広がっていった。
その中でも特に大きな争い。
それがスカイリア王国と聖地バルフォルニアとの対立だった。
「最も恩恵を受けたはずのスカイリアが、反旗を翻したのです」
「親不孝だねぇ」
「聖地もそう思ったでしょうな」
ピッツァーは苦笑する。
「聖地からすれば、我が子が突然親を裏切ったようなものでした」
かわいさ余って憎さ百倍。
両国の戦いは熾烈を極めた。
そして。
またしても巡礼の道が主戦場となった。
「かわいそうなのはティアーノだね」
「全くですな」
戦い続けた末に、両国はようやく悟る。
この戦争は勝者を生まない、と。
そして停戦した。
表向きは、
国王は教会を保護する。
教会は国政へ干渉しない。
という協定。
実質的には教会の全面後退だった。
だが、新たな問題が生まれる。
巡礼の道をどうするか。である。
スカイリアは聖地と直接国境を接したくない。
バルフォルニアは巡礼の道を手放したくない。
再び戦争寸前まで行った。
そこで生まれた苦肉の策が――
ティアーノ公国の独立だった。
巡礼の道を一つの国家として独立させる。
政治を担うのは、スカイリア王家の親族であったティアーノ公爵家。
スカイリアはその公爵家を送り込み、多額の援助金を与えることで経済的な影響力を確保した。
一方のバルフォルニアは高位聖職者を送り込み、宗教と文化を通じて影響力を保った。
つまり、
政治と経済はスカイリア。
宗教と文化はバルフォルニア。
そうして互いの領分を侵さぬよう均衡を保ってきたのである。
そして現代。
時が流れ、スカイリアとバルフォルニアの関係は、少なくとも表面上は良好になっていた。
だが、ティアーノ公国を巡っては、未だ両国の禍根が燻り続けている。
ピッツァーはそこで話を止めた。
酒呑童子が腕を組み、先の質問を繰り返す。
「で、そのティアーノってのは、結局、今どっちと近いんだよ」
ピッツァーがにやりと笑った。
そして指を一本立てる。
「まさに、それが重要なのです」
「戒厳令が聖地寄りの動きなのか」
一本目の指。
「スカイリア寄りの動きなのか」
二本目の指。
「それによって、今回の話はまったく別物になります」
ピッツァーは笑みを消した。
「だから調べてきてほしいのですよ。ティアーノで、いったい何が起きているのかを」




