工場とレディ
ちょうど日が落ちるころだった。
工場には、驚くほどあっさりと到着できた。
だが――そこは、異様だった。
人の気配が、まるでない。
その代わりに、鼻につく腐臭と、そこら中に積み上がったネズミの死体。
まるで何かから逃げ出したあとみたいに、工場だけがぽつんと取り残されていた。
「ご主人様、誰もいませんね。どこ行ったんでしょう? それに工場も止まってるみたいですし」
レン君が不思議そうに呟く。
慎重に奥へ進んでいく。
工場の最奥。
炭鉱へ続く巨大な門の前に、掘り出されたばかりなのだろう鉱石が、山のように積み上げられていた。
レンはそれにおもむろに近づくと、
「ご主人様、これ魔瘴石ですよ!」
と声を上げた。
魔瘴石――これは古の時代、まだ救世の女神と魔王が争っていたころの遺物である。
魔王が持つ恐ろしい力の一つに、“白い霧”というものがあった。
これは吸い込んだ者に少しの高揚感を与え、ほんの少し理性を奪い、そして疑心暗鬼にすることができるというものだった。
長らくの間、多くの者たちはこの白い霧の効用に気づくことができず、互いを疑い、蔑み、果てしない争いを続けた。
皆が疲弊したとき、魔王は世界に戦いを挑んだのだ。
当然、戦争の真っただ中だった多くの種族は、魔王の軍勢にされるがまま蹂躙されていった。
そこへ現れたのが、救世の女神である。
女神は霧を払い、多くの者を救い、皆をまとめ上げ、そして魔王を打ち破ったとされている。
その魔王の白い霧は、長い年月の中で岩に染み込み、時おり石となる。
そう、それこそが――魔瘴石である。
これ自体はそこまで効用があるものではない。
だが、窯で煮込み、あるものと混ぜると強烈な麻薬となることで知られているため、実は相当お高い。
当然危険なもののため、各国でも採掘を禁止したり、売買を固く禁じているところもある。
そんな説明をレンからイサメは聞き、
「なるほど……それで領主は採掘を禁じたのか」
と、ぽつりと呟く。
そして、ふと気づく。
(待てよ……?)
禁制品を採掘していたとなれば、それだけで十分な罪ではないか。
「何個か持って帰って、本物の検察官に訴えよう!」
そう口にした、その瞬間だった。
「ごしゅ、うしろ」
右肩のルイぴっぴが、小さく告げる。
反射的にイサメが振り向く。
レンと酒呑童子も、それに倣った。
そこに立っていたのは、女だった。
黒く大きなつばの帽子を深く被り、顔の大半は影に沈んでいる。
胸元まできっちり閉じられた漆黒のドレス。
それなのに、どこか妙に色香があった。
暗闇そのものが、人の形を取ったような女だった。
「こんばんは」
妖艶な声。
何も答えずにいると、女は小さく笑った。
「あなたたちの探し物って、これじゃなくって?」
カチャリ。
女が、牢屋の鍵らしきものを軽く揺らす。
イサメはしばらく黙っていた。
やがて静かに問う。
「……何が目的で?」
ふふっ。
女が笑う。
「話が早いって、本当ね。嬉しいわ」
一歩。
ゆっくり近づいてくる気配。
「魔瘴石のことは忘れて、このまま子息のところへ行ってくれないかしら?」
「罪を……かぶれと?」
再び、女が笑う。
「大丈夫。私がどうにかしてあげる」
甘く、絡みつくような声音。
「ね? いい子だから、私のお願い、聞いてくれるわよね?」
断ればどうなるか。
言葉にせずとも、十分伝わる言い方だった。
沈黙。
そして。
「……わかった」
イサメが静かに答える。
すると女は、満足そうに笑った。
カラン。
牢の鍵を床へ落とす。
そしてそのまま、暗闇へ溶けるように姿を消していった。
しばらく、誰も口を開かなかった。
やがて。
「あの女……ただもんじゃあねぇなあ」
酒呑童子が、低い声でそう呟いた




