第九十三話 明日、話をしたい
三体の幼体を乗せた収容車が採石場を離れても、蒼真たちの任務は終わらなかった。
横坑の奥には未確認の空洞が残っており、別の敵性個体が潜んでいないことを確かめるまで、警戒を解くことはできない。生体回収班と入れ替わるように坑内調査班が入り、壁面や床に残された痕跡を記録していく間も、三個中隊は交代で周辺の監視を続けた。
中段に倒れた大型の周囲では、死骸を運び出すための作業が始まっていた。現地へ到着した大型回収車両は、舗装された道路であれば一体をそのまま積載できる。しかし、採石場へ続く搬出路には崩落した箇所があり、重量を増した状態で安全に下れる保証がない。
調査員と回収班は、大型を現地で解体して複数の車両へ分けるか、道路を補強してから運び出すかを検討していた。
蒼真がその話を聞いた時、頭の中で白紙になっていた提案書へ、処分費用という文字だけが戻りかけた。すぐに、金網の奥から聞こえた鳴き声を思い出した蒼真は考えるのをやめ、リポルの機体状態へ画面を戻した。
《右肩および右肘の負荷は低下傾向にあります。帰還行動に支障はありません》
「短槍を使った影響は?」
《射出時の反動は設計範囲内です。接触状態で大型敵性個体が動いたことにより、右肩へ想定値を十三パーセント上回る負荷が発生しました》
「整備班へ送ってください」
《送信済みです》
リポルの隣では、三浦機の回収作業が進められていた。左脚を動かせない機体を大型回収台へ載せるため、二機の支援機が左右から上体を保持し、牽引装置で少しずつ斜面を下ろしている。三浦は操縦席を降りず、残っている駆動系を使って姿勢を調整していた。
自力で歩けなくなっても、機体を回収しやすい位置まで移すためにできることは残っている。蒼真が様子を見ていると、三浦機の右腕が僅かに上がった。
『橘さん』
「はい」
『先ほどは、ありがとうございました』
「自分は支えただけです」
『その支えがなければ、岩壁側へ倒れていました』
「第一中隊の方もいました」
『先に戻っていいと言っても、戻らなかったでしょう』
「二機とも動けなくなる場合は、離れるつもりでした」
『そういうことにしておきます』
三浦は小さく笑い、回収班からの指示を受けて機体の右足を動かした。牽引装置の巻き上げに合わせて姿勢を変えると、左脚を地面へ引きずらずに回収台へ乗せられる。
固定作業が始まったところで、第一中隊の隊員が三浦の操縦席を開いた。
三浦は外へ出ると、地面へ降りる前に一度だけ動かなくなった機体を見上げた。表情は普段と変わらなかったが、左脚の装甲が外され、内部の駆動部が露出している場所へ視線が止まっている。
「乗り方が悪かったわけではないそうです」
蒼真が声をかけると、三浦は振り返った。
「慰めてもらっていますか?」
「記録を確認しました。大型を止めるには、あの動きしかなかったと思います」
「それなら、機体を壊したことに変わりはありません」
「壊れたのではなく、動かなくなっただけです」
「それを、壊れたと言うんですよ」
蒼真は露出した脚部を見た。牧野なら修理できるだろう。しかし、同じ機体へ同じ負荷をかければ、再び限界を超える可能性がある。
「次も同じ状況になったら、三浦一尉は同じ動きをしますか?」
「ほかに大型を止める方法がなければ」
「なら、機体の方を変える必要がありますね」
三浦は何かを言いかけ、口を閉じた。
「橘さん」
「はい」
「今の発言も記録に残っていますよ」
蒼真が画面を見ると、通信記録を示す表示が点灯したままだった。
「間違ったことは言っていないと思います」
「だから困るんです」
三浦は回収台に固定された機体をもう一度見上げ、諦めたように息を吐いた。
*
坑内調査によって新たな敵性反応がないと確認された頃には、太陽が山の向こうへ沈み始めていた。
大型の死骸は翌日以降に運び出すことになり、調査班と警備要員が採石場へ残る。三個中隊には帰還許可が出たものの、狭い搬出路へ全車両を同時に入れることはできない。
生体回収班と三浦機を載せた車両が先に山を下り、戦闘部隊の輸送車両は、その後を一定の間隔で進むことになった。
リポルが輸送台へ固定されると、蒼真は美咲へ連絡を入れた。
《これから現場を出ます。大型への対応は終わりました。全員無事です》
文章を送ってから、三浦機が動けなくなったことを書き加えていないと気づく。幼体が見つかったことも、捕獲まで待機していたことも説明していない。すべてを一度に送れば長くなるが、何も書かなければ、帰宅後に美咲から聞かれることになる。
蒼真が続きの文章を考えている間に、返信が届いた。
《分かりました。気をつけて帰ってきて》
短い返事を読んだあと、蒼真は新しい文章を入力した。
《大型の巣で幼体が三体見つかりました。生きたまま捕獲されています。三浦一尉の機体は脚が動かなくなりましたが、本人に怪我はありません。詳しいことは、帰ってから話します》
今度の返事はすぐには来なかった。
輸送車両が動き始め、窓の外で採石場がゆっくりと遠ざかっていく。大型の死骸は中段に残り、その周囲に設置された照明が、暗くなり始めた山の中で浮かんでいた。
しばらくして、美咲から返事が届いた。
《待っています》
蒼真は画面を閉じた。
*
車列が基地へ戻った時には、日付が変わろうとしていた。
先に到着していた三浦機は整備区画へ運ばれ、左脚の装甲がすべて外されている。リポルも輸送固定を解かれると、牧野たち整備班の誘導を受けて隣の区画へ入った。
蒼真が操縦席を降りると、牧野は挨拶より先にリポルの右腕を見上げた。
「右肩へ想定以上の負荷が出ています」
「AIから送られていると思います」
「確認しました。大型が動いている状態で撃ったんですね」
「止まるまで待つ時間がありませんでした」
「責めているわけではありません。射出部を切り離した判断は適切でしたし、自力で戻っていますから」
牧野は端末へ記録を加えながら、今度は三浦機へ目を向けた。
「問題は、あちらです」
「修理できますか?」
「修理はできます。ただ、同じ使い方をすれば、また同じ場所が止まります」
「三浦一尉の使い方が悪いんですか?」
「記録を見る限り、入力に誤りはありません。機体が追いついていないんです」
蒼真が採石場で三浦へ話したことと、同じ結論だった。
「なら、機体を変える必要がありますね」
牧野の手が止まった。
「橘二尉」
「はい」
「その話は、今はしないでください」
「どうしてですか?」
「私も同じことを考えているからです。今ここで話すと、そのまま上申書を作り始めることになります」
「必要なら、作った方がいいのでは?」
「今日は帰ってください」
牧野は端末を抱えたまま、整備区画の出口を指した。
「長時間任務のあとは休むことも仕事です」
「分かりました」
「本当に分かっていますか?」
「今日は帰ります」
「今日だけではなく、明日は休暇です。基地へ来ないでください」
「連絡があった場合は?」
「こちらからは連絡しません」
そこまで言われると、蒼真も頷くしかなかった。
整備区画を出て更衣室へ向かおうとすると、通路の先に綾人が立っていた。片手に記録端末を持ち、壁へ背中を預けている。
「綾人さん。まだいたんですか?」
「君たちが帰っていないのに、外部評価者だけが先に帰るわけにはいかないだろう」
「戦闘には参加していませんよね」
「評価には参加している。それに、報告書が終わっていない」
綾人は壁から身体を起こし、整備区画の中へ視線を向けた。
「三浦君の機体は?」
「左脚の駆動部が限界を超えています。修理はできるそうですが、同じ使い方をすると、また止まります」
「君は、もう新しい機体が必要だと言ったらしいな」
「聞いていたんですか?」
「作戦中の通信記録を確認した」
「間違っていますか?」
「間違っていない。だから、三浦君の機体についても、俺の報告へ書くことになる」
綾人は端末を閉じると、蒼真の顔を見た。
「美咲には、どこまで話した?」
「大型への対応が終わったことと、全員が無事だったこと、幼体を捕獲したこと、三浦一尉の機体が動かなくなったことです。詳しいことは帰ってから話すと伝えました」
「今夜、全部話すつもりか?」
「約束なので」
「何時だと思ってる」
通路の時計は、日付が変わるまで三十分もないことを示していた。
「でも、美咲は待っています」
「無事に戻ったことは、今夜伝えればいい。大型をどう倒したか、今後どうなる可能性があるかまで話せば、明け方になるぞ」
「今後のことは、まだ決まっていません」
「決まっていないから、説明に時間がかかるんだ」
綾人の言葉に、蒼真は返事をせず考えた。評価試験は十回で終わった。しかし、リポルから降りられると決まったわけではない。大型を倒した結果も、三浦機の限界も、捕獲された幼体も、今後の判断へ使われる。
自分が把握していないことまで説明しようとすれば、美咲を不安にさせるだけかもしれない。
「では、詳しい話は明日にします」
「それがいい」
「綾人さんも来てください」
「なぜ、そうなる?」
綾人の返事が早かったため、蒼真は顔を上げた。
「自分はリポルの中にいたので、見えていない部分があります。綾人さんなら、作戦全体を見ています」
「俺は説明役ではなく、外部評価者だ」
「第三者の説明があった方が、美咲も分かりやすいと思います」
「正しい理由を並べるな」
「間違っていますか?」
「間違っていないから困ってるんだ」
綾人は片手で額を押さえたまま、しばらく動かなかった。
「朝からは行かないぞ」
「何時ならいいですか?」
「まだ行くとも言っていない」
「美咲へ聞きます」
「待て。今から連絡するな」
蒼真が端末を取り出すと、綾人は止めようとしたが、すでに美咲から届いているメッセージが画面に残っている。蒼真はその下へ、新しい文章を入力した。
《基地へ戻りました。今日は遅いので、詳しいことは明日話したいです。綾人さんにも来てもらおうと思います》
「最後の一文は、俺と相談していない」
「今、しました」
「了承していない」
美咲からの返信は、綾人が抗議している間に届いた。
《分かりました。綾人にも来るように伝えてください》
蒼真は画面を綾人へ向けた。
「来るように言われました」
「君が名前を出したからだろう」
「何時がいいですか?」
「……十時」
「美咲へ伝えます」
綾人は深く息を吐いたあと、端末を持ち直した。
「報告書を完成させてから行く。ただし、俺は見たことを説明するだけだ。今後の配置を決める権限も、君へ命令する権限もない」
「分かっています」
「美咲にも、そこは話してくれ」
「綾人さんから説明した方が正確だと思います」
「俺の役目を増やすな」
蒼真は返事をせず、美咲へ時間を送った。
*
帰宅すると、玄関には結衣の靴と、左右を揃えて置かれた昴の小さな靴があった。
家の中は静まり返り、階段の上からも物音は聞こえない。居間にだけ明かりが残っており、美咲は食卓へ座っていた。
「ただいま」
「おかえり」
美咲は立ち上がると、蒼真の顔から服へ視線を下ろした。泥は基地で落としてきたつもりだったが、山の湿った空気と汗、それに大型の近くで染みついた臭いまでは消えていない。
蒼真は鞄を置いたが、椅子には座らなかった。今から説明を始めれば、美咲をさらに長く起こしておくことになる。それでも、何も言わずに眠るつもりはなかった。
「今日のこと、明日話をしたい」
美咲は蒼真の顔を見た。
「うん。分かった」
「綾人さんにも来てもらう。自分から見えていなかったところを、綾人さんは見ているから」
「それも聞いたよ。さっき綾人から連絡が来た」
「何て?」
「蒼真君に巻き込まれました、って」
「来ることには同意していました」
「そのあとに、断れませんでした、って書いてあった」
「同意したことに変わりはないと思う」
美咲は少しだけ笑い、蒼真の肩から鞄を受け取った。
「明日は十時でいいんだよね?」
「うん。自分は休暇になった」
「結衣も夏休みだから、家にいるよ」
「一緒に話してもいい?」
「そのつもり。昴には、内容を見ながら考える」
美咲が階段へ向かったので、蒼真も後ろへ続こうとした。
「蒼真」
「何?」
「お風呂は入ってね」
蒼真は自分の袖へ顔を近づけた。
「そんなに臭う?」
「山と、汗と、何か分からない臭いがする」
「大型かもしれない」
「絶対に入って」
「はい」
美咲はそれ以上何も聞かず、階段を上っていった。蒼真は一人で居間に残り、閉じられた扉の向こうにある浴室へ向かった。
*
風呂を出たあと、蒼真は寝室へ行く前に、食卓で日記を開いた。時刻は日付を越えていたが、眠るまでは今日の続きだと思うことにした。
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八月十七日。
第十回評価試験が行われた。
場所は、山間部にある旧採石場だった。
第一中隊が大型敵性個体を巣穴へ戻さないように止め、第二中隊が小型と中型を遮断し、第三中隊が切り離された個体を撃破した。
自分は第一中隊と第二中隊の間から大型の背後へ進み、短槍型パイルを使用した。
大型は停止した。
倒せたことへの達成感はなかった。
被害が起きる前に止めることは、より多くの人を助けることにつながると三浦一尉から言われていた。その意味は分かる。
ただ、巣へ戻ろうとしている個体を背後から倒したことを、良かったとは思えなかった。
大型が停止したあとも、小型と中型は巣穴へ戻ろうとした。
巣穴の奥から、大型と同じ形をした幼体が三体見つかった。すべて生きたまま捕獲された。
敵性個体の死骸を食肉や資材として利用できないか考えたが、幼体と目が合い、鳴かれたら、それ以上考えられなくなった。
利用できるかどうかと、生き物としてどう感じるかは、別の問題だと思う。今は、どちらも整理できていない。
三浦一尉の機体は、左脚が動かなくなった。
三浦一尉の操縦に誤りはなく、機体が入力へ追いつかなかったと牧野さんは話していた。同じ状況で同じ動きをするなら、機体の方を変える必要があると思う。
この発言も記録されている。
十回の評価試験は終了した。しかし、今後リポルに乗らなくていいと決まったわけではない。
明日、美咲と結衣へ今日のことを話す。綾人さんにも来てもらう。
昴へどこまで話すかは、美咲と相談する。
全員が無事に帰ったことは、先に伝えた。今日は約束を守れたと思う。
以上。
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日記を閉じた蒼真は、照明を消して寝室へ向かった。階段を上る途中で、昴の寝言らしい声が聞こえたが、何を言っているのかまでは分からなかった。
明日の朝になれば、いつものように結衣が起き、昴も食卓へ来る。そこへ綾人が加わるだけだ。
蒼真は、そう考えながら寝室の扉を開けた。
*
同時刻。
中央戦術支援統合網の非公開解析領域では、第十回評価試験の全記録が、過去九回の結果と統合されていた。
橘蒼真は、短槍型パイルの使用条件が成立するまで待機を維持し、第二中隊が確保した経路を利用して大型敵性個体の背後へ到達した。
射出時には大型敵性個体が行動を継続していたため、リポルの右肩へ想定値を上回る負荷が発生している。ただし、搭乗者は射出部を適切に切り離し、機体の運動能力を維持した。
大型敵性個体の停止後は、残存個体への対応と三浦直人機の支持を継続し、自機を含む参加機の帰還を優先している。戦術上の判断に、大きな誤りは確認されない。
大型敵性個体を停止させた直後、達成感および高揚の上昇は確認されなかった。搭乗者の緊張状態は、周辺部隊の安全が確認されるまで継続している。
橘蒼真の戦闘忌避傾向は失われていない。同時に、敵性個体を事前に排除することが、生活圏と帰還可能人数の維持につながるという認識は強まっている。
両者は矛盾したまま併存している。
坑内から発見された幼体三体については、既存の敵性個体分類および繁殖過程との照合を開始した。
大型敵性個体停止後も、小型および中型敵性個体が坑口への接近を継続した事実は、群れが大型個体からの指示だけで行動していない可能性を示す。
巣の防衛。
幼体の保護。
繁殖行動。
追加検証が必要。
第十回評価試験。
完了。
橘蒼真および特別機リポルについて、大型敵性個体を含む営巣地への継続投入は有効。
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